ツルギ!ニーナ!聞こえる?
悪の組織、アンスラックス。
アンスラックスが他の組織と大きく異なっている点の一つに、その成り立ちがある。
東南アジアの小さな島々を拠点とする彼らは、元々は独自の宗教観を持つ一部族に過ぎなかった。その歴史は古いのだが、存在が一般的に知られるようになったのは22世紀初頭だ。
独自の神をあがめる彼らは、22世紀にあっても「神への供物として人間を捧げる」「科学文明を拒む」「他の宗教への極端な攻撃性」という当時の価値観からすればあまりにも衝撃的で、受け入れがたい宗教観を持っていた。
アンスラックスの信者たちも自分たちが一般的な社会から認められる存在ではないということは理解していた。だからこそ存在を秘匿し、密教として長年存在していたのだが、ある事件がきっかけとしてその存在が世界中に知れ渡ることとなった。
アンスラックスが行う生贄の儀式、少女を供物として神に捧げるその現場が外部の人間に目撃され、しかもそれがインターネットを通して全世界に配信されたのだ。
22世紀の世界にも宗教はある。だが、各宗教は原初のそれとは違い、柔らかく『汎用的』なものとなっている。多くの人が理解できるように、みんなが平和に生きていけるように、だ。
また、未開の土地に住む原始的な民族や集落などもない。21世紀初頭から劇的に発達した情報伝達技術によって、そんなものはなくなってしまっている。
ごくごく一部を除けば、全世界の人間が平和で文化的に暮らしている。それが現代である。
だから、宗教や民族が差別や戦争の原因になることはない。
そんななかで突如世界中に知れ渡ったアンスラックスは当時の人間たちにとって受け入れられるものではなかった。
熱帯雨林に住み、妖しげな仮面をかぶり、文明を拒み、生肉をむさぼり生贄を捧げる。その姿はあまりにもセンセーショナルで、非人道的とされた。
世界は彼らに変化を、同調を求めた。
アンスラックスの拠点とする島々を領土としている国家や世界的な人権機構は彼らに言葉を送ったが、拒否された。生贄の儀式を止めるべく当時設立されたばかりのガーディアンが現地に出動した。
ガーディアンは最新鋭の装備をしていたが、それを使用することは想定していなかったし、こうも思っていた。「所詮は未開部族の原始的な宗教だ、花火の一つや、ライトの光でもみせてやればこちらに従うようになるだろう」
結果から言えば、これは大間違いだった。
アンスラックスは、はるか昔から続く独自の神への信仰心を持つ彼らは、他のどんな組織ももっていない力を持っていたのだ。
闇の神、これは後に誰かがつけた呼び方で、アンスラックスはそれを別の名称で呼ぶが、とにかく闇の神に仕える彼らの中のシャーマンたちは、不気味な術式によって『魔獣』と呼ばれるモンスターを召還し、操ることが出来た。
単純に召還して戦わすことも出来るし、契約をかわした誰かがそれを破ったときに食い殺すという呪いのようにも使えるらしい。
魔獣は強かった。少なくとも強行的に生贄の儀式を止めようとしたガーディアン部隊を皆殺しにする程度には。
この事件はまた世界に知れ渡り、アンスラックスは危険な存在と認識された。
もちろん、この事件の顛末から、先に価値観を押し付けようとしたほうに問題がある、とか、彼らの考えを理解する必要がある。という意見もあったが、それよりも「あの危険な連中をなんとかしなければ」という論調が圧倒的に多かった。魔獣に蹂躙されたガーディアンたち、というニュースがそれほど衝撃的だったということだ。
この後、アンスラックスに対して様々な圧力や武力行使が行われたが、魔獣を操るアンスラックスはこのすべてを撃退。
そして世界にとってはさらに悪いことが起こる。もともと閉鎖的だった彼らが、たびたび外の世界と接触をもったことで知恵をつけてしまったことだ。
我らは自分たちが信じていた通りに生きているだけなのに『外』の連中は騒がしい。攻めてくる敵もどんどん強くなる。このままだといずれ俺たちは滅びてしまう。ならどうすればいい?
異教徒どもめ、目にものを見せてやる。我らの神をあまねく敷いてやる。逆らうものは魔獣に食わせてやればいい。皆殺しだ。そして神にその命を捧げる。そのために、我らは強くならねばならない。世界のすべてを我らと我らの神のものとするために。
そうした考えがアンスラックスの中に生まれるのにそう時間はかからなかった。
すぐに、部族のなかで一人の天才的な若者が現れた。名をベナンテ、と言う。
ベナンテは島から打って出る必要性を提案した。神の声の代弁としてだ。
彼は扇動が上手く、また独特のカリスマ性があった。
ベナンテは神を信仰し、その一方で現代世界に対応するための知識もつけ、部族にその知識を授け、率いた。アンスラックスにとってベナンテは預言者であり、統率者であった。
魔獣を操り、人間を食らって力をつけさせ、勢力を増す。その過程でベナンテは自分たちのほかにも超戦力を保有し世界を狙う他の組織の存在を認識し、必要があれば手も組んだ。だがあくまで最終目標は世界の支配だ。
この流れがあって、現在では年間何千人という罪のない人々が魔獣の餌食となり、そしてアンスラックスの神は世界での影響力を増していっている。
最初にどちらがしかけたのか、なんてもう関係がない。アンスラックスの有り方は、平和に暮らす大多数の一般人にとって「悪」としか言いようがなかった。
こうしてアンスラックスは東南アジアの島の一部族から、世界中に潜む存在にかわり、有力な悪の組織のひとつとなったのだ。
※※
「ガアアアァァァァッ!!」
鋭い牙をむき出しにして、新名に飛び掛ってくる黒い影。
「のわぁぁぁぁっ!!」
新名はクリムゾンの技術を用いて、出力を抑えたスケートボード上にして使いやすく改造したソニックローラーを最高速に加速させ、魔獣の牙をかろうじてかわした。
そのまま、右側面にあった崖をのぼって跳躍、木の枝に飛び乗ってため息をつく。
あぶねぇ、マジで死ぬところだった。こんな蒸し暑い森のなかで死ぬなんてカンベンしてほしい。大体、あの魔獣ってやつ怖すぎ。体が真っ黒だし、今、夜だから見えにくいし。
「これガチなヤツじゃないっすか!? 今のマジでヤバかったっすよ! ツルギさん、なんとかしてくださいよ!!」
「やれやれ。新名、今の動きは見事だったぞ。お前は才がある。その程度、一人でなんとかやれなくはないだろう」
ツルギはそんなことを言うが、新名にしてみれば冗談ではない。大体、この人数でアンスラックスを制圧するなどあまりにも無理がある、冷静に考えればそうだ。
「や、まぁ、そうかもしんないっすけど。ほら、あんま時間ないじゃないっすか? っつーかこっちが押されてるみたいっすよ。他のポイントも。だからここは一つ、ツルギさんが……」
うん、間違ったことは言ってないぞ。大体、トータルの戦力では間違いなくこっちが劣っているんだ。
特別な儀式の夜、アンスラックスの頭目であるベナンテが島に戻ってくるのが確実なこの日に奇襲によるゲリラ戦をしかけて、頭目を押さえる。これが今回の作戦の狙いだ。
隠密行動で森を突破し、儀式の現場に突入。一気にカタをつけたいところだったが、進む森のなかでは次々にアンスラックスの守備兵に発見され魔獣をけしかけられていた。
「ちっ、仕方ねぇ野郎だな。……おい獣、どこから来たのかは知らねぇが、この世ではないだろう……、失せろ!」
ツルギの剣光一閃、巨大な狼のような魔獣は真っ二つになり、光となって消えた。同時に少し離れたところからドサッという音が聞こえた。どこかに潜んで魔獣を使役していたシャーマンがダメージフィードバックで失神して倒れたのだろう。
「パねぇっす。ツルギさん。変身無しでそれはもうツルギさんのほうがバケモンっす」
新名は避難していた樹上から降り、ツルギに軽口を叩いた。
元々無改造でも強かったツルギは、改造手術後は変身しなくとも超人的な強さだ。
これ、下手したらメタリカ最強だったんじゃないか、と新名は個人的には思っている。
「新名、戦況はどうだ?」
ツルギは渋い顔のまま、そう聞いてきた。
「えっと、そうっすね……」
タブレットモニタに視線をやり、戦況を確認する。こちらの戦力はメタリカ第一営業部の一部、クリムゾンの戦闘班、サンタァナだが、いずれも状況は芳しくない。
隠密行動で森を抜ける。どこかの班がそれが出来ればいいのだが、いずれも交戦状態にあり、しかも押されている。
アンスラックス側にしても、この島に全戦力がいるわけではないが、大事な儀式の守備固めということでそれなりの強兵を配置しているらしい。
全戦力同士の正面衝突でスレイヤーがアンスラックスに勝てる道理はないので、少数による奇襲を選択したが、この作戦はそもそも大丈夫なのだろうかと心配になってきた。
「……ヤバいっすね」
「一筋縄ではいかねぇって、わけだな。次のポイントに移動するぞ」
新名はツルギと共に数名を率いて局地戦を行って味方の進路を確保し、敵の戦力を落とすことをしているが、十分ではなさそうだ。
スレイヤーが最初の獲物としてアンスラックスを選んだことにはいくつか理由がある。
まず第一に『強いわりには戦い慣れていない』ということ。
魔獣は強いが、それを使役するシャーマンは戦闘の素人だ。優秀な戦術指揮官がいるわけでもないし、組織的な戦い方が上手くはない。
第二に、統率者であるベナンテを抑えることが出来れば、一気に彼らを支配下における公算が高いことがあげられる。それほど彼らの神に対しての、そして預言者に対しての信仰は絶対的なものだった。
そして三つ目。アンスラックスを制圧し、組み込むことが出来れば一気に巨大組織になれる、ということだ。
メタリカの一部、クリムゾン、サンタァナ、これにアンスラックスが加われば、かなりの戦力になる。
全滅させる必要などない。むしろそんなことをしては今後戦力として彼らを使えない。一晩で一気に彼らを落とした上でスレイヤーは高らかにその存在を知らしめる。そういう計画だった。そしてそのチャンスは、ベナンテがこの島にいる今日が適切だ。
この作戦はかなり危険で、成功確率はきわめて低い。だがあたればデカい。
全滅の危険性の代わりに、一気にスレイヤーが飛躍するチャンスでもある。
スレイヤーは新興の勢力に過ぎない。なら、バクチをやらかすしか先はない。
一晩で世界に覇をとなえるには、これしかない。
それはわかっている。なにせアンスラックスの情報、儀式の行われる日取りやら魔獣の特質やら、預言者の人格やら、そういうことを調べたのは他ならぬ新名自身だからだ。
わかっているのだが、新名としては別の日にしてほしい気持ちもあった。なにせ、今この場にはあの人がいない。池野の説得にてまどっているのだろうか。
「ツルギさん、先輩から連絡来ました?」
「いや、もし連絡があるとすればアニスさんのほうだろうが、そっちもまだのようだ」
ツルギは冷静な表情を崩さず、移動を続けているが、状況はかなり危険だ。
まず、各ポイントの戦闘はこちらが不利だ。数も敵のほうが多いのだし、一気に突破できなければじわじわやられていくだろう。全滅もありえる。
こちらの戦力も魔獣ほどではないが、常人レベルははるかに超えているはずなのに、いまいち動きが悪い。これは多分、指揮官が不足しているためだ。
ツルギは戦いながら統率を滞りなく行っているし、新名にしても全体の状況を把握しつつ柔軟に対応している。
ちなみに全体の作戦は今、島付近の船舶で待機しているアニスが立てたもので、流石に稀代の大物から英才教育を受けた彼女の策は見事なものだった。
ツルギも新名もアニスも、メタリカで戦い続けた経験がありしかも大金星を挙げ続けたチームの一員だ。全員の能力は水準以上ではある。
しかし、それをもってしてもアンスラックスの魔獣は強すぎるし、想定より数が多い。戦力比ではおよそ2:8で負けているなか、善戦してはいるものの勝ちの目はまだ見えない。
大体、この作戦のキモはアンスラックスの統率者にして預言者であるベナンテとかいうやつをこちらに従わせることなのだが、どうやってそれをやるのかを新名は知らない。
もし、従うくらいなら死ぬ、皆のもの、俺にかまわずこいつらを殺れぇ! とか言うようなファンク野郎だったらどうするんすか? とも聞いてみた。
その疑問に対して、先輩社員である小森寧人はこう答えた。
大丈夫だ。奇襲でも不意打ちでもなんでもいいからまず武力でヤツを抑えて、話をする。それが出来れば俺がヤツを従わせてみせる。俺になら出来る。
そう言った寧人は平時の頼りなげな表情ではなく、ときたま見せる恐ろしくも迫力のあるあの表情、新名が個人的に『本気邪悪モード』と呼んでいるそれだった。なにか考えがあるのだろう、と判断した。
が、
「っつーか先輩、来てないじゃないっすか!?」
そこがかなり問題だった。
やばい。まずこの夜の森を突破できる気がしない。こちらもだいぶやられてしまっているし、ツルギや自分もダメージを受けている。疲れた。
その上、仮に森を突破したとしてもベナンテを従わせるにはどうすればいい?
新名が考え込んでいると、ヘッドセットからアニスの声が聞こえてきた。
〈ニーナ! ツルギ! 聞こえる? B班の人たちがやられちゃったヨ……。怪我して動けなくなっちゃったみたい〉
それもあんまり聞きたくない連絡だった。
「げ、まじっすか」
〈うん……。それでそっちのマジューもニーナたちのところに向かったよ〉
「げ……数はどんくらいっすか?」
〈んと。12体かな〉
12。
思わず絶句してしまった。
なんとリアルで絶望的な数字だ。一匹でも改造人間や超テクノロジー武装兵に匹敵する魔獣が、12
新名は冷や汗を垂らして、横にいるツルギに視線をやった。
「……そいつは、ちょいとばかり、きびしいな」
あのツルギでさえも、この意見だ。
いつでも不敵なこの男が、ちょいとばかり、ということは、実際は、かなり厳しい状況だといえるだろう。
そしてツルギと新名がやられれば、指揮官が不在となってしまう。
このままではスレイヤーはこの島で終わりだ。
新名は頭を抱えた。
仕方ない。俺がなにか考えるか……。なんとか……してやる、したい、できたらいいなぁ……
そう思った新名だったが、ある音が遠くから近づいてきていることに気がついた。
独特のエンジン音は、次第に大きくなってくる。
そこに視線をやると、近づいてきているものがなんなのかわかった。
「……はぁ…」
ほっと胸をなでおろした。
空に見えるあれは、多分GRM部の所有物だったアレだ。と、いうことはあの人は説得に成功した、というわけだ。
同時に船舶で待機中のアニスから通信が入ってきた。
〈ツルギ! ニーナ! 聞こえる? ……来たヨ!〉
アニスの声は弾んでいて、うれしそうだった。多少戦力が増えても状況が絶望的なことには変わりはないはずなのに、何故だかその気持ちはよくわかる。
あの人がいるといないじゃ、全然違う。
そういえばアニスさんは久しぶりになるんだよなー。再会の現場がこんなクソ暑い夜の森で、魔獣がウジャウジャいる戦いの現場なんてあまりにもアレだ、そりゃモテなくて同然じゃね? まあ、らしいちゃらしいかな。
新名はそう思い、苦笑して空を見上げ、つぶやいた。
「……遅いんすよ。先輩」