ショーチュー? いいね! 楽しみだ
クリムゾンの構成員たちはメタリカとは異なり、最下級の下っ端を除き、大抵のものが表の顔と職業を持っており、幹部の各自が自分のオフィスを持っている。だが、結束が弱いということはない。
皆がファミリーの一員だと自覚し、互いに助け合い、またカリスマのあるトップに絶対の忠誠を誓っている。
旧世紀のマフィアをより発展させたスタイルといえるだろう。
トップに位置するアニスの父親、ミスター・ビッグもまた同様で普段はオフィスで構成員たちに指示を送る忙しい日々を送っているが、彼はクリムゾンの構成員をただの部下とは思っていない。もちろんある程度のけじめは必要だが、皆を共に戦い、助けあうファミリーだと認識しているらしい。けして仲間を見捨てない。
クリムゾンは当初は密売や賭博の管理、いかがわしい店舗の運営を行っていた小規模な非合法団体だったが、ミスター・ビッグがボスに就任するやいな。固有の特殊兵器と構成員が遵守する『鉄の掟』の強さを背景にまたたくまにのし上がり、現在では全米の裏社会を仕切る巨大組織に成長している。
と、いう情報を事前に知っていた寧人は、ミスター・ビッグという人物について色々想像していた。アニスの父親にして、クリムゾンを現在の規模にまでのし上げた凄腕の悪党。それはどんな人物なのか? 血に飢えた狼のような危険な男だろうか? それとも冷静沈着で頭の切れる、蛇のような男だろうか?
「やあ。会いたかったよ、ネイト」
目の前にいる人物は、寧人の想像とはやや異なる人物だった。
超高層ビルの最上階、そこがミスター・ビッグのオフィスである。寧人は空港でアニスと合流し、今日から世話になる組織のトップである彼に挨拶に来たのだが、実際に会ったミスター・ビッグは温和な人格者に見えた。
「はじめまして、ミスター・ビッグ」
「うむ。君の話は娘からよく聞いているよ。よく来てくれたね。ん? どうした座りたまえ」
豪華なソファへの着席を薦められ、寧人は言われたとおりにした。
「葉巻は?」
「あ、いえ。俺は結構です」
「そうか。では私は失礼させてもらうよ」
葉巻に火をつけ、気持ちよさそうに煙を吹かすビッグ。肥満ではないが恰幅のいい体格、立派な口ひげ、グレーに染まった頭髪、仕立ての良いスーツ。
なるほど、ギャングの大物といわれてみればそう見えなくもない。だが普通に大企業のCEOといわれてもそれはそれで納得する風体だ。あまり娘には似ていないようだった。
「ダディ、どう? 言ったとおり、ナイスガイでしょ。うふふ」
寧人の隣に座っているアニスはニコニコしている。直接話すときはダディと呼んでいるらしい。
寧人は、勘弁してくれ、といいそうになった。いくら人格者に見えても、相手は世界有数の極悪人なのだ。娘に手をだす不届き者と判断されて嫌われてははなにかと不都合だ。
だが、ビッグな表情は明るいままだ。寧人は好印象を持った。
「そうだな。さすがはアニスが見込んだ青年だ。優しい目をしている」
「そうでしょー? それにものすごい悪いんだヨ!」
「そうかそうか。ハッハッ」
「えへへー♪」
ビッグはアニスの頭をくしゃくしゃと撫でた。親子はなにやら楽しそうでホームドラマかと錯覚させられる。
アニスは本当に父親が好きなようで、久しぶりにあったためか、甘えているようだった。
「……はぁ…」
「ともかく、君はわずか数年でメタリカを駆け上がり、この私のもとまでやってきた。たいしたものだ」
「ありがとうございます」
「おいおい。そんなに固くならいないでくれよボーイ。君はもうファミリーなのだから」
え? と一瞬焦った。アニスの伴侶、ビッグの義理の息子という意味かと思ったからだ。
だが、そういうわけではないのだろう、多分。クリムゾンというファミリーの一員ということなんだろう。
と思いなおす。
こういうタイプの上司は今までいなかったのですこし困惑する。
「さて、ボーイ。君は凄腕の悪党ということだし、メタリカの取締役だ。クリムゾンでも幹部の一員として扱わせてもらうが、かまわないかね?」
クリムゾンは、意図的に一般企業風のサラリーマン社会の構造をとっているメタリカとは若干組織体系が違うようだった。
「ええ、もちろんです。せっかく出向してきたのですから、全力を尽くしてクリムゾンに貢献したいと思います」
とりあえず、最初はな。寧人はそう思いつつ、マジメに答えた。
「OK、では君にはマンハッタン地区を任せることにするよ。問題ないね?」
マンハッタンといえばニューヨーク市のなかでも中心とされる区である。大企業や大学、劇場などの重要施設が立ち並ぶ最重要エリアといえるだろう。そんなエリアを余所者である自分に任せるとは思っていなかった。
一応ニューヨークについて予習してきた寧人は予想外の指示に戸惑った。
「俺が、ですか?」
だがビッグは意に介さない。悠々と煙をくゆらせている。
「ああ。もともとは私が見ていたエリアなんだがね。私は全米の指揮を執る立場でもあるから、厳しいのさ」
クリムゾンの幹部にはそれぞれの役割がある。暗殺や破壊工作の指揮を専門にする者もいれば、エリアを任されているものもいる。ビッグが言うには、これまで彼はマンハッタンというエリア管轄者と全体統括を両方やっていたが、統括のほうに集中したいということだった。
「マンハッタンはなかなか難しい土地でね」
さらに説明は続く。難しい、とは様々な角度からいえることだそうだ。
まず『あがり』が莫大なこと。次に全米の中心ともいえる場所であるため、クリムゾンがなす様々な悪事の現場となることが多いこと。そして、それゆえか全米最強のロックスとされるスリップノットとソニックユースが現れる頻度が高いこと。
「……なるほど。命がけの現場責任者、というわけですか?」
「そうだよ。だがその分見返りも大きい。ファミリーの尊敬は勿論のこと、クリムゾンの情報はすべて入るし、関わることが出来る」
たしかにそうなのだろう。たとえば大物を恐喝するにしろ、大学の研究成果を狙うにしろ、あるいは大きな不法取引をするにしろ、現場となることが多い土地だろう。そしてそこを治めるということはクリムゾンの中枢にいることと同義だ。それは大きな力となるだろう。
だが、腑に落ちない。何故そこを自分に任せる?
「どうして、俺にマンハッタンを任せるんですか?」
率直に聞いてみた。ちなみにアニスはおそらく理由を知っているのだろう。なにやらハラハラしているようにみえる。
「理由は二つある。一つは、君が適任だからさ。さっき言ったように、2トップロックスはマンハッタンを守っている。私たちファミリーにとって癌だ。君のことは聞いていると言っただろう? ヒーロー・キラー」
なるほど。いくら人格者にみえようとも、やはり彼は悪党なのだ、と思わせる笑顔だった。
一見温和な笑み、だけど内側は違う。
「……もう一つの理由も教えてください」
寧人がそういうと、ビッグはオーバーなリアクションを取りつつ答えた。外国人がオー・ノー! というときにやるアレだ。
「聞かないほうがいいこともあるんだよボーイ」
そういわれてしまえば、そこまでだ。
だが別にかまわない。どのみち寧人はクリムゾンの中枢に食い込み、そして乗っ取るつもりだ。ロックスと戦うことや、様々な悪事の現場指揮官となるのは危険なことだがかまわない。これまでもそうやって走ってきた。手間が省けたとさえ思える。
「わかりました。では、部下の新名ともども、業務につかせてもらいます」
「はっは、固いな。よろしく頼むよ」
ビッグは大きな手を差し出してきた。寧人は慌てて、握り返す。強めの握手、そして見上げれば大物らしい重厚な笑顔があった。
「ところで、今日はこのあと時間はあるかな?」
「え、あー。はい。まあ」
「それはよかった。どうかね? 我が家でディナーでも。ワイフには先立たれたが、お抱えのシェフの料理はなかなかだよ。ワインもムートンがあったはずだ」
気を使ってくれているのだろうか。それともこれが欧米流の接し方なのだろうか。いきなり家に招待されるとは思っていはいなかった。
「……はぁ」
「ネイト♪ おいでヨ。わたしもお料理するんだヨ! ラザーニュが得意なんだヨ」
腕を組んでくるアニス。いい匂いがするしやわらかい。目前には笑顔だが、有無を言わせぬ迫力のビッグ。
憎からず思っている美少女の誘いに加え、これから上司になる大物の言葉。これを断れるほどの精神力は寧人にはなかった。ムートンとかいう酒も、ラザーニュとかいう食べ物も知らないがそれは多分旨いのだろう。
「で、では。お邪魔します」
「そうか! ではあとで迎えの車をだそう。アニス、君はさきに家に戻って準備をお願いできるかな?」
ビッグはお茶目なウインクをしてみせた。アニスは元気よく返事をして、オフィスを出て行った。
その途端だった。
「ネイト。私は本音で話すのが好きなんだ」
ビッグの口調がすこし変わった。温和なものであるのには変わらないが、何かが。
「……本音、ですか? 俺は別に…」
嘘などついてない。と答えようと思ったが、ビッグはさらに続けてきた。空気が冷たくなっていくのが感じられる。
「君は、クリムゾンの支配を狙っているね?」
直球だった。ビッグは寧人を射抜くような視線を向けてくる。流石の迫力だった。ラーズ将軍や、面接のときの老人のそれと似ている。心のそこを揺さぶってくるようだった。
「いいえ。そんなことはありませんよ」
しかし、寧人もまた、あの頃とは違う。負けることはない。笑顔を向けてみせる。
わかっている。ビッグが自分の心情を看破していることはわかっている。自分が看破していることをビッグが気付いていることもわかっている。しかし、ここで大事なのは『そうではない』と言葉にすることだ。
「はっは。そうか。すまなかったね」
ビッグは笑った。陽気で寛大な初老の男性に『みえる』。
「はい。参考までに聞かせてほしいのですが、どうしてそう思ったのですか?」
寧人の質問に、ビッグは一度目を閉じ、しばらく考えて答えた。
「そうだな。君の経歴と今は隠している殺気。そしてなにより、私の愛する娘の思い人だということから、かな。彼女はわたしの育て方のせいか、好みのタイプが変わっていてね。彼女があそこまで夢中になったのは、君が始めてだよ」
色々と複雑な回答だった。さらりと娘の恋を認めた。ビッグは悪の大物だが、娘を深く愛しているであろうことも伝わってくる。
この人は俺のことをどう思っているのか? 組織を狙う敵対者? 娘に近づく悪い虫? それとも歯牙にかけるほどでもない若僧?
悠然としたビッグの表情からはそれが読み取れなかった。
寧人は言葉に詰まった。
「クリムゾンは大事なファミリーだからね。私は守るつもりだよ。だから、欲しいなら私を倒すしかないだろうね」
ビッグはとても落ち着いた様子だ。余裕、ということだろうか。ソファを立ち、棚に置かれていたブランデーをグラスに注ぎ始めた。寧人に背中を向けている。
寧人は考えた。
貴方の言うとおり、俺はクリムゾンを陥とすつもりだ。必要とあらば貴方を倒す。
そして、わかっているのか? 今この部屋にいるのは俺と貴方だけで、俺は改造人間だ。
その気になれば、いまここで変身してあなたを殺害することだってできる。
その無防備な背中に深々と爪を突きたててやればいいだけだ。
「……」
思考とは裏腹に沈黙する寧人。
ビッグはグラスを持ったまま振り返った。視線がぶつかる。
「なるほど。少しだけ君の本質が見えたよ。私もこれまで非道なことを散々やってきた。覚悟はできているさ。自分だけは悪にやられるのが嫌だなんて、通るとは思わない。でも、私を殺すのは止めておいたほうがいい」
「……そんなつもりはないですよ」
「君がいまここで、いやここじゃなくても、私を殺したらどうなると思う? ファミリーの結束と掟は絶対だ。君は間違いなくクリムゾン・ファミリーすべてを敵に回し、鼠のように殺される。それで終わりだ。君がいかに強かろうと悪かろうと、生き残れはしない。ファミリーの人間はそんなに甘くはないよ」
ビッグはブランデーを一口飲んだ。少しも警戒している様子はない。自分の作り上げた組織への絶対の自信がそこには感じられた。
「なるほど。じゃあ、クリムゾンを狙う悪いやつを見つけたら、そう伝えておきますよ」
とりあえず、そう答えておく。
ビッグの言うとおりだ。外様の自分がトップを倒せばどうなるか、結果は火を見るより明らかだ。
今回の戦いは、ただ倒せばいいというものではない。勝つためには、それだけじゃ足りない。
思いをめぐらせる寧人とは裏腹に、ビッグはにっこりと笑った。暖かさが戻ったように感じられた。
「ああ。じゃあ、この話は終わりだな。そろそろ行こうか。私も娘のボーイフレンドと食事をするのは初めてでね。楽しみだよ。食べられないものとかはあるかい?」
ウキウキした様子でコートと帽子に手を伸ばすビッグ。それも嘘ではないのだろう。
自分の組織を狙う悪党を牽制しつつ、娘の友人とのディナーを本気で喜ばしく思っている。
悪党と友人が同一人物であることなど、彼にとっては些細な問題なのだろう。
「あ、いや。嫌いなものはないです。すいません、本当にお邪魔していいんですか?」
「もちろんさ! 君の事を聞かせてくれ。娘も喜ぶ」
寧人もまた、そんなことはどうでもいいように思えてくる。ビッグの懐の深さに感心するし、けして嫌いにはなれない。クリムゾンの者たちが、彼に忠誠を誓っていることにも納得できる。
穏やかで悠然とした風貌。余所者であろうとも適材であれば重用する度量、ファミリーへの愛情、組織を大幅に増強した手腕。命を惜しまぬ強い覚悟。
申し分のないトップの器だ。
寧人はこういう人間を表す単語を一つしかしらない。
大物。
ミスター・ビッグという通称が、有名なわけだ。
「じゃあ、お邪魔します。ああ、焼酎って飲んだことありますか? 日本から持ってきたんですけど、よければ」
寧人もまた、かけていたジャケットに袖を通しながら伝えた。
「ショーチュー? いいね! 楽しみだ」
ビッグは親指を立てて答える。
アニスのこともあり、歓迎されないかもしれない、という不安があったが、それは杞憂だったようだ。
寧人はやや明るい気持ちになりながら、ビッグについてオフィスを出る。
ミスター・ビッグは予想とは違う人物だった。ある意味ではそれは喜ばしいことだ。だがある意味ではそうではない。
彼は、この大人物は、乗り越えるべき敵なのだから。
米国の誇りソニックユース、闇の処刑人スリップノットを倒すことは必須条件だ。そしてその上で、この人物を上回りクリムゾンを手中に治める。それがどれほど難しいことか。
寧人は今回の戦いの難しさに不安を覚えながら、ビッグとともに『楽しいディナー』へ向かった。