22.5話 バカはアンタだ
書籍化(再)(改)することになったので、記念&宣伝の短編です。
ノベルゼロ版は黛さんの出現率も変わるので、彼女の話となります。
書籍化? と思われた方は活動報告などもご覧いただければ幸いです。
人事異動に伴う送別会、というのは多くの会社員が参加した経験があるものだ。
が、つい一年前までニートだった寧人は当然経験したことがなかった。
そんな彼にとって初めて参加する『会社の送別会』で、送られる側に自分がたつということは予想外だった。
庶務課らから営業部に異動してきてわずか半年。毎日仕事に慣れようと悪戦苦闘しているだけで日々は飛ぶように過ぎていき、気が付けば今夜。
「というわけで、小森は沖縄に行っても頑張れ」
やや雑な感がありながらも彼らしいと感じさせる部長による締めの挨拶とそれに続く乾杯が行われ、営業部の先輩社員たちが口々に激励の言葉をかけてくれた。
「は、はい。ありがとうございます」
正直に言うと、寧人は少しだけ泣きそうになっていた。実際に涙なんてみせたら恥ずかしすぎるので我慢していたが、それくらい、感傷的な気持ちになっていた。
短い間だったが、営業部の先輩や上司は荒っぽいながらにも色々なことを教えてくれて、ビートル攻略戦のときにだってバックアップしてくれた。劣悪極まりない職場だった庶務課時代とは違い、営業部メンバーは寧人にとって生まれて初めて『仲間』と言える人たちになっていたのだ。
寧人が異動を決意したのは目指すことがあるからだが、それでも。
こうした場に慣れていない寧人はなんだか切ない気持ちになっている自分に気づいていた。
なので。一次会の店を出た直後に一人の先輩から言われたことは予想外だった。
「おう、小森。お前、今日は二次会来なくていいぞ」
「え、なんでですか? 杉山さん」
営業部の飲み会は基本一次会だけで終わることはない。大抵の場合、このあとはキャバクラとかバーとか、ラウンジとか、そういう場所になだれ込むのがお約束だ。
そして寧人は一番下っ端であるため、ほぼ毎回連行されるように連れていかれてしまっていた。
女性がいるようなお店はあまり得意ではない寧人なので、普段はあまり嬉しくない慣習なのだが、今日くらいは最後まで付き合おうかな、と思っていたのだ。
「なんでってお前……」
そう言って杉山が指し示す方向には、一人の女の子がいた。
バカ騒ぎする営業部のメンバーにちょっとだけ困ったようにしつつも穏やかな微笑みを浮かべている彼女。寧人の同期である黛 真紀だ。
今日は営業部の送別会なのだが、寧人と同期ということで真紀はこの場に呼ばれている。
ちなみにもう一人の同期である池野にも一応声をかけたそうだが、当然のようにいない。
寧人としては、こんなのに来てくれるなんて真紀さんは相変わらずなんていい人なんだろう、と思っている。
「真紀さんが、なにか?」
寧人の質問に杉山はため息をついた。
「はぁ……。お前なぁ。黛ちゃん、せっかく来てくれたのに、お前全然話してねーだろ。それに二次会とか行ったらどうせ終電間に合わないし、そもそも俺らの二次会に参加させたら黛ちゃん可哀想だろ」
「えーっと、まあ、はい。そうですね」
真紀はまだ二十歳になったばかりだし、どちらかと言えば落ち着いていて静かな人だ。だから営業部のノリは苦しいと思う。いや、俺もだけど。
「けどもう時間遅いし、一人で帰らせるの危ないだろ。だからー……ちっ。お前、駅まで送っていけ。で、もうこっち戻るな」
「え」
「っかー。お前なぁ、俺に感謝するとこだぞここは。いいな。先輩命令だからな!」
杉山は最後にそれだけ言うと、急に場を仕切りだし、他のメンバーを次々にタクシーに放り込み始めた。多分、この前も行ったラウンジを貸し切っているのだろう。
そして、気が付けばその場に残されたのは寧人と真紀の二人だけになっていた。
「……えーっと……」
他に誰もいなくなったので、話ができる距離まで一応近づいてみる寧人
「は、はい!」
さっきまでは去っていく営業部の人たちのタクシーに手を振ったり頭を下げたりしていた真紀は、妙に緊張したような返事をしてきた。
「? どうかした?」
「いえそのあの……。寧人くんは、二次会いかないんですか?」
真紀はなにやらソワソワしている。体の前で両手の指をあわせて、指先はこうワシャワシャっと謎の動きをしている。彼女にしては落ち着きがないようだ、もしかして結構酔っているのだろうか。
「うん。なんか……。そうみたい。だから、駅まで、えっと、送っていっても大丈夫?」
寧人がそう答えると、真紀の顔色が一瞬で赤みを増した。やっぱり酔っているみたいだ。
「だだだ、大丈夫です。というか、その! ぜひよろしくお願いします」
もともとが色白なので、桜色に染まった彼女の頬がやけに印象的で、寧人はなんだか恥ずかしくなって目をそらした。本当は見ていたかったけど。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
短い会話を終えて、二人で並んで歩き始めた。
寧人はもともとお喋りが得意なタイプではないので、無言のままで。
真紀も、疲れているのか顔を赤くしてうつむいたままで。
女の子はずいぶん歩くの遅いんだなぁ、なんてことを思いつつ、寧人は彼女にあわせて出来るだけゆっくりと歩いた。
週末の繁華街は賑やかで、キラキラしていて、うるさい。
でも不思議なことに、そんな喧騒があまり気にならない。
真紀の歩いている自分の左側だけが、少しだけ温かい気がして。空に浮かぶ満月の照らす光が柔らかくて。
自然に言葉が出た。
「あのさぁ」
「あのですね」
偶然、同じタイミングで声をかけてしまった。酒が入っているせいか、そんなことが面白くて、ちょっとだけ笑ってしまう。見れば、真紀も同じようで、クスクスと嬉しそうな表情を浮かべてくれた。
「ごめん、なに?」
「ふふっ。いえ、寧人くんのほうこそ。お先にどうぞ」
そう言われても、なにを話そうとしたのか思い出せない。なので、寧人はなんとなく当り障りのなさそうなことを口にして、普通の会話が始まった。
自分たちがメタリカに入ってもう一年が過ぎたこと。
真紀の仕事についての質問。
沖縄行くのは初めてだけど、一応海くらいには行こうと思っていること。
焼酎はやっぱり芋なこと。
目玉焼きに何をかけて食べるか、ということ。
真紀も色々な話題を振ってくれた。
来年度の改造人間コンペに参加すること。
最近は料理の腕がちょっとだけ上達したこと。
実は泳げないこと。
先月ハタチになって初めてお酒を飲んだこと。
目玉焼きにはオリーブオイルと胡椒をかけること。
真紀もお喋りなほうではないので、会話が激しく盛り上がる、ということはなかった。
でも、ポツポツと話して、たまに小さく笑い合う雰囲気が楽しくて、穏やかな気持ちになれた。
これから寧人は転勤するわけなので、今夜が終われば彼女に会うこともなくなるのだろう。
もう少し、駅まで遠くてもいいのにな。寧人がそんなことを思っていると、真紀がふと話題を切り替えた。
「あ、あそこのお店、総務部の先輩から聞いたんですけど、焼酎の品揃えが良くて、でもリーズナブルバーなんだそうです」
「どこ? あー、なんか良さそうなお店だね」
焼酎バー(しかも安い!)というのは気になる。出来ればもっと早く知りたかった。なにしろ寧人はすぐに沖縄に赴任するわけなので、そのお店に行く機会は当分ないだろう。
焼酎バー、店名は「夏目」。うん、名前だけは覚えておこう。
「そ、そういえば、寧人くん。もしかして今日はあんまりお酒飲んでないんじゃないですか?」
何故か真紀は緊張した表情を浮かべていた。胸のあたりで小さく両方の拳を握ってもいる。そんな深刻な質問だろうか。
「あー、うん。いつもの営業部の飲み会ほどは飲んでないかもしれない」
寧人は二次会以降にも参加するつもりだったくらいなので、たしかに若干飲み足りないではある。
「そうですか! かなー、と思ったんですよね」
真紀がなにやら嬉しそうな顔をした。なんというか、それはとても明るくて、可憐で。
寧人はバレないようにそんな彼女を横目でチラチラと見た。
見ていると、真紀のほうもこっちを見つめてきたので慌てて目をそらす。
「じゃ、じゃあですね……!」
「うん。だからコンビニで酒買って帰ろうとか思って」
「えぇっ……?」
真紀は何故か叱られた仔犬のような目になった。肩をがっくりと落としてもいる。
「あ、真紀さん、そこ段差が」
だから、彼女は寧人の言葉への反応が少し遅れたようだった。
結果、真紀は歩道の段差に小さくつまずいてしまい、寧人は慌てて彼女を支えた。
「ご、ごめんなさい」
「や、大丈夫……」
予想外の密着状態に、寧人はなにも考えられなくなった。
触れてみると予想よりもずっと華奢で柔らかい真紀の腰の辺りや、寧人の肩のあたりに触れている膨らみ、柑橘類のような彼女の香りに、戸惑ってしまう。
「……寧人くん……」
それに真紀のほうも、どこか怪我でもしたのか、酔っていてダルいせいなのか、すぐに寧人から離れようとはしなくて、でもこっちをじっと見つめてきていて、それがまた焦る。
腕の中にいる彼女の濡れたような蒼い瞳と形がよく瑞々しい唇が嫌でも視界に入ってくる。いや、全然嫌ではないのだが。
どうしよう。どうするんだこの状況。やばい、なにか言わないとヤバいし、そもそもさっさと離れないとキモイのではないだろうか。しかし、突き放すのも失礼だし、第一怪我してたりしたら危ない。あー……とりあえず何か言わないと変質者みたいじゃないか。
と、混乱する寧人はとりあえず視線を空のほうにずらした。で、最初に目に入ったものについて口にした。
「つ、月! 今日、満月みたいだよ。えーっと、ほら、綺麗じゃない?」
何言ってるんだ俺。月とかどうでもいいだろ明らかに。いや、本当に綺麗だし、実はさっきからそれを共有したいではあったけど、この状況でそれとか意味不明すぎる。
「月……え、月、ですか……?」
「……ごめん。正直テンパって……」
「ですよね……もー……。ふう、ですよ」
真紀はなにやら思案するような顔を浮かべたあと、ため息をついてから寧人から離れた。が、すぐに笑ってくれた。
「仕方ない人だなぁ……寧人くんは」
「え?」
「いいです。もう。だって、また会えますもんね」
「多分……。ずっと沖縄ってことはないと思うし、本社にも戻るつもりだし」
「ふふふ。そうですね。寧人くんは、前と上しか向いてない人ですもんね。あんまりそうは見えないのに」
その笑顔は、透明感があって、どこかイタズラっぽくて。年下で少女の面影を残している真紀なのに、ちょっとだけ色っぽくすら感じた。
そして彼女はこう言った。
「そうですね。寧人くん。月が、綺麗ですね」
その声はまるで鈴のようで、耳にも心にも、深く染み込んでくるようだった。
※※
「って、ことがあったな。営業部時代の送別会でさ」
「念のため聞きますけど、先輩、そのあとどうしたんすか?」
「うん。転んだから真紀さんのヒールが折れてさ。タクシー呼んで返したよ」
「……はぁ」
「……やれやれ」
寧人が話し終えると、対面に座っている部下二人、ツルギと新名は低い声で感想を言った。あきらかに呆れ果てている、という顔つきだ。
「なんだよ、それ。ツルギお前が、女の人を抱いたことあるかとか聞くから俺は……!」
「はいはい。っつーか、まずツルギさんが言ってる『抱く』はそういう意味じゃないっすよ」
「タクシー代か! それは俺が払ったぞ」
「そんなことは当たり前ですよボス。俺たちが言っているのはその前の話だ」
赴任先の沖縄の居酒屋。新名はビールを、ツルギは日本酒を煽ってから再度ため息をついた。
「先輩……バカじゃないですか?」
「えぇ……? なんだよそれ。バカって言うやつがバカなんだぞ」
「言いたくないがボス。バカはあんただ」
ツルギの発したその言葉には、有無を言わせない重さがあった。
どうやら、俺は、バカだったらしい。
よんでいただいてありがとうございました。書籍版もできればよろしくです。
またついでに宣伝も。以前集英社さんの新人賞に出して四次落ちした拙作「俺のラノベをうけてみろ」
(旧題:クロガネの吟勇詩人/加筆改訂版)を供養として完結まで全話一気に掲載しました。
よろしければこちらも読んでいただけると嬉しいです。
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