地獄へ落ちな、ベイビー
ニューヨークの上空を駆ける寧人。
ときおり、銃撃が襲ってくる。方向は新名が示したとおりだ。
気付いている。こちらの接近にヤツは気付いている。
もちろん、変身した寧人なら銃弾は防ぐことが出来る。何発も連射して至近距離から食らえば危険ではあるが、ある程度の距離があり、しかも単発ならそう問題ではない。寧人は弾丸を弾きながら進む。
「! あそこか……!」
いくつめかわからないビルの壁を蹴って跳躍した寧人の眼下に、ヤツが映る。
鍛え抜かれた肉体を包む黒ずくめのタイツのようなコスチューム、ギロチンを思わせる腕部のアーマー。
「スリップノット!!」
スリップノットはビルの屋上にいた。大型のスナイパーライフルの傍らに立っていたが、手にしている武器はまた違うものだ。
「ロケットランチャーだと!?」
しかも最新型で、対戦車砲としても利用できるモデルだ。
とても街中で使用するようなものではない。だがスリップノットは躊躇なく撃ってきた。
空中の姿勢制御で間一髪でかわす。ロケット弾はそのまま飛んでいき、後方のビルに炸裂した。
振り返って見れば、火薬の量を減らしていたのかビル自体が倒壊するようなことはなかったが、それでもビルの一部は破壊され、瓦礫は下に降り注いでいた。どう考えても被害は出ただろう。
「ムチャクチャしやがるぜ……」
人のことは言えないのだが、寧人はスリップノットを睨みつけた。
あわせて、スリップノットが上空を見上げる。接近する悪魔を目視したようだった。
彼は寧人に向け中指を立て、つづいて親指を地面に落とす。
――かかってこいクソ野郎、地獄に落としてやる――
そのジェスチャーはそう語っていた。
「……自信満々、ってわけかよ」
寧人はそれで激高するような気質ではない。そのままだ。冷静なまま、羽根を操作し、スリップノットに向けて滑空する。
もうすぐ同じビルに着地する、というタイミングでスリップノットは動きだした。
ビルを走り抜けると、ワイヤーのようなものを伝って飛び降りたのだ。そして下の階の窓を突き破ってビル内に入った。
寧人もまた、軌道を修正しビル内に突入した。
「……どこに行きやがった?」
進入した階は企業のオフィスのようだった。デスクがいくつも置かれている。深夜であるためか、灯りは落ちており、人気はない。ある程度の広さはあるようだ。
室内には灯りはないが、外からの光がある。今はよく見えないが、もうすこし時間がたてば、目が慣れて問題ないレベルになるだろう。
見回してみても、暗闇の中にスリップノットの姿はみえない。どこかに隠れているようだ。
「ヘイあんた、何キョロキョロしてんだい? ガールハントならここは向いてないと思うぜ?」
突然だった。背後から、声が聞こえた。軽口のような口調だ。それはこの場にはあまりにもそぐわず、異常だった。
反射的に振り返ろうとしたがそれはかなわなかった。
その前に背中を機関銃で滅多撃ちにされたからだ。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガツ!!!!!
連続した銃声が室内にうるさいほどに響く。しかも連射された機関銃は直径数センチ程度の誤差でピンポイントに弾を集められていた。いくら変身体であろうとも、この攻撃は、効く。
こいつ……! どこから出てきやがった……!! ヤバイ、このままだとヤバイ…!!
「くっ……!!! ウオオオッ!!!」
このまま倒れれば終わりだ。寧人は気力を振り絞って振り返り、収束銃弾攻撃を腕で防ぐ。
「くらえ……!」
薄暗いではあるが、マズルフラッシュで銃弾の発射元を攻撃すればいい話だ。寧人は銃弾を捌きつつ前進。そのまま、爪を振り下ろす。
「!?」
手ごたえがおかしい。少なくとも人間を切り裂いた感触ではない。なにか、木材のようななにかだ。
だが、機関銃は間違いなくここにある。
「いい年して人形遊びかい? 楽しそうでうらやましいぜ」
また後ろから声が聞こえる。そこで気付いた。今攻撃したコレは、マネキンのようなものだ。壁に固定してあり、そして機関銃もロックされている。どこかのタイミングでスリップノットはマネキンに機関銃を固定して離脱していたようだ。
「ヒーロー人形で遊ぶのは好きだよ。けどそういうのは……お前を叩き潰してから家でやることにする!」
変わった戦い方だ。スリップノットはおそらく事前に闇に目を慣らしていたのだろう。寧人の変身体とのサイズ差もあいまって、こちらが一方的に視認されている。それは理解した。
寧人は周囲のデスクやパソコンを持ち上げ、手当たり次第に投げつけた。
銃弾を防ぐ効果もあるし、攻撃面積が広ければヒット率もあがるはずだ。ただの投擲だが、エビル・シルエットの腕力ならば、生身の人間なら致命傷を与えられるはずだ。
だが、一向に手ごたえがない。どうやら巧みな体術でかわされているようだ。
「おいおい、何キレてんだよ? 明日出勤したここの社員が迷惑するだろ?」
ときおり見える影はぬるぬるとした動きで寧人の攻撃を避け続けている。
「必死こいて避けなければ、すぐに終わるさ」
身体能力なら、エビル・シルエットがただの人間であるスリップノットに負けるはずがない。
だんだん目が慣れてきた。相手の姿がはっきり捉えられれば、それで終わりだ。
そしてスリップノットはこちらが攻撃し続ける限り、避けるだけで精一杯なようだ。反撃を心配する必要はない。
もうすこし、もう少し、もう少し。
数秒が過ぎた。見える。もう見えるぞ。なら、不確実な投擲攻撃をする必要はない。踏み込んで突き刺す。
「かくれんぼは終わりだ」
はっきりとスリップノットを見据える。彼は、デスクの上に立っていた。
「OK、OK、じゃあ次は何して遊ぶ? あー、じゃあ、キャッチボールはどう?」
スリップノットは丸いものを軽くなげてきた、ひょい、というような緩やかな、弧を描く軌道だ。
「ちゃんとキャッチするんだぜ?」
スリップノットは変わらない軽口を叩くと、腰に装着しているベルト、美容師がもっているような、色々なものが収納されているベルトからあるものを取り出した。
「イカスだろ?」
そのまま、取り出したそれを装着するスリップノット。ゴーグルのようなものに見える。
寧人はここで気付いた。さっき投げられた丸いものは、
閃光弾だ。
室内を爆音と閃光が満たす。殺傷力はないのだろうが、今ここでは致命的な攻撃だった。おそらくあのゴーグルは遮光機能がついているに違いない。
「……ちっ…!」
気付くのが遅かった。目を閉じるのが間に合わなかった。
何も見えない。閃光により一時的に失明してしまっているようだ。しかもさきほどまでよりさらに悪いことがある。耳も聞こえない。
回復するまでは防御に徹するしかない。
「クソッ!!」
だが、すこしまっても攻撃がこない。エビルシルエットの防御力を考えれば、必殺は無理でもダメージを与えることはできるはずなのに。
かわりに奇妙なことに気付いた。体が濡れている。雨が降っている。
もちろん、ここはオフィスビルの室内で、そんなはずはない。
これは、スプリンクラーだ。なるほど、さっきの閃光弾に反応したらしい。
「水……? うわあああああぁぁっ!!!???」
突然だった。防御体勢を取っていた寧人の体を衝撃が襲った。何が起こったのか? 考えるまでもなくわかる。この身を襲うこの感触は、電流だ。
スプリンクラーが発動したということはあたり一面水浸しのはずだ。おそらくスリップノットは高出力のスタンガンのようなものを使用したのだろう。もちろん、自分は絶縁体で身を守っているはずだ。
体がしびれる。凄まじい衝撃だ。常人なら即死するほどの電圧。だが、これくらいではやられはしない。体の痺れと硬直は1分ほどで治まる。改造人間であるおかげで、視力も聴力も回復してきた。今度こそ……
だが、スリップノットの行動はさらに続いた。
「ヒャッハー!!!」
寧人の体の硬直、それが解けるまでのわずかの間に、スリップノットは立ち尽くしていた寧人の体を軽く押した。寧人はそのまま倒れたが、倒れた先はフロアではなかった。
どこから取り出したのかわからない、スリップノットが押してきた台車の上だった。オフィスにはつきものの、運搬用台車だ。エビルシルエットは荷物のように台車に載せられた。上から見下ろすスリップノットは、懐からなにかを取り出し、寧人の眼前に見せ付ける。
「ヘイ、この写真の3人を知ってるか? 情報とか居場所を教えてくれるんなら、グランプリは中止にしてやるぜ? おっと痺れて喋れないか? イエスなら目を閉じろ、ノーなら開けたままだ」
グランプリ? スリップノットが何を言っているのかわからないが、取り出した3人の写真は知っている。一人はミスター・ビッグ、残りの二人も最近会った、クリムゾンの幹部だ。
どういう意図かわからないが、スリップノットはクリムゾンのトップ連中の情報を知りたいらしい。これまでの軽口とは違う、真剣な口調だった。
さて、どうするか。寧人は少し考えた。
どんな手を使っても生き延びて、勝つ。それが寧人の戦い方だ。ならば、仲間を売るのもやむおえないときはある。
だが、今ここでこいつに情報を売ってしまえば、たとえ生き残ったとしても、クリムゾン内での立場が危うくなるし、今想定しているクリムゾン乗っ取りのシナリオが狂う。それは出来ない。
だから、寧人は目を閉じなかった。
「そうかい? んじゃ仕方ないなベイビー。グランプリだ」
寧人の反応をみたスリップノットは大げさなため息をつくと、また軽口に戻った。
「えー、第48回、マンハッタンオフィスビルグランプリ、本年の優勝者は誰なのか? 今、各車一斉にスタートです!!」
魔物を乗せた台車をスリップノットは陽気に押しはじめる。走りながら押している。
速い。十分に加速をつけて押す。寧人はまだ痺れが残っており動けない。
「おっと! クールガイ&モンスター号、ヘアピンカーブを抜けたぁー!」
視界に入る。この台車が向かっているのは、窓だ。止まる様子はない。
このまま、窓を突き破って落とすつもりだ。
動けない状態で、このビルの高さから落下したら、いくらエビル・シルエットでももたない。
ここにきて、寧人は理解する。情報としては知っていたが、心のそこからは、今実感した。
こいつは、異質だ。
これまで戦ってきたヒーローたちとは違う。
さっきから繰り出してきた様々な武装は、あらかじめこのフロアに設置していたのだろう。ここは、あいつの処刑場だったのだ。まるでコメディ映画のような連続技だが、その中身は周到に計算されたものだ。
そしてコイツのこの行動。ビルの下は普通の道路だ。当然通行人もいる。それなのになんのためらいもなく、俺を落とそうとしている。一般人の被害などお構いなしというわけか?
周到な準備、身を隠す姑息な戦い方、容赦のない殺意。これがスリップノットの強さ。
「ゴーゴー!!! このままゴールフラッグまで一直線だー!!」
スリップノットは止まらない。オフィスの中で走りながら台車を押し、歌うような口調だ。
子どもがふざけて遊んでいるようだった。それが恐ろしい。
「ヒュー!!!」
スリップノットのテンションと台車の加速が最高に達した瞬間、寧人の動けない体は窓ガラスを突き破った。重力、という絶望的な感覚が寧人の体を包む。
落ちながら見上げたスリップノットは、寧人を見下ろし、またもあのジェスチャーをしていた。親指を地面に向ける。そしてこう言ったのだ。
「地獄へ落ちな。ベイビー」
また声の雰囲気が変わった。憎しみに基づく明確な殺意を感じる、低い声だった。
寧人は感じる。これが、こいつの本質か。
これまで戦ってきたロックスより強いわけではない。ただただ異質。
こいつには、悪意では勝てないのか? 仕掛ける間すらなかった。そして仮に悪意を振りかざしても、それがこいつに通用するのか?
悪魔は闇を落ちていった。