おでん、とか
静かな部屋があった。首領室、と呼ばれるその部屋で、男が瀟洒な椅子に腰掛けていた。
老人、といってもいいほどの年齢のその男は、彼を長とする組織のシンボルである鋼の翼のレリーフを背後に置き、書類に目を通していた。
書類には、彼の部下たちのデータが記載されている。一度目を通した書類を、右、左にわけて置いているところをみると、区分けのような作業をしていようだった。
「…ほお」
男の手が止まる。
小森 寧人
2113年4月 一般公募にて入社。庶務課に配属
2113年8月 第二営業部異動
2113年10月 コアレベル2に昇進
事務能力:C 戦闘能力:D 改造適正:未検査
指揮能力:C+ 特殊技能評価:E 総合評価:D
担当管理職所見
ディランとの交戦経験で実績を上げ第二営業部に異動。営業部での評価は上々。企画部池野との合同プロジェクトにてハリスン攻略戦を担当。陣頭指揮をとり、ビートル撃破に貢献する。やや社会性に欠け、時折直情的な傾向あり。実戦時に率いた庶務課からの評価は高く、発想力に光るものあり。能力に比して多大な功績をあげており、今後に期待。
特記事項:クリムゾンからの交流人員 アニス・ジャイルズをアシスタントとしており、要注意事項。
「……ああ、あのときの小僧か」
男は、寧人の書類を右にわけた。次の書類に目を通す。
池野 礼二
2113年4月 米国選抜試験をへて入社。企画部へ配属。能力、経験からコアレベル2にて採用。
2113年9月 コアレベル3に昇進
事務能力:A 戦闘能力:B 改造適正:A
指揮能力:A 特殊技能評価:A 総合評価;A
担当管理職所見
幹部候補として申し分のない能力を入社時から発揮。高い戦略立案能力と決断力を有しており、すでに複数の戦略推進を担当している(別紙参照)。高い戦闘能力、改造適正から前線で戦うことも可能なバイタリティをもつ企画部のエース。ハリスン攻略戦、ビートル撃破においては総合戦略立案を担当し、戦果を挙げる。
特記事項:総務部香川、経理部平澤、開発室チェルシーと恋人関係にあり。
「ふむ。よく出来た人材じゃ。英雄、色を好むともいうしの」
男は、池野の書類を左にわけた。
「どれ、つぎは…ほほー。美少女だのー」
黛 真紀
2113年4月 米国選抜試験特殊部門(開発)をへて入社。総務部へ配属
事務能力:B 戦闘能力:E 改造適正:C
指揮能力;D 特殊技能評価AA 総合評価B
担当管理職所見
本人の希望とは異なる総務部門へ配属となりましたが、くさることなく精一杯やってくれています。穏やかで人柄もよく、社内の人気は抜群です。他の同期と比べ年少ですが、社会性、実務能力ともに及第点です。本人は怪人開発関連の部署を希望しており、またMIT時代の経歴、能力ともに申し分ないものを持っているため、可能なかぎり希望を優先させてあげたいところです。
特記事項:サバスのハーフです(母方)。次年度に予定されている改造プロジェクトのコンペにエントリーを希望しています。
「ふむふむ。この子は…左、かの。なにせ美少女じゃ。多少の贔屓は仕方なし」
※※
寧人はハリスン攻略での激闘を終えたあと、情けなくも倒れてしまい、二日ほど会社を休むことになってしまった。
休んだあと職場に戻るのは緊張するものだ。寧人はびくびくしながら第二営業部に出勤した。
「ネイト! もう良くなったの? 良かったー。待ってたよ!」
「あ……うん」
アニスは相変わらず素敵な笑顔で接してくれる。どうやらビートルを倒した卑劣な手段がこの子にかっこよくみえたらしく、先日お見舞いに来てくれたときも前より好意的になっている気がする。
やばいぞ。クリムゾンのボスの耳に俺のことが入ったら…、という恐怖とは別に。へへへ、参ったなぁ…とニヤニヤしたくなる気持ちもないではない。が、それは表に出してはいけない。だって怖いからだ。
寧人は迷惑をかけたであろう部のメンバーに挨拶をしてまわることにした、最初は部長の泉だ。
「おはようございます。部長。こ、このたびは突然休みをいただき、ご迷惑をおかけしました」
「ああ。回復したなら何よりだ。それより、今回は良くやったな。宣言どおり、見事ハリスンを攻略して、ビートルも討ち取った。たいしたもんだと思うよ。無理を通した俺の面子もたったよ。ありがとう」
泉は会議ですごんできたときとは別人のようににこやかだ。
「あ、ありがとう、ございます。部長があのとき、後押ししてくれたおかげです」
事実だった。もし寧人がしくじっていれば、泉とてただではすまなかったはずだ。それでも俺を押してくれた。この普段穏やかな男が、修羅のような表情で無理を通してくれた。
寧人は始めて、上司、というものに気骨を感じていた。
「みんなも聞いてくれ。全社的には企画部の功績となってしまったが、これは紛れもなく小森くんの努力の成果だ。今は仲間を称えよう」
「よくやったぞ。小森」
「奇跡だな」
「俺、お前絶対死んだと思ったわ」
「庶務課上がりの意地を見せたな」
「レベル2昇進か。並ばれちまったじゃないか」
営業部の者たちは、口々にそれぞれの言葉で小森をねぎらい、拍手を送る。
「……ありがとうございます。これも今回後押しをしてくれた泉部長はじめ、皆様のご指導があったからこそです。これからも頑張ります」
寧人はそう答えるだけで精一杯だった。泣いてしまいそうだったからだ。
勿論わかっている。もしビートルに負けていたなら、俺は粛清されていた。今はにこやかな泉が修羅の形相で俺を糾弾したはずだ。それにそもそもやったことは社会的にほめられるようなことじゃない。わかっている。ただ、涙が出そうになっただけだ。
その後はとりあえず、寧人は事務処理に追われることになった。
「お疲れ。お前まだ帰らないの?」
「あ、ちょっと…報告書がまだで…」
「手伝おうか?」
「いえ、もう本当にこれで終わりなんで……」
他のメンバーたちは次々と帰っていくなか、一人残業をする寧人。就業時間を3時間ほどすぎて、やっと終わりが見えた。就労経験がないだけあって、その辺の事務仕事は人の3倍は時間がかかる。
「あー…疲れた。俺ってやっぱダメかもしれん」
独り言を呟き、帰宅しようとした寧人だったが、営業部のロックをかけたそのとき、廊下にたたずんでいた人影に気付いた。
「うわっ!? …び、びっくりした。 真紀さん?」
同期入社の黛 真紀だった。だいぶひさしぶりで、直接話したのはディランとの交戦後に入院してたとき以来だ。
本社に異動になってからも、遠くで見かけたことはあるが話をしたことはなかった。正直言うと試みようとしたことはあるのだが、嫌がられるかもしれないし、照れて変なこといいそうだし、あんなことを言った手前、きまりが悪いとも思っていた。あと、忙しくてそれどころ
「ご、ごめんなさい。…あ、えっと、その…お疲れ様です」
真紀は寧人に気付き、あたふたとした様子を見せる。今日は白いセーターにスカート姿だったのだが、スカートのすそをつかみなにやらもじもじとしている。
「? お疲れさま。どうかしたの? 営業部に何か用?」
「いえ、あの……」
「あ、もしかして俺に用事? ごめん申請書不備とか?」
「違います!」
「?? もう遅いから帰ったほうがいいと…」
「あの!」
「な、なに?」
「寧人くん、本社に異動になったんだから、一度くらい私のところに来てくれてもいいじゃないですか」
なにやらむくれているようだった。
「何回か営業部に行ってみたんですけど、いっつもいないし」
つーん、と不満げな顔をみせる真紀。
「ご、ごめん。色々あって」
寧人は戸惑った。そんな風に思っているとは少しも思っていなかった。社会人というのは、同期入社というのは社会通念上そうしないといけなかったのか、知らなかった。そんな風に考える。
「もーっ。心配してたんですよ」
じっと、こちらを見つめてくる真紀。アニスにはだいぶ慣れてきたのだが、やはり女の子と話すのにはなれていなかった。
「え、ごめん。んじゃぁ…えっと、あの…」
狼狽する寧人。真紀はそれをみてくすっと笑った。ああ、よかった本気で怒っているわけではなさそうだ。
「ふふ、もういいですよ冗談です。それより、あの、これからゴハンでもいきませんか?」
は? さらに急な展開だった。
「え? もしかしてそれで? 俺を待ってたの?」
「……そうですけど。そういうことは聞かないでください」
「声かければいいのに」
「…だって、すごくマジメそうに仕事してましたし。あんな顔もするんですね。寧人くん」
意味がわからなかった。思わず寧人は黙り込んでしまう。
「むーっ…あ! 聞きましたよ! すごい作戦成功したって! それです! お祝いです!」
「あ、ああ。なるほど。そういうことか。ありがとう。あ、じゃあ同期だし、池野も誘おう。あいつの連絡先知ってる?」
「あー…池野さんは今日、幹部の方々が開いてる祝賀会に出てるんですよ」
「そっかー」
そういえば部長が言っていた。今回のことは企画部の功績となっている、と。まあ実際立案したのは企画部なので、それも仕方ないだろう。
ついでにいうと寧人が休んでいる間に、池野はしっかり自分の功績の社内宣伝も済ませていたらしい。さすがだなー。と思っていた。
「寧人くんも、もっとアピールしてもいいと思います」
「え? いいよ別に。そういうのはどうでも」
「と、いうわけでですね。小規模なんですけど、いきませんか? 祝賀会、っていっても、二人だけですけど」
「…」
「だ、だめですか?」
そんなわけなかった。嬉しかった。ちょっと感動して喋れなかっただけだ。
この人はホントに親切な人だな。と思った。
しかも相変わらず可愛い。とても悪の組織の一員とは思えないほど清楚で清らかな少女だ。一緒に歩いているだけでちょっと鼻が高いかもしれない。二人で食事に行って間がもつのか、俺といってこの人楽しいのか、という不安もあるが、それで断るほど寧人はバカではない。
「いやいや。行こう! ありがとう。嬉しい」
そう答えると真紀の顔がぱっと輝いた。まるで花が咲いたようなその表情に、寧人は一瞬、自分の鼓動が強くなったことに気付いた。
「うん! よかったです。じゃあ行きましょう。寧人くん、食べたいものとかありますか?」
少し考える、女の子って何が好きなんだろう。なんかいい感じの店じゃないとダメなのか。いかん、今月の給料はもうないぞ。一般職の給料は安いんだ。
色々考えたが、寧人の頭に浮かんだものはいつもと変わらなかった。
「……おでん、とか」
「おでん、ですか?」
「……ダメ?」
「そんなことないです! わたし大根とか大好きです!」
へぇ、俺と同じだな。寧人は真紀の言葉をうけ、少しだけ、ほっとする。ああ、癒し系ってこういうことか、なんて思った。