少し、長い話になるぞ。
ホテルでの一夜を過ごした翌日、寧人は朝早く目覚め二人分の清算を済ませるとタクシーでツルギとの待ち合わせ場所に向かった。
今日は大事な会議がある。寧人が日本に戻る理由となったそれは、メタリカの最高幹部のみが出席し、今度の経営戦略、方針などを話し合う場だ。
本当は真紀に挨拶をしてからホテルを出たかったのだが、会議の前にはツルギと打ち合わせをする時間も必要で、そのためには早くにホテルを出ざるを得なかった。
待ち合わせの場所は海浜公園だ。メタリカ本社内で済ませても良かったが、誰に聞かれるかわからない。腹心の部下であるツルギとの情報交換には万全を期したい気持ちがあり、あえて人気の少ない早朝の公園を選んでいた。
約束の時間より10分ほど早く海浜公園についた寧人だったが、すぐに懐かしい顔を発見した。
ベンチに腰掛け、苦みばしった顔でタバコを吹かして海を眺めているその男は、早朝の冷たい空気と海風がよく似合っていた。
「ボス。早かったじゃないですか。もうすこしノンビリしてきてもよかったんですがね。時間変更の連絡が入るかと期待してたんですが……」
寧人に気づいたツルギはタバコを灰皿に置こうとしたが、寧人はそれを止める。
「いいよ。吸ってるままで。ひさしぶりだな。ツルギ」
「ええ。お久しぶりです。米国での戦い、見事でした。さすがは俺の見込んだ男だ」
「お前こそ、だいぶ落としたみたいだな。頼もしいよまったく。ところで二日酔いはもう治ったのか?」
寧人はそう問いかけると、買ってきていた缶コーヒーを投げて渡す。ツルギは視線を向けることもなく片手でコーヒーをキャッチした。
「二日酔い? …ああ、もう問題ありませんよ。ところで真紀さんは?」
「ああ、ちょっと昨日飲んじまってな。俺の泊まってるホテルにもう一室取った。多分まだ寝てるんじゃないかな」
「……そうですか」
ツルギはそう答えるとため息をついた。
「なんだよ。どうかしたのか?」
「いえ、別に」
これだけで本題の前置きは終わった。約半年ぶりに再会した主君と臣下の会話は至ってシンプルだった。積もる話は飲んでるときにでもすればいい。
同じ道を共に走る二人。戦っている場所は違っていても、互いが全力で走ってきたことは分かっているのだから。
「さて、M会議で提案する俺たちの案の最終確認といこうか」
もうだいぶ前から詰めていたことがある。今日はその確認だ。本当は新名もこの考えには途中から加わっており、出来ればこの場にいてほしいところだったが、彼にはクリムゾンを任せてある都合上、そうも行かなかった。
寧人とツルギの打ち合わせは30分で終了した。
予定していた計画に支障はなく、今のところ全てが順調に進んでいる以上、それは当然のことだ。変更はない。次のステップに進む今日も、それは変わらなかった。
※※
ツルギとともにメタリカ本社に出社する寧人。もう間もなく会議の時間だ。重役のみ立ち入ることが許されるエリアを通り、そのさらに奥、M会議参加者のみに入室を許されたブロックへ向かう。ツルギはギリギリまで同行の予定だ。無いとは思うが万が一、この状況を良く思わない者に妨害された場合についての備えだった。
そのような妨害は結果としてなかったが、かわりに途中でラーズ将軍が一緒になり、戦歴や実力を評価しているツルギに対して『俺の直属の部下になるつもりはないか? 待遇は今よりいいぞ』と言ってきたうえにツルギはこれを『俺の主君は一人だけだ。アンタとはいえ鞍替えするつもりはない』と一蹴。これにはヒヤヒヤさせられたが、ラーズは豪快に笑って気にはしなかったようだ。
このような一幕で、むしろ緊張がとかれた寧人はいつもどおりにM会議の席についた。
最重要会議が行われる場所だけあり、室内は重厚な空気に包まれていた。
荘厳な床、天井にはメタリカのシンボルである鋼の翼のレリーフが象られている。漆黒のテーブルは輝きを放っており、壁には大型のモニタが設置されている。
そして、用意されている席は5つ。
悪の組織メタリカ、その頂点にいる5名。すでに4名が着席していた。
メタリカ常務取締役、小森 寧人。
同専務取締役、ラーズ。
同社副社長、ヘッドフィールド
同社相談役 ハメット。
破壊の豪傑将軍、狂気の天才科学者、闇の全てを知る翁。
それぞれの異名を持つ寧人以外の3名。
常人なら、そして昔の寧人なら、この場にいるだけで寒気を覚えるような恐ろしい面々だが、今の寧人はこの場でも平然としていた。あるいはそれは、自身もまた『悪のカリスマ』と呼ばれるほどの者となったからなのかもしれない。
寧人は時がくるのを待っていた。来る。これから来るのだ。
寧人が目指す場所にいる男が。悪の頂点にいる男が。それはどんな者なのか。
ついに、俺の前に現れる。さぁ、来い。
そう覚悟を決めた。だが、事態は意外な展開を見せた。
「……では、時間となったの。会議を始めるとするかの」
相談役のハメット老が口を開いたのだ。
まだ空席がある。来ていない。首領は、藤次郎・ブラックモアはその姿を現していない。何故だ? この会議はトップの方針を決めるものじゃないのか? 首領無しでそれを行うなどありえない。
だが、ラーズもヘッドフィールドも特に反論はしない。
寧人は混乱しつつ声をあげた。
「ま、待ってください。首領は? ここに来るんじゃないんですか?」
寧人の言葉に、幹部たちはそれぞれの表情を見せた。ハメットはなにやら思案するような、ヘッドフィールドは怯えたような、そしてラーズはいらだちの表情を。
すこしの沈黙があり、ラーズが答えた。
「藤次郎は、来ない」
目を閉じ、ぎりっ、と歯を軋ませるような音もした。
「どういうことですか?」
室内は再び沈黙したが、今度はハメットが口を開いた。
「ふむ。ではワシから話そうか。君には話すと決めたことじゃ。この会議に参加するからには知っておかねばならぬ。……これを聞けばもう、君は戻れなくなる。覚悟は出来ているかの?」
この老人の視線と言葉はあのころから、面接で寧人の内面を抉るように探り出そうとしたあのときから変わっていない。だが、寧人から言わせてもらえば愚問だ。
覚悟だと? 今更俺にそれを聞くのか? そんなもの、とっくに出来ている。それが無ければ、ここまで昇ってくることはできなかった。だから。
「もちろんです。聞かせてください」
寧人はハメットの深く暗い瞳を見つめ返し、そう答えた。
「よかろう。では、そうじゃの。結論から言おう。メタリカ首領は……藤次郎様は、8年前にすでに死んでいる」
「……は?」
一瞬、意味がわからなかった。
そして反復して考える。死んでいる? メタリカ首領が? 死んだ?
様々な疑問が駆け巡る。
では、今メタリカを統率している者は誰なのか。何故死んだのか。死んだとすれば、何故その事実がメタリカで知られていないのか。歴史の教科書に載るような人物だ。その彼が死んだのなら、世間はすでにそれを常識としているはずだ。にもかかわらずメタリカの首領、藤次郎は今も、悪の帝王とし、その名を轟かせている。
そもそも藤次郎・ブラックモアとはどういう人物だったのか。ハメットが様付けで呼び、ラーズが呼び捨てする首領はいったい何者なのか。
一方で、納得できる部分もある。
ここまで上り詰めた寧人ですら、一度も首領を見たことがない。ハメットを首領だと思ったこともあったほどだ。すでにこの世にいないのならば、それも理解できる。しかし。
何故?
そう考えだすときりがない。そもそも、メタリカという組織はどうして生まれたのか。何故今日の力を持つに至ったのか。
わずか一代でメタリカという悪の大組織を作り上げ、拡大させた男。悪の組織という概念を現実のものとし、超常の力の存在を世に知らしめた男。その後現れたロックスというヒーローたちにとって最大の敵で有り続けた男。無双の豪傑ラーズや、天才科学者であるヘッドフィールドを従えた藤次郎という男。彼が作り上げたメタリカは世界征服を掲げた。それをきっかけに様々な力をもつ組織や個人が世に現れ、悪の覇を唱えた。そしてそれと立ち向かうヒーローたちも現れた。
22世紀、悪の組織とヒーローが現実となった世界、その世界を築く発端となった男。藤次郎・ブラックモア、彼は何者なのか。
それは、以前から寧人が気になっていたことだった。その答えが今日わかると思っていた。でも、それは間違いだったようだ。
間違いなくわかっているのが、藤次郎・ブラックモアという男が人並みはずれた人物だったということだけ。当たり前だ。彼がやってきたことは凡人に出来ることではない。
だが、そんな彼は死んだ、という。
「どういうことですか? 首領がすでに死んでいる? 何故?」
寧人は、あふれでる疑問をそのまま口にした。それ以外、出来なかった。
しばらく回答を待つ。ハメットの言葉を信じるのならば、彼らはその真相をこれから寧人に話すはずだ。
「……小森。すこし、長い話になるぞ」
ラーズが腕を組んだまま、重い口を開いた。ヘッドフィールドもまた、それに頷く。ラーズは、いや幹部の全員、寧人をM会議に加えた時点で、メタリカの本質を話す予定だったのだろう。
もちろん、強請っていたヘッドフィールドの影響もある、だが、ラーズやハメットは純粋に寧人の悪党としての力をふまえ、そういう決断に至っていたのだろう。
無論、寧人に迷いはない。メタリカの頂点にたち、世界に挑む。それはもはや確定事項だ。けして変わらないし、変えるつもりもない。
「かまいません。俺は、すべてを知りたい」
だから、寧人は真剣な言葉で、ラーズに答えた。
「……よかろう。では、ワシから話そう。……どこから話したものかの。……小森、君はこういう言葉を知っているか? 『悪は、必ず滅びる』 藤次郎様は、その言葉に、そして世界に、挑んだ方じゃった。己の欲望と、そして悪意というものをその手にして、の」
メタリカ相談役、ハメットは、ポツポツと語り始めた。
※※
今から45年前、ある少年が生まれた。アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれた。
少年の家庭はけして恵まれたものではなかった。父親は少年が生まれた直後、病気
になり、治療費も払えず、衰弱しきって死んだ、母親はその後、すぐに再婚。そしてすぐに離婚。
母親は客観的にみて、『いい母親』ではなかった。何人かの男と次々と関係を持ち、幼児であった少年をかえりみなかった。金のために街に立ったこともあった。
貧民街生まれの母親にとって、そうするしか生きる手段はなかった。
親子の生活はあれていた。当時幼子だった少年の生活もまた同様だった。これは想像するしかないが、おそらくは幼児虐待に近いことも男は経験していただろう。
少年が13歳のとき、母親は病気で死んだ。身寄りのなかった少年はその後、スラムでの生活を余儀なくされる。
だが、あるとき、少年は母親が一度付き合ったことのある男と偶然再会した。男は、非合法の暴力団体の幹部だった男だった。
その暴力団体は、現在あるような『悪の組織』ではなく、ただの暴力組織だった。
男は、自分の手ごまになる兵隊がほしかった。少年は、生きていくための手段がほしかった。
少年は、男の下で働きだした。つまりは、暴力組織の下っ端としてだ。
吹けば飛ぶような、すぐにでも死んでしまいそうなその職場にいながら、少年は次々と功績を上げた。
少年は優秀だった。優れた頭脳、スラムで鍛えた戦闘の腕前、そしてなによりも、誰もが予想もしないような苛烈で残忍な行動。少年は瞬く間に組織内での地位を上げていった。
組織幹部の不自然な死、対立組織の壊滅、親組織の崩壊。少年は、いや、そのころには青年だった彼は、暴力組織のトップに上り詰めた。当時幹部の一人だったハメットという男一人のみが、彼に最後まで付き従った。
裏組織での権力を得た彼だったが、彼はそれで満足しなかった。
もっと強くもっと強く。誰にも何も言わせないほど強く。世界のすべてを自分の思うがままにするほどに強く。誰よりも何よりも。世界のすべてを屈服させ、思いのままに振舞えるほど強く強く強く。ジャマするものは打ち倒す。手段は選ばない。すべてを己の足元に。
青年になった少年は、止まらなかった。このころからだろうか、青年が、『世界征服』という言葉を現実的なものとして考え始めたのは。
その後、青年は、三人の男と出会った。
一人目は、強請っていた科学研究所の職員だったヘッドフィールドという男だ。
ヘッドフィールドは自身が提唱する『人体の進化』の研究が学会に認められず、閉塞した環境にいた。
青年は、ヘッドフィールドの研究に興味をもち、無尽蔵に資金を提供した。結果としてヘッドフィールドの研究は形となったが、それでも学会には認められては無かった。
非人道的、そういう見解が主流だった。ヘッドフィールドはその見解に不満を持った。
何故そう思う。どいつもこいつもバカばかりだ。何故自分の研究の素晴らしさがわからない。この研究は、究めていけば人類の進化となるのだ。これが人類の進化なのだ。
ヘッドフィールは社会への貢献などすこしも考えてはいなかったが、自分の研究が、自分の頭脳が作り上げる力を見たかった。
ヘッドフィールドのそうした思いを認めたのは、青年だけだった。青年は、ヘッドフィールドの研究成果の独占と引き換えに、全面的にヘッドフィールドを支援した。
結果として青年は、超人の兵を作り出す技術を手に入れた。
青年が出会った二人目の男は、ラーズという男だった。
ラーズは強かった。イリーガルな賭けの対象である地下格闘技で無敗。傭兵として参加した戦争でも無敗。誰にも負けなかった。誰も彼もが弱すぎた。
だが、それはあくまでも個人としての話だ。ラーズがいかに白兵戦が強かろうと、軍隊指揮にすぐれていようとも、それはあくまでも、戦闘レベルの、あるいは戦術レベルの武力に過ぎない。
個としての最強を自認したラーズは次の戦場を求めていた。
だが、そんな戦場はもうなかった。世界は安定していた。
俺は強い、俺は強い。多分、世界で一番強い。だが、それを振るう場はもうこれ以上ない。これ以上いけば、武人の、あるいは軍人としての領域よりも上の力に突き当たる。俺には、その領域で戦う手段がない。
ラーズにはそれが分かっていた。だから、苛立ちつつも、どうすることも出来なかった。
青年がラーズと出会ったのはそのときだった。
青年はラーズに戦う場を提供する、それに見合う待遇も、と告げた。
青年が挑むのは、世界。ラーズは青年に乗った。この強さを振るう場所はそこしかないと思った。
ラーズはヘッドフィールドの改造手術をも受け、真に最強無敵の存在となり、青年の兵隊を率いる将軍となった。
青年は超兵を率いる最強の武力を手に入れた。
青年は、その力を徹底的に行使した。非合法組織の壊滅と吸収。政治、経済への介入。最悪の力を持ち、その力を異常なまでの悪意をもって振るう彼は、誰にも止められなかった。
青年は、藤次郎・ブラックモアは、こうして組織を巨大にしていった。一昔前なら、フィクションの世界の、あるいはジョークに過ぎなかった『悪の組織』を現実のものとした。 そして、その組織をこう名付けた。
メタリカ。
※※
寧人はハメットの話すメタリカ発足時の話に聞き入った。とても興味深い話だ。そしてこの話には続きがあるはずだ。
「……なるほど。日本の非合法団体から発展した、そういうわけですね。ラーズ将軍もプロフェッサーHも、そしてあなたも、そのときからの仲間というわけですか」
寧人の言葉に、幹部たちは頷いた。
寧人は現在25歳。ちょうど生まれたころ前後の話なのだろう。そのあとのことは大体知っている。その後、ディランというメタリカの大敵が現れたこと、ガーディアンが発足したこと、メタリカと同様に超常の力をもつ『悪の組織』が数多く生まれたこと、そして、それと戦うロックスたちが登場したこと。
寧人は深呼吸をして、そして核心にせまる質問を投げかけた。
「……では、藤次郎氏は、何故、死んだのですか?」
寧人は思い出していた。『悪は、必ず滅びる』、ミスタービッグも同じことを言っていたことを。
「うむ。……あれは、8年前、藤次郎様が南米の小国に攻め入ったときのことじゃ……」
※※
「藤次郎、やつら、なかなかしぶといな。降伏する気配がない。ディランの野郎も協力してるみたいだし、長引くと厄介だぜ」
作戦会議の場でラーズは同士である藤次郎に告げた。
「うーん」
藤次郎はラーズの言葉を受け、しばらく思案する。その顔は、とても40を超えた人間の顔ではない。藤次郎は、世界の頂点で長く君臨するために、若さを保つための改造手術を受けていた。その姿は、まるで少年のようですらある。
「もういいや。降伏させなくてもいいんじゃないかな。僕、もうあいつらにはうんざりしてるんだよね」
ラーズは藤次郎の言葉に驚いた。あまりにも軽い口調だった。
この国は絶対に落とさなくてはならない。それがわからない藤次郎ではない。
降伏させるのは、メタリカの力を示す上でも、今後南米攻略の足がかりとするためにも絶対に必要なことのはずだった。
だが、この小国は、いかにこちらが攻撃をしかけても一切降伏しない。戦力では圧倒的に劣っているのに、それでもだ。悪には屈しないという強い信念が感じられた。ラーズはやっかいに思いつつも、そうした信念には敬意を持っていた。
「……だが、藤次郎。どうするんだ? 一時撤退するのか?」
ラーズは藤次郎に意見を求めた。藤次郎の発想と行動にはいつも驚かされる。戦闘力では上のはずのラーズだが、藤次郎には一目置いている。取り立ててもらった恩とは別に、その実力を認めている。
今回もまた、その明晰な頭脳と手腕でなんらかの策を講じるつもりなのだろうか?
ラーズは藤次郎の言葉を待った。藤次郎は、ふふ、と笑い、なんでもないことのように、まるで、サンドイッチはツナが美味しいよね、とでもいうような普通の口調でこう言った。
「降伏はさせなくてもいいよ」
「……じゃあ…」
「殺せばいいのさ。一人残らず、皆殺しにね」
藤次郎は、爽やかな笑顔を浮かべていた。
すいません。回想回があと少し続きます