人質? 生け贄だよ。
左手一本でビル側面の突起につかまり、見上げればすぐ近くに処刑人がいる。
そんな状況だが、寧人は恐れを表面には出さず、口を開く。
「……おまえさぁ、さっき俺に向けてロケットランチャー撃ってきたよな?」
「? ああ、このビルにあんたが来る前ね。できればあれで決めたかったんだけどなー」
たしかに、あの攻撃は危なかった。間一髪で避けられたが、あたっていればただではすまなかっただろう。だが、あの攻撃でスリップノットはあるミスをしている。
「後ろのビルにあたったよな?」
「あー、ちょっとあのビルの人には悪かったかなー、とは思ってるよ?」
スリップノットは相変わらず軽口だ。だがおそらく、本当にそう思ってはいるのだろう。そこに付け入る隙がある。
「新型の対戦車用ロケットランチャーだ。まともに炸裂すればビル自体が倒壊する。でも、しなかったよな?」
「そりゃそうさ。だって俺ってナイスガイだからね? クリムゾン以外にはけっこー優しいんだぜ?」
そうだった。あのときのランチャーは火薬の量を抑えていた。それはビル自体の倒壊を防ぎ、被害を最小にするためだったのだろう。もちろんビルの一部を破壊されたが、それでもそう大きい被害は出ていないはずだ。
では、何故そうしたのか? 何故スリップノットは被害を抑えたかったのか?
寧人は続ける。
「ビル自体が倒壊すれば、被害は甚大だ。ニューヨーク中が大騒ぎになる。お前は、それを避けたかったんだろ?」
「……だーかーら、いったい何がいいたいわけ? もう撃ち殺してもいい?」
スリップノットは銃口を再び向けてくる。
ここだ。
寧人は新名が飛び去った方向に顔を向け、唇を動かす。『やれ』そう言った。こちらを見ているであろう新名ならわかるだろう。
次の瞬間だった。轟音が響く。
「!?」
スリップノットがそちらに目をやった。
寧人にはわかっている。このビルより数ブロック先のビルが爆音の発生源だ。そしてまもなく、倒壊する。
「くっくっくっ……中途半端なんだよ。お前は。やるならこれくらいやれよ」
動揺を見せるスリップノット。寧人は爆発し倒壊していくビルを背景に邪悪に笑ってみせた。
「アンタがやらせたのかい? こういっちゃなんだけどなんの意味があるわけ? あんたってクレイジー?」
「意味? へー、お前ってバカなのか。はははは。本当にわからないのか?」
今度は嘲笑してみせる。そしてスリップノットに冷酷な視線をやる。
「お前がさっきロケットランチャーを撃つ姿は撮影している。そして、優秀な俺の部下がすでにネット上に動画として流している。タイトルはさしずめ、スリップノットVSクリムゾン・モンスターってところかな」
「……それで?」
スリップノットの口調が変わった。
「スリップノットは今夜、クリムゾンの怪人を倒すためにロケットランチャーで戦っている。 マンハッタン中の人間がそう思っている。そして今夜、マンハッタンのビルはロケットランチャーと思われる攻撃によって次々と爆破され、倒壊する」
まだ倒壊したビルは一つだ。だが、いくらでも増やすことが出来る。
寧人は事実を端的に伝えた。冷酷なまでに端的に。
「さて、マンハッタンの人間は明日になってもお前をロックスと認めてくれると思うか
?」
スリップノットがランチャーを撃つ動画はフェイクではない。本物だ。専門家が検証しても、今夜取られた画像であることは明白だろう。
「お前は一気に全米の敵になるよ。間違いなくな。一人で戦っているそうだけど、武器の調達は? 情報の収集は? これまでと同じように活動できるか? いや、そもそも他のロックスが、たとえばソニックユースがお前を許すと思うのか? 世界中の人間を敵に回して、それでもお前は戦い続けることができるか? お前の本当の目的はクリムゾンの幹部とトップを倒すことなんだろう? それができると思うのか?」
これも事実だった。これまでスリップノットが活動できてきたのは、市民たちの協力があればこそだ。メチャクチャやってはいるが、こいつはちゃんとギリギリの線をわきまえている。ダーク・ヒーローと呼ばれる人気者だから出来ることは多いはずだ。
スリップノットもそれを知っている。他のロックスとは違う手段を選ばない戦い方? 違うね。こいつは多少逸脱しているだけだ。こいつは頭がいいよ。敵を作らず、自分は有利になるように戦っている。
目的のために手段を選ばないのが悪党だ。どちらかというとコイツは俺たちに近い。だが、スケールが違う。所詮は『そっち側』だ。被害を抑えようとしている、悪になることを避けようとしている。
「……」
スリップノットが唾を飲み込む音が聞こえた。考えているようだった。
「ヘイ、あんた。本当にイカレてるのか? そんなことしたらアンタだってただじゃすまないと思うぜ?」
それはそうだろう。マンハッタンにはクリムゾンの人間だって多くいる。ビルの連続爆破倒壊が寧人の指示であることはクリムゾン内部にすぐに知れ渡るだろう。そうなれば寧人は確実に処分されるだろう。一つ二つならいざしらず、無差別に大量に破壊したことが許されるはずがない。
「それが? だって俺は今からお前に殺されるんだぜ? そんなこと知るかよ。俺はここから落ちて死ぬ。明日の新聞が楽しみだな。謎の連続爆破事件、現場にはクリムゾン構成員の死体、直前にネットに広がった衝撃のロケットランチャー発射動画。良かったな。お前はマンハッタンの全てと引き換えに、モンスターをたった一人葬れるんだぜ。おめでとう」
「……そううまくいくとは思えないけど?」
たしかにそうだ。上手くいかない可能性もある。だけど上手くいく可能性もある。
「さてね。あとのことは知らないさ」
寧人が言い切ったタイミングで再度爆音が響く。二つ目のビルが倒壊するのだろう。
スリップノットの軽口はだいぶおとなしくなっていた。
寧人は思う。
スリップノット、お前は悪じゃない。俺なら、倒すと決めたのなら徹底的だ。誰を敵にしようが知ったことか。ダークヒーロー? 便利な言葉だな。みんなに支持されている時点で、そしてその支持を気にして戦っている時点で、お前なんか俺の敵じゃない。
ロケットランチャーの火薬を減らしたのは、立場を守るためだけじゃないのだろう。こいつもまた正義の味方だ。被害は極力抑えて、人々を傷つけないようにとの信念もあるのだろう。そうでなければ、こいつがロックスと呼ばれているはずがない。そうコイツもまた気高い正義なのだ。
それなら、倒す。俺が倒す。悪の力でな。
ビルがいくら倒壊しようと、それで人々がどれだけ傷つこうとも、俺は進む。世界中の人間に憎まれたとしても俺は進む。そして世界を変えてみせる。
もちろん本当はこんなことやりたくない。心が千切れてしまいそうだ。だがそれはけして表には出さない。
寧人はスリップノットを見上げ、皮肉たっぷりに笑い、告げる
「俺が死んだら、もう爆破は止められないぜ? 俺は一人で死ぬのはゴメンだよ。スリップノット、お前の存在を消してやる。そして他のロックスに殺られたお前が来るのを、地獄で待ってるぜ。……あばよ」
寧人は最後まで嘲笑を浮かべながら、ビル側面から手を離した。
「!! くそっ!!」
スリップノットの苛立つ声が聞こえる。左手を掴まれた感触。寧人が落下することはなかった。
「……へえ、軽口はどうしたんだ? らしくないじゃないか」
「……」
そのまま、スリップノットの手で引き上げられる。割れた窓ガラスを抜けて、ビル内のフロアまで引っ張られた。
「マンハッタンを人質に取られちゃ、かなわないね。んじゃ、爆破とめてくれる?」
スリップノットはもう戦うつもりはないようだった。フロアにあぐらをかいていた。
「人質? 冗談だろ。生贄だよ。お前を倒すための、な」
寧人はそういうとゆっくりと立ち上がった。俺の命を助けた時点で、この場の勝者は確定している。
「なんだよ。まだヤル気かい? もういいだろ今日は、帰ってビールでも飲もうぜ」
寧人は座り込んだままのスリップノットに近づき、見下ろした。
「立つなよ。そして避けるな。勝ったのは俺だ」
そう言って、座り込んだままのスリップノットの顔面を思い切り蹴り飛ばす。
ゴキッ、という鈍い音とともに、スリップノットがフロアを吹っ飛んでいく。
「って! 痛いじゃん!!」
「俺のほうがどう考えても痛かったぞ。よかったな変身が解けてて、そうじゃなきゃお前死んでるぞ」
「えー? もしかしてこの後も『抵抗したらマンハッタンを爆破して……』的に俺を脅して動けなくして、殴る蹴るして俺を倒すの? クールじゃないな。それに、そこまでする気なら俺にも考えがあるけど?」
それも考えた。ここで容赦なくこいつをなぶり殺しにしてもいい。でもそれはリスクもある。追い詰められたコイツがなにをしてくるかわからないからだ。
ふざけているように見えるスリップノットだが、奥底には執念のようなものを感じる。それが彼を戦いに駆り立てているに違いなかった。軽口はそんなシリアスな部分を隠しているように思えた。
たとえばさっきの脅迫だって、寧人ではなくコイツの真のターゲットと思われるクリムゾンのボスや他の幹部が同じことをしても同じような折れただろうか? もしかしたらマンハッタンのすべてを犠牲にしても処刑を実行したかもしれない。
スリップノットもまた、けして折れない心を持っている。数々のヒーローと戦ってきた寧人にはわかる。
それに今後を考えるともっと『悪い』方法が、スリップノットを倒す手がある。だから、寧人は今ここでスリップノットを倒すつもりはなかった。
「いいや。ただ、俺は今全身が痛くてな。今の一発はただの八つ当たりだ」
「八つ当たりってそんな」
「殺されないだけありがたく思え。さて、スリップノット、俺とすこし話をしようぜ。もちろんお前に拒否権はない」
寧人はスリップノットを立たせ、椅子に座らせた。
「ここで? どうせならビールかバーボンでも奢ってくれよ」
「全身黒タイツのムキムキ野郎と酒を飲む趣味はないね」
寧人はそれから数分、スリップノットと会話した。大抵のところは、予想の範囲内だった。必要な部分が終わると、スリップノットは『みたいテレビがあるから』と帰っていった。素直に帰してやった。