心して来い
※※
ジェイミー・ウィルソンの目の前には、長年追い続けた男の死体があった。
ソニックローラーによる首への一撃でその命を奪った。
「ミスタービッグ。これで借りは返したぜ?」
後始末をすませ、仇の遺体を残し、ジェイミーは立ち去る。用意していたバイクに跨り、走りだす。
長い、長い戦いだった。
十年前カリフォルニア州、チノを拠点とするギャングの一員に過ぎなかった自分が、よくここまで戦えたものだと思う。
当時まだクリムゾンの本拠がカリフォルニアにあったころ、ビッグと当時のクリムゾン幹部は非道な方法でジェイミーの所属するギャングを叩き潰した。元々は小さな縄張り争いが原因だったと思う。
親友だった男も、愛していた女も、みんないなくなった。
もちろんジェイミーも死んだことになっている。戸籍上でもそうだ。
そもそも、自分でも一度死んだものと思っていた。
あの日、乗っていた車ごと海に沈められたところから生還したのはまさに奇跡だった。
一晩で何もかも失った。体中の水分がなくなってしまうほど泣いた。
涙が乾くころ、ジェイミーは自分のなかに灯る冷たい炎に気づいた。
このままに、しておくものか。
以来、ジェイミーは自分の全てを復讐に捧げてきた。あらゆる格闘技と戦術をマスターし、違法行為を繰り返しては資金を稼ぎ、独自の情報網を作り、力をつけた。
復讐はなにも生まない?
それがどうした? 俺は何かを生み出そうなんて思っちゃいない。ただ俺はあいつが許せないから倒すだけだ。俺は俺の自己満足のために戦うだけだ。
死んだものは喜ばない?
なぜわかる? 少なくとも俺は、あのとき死んだのが俺のほうだったとして、親友のロミオがビッグを倒したのなら喜ぶぜ。復讐のために生き残った者の人生が犠牲になるのはよくない。でも、当人がそれでいいと言っている。なんの問題がある?
俺の人生はもう、それしか残っていない。ガタガタ言うな。誰も俺に意見する資格などない。俺は俺のやりたいように戦うだけだ。
ジェイミーは戦い続けた。しかし仇であるクリムゾンもまたどんどん巨大化していった。
そのなかで、たった一人で戦うのは容易なことではなかったが、仲間は作らなかった。あのときのように、情などというあやふやな根拠で人を信じるものか、裏切られるのはもう二度とゴメンだ。
たった一人で戦った。夜闇にまぎれて、最適な手段で、クリムゾンを倒し続けた。最初は下っ端から、つぎは指揮官を、そして役付を。狂ったように狩り続けた。
いや、もしかしたら狂っていたのかもしれない。ジョークを言い続けなくては平静を保つことすら難しかった。
いつしか、そんな自分はロックスと呼ばれるようになった。
笑わせる、俺にそんなつもりはない。ただ殺してるだけだ。
ジェイミーの戦いかたをセコイとか、生き汚い小物だとかいう者もいた。だがそれもかまわない。目的を達成するまでは絶対に生き延びる。力も失うわけにはいかない。
倒してやる。あのときの幹部共を、ビッグを、そして今あるあいつらが作り出したクリムゾンを。
ジェイミーはニューヨークの夜をバイクで走りぬけアジトへ向かう、街の灯りがきらめいている。
そうやって戦い続ける中、アイツと出会った。あいつは信用できた。それは情だの倫理観によるものではない。もっと確実なもの、利害の一致だ。
アイツは、ビッグを亡き者にし、クリムゾンを乗っ取り、そして自分のものにするつもりだ。
それはジェイミーが求めていた答えだったのかもしれない。かつてビッグ自身がしたことと同じように、より強い悪に討たれ、なにもかも奪われてしまえばいい。
だから、ジェイミーはアイツと協力することにした。
そして、目的を果たした。不思議なことに最後の瞬間は憎しみはなかった。ビッグの最後の頼みも聞いてやった。そもそも、ビッグのことは嫌いではなかった。仇ではあったが、彼の人間性についてはある程度理解していたし、好感を持つことすらあった。
もちろんそれで見逃すことはしなかったが。
ただ、不思議な達成感があった。それだけだった。
ジェイミーはアジトに到着した。
ソファに腰掛け、テレビをつける。
録画していたのは、ジェイミーたちの出身地であるカリフォルニアを舞台に若者たちが劇的な青春と恋愛を繰り広げる人気ドラマだ。
「ああ、今日、最終回なのか……こりゃナイスタイミング」
このドラマはもうシーズン10だ。あのとき失った最愛の女が毎週欠かさず観ていた。大好きだったようで、ハッピーエンドが楽しみだと、よくジェイミーにも薦めてきた。
当時ジェイミーには何が面白いのかさっぱりわからなかった。そんな軟弱なドラマなんて観られるかよ、なんていって笑っていた。
でも、今は欠かさず見ている。
「……ハッピーエンド、か。ジェシカのいったとおりだな」
ドラマは終わった。最後は主人公とヒロインの結婚式で終わっていた。
「……」
ジェイミーはワイルドターキーのボトルを傾け、グラスに琥珀色の液体を注ぐ。そしてタバコに火をつける。
ソニックユースを倒したとき、アイツは言った。『天国というものがあるといいな』
ジェイミーも似たようなことを思っている。この10年ずっと思っている。
『地獄があると、いいな』
親友のロミオも、最愛のジェシカも、やっぱりギャングだったわけで、地獄というものがあるのなら、そこにいるのかもしれない。
そしてジェイミーは間違いなく地獄に落ちる。
10年間、毎週欠かさず観てきたこのドラマ。クリムゾンを処刑し続けた日々でも、唯一欠かさずやってきた余計なこと。
ジェイミーはタバコの煙を吹く。
「ビッグを倒したぜ? すごいだろ。それにクリムゾンも実質的には終わりだ。俺の助けを借りた日本人が、奪い取った。ヒュー! さっすが俺!」
ジェイミーはバーボンを飲む。
「だから、俺ももうそっちに行っていいかい?」
ジェイミーは目を瞑る。タバコの火は消した。バーボンは飲み干した。
「いいだろ? ジェシカ。もし、地獄とやらで会えたら、俺を叱らないでくれよ。
あのドラマのストーリー、最終回まで話してやるから、さ」
ジェイミーはそういうと立ち上がり、部屋から出た。そしてどこかへ、向かった。
※※
スリップノットが最後に確認されたのは、ワシントンブリッジから突き落とされた姿だった。それは全米が目撃していたが、死体は発見されなかった。
彼の特性を考え、何らかのトリックを使って生き延びたに違いない、という噂も大いに広まった。しかし、ワシントンブリッジの戦いのあと、スリップノットを見たものはいない。
結局、彼は何者だったのか? なぜクリムゾンと戦っていたのか? そして何故いなくなったのか?
それは、世界中の誰も知らない。
色々な説が上がったが、次第に推測するものもいなくなった。
きっとそれは、彼だけがひっそりと持ち続けた大事な何かだったのだ。なら詮索はやめよう。ただ、感謝しよう。何度もニューヨークを救った彼に、ただ感謝しよう。
市民の多くはそう考えた。そしてスリップノットというロックスは、消えた。
※※
オフィスでデータと格闘する寧人。クリムゾンのトップにたっている身としてやることはいくらでもあった。クリムゾン組織体制の再編、メタリカとの共同プロジェクトの立案、日本に残してきたツルギの報告確認、もちろんトレーニングも欠かしていない。
けして得意ではないデスクワークに必死に取り組んでいると、ドアがノックされる音が聞こえた。
「はい。どうぞ」
入室を促すと、入ってきたのはアニスだった。
「ネイト、おつかれ! あのね。メタリカのイケノから『クリムゾン・フライングボートと改造人間の運用案』っていうレポートが来たヨ」
「ああ、そっか。ありがとう。データディスクはそこに置いといて」
「うん。ネイト、もう夜だよ? お腹すいてないの?」
「え? あー。マジで? もう夜? そういえば腹減ったな……」
寧人が素直に答えると、アニスはやや得意気に紙袋を取り出した。
「ふふーん♪ だと思った! これあげる! アニス特製のターキーサンドだヨ」
寧人が包みをあけると、そこには確かに旨そうなサンドイッチが入っていた。
見上げると、アニスは期待に満ちた表情で青い目を輝かせている。
「あー…、んじゃ、いただきます。……うん。旨い」
寧人の反応にアニスはほっとしたような表情を一瞬したあと、はじけるような笑顔を見せた。
「わーい! よかった!」
「……」
寧人はそんなアニスをみて、すこし思いを巡らせた。
ビッグが亡くなり、そして寧人がクリムゾンを取り仕切るようになって半年が過ぎていた。アニスもだいぶ元気になってきたようだ。
ビッグが亡くなったことを知らせたとき、アニスは泣き崩れた。それも当然だろう。
彼女は寧人の胸に顔をうずめてわーわーと泣いた。『どうして?』とは言わなかった。犯人とされているソニックユースに対しての恨みも言わなかった。
彼女なりに、父親のことは理解していて、その業や覚悟をともに背負っていたのかもしれない。
悪だった父親は、それゆえに倒されて死んだ。
そういう風に考えたのかもしれない。
でも、愛する人がいなくなってしまって悲しくないわけがない。だからアニスはなにも言わずに子どものように泣いていた。
寧人は自分の胸で泣きじゃくる少女の肩をさすった。それだけしか、できなかった。
胸のあたりが涙でべちゃべちゃになるまでそうしていた。
少女はただ、寧人の名前を呼んで、そして言葉につまって、やっぱり、なんでもない、とだけ言って、大粒の涙を流し続けた。
寧人はよっぽど全てを白状したくなった。それ以上に自分を殺したくもなった。
でも、それは出来なかった。目的のためにも、アニスのためにも、そしてビッグとの約束を守るためにも。だから、こらえた。
そのへんのチンピラにでもぶちのめされたくて、夜の街をうろつこうかとも思ったがそれもしなかった。そんなことで怪我でもして、これからの動きに支障を出すわけにはいかなかった。
いつも明るくて、ひまわりのようだったアニスの沈んだ姿を見続けるのは拷問のようだった。
でも、アニスはいつまでも沈んだままではいなかった。彼女はビッグの愛娘で、クリムゾンのマスコット的な存在で、人気もある。
そんな彼女の見せていた笑顔や天真爛漫さは、クリムゾンの灯りだった。構成員や幹部の誰もがそう思っていた。そしてアニスもそれを知っていたのだろう。
寧人が『ソニックユース』を討ち取り、そしてその後のクリムゾンの舵をとっていくなか、彼女は元気を取り戻していった。
きっとそれは必死にそうしているのだろうし、それがわかる者もいたが、『いつまでも私が泣いてたらパパが悲しいよね』といって、健気に努める彼女を、誰もが見守った。
そして、寧人もまた、すべてを隠して、彼女に寄り添った。
時間はやっぱり優しくて、アニスは悲しみから立ち直っていった。
寧人にとっては立ち直っていく彼女の姿は救いに感じられた。
一方で、救いを求める自分が嫌でたまらない。でもそれは表に出せない。
彼女が立ち直っていくのは喜ばしい、でもそれで自分の罪がなくなりはしない。
そう、言い聞かせ続ける。
「……」
「? どしたの? みとれるほど可愛い?」
アニスは自分の頬を人差し指で押して、寧人に笑いかけた。つい、彼女をじっと見ていたことに気づいて、寧人はあわてて誤魔化した。
「ああ、いや。アニスはメシ食ったの?」
「ううん。これからだヨ。あ! ねえ、ここで一緒に食べてもいい?」
まるで子犬が尻尾を振っているような様子で、とても断れるものではなかった。
「ああ、うん、いいよ」
「わーい♪ 夜のオフィスで二人でゴハン。ステディへ向けて前進だネ! じゃあ私もチャイナ買ってくる!」
「なっ……や、それは、そういう意味じゃ……!」
止めようとしたが、アニスは食事を買いにすぐに出て行ってしまった。
一連の騒動があったが、アニスの寧人への好意は変わっていない。どころか、より強くなっているようで、そのアピールも前より直接的だ。
真相を知らないであろう彼女からすれば、元々好意を持っていた相手が、父の仇を取り、かつその後を継いだという形になるわけだ。そもそも寧人自身、クリムゾンのマスコット的存在であるアニスに慕われていることも利用して今の座にいる。無理もない話だった。
「……どうすりゃいいんだよ……」
アニスは控えめにいってもかなり可愛いし、寧人の好みのタイプでもある。
笑顔が素敵で、一緒にいると楽しい。不謹慎ながら、ドキドキしてしまうことも、正直ある。
だが、寧人は彼女の気持ちに答えることはできない。理由は三つある。
一つは、あれだけのことをしておいて、何食わぬ顔でアニスと恋仲になれないということ。
二つ目は、寧人自身いつ死ぬか分からない身の上で、それを考えると再びアニスを悲しませてしまう可能性があること。
そして、三つ目は。
〈ビー! ビー!〉
寧人の思考が中断された。この音は、メタリカ本社のしかも重役からの通信だ。
「はい。小森です。何か?」
〈おう!! 小僧、いや、小森。久しぶりだな!〉
モニタに映し出されたのは、見覚えのある男だ。長い髪を後ろで束ねたヘアスタイルに大柄な体。獅子を思わせる顔つき、全身から豪快な迫力をかもし出すその男。メタリカが誇る常勝将軍、稀代の豪傑にして極悪人、ラーズ将軍だ。
「ラーズ将軍……? どうしたんですか?」
専務であるラーズ将軍が直接通信を送ってくるなど、ただ事ではない。寧人は姿勢をただし、モニタに向かった。
〈わぁっはっはっは!! そう硬くなるな。今ではお前も俺たちと同じ重役の一人だろう。クリムゾンの件は聞いている。恐れ入ったぞ。すこしだけな〉
「恐れ入ります」
〈おう。すまんがあまり時間がない。要件だけ話すぞ。まあ、本来は俺が伝えることじゃないが、久しぶりにお前の顔でも見ようかと思ってな。小森、すぐに帰国しろ〉
相変わらず強引な人物だ、と寧人はやや苦笑する。
「人事ですか? まだクリムゾンが落ち着いていないのですが……」
〈いいや。会議だ。聞いたことくらいはあるだろう? M会議だ〉
「……え?」
そういうものがあるのは知っている。M会議、それはメタリカにおいて最重要ポストにいる、重役の数名のみが参加する重大な会議だ。
寧人も渡米前の時点ですでに取締役の一人だった。だが、役職付ではないし、上にはまだ何人かいた。
「俺が……ですか?」
だから、寧人は確認した。
〈そうだ。お前の功績はもう無視できるものじゃねぇ。これからのメタリカに必要なものだ〉
ラーズの言葉。どうやらクリムゾンを吸収したことは、それほど大きな成果らしい。たしかに、この件でメタリカはアメリカへの足がかりは磐石になり、世界的な影響力も増した。
そして両社はジョイントベンチャーを大きく推し進めている。クリムゾンのオーバーテクノロジー武装も、メタリカの改造人間も双方とも戦力を増している。そして増大したその力は、実質的にはメタリカの、そして寧人の力だ。
「……ありがとうございます」
〈おう。詳しくは帰国したあとだ。だが、教えておいてやる。この会議に参加するのは、俺、お前、副社長のヘッドフィールド、相談役のハメット老、そして『首領』だけだ。心して来い〉
「……首領、が…!?」
ラーズ将軍の言葉に寧人は驚愕する。
首領、メタリカの頂点に立つ男。それは世界で最強の悪党ということだ。現時点で、最も世界の変革に近い男。
だが、メタリカ首領についての情報はほとんどない。寧人は見たこともない。
首領は常に、奥にいる。そして闇から采配を振るう。
その理由も不明。とにかく表には出てこない。
もしかしたら、面接のときにいたあの老人が首領なのでは? と思ったこともあるが、そんなはずはない。そんな場に出てくるくらいなら首領の存在がこれほど不透明なはずがない。あれは別の重役なのだろう。
首領はもちろん正体不明、ということではない。むしろ有名だ。
メタリカの首領、それは社会科の教科書にすら書いてある存在だ。名前も分かっている。
藤次郎・ブラックモア。
日系アメリカ人のその男は、プロフェッサーHの生み出した改造人間やラーズの戦力を活かし、わずか一代でメタリカという悪の大組織を作り上げ、そして世界に覇を唱えた天才。ディランとの関係性も噂されている、世界的な有名人。
すでに老人といっていい年齢のはずだが、メタリカのトップが代替わりしたという話は聞いたことがない。
首領は大組織メタリカにあって、神秘的な存在にまでなっている。
そして、寧人にとっては目標である場所にいる男でもある。
その男がついに、俺の目の前に現れるというのか。
〈……そうだ。わかったな。すぐに帰国しろ。詳細はおって連絡が来る〉
「わかりました。明日には帰国します」
寧人は表情を引き締め、答えた。
〈おう! まあなんだ。こっちについたら会議の前に一度連絡しろ。お前とは一度じっくり話をしてみたい。わかったな!?〉
ラーズ将軍との通信はそれで終わった。
タイミングよく、アニスが中華料理のテイクアウトをもって戻ってくる。
「たっだいまー♪ あれ? ネイト、どしたの?」
元気良くソファに腰掛けたアニスが寧人の顔を不思議そうに見つめる。
「ん? いやなんでもないよ。食べよう」
笑ってそう答え、サンドイッチに食いつく。アニスとは普通に談笑もする。中華料理の春巻きも一個もらう。変わりに食後のコーヒーを入れてあげる。
アニスが今日あった面白い話をしてくれる。面白いので、寧人は笑う。
寧人はアニスが最近ハマっている21世紀初頭の日本の漫画について話す。
アニスは興味深そうに聞いてくれる。
食事はそんな風に進んだ。
これが終わったらすぐに帰国だ。ついにここまで来た。あとすこしだ。
メタリカの首領、これまでとは違い、明確に倒すべき対象とは認識していない。まずは知ることが重要だ。
「ネイト、これも食べる? 美味しいヨ!」
「それは……なに? まさか餃子か? アメリカ人のセンスはわからんな……」
アニス、俺は君にまだ全てを言わない。謝ることもしない。
でも、代わりにビッグに言った誓いは守ってみせる。最後まで負けず、走り続ける。
償いなんて思ってない。それで許されるなんて思わない。だけどそれでも。
そしてそれを終えることができたら、そしてその時まで君が俺の近くにいたなら、俺は。
寧人は無関係なおしゃべりをしつつ、サンドイッチを食べながら、考えをまとめた。
次の、そして多分、最後から二番目の戦いが始まる。
そういえば、メタリカ幹部の名前はメタリカのメンバーから取ってます。だから藤次郎なのです。