俺はお前が嫌いだ。
表彰と人事発令を受けたその夜。
寧人は意外な人物と意外な場所にいた。
そこは、メタリカ本社からほどタクシーで移動すること十数分、汐留。その中心部にある高級ホテルのバーだった。
寧人はこんなところにきたことはない。高級感のある厚い木製のカウンター、皮の椅子。
バーテンダーの背後には無数の聞いたこともないボトルが並んでいる。
本来は今夜はアニスの発案でチームの本社帰還とFA権取得のお祝いを行うはずだった。いや、もう行われているはずだ。寧人は遅れて参加することになっていた。
何故かというと、その場に向かう途中、話がある、と、ここに誘われたからだ。
「そう時間はとらせない。お前も聞いて損はしないと思うがな」
そう言われては仕方がなかった。が、誤算だったのは、連れてこられたのがこんな高級そうなバーだったことだ。
一杯1000円? 冗談だろ。やばい。金足りるかな。と余計なことを考えさせられる。
「……なあ、池野。話ってのはここじゃなきゃダメだったの?」
寧人を連れてきたのは同期入社の池野礼二だった。池野は企画部のあとグローバルレベニューマネージメント部に最年少の課長として異動しており、そのすぐれた能力で他国の勢力との共同作戦を多く成功させ、功績をあげていた。現在の彼のレベルは4。
寧人と同じく、だが対象的な経歴を持つ、メタリカ異例の若手管理職の男である。
彼のたてた戦略や、あるいは実行した戦術については寧人も知っている。どれも卓越した手腕のなせる業だった。ある面では、感心もしているし、尊敬もしている。
しかし話をするのはハリスン攻略戦前の合同会議で言い争ったのが最後だった。
「人に聞かせられる話じゃないんでな。ここなら安心だ。マスターは俺の知人で、信頼できる人だ」
いや、それならおでん屋でも大丈夫だと思うのだが…
「ご注文は?」
池野の知人というマスターは注文を聞いてきた。
「俺はギブソンを」
どうやらメニューはないらしい。池野は慣れた仕草でよどみなく謎の酒を頼んだ。とても洗練されていてかっこいい。と感じさせられた。
「え、あ、俺は…芋焼…コイツと同じものをください」
多分、飲みなれているものは置いていないのだろう。
「かしこまりました」
出てきたのはやたら小ぶりなカクテルグラスだった。そのなかにはなにやら丸い物が入っている。
「……池野、この丸いもの、なに?」
「知らないで頼んだのか? お前、本当にどうしようもないな。それはパールオニオンだ」
「オニ…タマネギ? マジで? 酒に玉葱いれて飲むの?」
「……」
「ま、いいけど」
ギブソン、をすこし口に含んでみる。
意外と、美味しい。
「旨いね。これ」
「はっ、それは良かったな」
とはいえ、別に池野とは仲良く酒を飲むような仲ではない。それに仲間たちのお祝いの席にもいかなきゃならない。
「で、話ってのはなに?」
だから早々に核心に迫ることにした。
「ああ、お前、FA権を取ったんだろ?」
どうやらさっさと済ませたいのは池野も同じらしい。寧人の目を見ず、池野は話し始めた。
「……流石だな。なんで知ってるんだ?」
「口が軽い女は役に立つ。総務部の女性とは仲良くなっておいたほうがいい、お前もな」
どうやらやっぱりこの人はモテるらしい。自信満々だ。反感を覚えないでもないが、それは今重要なことではない。
「覚えておくよ。それで?」
「今年度の下期から、開発室が二分される」
「え?」
開発室。それは改造人間及び各種武装や特殊機具の造成と改良、メンテナンスを行うメタリカの重要部署である。
営業部をはじめとするあらゆる部署へ派遣される怪人と武装はここで造られている。元々はプロフェッサーHが開発責任者としていたのだが、今は違う。ある程度軌道にのったあとはプロフェッサーの助手だったものにまかされているらしい。
「開発室が? 二つに分かれるってのか? なんでさ」
「…開発室は、もう何年も前から行き詰っている。天才といわれたプロフェッサーHが組織の運営に深く係わるようになり、開発室を去ってからはな。彼が開発室に残した貴重なデータや資材をもとに現状を維持する程度の改造人間は生み出されているが、それだけだ。メタリカの戦闘力は頭打ちになっているといえるだろう」
池野は説明が上手い。それからしばらく話を聞いて、寧人も理解した。
現在の開発室は、プロフェッサーHの残した遺産をもとに、最低限の実績を残し続けている現状をブレイクスルーするために、組織形態の改革に乗り出すことにした、というのだ。それは開発室を1課、2課にわけ、互いに異なるコンセプトの怪人、兵器案を競わせ開発させる。というものだ。
やや荒っぽい気もしたが、寧人にもわからないではない理屈だ。競争がよりよいものを生みだす、ということもあるだろう。
「お前も知っているな? 真紀が改造人間のコンペに参加しているのを」
池野がいつのまにか真紀さんを呼び捨てにしていることがすこし気にはなったが、今はそこには触れないことにした。
ギブソンとやらを口に含み、寧人は頷く。
「あのコンペは残り二案まで絞られている。真紀のコンセプトがそのうちのひとつだ。二分化される開発室の最初の仕事が、このコンペの決着をつけることだ」
池野はギブソンを一息に飲み干し、別の酒、おそらくウイスキーだろう、を注文した。
寧人はマスターの後ろ外国のビールらしき瓶をみつけ、それを頼む。
「二案を二つの開発室に、競わせる、ってことだな?」
「ああ。そうだ。そしてこのコンペの勝者の怪人コンセプトは今後のメタリカの改造人間のプロトタイプになる」
寧人の頼んだ外国のビールがカウンターに置かれるて陶器のグラスに注がれる。が、まだ飲まない。
「すごいなお前」
池野の情報量には感服するしかなかった。だが疑問がある。寧人はこちらから質問を投げかけた。
「それで、お前は俺に何が言いたいんだ?」
「……俺は次の人事で開発室1課長になることが内々に決まっている」
「……へぇ」
「そして、2課の課長候補は決まっていない」
「なっ!?」
ここまで聞けば、池野の言いたいことが寧人にもわかった。
寧人は現在FA権を取得している。希望する部署があり、かつその部署でポストがあれば異動は叶う。FA権とはそういう制度だ。では、開発室の二課制導入を知らないはずの寧人が開発室を希望したら、どうなるのだろうか?
池野はウイスキーグラスをカランと鳴らし、続けた。
「このコンペの勝者は今後のメタリカで大きな力を持つことになる。勿論俺が勝つがな」
わからなかった。寧人にはわからなかった。
「池野…、お前、なんで俺にこんなことを教える?」
自分と池野は同期ではあるが、仲がいいわけではない。
彼は自分をバカにしていたし、俺は彼の戦略を否定したことがある。
池野は寧人の質問に答えず、無視してウイスキーを飲み干し、おそらく二人分であろう会計をすませ始めた。
「おい」
脱いでいたジャケットを着て、池野は帰り支度を始めた、そして去り際にこう言ったのだ。
「俺はお前が嫌いだ。負ける気もしない。それだけだ」
吐き捨てるような口調だった。
寧人の前に注がれたビールはもうぬるくなっていた。
寧人はなんとなく、ラーズ将軍とプロフェッサーHのことを思い出した。
悪党ってのは、みんな同じなのかな、と思った。
いや、なにか、違う気がする。そうも、思った。
※※
池野礼二は負けるのが嫌いだった。
裕福な家に生まれた彼は、生まれ持った性質なのか、少年時代から負けるのが嫌いだった。
スポーツでも成績でも、あるいは女性にモテるかどうか、ということまで。
いつからそうだったのかわからないが、弱い自分が許せなかった。弱ければ、自分ではない誰かのいいようにされてしまう。望んでもいない世界に身をおかざるをえなくなる。強ければ、自分の望む世界に身をおける。
侮蔑ではなく賞賛が。
泥水ではなくスポットライトが。
俺は後者のほうが好きだから。
強くあることは、自分を保つことだ。そう思っていた。
だから彼は、同時に努力家だった。学問を怠ったことはないし、武術の稽古にも熱心だった。常軌を逸している、と両親に言われたこともある。
才能、とやらもすこしはあったのかもしれない。努力の成果は出た。
学業成績は全国トップレベル、剣道ではインターハイを制した。
スマートな物腰を心がけ、女性にもモテた。
お前はナルシシストだ。といわれれば否定できないことは本人も知っている。1*「ナルシシズムの人」という言葉ですので「ナルシシスト」となります。
それの何が悪い? 常に望む自分でいたい。そのためには努力は惜しまない。
むしろ、その努力をせず、光を望みながらも泥のなかに自ら身をおく者が理解できなかった。
俺が異常? おかしいのはお前らのほうだ。
『ああ、いいよな。お前は。エリートだもんな。イケメンで、スポーツ万能で、人生イージーモードじゃん』
そんな視線を受けたことは数え切れない。虫唾が走った。
強さを求めた結果、池野はメタリカにきた。
鍛え上げた頭脳と腕を振るうに最高の場所だ。
そこで知り合った男がいた。
最初、なんの能力もなさそうな男に見えた。弱い自分を許容しているような男で、バカにして当然の男だと思った。
次にあったとき、男はすこし変っていた。
苛烈で獰猛な意見をぶつけてきた。弱いはずのその男は、世界を変えると宣言しているらしい男は、立ちふさがるものは徹底的に叩き潰すのだ、それの何が悪いと強く述べてきた。
男は、悪の限りをつくして世界を変えると述べた。
池野はメタリカにいながら、世界を変えたいと本気で思ったことはなかった。
そんな必要などない。自分が強くありさえすれば、世界の有り方などどうであろうと問題ない。望む自分でいられるのだから。
池野は優秀である自負がある。過激で非道な方法など取らなくても、メタリカで功を立てることは出来る。そうすれば所属しているメタリカにも利益を与えられる自信があるし、それによって自分は評価され、強い自分でいられる。
だがあの男は違う。
一見か細いあの男は、悪意というたった一つの武器で、『世界のほうを』変えようとしている。そしてそれは、着実に進んでいる。
あの男は、自分とは相容れない存在だ。
だから、池野は、小森寧人という男が、嫌いだった。
池野は嫌いなキャラじゃないです。