385,204件だ。
ソニックユースはヒーローである。
それは全米の誰もが知っている。本人であるマーク・ゴードンはそのことを名誉に思っているし、ソニックユースであること、つまり人々の自由と夢を守ることは常人を超えた強さを持つ自分にとっての使命だと思っている。
米国は自由の国だ。その国で成功を目指すスピリットは『アメリカンドリーム』と呼ばれるが、マークは自分ほどこの言葉を体現している者はいないと自負している。これは傲慢ではない、たしかな自信に裏打ちされた誇りだ。
少年時代のマークの家庭はけして恵まれていなかった、だがマークは諦めなかった。自由の国で夢を掴む。どこまでどこまでも高く上っていく。強く願い、そして諦めなかった。
だから最年少でプロアメリカンフットボールのMVPも取ったし、空軍のトップガンにも選ばれた。そしてアストロノーツとして星の海をみるところまで行った。
誰かに評価されたかったからではない。人より高みにいたかったからでもない。純粋にフットボールが好きだったからだし、飛行機を操縦したかったからだし、宇宙をこの目で見たかったからだ。
夢を、かなえてみせた。
その後、奇跡ともいうべききっかけから、超人的な能力、オーバーセンスを手に入れた。
すべての夢をかなえたマークは、与えられた力を使い、誰かのために戦うことを決めた。
マークは思う。これは運命だったのだ。
自分は、自由の国で夢を叶えた。それがすばらしいことだと知っている。その自分が力を得た。
なんのために?
きっとこれは、誰かの夢を守れ、ということなのだろう。マークはそう理解した。自由と夢を追う権利は誰にでもある。それを壊す権利など誰にもない。犯罪者や悪の組織が相手であっても、自分は戦う。
マンハッタンの、ニューヨークの、アメリカの、人々の夢を守るために。
そう決めたのだ。だから、今この場でも絶対に負けない。
「……やめておけ。わたしは人々の夢を守るために、けして負けない」
マークは、ソニックユースは炎と煙で満ちた橋を欄干の上から見下ろし、そこにいる敵に言葉をかけた。
最近共闘するようになったスリップノットから聞いている。クリムゾンの幹部にしてメタリカの改造人間でもある日本人の男だ。
「ヘイヘイ、ソニック。いいじゃん。ここまで言うんなら殺っちまおうぜ?」
傍らでは自分と並び称されるロックス、スリップノットが軽口を叩いている。
彼のこういうところは好きになれない。
「スリップノット。私は君とは違う。私が戦うのはあくまでも守るためだ」
何度か一緒に戦い、クリムゾンの情報をもらっているうちにスリップノットについていくつかわかったことがあった。
スリップノットが戦うのは『殺すため』だ。復讐なのか、それとも義侠心なのか、そこまではわからないが、彼は偏執的なまでにクリムゾンのトップ、ミスタービッグや幹部を殺したがっている。
一方的に協力してきた最初はそこが相容れないところだった。
だがすぐにわかった。共闘の場において、スリップノットは最終的には倒した敵の処遇の決定を自分に譲る。捕えてガーディアンに引き渡すことにも協力する。
それがわかったから、正体不明なこの男とも一緒に戦えていた。
おそらく、スリップノットの本当のターゲット、殺したい相手はミスタービッグをはじめとした一部の人間で、他のクリムゾン構成員はそこにたどり着くためのステップとしてしか考えていない。だから彼のほうも自分と共闘しているのだろう、そう考えていた。
ソニックユースとスリップノットが手を組めば、その強さは絶大だ。事実、犯罪者もクリムゾンも次々と撃破している。このままいけば、行方不明との噂のミスタービッグや他の幹部にもたどり着く。スリップノットはその合理的な判断に基づき、孤高というポリシーを捨てて自分に協力しているのだろう。
「殺さないの? いや俺はそれでもいいけどさー。でもさー、ソニック。コイツだぜ? 例のビル倒壊起こしたやつ。ネイト、とか言ったかな。街を生贄にしようとするようなヤツはやっちまったほうがいいかもしれないぜ?」
「なに?」
ソニックユースは再び、クリムゾンの男、ネイトを見た。
「……ああ、そうだ。それがどうかしたか?」
ネイトは、まったく表情を変えなかった。なんとも思っていない、そういう風に見えた。
「ソニックユース。人々の夢を守るために負けない、だと? はっ、ご立派なことだな。でも、お前は俺には勝てないぜ。俺は『負けない』じゃない。勝つ。絶対にだ。どんなことをしても勝つ。誰が犠牲になろうが何を壊そうが知ったことか。これまでも、そしてこれからもな」
ネイトは続ける。すさまじい殺気だった。視覚が、聴覚が、触覚が、オーバーセンスのすべてがこの男の危険性を激しく伝えてきた。その言葉に嘘がないことは明確だった。
だが、怖くなどない。むしろファイトが沸いてくる。激高しそうになる。
許してはいけない相手だ。人々の夢を奪ってきた敵、悪。
「君は……!」
ソニックユースは欄干から飛び降り、ネイトの眼前に着地した。立ち込めていた煙が風圧で晴れる。
「君は……その犯してきた罪の数を、獄中で数えてもらおう……!」
ソニックユースの宣言。正義の心に基づく怒り。並みの犯罪者なら、それだけで心を折ることができる。ソニックユースの気迫だった。
「385,204件だ」
だが、ネイトは怯まなかった。氷のように冷たい表情だった。そして即答した。
「な……?」
「聞こえなかったのか? 獄中で数えるまでもない。俺がやってきた罪と悪の数は385,204件だ。間接的なものも含めればな」
わからなかった。ネイトの答えた罪の数は膨大なものだ。一件一件数えていたというのか? 心に刻み込むように? そんなことをする悪人がいるのか?
だが、ごまかしを言っているようには見えない。真剣そのものの表情だった。この敵は、この男は一体なんだ。
この男は普通の悪党ではない。油断はできない。
ソニックユースは再び戦闘の構えをとった。
※※
すこし、喋りすぎた。
目前のソニックユースに対して、寧人はすこしだけ内心を吐露してしまった。
数えている。やってきた悪事は一つ残らず覚えている。
別にそれで許されるとは思っていない。罪を背負って生きていく、なんていうつもりもない。そんなことは自己満足だ。傷ついた人も、壊れたものも戻りはしない。でも、けして忘れはしない。
そんな感情は、敵に知らせるべきではない。寧人はすこし反省した。
「でも、ポイ捨てをしたことは、ないんだ……ぜ!!」
そしてすかさず、爪による攻撃を繰り出す。鋼鉄をも引き裂くエビルシルエットの一撃だ。
「遅い!」
だが、やはりソニックユースにはあたらない。 残像を残して消える。遅れて上方向に視線をやると、ムーンサルトを決めて背後に回りこむ姿がみえる。
「ちっ、素早い野郎だぜ……!」
「くらえ……!!」
寧人は振り返り、防御を固める。
間一髪で間に合った。加速してのスピンフックを両手のガードで受け止め、そのまま後方に跳ぶ。
ソニックユースと距離をあけてにらみ合う。
「……やっぱり、普通にやってちゃ、無理みたいだな……」
速い。なんという速さだ。戦闘中にソニックユースに攻撃をあてることはできそうにもない。
戦闘中のソニックユースは集中力とオーバーセンスを全開にしてこちらを警戒している。緊張・警戒の姿勢をとっているヤツの回避は完璧だ。
「無敵に、近い」
あらためて考えてもそう思う。
狙撃などの遠距離攻撃では弾速が落ちるし距離があるため、ソニックユースが集中力とオーバーセンスを高めていないとき、つまり平時にマーク・ゴードンでいるときでさえ気付いてから回避できる。
では接近して至近距離から暗殺をするか、それも不可能。マーク・ゴードンである時にはVIPとしてのセキュリティが完璧で、近づくことが出来ない。
そしていざ戦闘が始まり、彼がソニックユースになったとき、彼は敵に神経を集中して超高速の反応速度を発揮する。その状態ではまったく隙がない。体の強度自体は常人とさほどかわらないのだから、当てさえすれば倒せるのだが、それが非常に難しい。
遠距離からの暗殺は不可能。近距離には近づけない。そしてこちらに集中されている近接戦闘でも倒すことも不可能。
近い。きわめて無敵に近い。
「……そうだ。『近い』。けど、無敵じゃない…!!」
寧人は気を吐き、ソニックユースに突進した。
「無駄だ。君では私を捉えることはできない!」
ソニックユースはローラーを起動させ、鋭いジャンプとスピンで寧人の攻撃を避ける。
「ウオオオオオオッ!!!」
かわされる。連続攻撃を繰り出しても、ことごとくかわされる。鮮やかなテクニックと、凄まじいスピードで、攻撃はまったく届かない。まるで、残像を相手に戦っているようだ。
ただ、この残像は、攻撃をしてくる。
「ハァッ!」
寧人の攻撃を回避した勢いのまま、スピンフックを繰り出してくる。
当然、寧人には避けることはできない。直撃を受けて吹き飛ばされる。
速度が戦闘において圧倒的なアドバンテージであることを思い知らされる。
寧人の攻撃はあたらない。だがソニックユースの攻撃は一方的にくらう。
ときおり、欄干の上にいるスリップノットが狙撃をしてくる。絶妙なタイミングと的確な狙いで繰り出されるそれも、到底かわすことはできない。
「……まだ、だ…」
寧人は立ち上がって戦うが、攻防のたびにダメージを受ける。
「もうやめたほうがいい。君はもうボロボロだ」
何度目かわからないダウンをした寧人を指差し、ソニックユースが告げる。
「……やめねぇよ」
だが、それでも立ち上がる。死の直前まで戦う。ギリギリのタイミングで、仕掛けは発動するはずだ。それ以外に、勝つ方法はない。
「強情だな……。なら、容赦はしない!」
ソニックユースのソバットが寧人の頭部に直撃した。加速度と遠心力によって増幅された破壊力に、寧人は膝をついた。テレビでこの戦いを見ているであろう市民は大喜びだろう。
だが、寧人はそれでもいい。戦うのは自分のためだ。自分の目指す世界のために戦う。
だから、誰にどう思われようとかまわない。
「……殺す気でこいよ。俺は死ななきゃ止まらないぜ」
寧人は再び立ち上がった。体が悲鳴を上げるが、それを無視する。
「あーあー、もう、見ててカワイソーだ。ソニック。俺もちょっと全力だすわ」
瀕死の寧人を上方から見下ろし、スリップノットはライフルとは違う兵器をとりだした。
ロケットランチャーだ。
「イヤッホー!!」
スリップノットはロケットランチャーを乱射してきた。
寧人は死力を振り絞ってそれを避ける。爆炎と煙が立ち込める。火薬の量は減らしているのだろう、破壊力はそれほどでもなく、橋自体が崩れることはなかった。
「ヘイヘイヘーイ!!」
さらにスリップノットは手榴弾を投げつけてくる。
これも爆発を起こし、はげしく煙が上がる。
元々炎上していた複数の車両、さらに乱射されたロケットランチャーと手榴弾。戦闘の現場であるワシントンブリッジは、炎と煙に包まれた。遠くからだと、中心は目視できないほどだろう。
「……ここまで、か…」
寧人は直撃こそ避けたが、爆風のダメージでへたりこんだ。もう立ち上がれそうにもない。終わりだ。もう戦えない。
へたりこんだ寧人の目前に、二人のロックスが着地した。
「君の負けだ」
「ケッコー頑張ったじゃん。でも残念。惜しかったね!」
ロックスは無傷だ。悠然と寧人を見下ろす。
「……ああ、俺の、負けだ」
寧人は変身を解除した。人間体になってみるとよくわかる。もうボロボロだ。
「ソニックユース。俺を捕えろ。法の裁きとやらを受けてやる」
もう、寧人に攻撃の意志はない。そんな力は残っていない。もう動けない。ソニックユースもそう思うだろう。
「……ああ」
ソニックユースはゆっくりと寧人に歩み寄る。警戒はしたままなのがわかる。たとえ今寧人が不意打ちをしても通じないだろう。さすがに甘い相手ではない。
「英雄に倒されるなら、それも悪くないさ」
寧人は動かない。ソニックユースはスリップノットから拘束具を手渡され、寧人の眼前まで迫った。
煙と炎に包まれた中、英雄が悪魔を捕える。
その、直前だった。
パン、という乾いた音が響いた。
銃声だった。
「……な…? スリップノット……なに…を…」
ドサッ、という音が響いた。
ソニックユースが倒れた音だった。
スリップノットが、至近距離で背後から、ソニックユースを撃った。
プロテクターの隙間をぬって、急所に一撃。
「残念だったな。ソニックユース」
寧人は地べたに込んだまま、英雄をあざけり笑った。
「……な、ぜ……」
ソニックユースは突如自分の身に起きたことを理解しきれていなかった。
オーバーセンスをもっていようとも、ソニックユースは人間だ。ラモーンやディランとは異なり、肉体自体の強度はそれほどでもない。銃弾の一撃は致命傷のようだった。
「言っただろ。俺はどんな手を使ってでも勝つ、ってな」
平時には遠距離からの暗殺は不可能、至近距離には近づけない。
戦闘時は敵に集中しており、完璧な回避。
だから、ソニックユースを倒す手は、これしかなかった。
戦闘時、超至近距離かつ警戒対象外からの一撃。それもただの一撃ではない。撃つ直前までまったく殺気をみせず、しかし抜き放ってから発砲は瞬速で、的確に、迅速な一撃。
それが出来るのは、スリップノットしかいない。
寧人はかなり早い段階から、ソニックユースを倒すにはスリップノットを利用するしかないという結論に達していた。そして、あの夜、摩天楼でスリップノットと戦ったあのとき、寧人はそのための仕込みを済ませていた。
「……悪いな。ソニック。俺もこいつと同じさ。どんな手を使ってでも目的を果たす」
スリップノットはさらに弾丸を連射、ソニックユースだった男は死んだ。
夢を叶えた男、その後人々の夢を守るために戦った男は死んだ。
「あばよ。ソニックユース。お前はやっぱりすごいヤツだったよ。天国ってのがあるといいな。お前は必ずそこにいくよ」
寧人は小さく呟いた。
ソニックユースはやはりとても強い男だった。全米を代表するヒーローという称号は伊達じゃなかった。
その行動理念は賞賛に値する。でも。
寧人は思う。
誰もがお前みたいに強いわけじゃない。夢を追うことはすばらしいけど、それができない者もいる。
世界は、そういう風にできている。俺は、それをぶっ壊す。
「さて、メタリカ野郎。教えてくれよ。ミスタービッグを監禁している場所はどこだ? 今さらやっぱり殺すのはやめてくれ、とかいうジョークはやめろよ」
スリップノットは銃口を寧人に向けて問いかける。
「いいや。殺してこいよ。場所はここだ。もっとも俺が死んだり、お前が俺の指示にない行動をすれば、お前がたどり着く前にミスタービッグを開放するよう指示は出しておいた。変な気を起こすなよ。今を逃せば、お前がミスタービッグを倒すチャンスはないかもしれないぜ」
寧人は位置情報入力しているメモリスティックを投げ渡した。
ソニックユースは倒した。だが、この戦いは、クリムゾンを掌握するための戦いはここからが大詰めだ。最悪の裏切りは、ここからだ。
「ひゅー、アンタも抜け目がないね。OKOK。俺はターゲットを殺れればそれでいい」
「そうかい。じゃあさっさとお着替えをすませてもらおうか。この爆煙が晴れるまえにな」
スリップノットが撃ったロケットランチャーや手榴弾は、寧人を倒すためのものではない。威力は抑えつつ、煙だけは大量にあがるようにしている。爆破してその辺りに転がっている車両も、実はスリップノットが計算ずくで、死角を多く発生させている。
無数の炎上する車両、そして岸からの目視でも、今橋の上で起こっていることは見えていない。
その間にやらなければいけないことは、スリップノットとソニックユースを入れかえることだ。
プロテクターとソニックローラーをスリップノットだった男が装着。
ギロチンの模様がかかれた黒のタイツをソニックユースだった死体に着せる。
遠距離からでは入れ替わったことはわからない。
英雄の遺骸を冒涜するようで、気分のいいものではない。だがそれを言うなら、これによって狙うことこそ最悪のことだ。気にはしていられない。
一度素顔を晒したスリップノットはソニック・ユースのコスチュームを装着した。
「お前、ソニックローラーを使えるのか?」
「んー。まあソニック君みたいに自由自在には無理かな。でも、ここからまっすぐ滑って消えるくらいならなんとか」
入れ替えは終了した。もうまもなく煙は晴れて、この場が衆目に晒されはじめる。
寧人は再度変身し、スリップノットのコスチュームを着せたソニックユースの死体の顔を掴み、持ち上げる。
そのまま、ワシントンブリッジの端まで移動し、高々と掲げる。
見ろ。マンハッタンよ、全米よ、クリムゾンよ。この光景を見ろ。
スリップノットはこの俺の手で倒されたぞ。そしてこれからソニックユースは逃げるぞ。
戦い抜いた気高い男に仲間を捨てて逃げ出したという汚名を着せて、
自分を愛している女の父親を殺そうとする男を助け、
全米のヒーローを倒して、多くの人間から希望を奪い、
悪の限りをつくして。
俺はクリムゾンを手に入れる。そしてメタリカの頂点へ向かう。
俺はすべてを制する。そしてこの世界をぶち壊して変える。
止まらない。俺は止まらない。
※※
その日、全米の各テレビ局は、クリムゾンの怪人と2トップスの戦いをリアルタイムで放送していたが、その放送の最後はいずれもショッキングなシーンで終わった。
爆炎と爆煙があふれた激しい戦場だった。それが晴れて、人々が見た光景は。
悪魔がスリップノットの死体を高々と持ち上げ、ソニックユースはその場から逃げ出す、というものだった。
絶望的。その光景は、多くの人間にとって、そうとしか表現できなかった。
次で今回の策はぜんぶ明かされます。
裏側で起こっていたことも
回想として書くかもしれません。