悪く思うな。
神の預言者にしてアンスラックスの統率者、ベナンテ。
ベナンテにとって今夜の戦いはやや予想外のことであった。
神聖な儀式を行うために島に戻ってきたこの日を狙って襲撃をかけてくる組織があるとは思ってもみなかった、というのが本心である。
今夜この島に自分が戻っていることを知る外部のものは少ない。不可侵の関係、半ば同盟を組んでいるに等しいメタリカとメガデスのトップクラスの一握りの人間のみにしか知りえないことだ。そして彼らがこちらを攻めてくることはありえないのだ。
だから、奇襲攻撃の知らせが入ったときにまったく動揺しなかったといえばウソになる。
だが、それだけだ。
確認してすぐにわかったことだが、この襲撃者たちはメタリカから離反したものたちとのことだ。
ネイト・コモリ、レイジ・イケノという名の知れた若者たちがそれを率いているらしいが、それはたいした脅威ではない。
精鋭といえども所詮は小規模組織だ。こちらも現在島にいる戦力は少ないが、地力が違う。こちらは全世界に同じ神をあがめる同胞たちがいる。最悪、時間さえ稼げばいくらでも援軍は来る。まずそれが一つ。
そして次に、名の知れた指揮官が率いる少数精鋭、ということに関してならこちらも劣らない。
この私が、負けるはずがない。
ネイト・コモリ、たしかにわずか数年でメタリカの重役にまで上りつめた手腕はたいしたものだ。素直に認めよう。
だが、才気を過信し、血気にはやり、間違いを犯した。
この戦いはむしろ望むところだ。メタリカは邪魔だったしその戦力を手に入れたかったが、攻め込むわけにも行かなかった。だが、勝手にメタリカを離反し攻めてきたものを潰して軍門に下らせるのなら文句はあるまい。
殺す者だと? 笑わせる。
この私が、神に代わって貴様らを裁いてやる。
私たちはもともと、この小さな島で自分たちの信じる神とともにひっそりと生きていた。ただそれだけで良かった。
それなのに外の連中は干渉してきた。だから反撃してやった。滅ぼされるわけにはいかない。だから強くなった。島の外に出て、世界を侵食してやった。そしてやっと仮初めの安定と平穏を得たのだ。
それを壊そうだと? 新興の組織ごときにやられるわけにはいかない。
十数年前、儀式を取り仕切る族長だったベナンテの父はガーディアンに殺された。自ら進んで生贄になろうとした幼馴染の少女の決意は冒涜された。
神聖な森は焼かれ、異教徒が土足で祭壇を穢した。ずっと大事にしてきた色々なものが、野蛮だ残忍だと判断し蹂躙された。
二度とあんなことはさせない。そう決意した。
だから、ベナンテは強くなった。シャーマンとしての能力はもちろんのことながら、積極的に外の世界のことを学んだ。現代社会を生き残るための、勝ち残るための考え方を身につけた。吐き気がするほど嫌いだった「外の世界」に勝つためには、それを知らなければならない。
ベナンテは勝つためには卑怯なこともいとわない。策を労し敵をはめ、倒すことをなんとも思っていない。敵ならば倒す。それだけだ。
客観的にみて、ベナンテの学習・適応能力は高かったのだろう。部族の仲間たちは自分ほど現代の社会に対応できていない。高いシャーマンとしての能力を持ち、さらに外の世界と渡り合う知識と知恵をもつに至ったベナンテがアンスラックスを率いるのは自然な流れだった。
神に対して純粋で、素朴な生を喜ぶ少年は、その本質は変らないまましかし、部族の誰よりも賢くしたたかな青年に成長していた。
「……さて、そろそろこちらの仕掛けもそろそろ、というところですね」
ベナンテは堅い決意と神への激情をもったまま、島の中心部に位置する祭壇に鎮座し戦いの指揮を取っている。仕掛けはすんでいる。これで一気に敵を瓦解させるつもりだ。
「ベナンテ!」
ベナンテが指示を出そうとした直前、部族の一人、年長の男性が息せき切って走りよってきた。
「なにか動きがあったのですか?」
「西側の魔獣の半数が……」
彼の声は沈んでいるが、ベナンテは彼が言おうとしていることは大分前の時点ですでに予想がついていた。
「川に追い込まれたところで魚の民による攻撃を受け、半数が壊滅。そうですね?」
「え、なぜ、それを……?」
飛竜の目を通して事態は確認している。飛行艇を乗り捨てるという荒業で上陸してきた部隊を率いていたのはレイジ・イケノ。彼はキレ者だ。なら、もっとも有効な戦術を取ることは想像に難くない。と、いうよりも、彼の取る行動はある理由で筒抜けといえる。だが、あえてそれを放置している。
「中央では、敵の幹部二名が単独で戦闘中、こちらの戦力が他エリアに援護に行くのを食いとめ、東側では互角に戦闘が繰り広げられている。違いますか?」
「……神の声、なのか?」
「ええ」
あっけに取られている年長の男性にベナンテは笑いかけた。もちろん、神の声など聞いていない。神は、こんなことをイチイチ語りかけてくれはしない。スレイヤーの構成員の情報はメタリカから入手している。それを冷静に分析すればわかる結果だ。
だが、ベナンテは嘘をついた、とは思っていない。カリスマというのはこうしてつくっていくものだからだ。
「心配はいりません。たしかに敵の奇策は成功していますが、それをふまえても戦況はまだ五分五分。そうすぐに負けることはありませんし、時間をかければかけるほど不利になるのは相手のほうです。あちらは戦力の中枢をこの島に投入してやっと互角。一方こちらには島の外に数多くの同胞がいるのですから。そして、いざとなれば私自ら戦いましょう」
そう、なんの心配もない。すべてこちらの予想通りに行っている。敵は今、援軍がきたことや奇策がはまったことで勢いづいているが、そんなことはわかっていた。一時的に戦況は五分になっているが、敵は長くは持たない。いずれ力つきて負けることはほぼ確定事項だ。
それは敵も分かってきたころあいだろう。
血気にはやり攻め立てたはいいが、こちらに予想以上に苦戦し、近く八方ふさがりになることが読めてきたはずだ。一言で言えば、こちらの戦力を過小評価していた、いざ戦いが始まってみるとこんなはずではなかった、ということだ。
にもかかわらず戦いを続けている理由は一つだ。
「そ、そうだな。しかし、あいつは大丈夫なのか? かりすま、とかいう……」
そう、彼のなす何かを期待しているからだ。
「ネイト・コモリ。悪のカリスマ、と呼ばれる男ですね」
当然、ベナンテはネイトのこともよく知っている。メタリカの情報は細大漏らさず確認していたし、それにその男は、少々目立ちすぎた。
マルーン5を、ディランを退けた男。サンタァナを支配下におきクリムゾンをのっとった男。そしてマンハッタンでの戦いでは名高いスリップノットを殺害し、全米のテレビ局に中継されるなかその英雄の遺体を冒涜した男。
彼については未知数の部分もあるが、分析できていることもある。
要するに彼の強さはその常軌を逸した行動と戦略によるものだ。ためらうことなく苛烈で非道にことをなす、その決断の強さと速さが唯一にして最大の武器。
「そう、そいつだ。そいつは今姿を隠している。用心したほうがいい」
「でしょうね。でも、彼はそのうちかならず僕の目の前に現れます。いや……」
ネイトの狙いは分かっている。単独での隠密行動でこちらに接近し、統率者であるこの私を暗殺するつもりなのだろう。あるいは私を捉え、人質として皆を脅し屈服させるという線も考えられる。
飛行艇から降下したとき、飛竜の目から逃れるために変身もせず装備も使用せず、生身で空中に飛び出した勇気、着地の直前に変身をした精神力、その後すぐに身を隠した抜け目なさ、なるほど、どれも常人ならざることだ。だが、それでも負ける気はしない。
まず仮にネイトが突如現れ、変身して襲い掛かってきたとしても、一対一でも私は負けない。
そして、万が一私が負けたとしても、それでもアンスラックスは屈服しない。皆が信じるのはこの島ではぐくまれた文化であり神だ。私はその代弁者に過ぎない。
皆、決意は固まっているし、私の命を使った脅しに屈する者は一人もいない。
私は人質にされてそれを脅しの材料にされるくらいなら喜んで死ぬ。
そしてそれ以前に……
「ネイト・コモリを始末する手はありますし、すでに発動しています」
ベナンテは薄く笑い、事実を告げた。
ネイト・コモリ。お前にはたしかにある種の強さがある。だがそれでこれまで勝ってこれたのは相手が「正義」だったからだ。
私は違う。私は私の信じるもののためならば、守るもののためならば手段は選ばない悪になる。そしてそれが故に、お前の行動は読めている。
知るがいい。この世界にいる悪は、お前だけではないということを。
ベナンテは自分の仕掛けた罠に獲物がかかる瞬間を静かに待った。
※※
「あと、1時間弱ってところだな……」
寧人は夜の闇に紛れ、森のなかを一人行きつつ時間を確認した。
仕掛けは飛行艇で移動している最中に済ませてある。勝負はこれから1時間の間だ。この間にベナンテを落とせなければ、負けだ。
通信を遮断しているためにに状況はよくわからないが、変身を許可したツルギは間違いなく奮戦してくれているはずだし、池野の指揮により一時的にでも劣勢を跳ね返しているはずだ。
あとは時間との勝負だ。
寧人は息を殺し、進む。変身すれば楽に進めるのは分かっているがそれはできない。今魔獣と戦うわけにはいかないからだ。もしそれで自分が行動不能になったらこの戦いは負けるのだ。
いつ魔獣が襲い掛かってくるかわからない夜の森を一人進むのは精神的にも肉体的にもつらいものがあるが、とまりはしない。
今度の敵はいつもとは少し違う。正義の味方というわけではない。
預言者ベナンテ。メタリカにいたときから彼のことはいずれ戦う敵として知りえる限りの情報はもっているが、油断は出来ない相手だ。
彼を倒すためには、このたった一人の進軍を続けなくてはならない。
アンスラックスを支配下に置くことが出来れば、スレイヤーは一気に世界に覇を唱えることが出来る。勝たなくてはならない。
「……これがもし無事に終わったら、池野と飲みにでも行ってみるかな……」
ふと、そんなことをつぶやく。彼のことは嫌いだし、いずれ決着をつけなくてはならない相手だが、これだけのことを共に成し遂げることが出来たのなら、それくらいやってみてもいいかもしれない。
「……やっぱやめとこ」
どうやら本格的に疲れているらしい。変なことを考えてしまった。そんなことより先を急がなくては。
寧人がそう思ったその時…
背後の上空から、なにやら鋭い風切り音が聞こえた。
そして次の瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。
少し遅れて気がついた。これは、斬られたのだ。
こちらの位置情報を正確に知ることのできる者が、上空から飛び掛ってきた。そして背中を斬られた。
寧人は振り返ろうとしたが出来なかった。それよりも速く、横っ面を殴られたからだ。
鋭く思い痛み、スラスターにより加速された正確なフォームによる右フックは寧人を軽々と吹き飛ばし、大樹に叩きつけた。変身していない生身の状態で食らうには、いささか強すぎる攻撃だった。
「………ぐはっ……」
叩きつけられた大樹からずり落ちながら、寧人は襲撃者の顔を確認する。
均整のとれた体格に長身。切れ長で涼しげな顔。いつでも自信満々な表情。
白と青のカラーリングのアーマースラスターと、鈍い光を放つブレイク・ブレード。
そこにはあの男がいた。
「悪く思うな。小森」
その声は相変わらず澄んでいて、女性に人気があるのもなんとなくわかる。
「……池……野……」
寧人は二回の攻撃で、完全に足に着ており、しばらく立ち上がることはできそうにもなかったので、同期入社にして今では共同経営者ということになっている男の顔を見上げた。