44.5話 ハーレムくらいつくりゃいいっすよ
懐かしくなってもう1話
時系列的には、アメリカ編最初らへんの話です。
ニューヨークへ転勤になって初めての休日。
だいぶ遅い時間に起床した新名数馬は、借りている部屋の周囲、つまりはマンハッタン区アッパーイーストサイドを歩いていた。
別に観光に行こうと思ったわけではない。たとえばブロードウェイだとかタイムズスクエアだとか、いかにもニューヨークな場所にいくのはかったるい。それに、どうせしばらくはこの街に住むことになるんだし、行きたくなったら行けばいい。
新名はそう考えていたので、ガツガツとあちこち見て回るつもりはなかった。そういうのは、余裕がない人がすることだ。
なので、新名が今歩いているのは、単にコーヒーを買いに行くためだった。マンハッタンの富裕層の住宅が集うアッパーイーストサイド、新名が高級アパートメントを借りているこのエリアなら、コーヒースタンドくらいすぐに見つかるだろう、と考えてのことだ。
ちなみに、一緒にこっちに赴任してきた先輩の小森寧人はこの地区には住んでいない。なんでも『家賃が高いから』とのことだった。
仮にもメタリカの重役であり、米国最大の悪の組織であるクリムゾンでも幹部級の待遇を受けているにもかかわらずの発言だ。
意味がわからないっすね、と本人に言った新名だったが、先輩らしいな、とも思っていた。
多分、先輩は家賃がどうこういうよりも、もっと雑多でチープなところのほうが落ち着くんだろう。変な人だ。まぁ、俺には関係ないけど。
つか、マジでこんなとこまで来ることになるとは思わなかった。それはマンハッタンの高級住宅街という意味ではない。悪の組織の構成員として米国を左右する立場まで来てしまったことが、という意味だ。
人事上のたまたまの結びつきで、下につくことになったあの人。それについていったらいつの間にかやべーことになっている。
「……ははっ」
そんなことを考えていたら、新名は笑ってしまった。なにやってんだ俺? とか思う。
新名は別に、現状が嫌なわけでもないし、後悔しているわけでもない。適当になんでもこなせる自分の器用さを買ってもらい、なんとなく面白くてなってきて、ちょっとだけ真面目に仕事しているうちに、わけのわからない世界まで来てしまった。
ふだんはお人よしなのに時々ぞっとするような顔をみせる先輩のことをどう思っているのか、まだはっきりしていないのに。
自分は、熱くなりきることもなく、ぷすぷすと燻るような気持でしか仕事をしていないのに。
なんだからしくもなく、モヤモヤしてきたしまった。
「あれ? ニーナ?」
不意に、新名の背後から声が聞こえた。見れば、道向かいには同僚の女の子がいて、なにやら嬉しそうにこちらに小走りで駆け寄ってくる。
「おはよ、ニーナ♪」
「アニスさん、うぃーっす。どうしたんすか? こんなとこで」
アニス・ジャイルズ。彼女は新名の先輩である小森寧人のアシスタントを務めている人だ。
新名とアニスのメタリカ内での序列は一応は同格ということになっているし、アニスは新名よりも年下だ。でも新名は彼女に対して、彼なりの敬語を使って接している。
「お買物だヨ!」
「そっすか。何買うんすか?」
新名は寧人とは違って、コミュニケーション能力が高い方だし社交的だ。だから、知り合いとあったら明るく会話をする。それに新名はアニスにたいして、うすぼんやりとした『ある感情』を持っていることを自覚してもいた。
「うん! えっとねー。さっきパパから連絡があってね。今夜、ネイトがうちに来るんだって! だから、ディナーの材料を買いに!」
アニスは大きな買い物袋を抱えていた。
なるほど、たしか先輩は今日、アニスさんの父親のミスタービッグと一緒に仕事をしているはずだ。さっきまで寝ていた自分とは違い、管理職は休日出勤もつきものだ。
多分、仕事中の会話の流れで夕食に招待された、ということなのだろう、と新名は推測した。
「へー。アニスさんが料理するんすか?」
「そうだよ! 最近勉強中なんだー♪」
アニスの笑顔は幸せそうだった。そして、女慣れしていてそれなりにモテる新名からみても、彼女は華やかで甘い美少女でもある。
アニスさんは寧人のことが好きだ。
それはもう、誰がどう見ても好きだ。恋心がオーラとしてみえるのなら、きっと年から年中ピカピカに光っているほどに。もちろん、それが分からない新名ではない。
「先輩も幸せもんすよねー」
そんな感想が新名の口から漏れた。社交辞令が半分だけ。
「そ、そうかなー……えへへ♪」
頬を赤らめて笑うアニスに苦笑してしまう新名。
メタリカ内の序列では同じだったとしても、自分は小森寧人の後輩であり、一方でアニスはその『恋人』『愛人』とかそういう立場の方が近い。もちろんあの朴念仁な先輩なので、実際にそうなっているわけではないが、少なくともアニスのほうがそうなりたいと思っていることは間違いないし、候補といっても差し支えないだろう。
普通、先輩の彼女には敬語を使うものだ。新名はそう思っている。だから彼は、アニスにため口で話すことはなかった。
「ニーナは? どこかいくの?」
「あー、いや、コーヒーでも買いに行こうかと思っただけっすよ。あー、荷物持ちでもしましょうか? 俺暇っすから」
新名は女の子には優しい。だから、これも半分は反射的に提案していた。
「ほんとに? いいの?」
「いいっすよ。だってたくさん買うんですよね?」
ちょっとミスったかな、微妙にめんどくせー。とは思った新名だったが、頬をぽりぽりと掻きながら答えた。
「わーい! やったー♪」
アニスは、そんな新名に満面の笑みを見せて、ぴょこぴょこと飛び跳ねた。
なんでそんな喜ぶのかイマイチわからなかった新名だが、続く言葉で理解した。
「じゃあねじゃあね。ネイトの好きな食べ物とかお酒とか、教えてね!」
「やー、アニスさんのが詳しいんじゃないっすかね?」
「じゃあ、二人で協力しヨ!」
あー、なるほど。いやいや、ふう。純粋すぎる恋心にお兄さん照れちゃうっすよ。
※※
「ねぇねぇニーナ! ネイトはフェットチーネとスパゲッティーニだったらどっちが好きかな?」
高級食材に輸入品、オーガニック製品。なんでもそろうアッパーイーストサイドの巨大スーパマーケットは、今日のアニスにとっては遊園地なみに楽しいところなようだ。
新名はそんな彼女を微笑ましく見つつ答える。
「や、先輩はパスタの種類とか知らないと思いますよ。けどまあ、ラーメンとかは太麺派みたいだから、フェットチーネのほうがいいんじゃないっすか?」
「そっか♪ じゃあこっちにするヨ!」
そんな調子で、さっきから『こんなにたくさん、ほんとに食えんの?』というほどの量を次々とカゴに入れるアニス。
「♪~♪~♪~」
なにやら英語まじりの鼻歌も歌っていて、本当に今夜が楽しみなんだろーなー、ということが新名にもわかった。
「そーいや、アニスさんは、先輩のどういうとこが好きなんすか?」
ふと、新名の口をついて出たのはそんな質問だった。とはいえ、前から聞いてみたいことではある。
「え? えへへ、照れちゃうヨ」
キョトンとした顔で振り返り、それから赤くなる少女。しかし新名は女の子の扱いも上手いのである。
「いいじゃないっすか。参考までに教えてくださいよ」
「ニーナはネイトよりずっと女の子にモテるでしょー?」
とはいいつつも、アニスは話したそうだった。ということを察することもできるのが新名である。
「はは。まーぶっちゃけそっすけど。……あれっすか? 先輩の優しいとことか、ちょっと天然入ってるとこっすか?」
買い物カゴを片手に探りをいれてみる。
すると、アニスは頬に手を当てて微笑んだ。
「そういうとこもカワイイなー♪ って思うけど。なんかね、ネイトって時々、すっごく怖い顔するときがあるよね? それに、びっくりするようなことしちゃうし」
新名は黙って続きをまった。たしかに、そうだよな、と共感もしている。
「なんだか、そういうときのネイトってすっごくセクシーで、ドキドキしちゃうの」
アニスの声の様子がいつもと少しだけ変わったような気がした。天真爛漫な彼女が『セクシー』という単語を使ったせいかもしれないけど、新名にはそう聞えた。
「ネイトがいつも一生懸命だからかな?」
その夢見るような瞳にも、どこか艶めいた光が宿ってみえる。
まだ19歳のアニスが妙に女性らしくみえて、新名は少し驚いた。でも、すぐにおちゃらけて見せる。
「なるほどなー。アニスさん、ちょっと男の趣味ヘンじゃないっすか?」
「えー? そうかなー?」
「いやいや、あー、あれだ。お父さんも極悪人だからっすね、きっと」
「ニーナだって、ネイトのこと好きでしょ?」
「あ、俺ストレートなんで。性的多様性がないほうなんで」
「ちーがーう! そういうのじゃなくて!」
ちょっとからかってみると面白いな、アニスさんは。
新名はそう思いつつも、彼女の言いたいことはわかる気がしていた。
そして、同時に、さっきまで感じていた心の靄が、少しだけ薄くなったようにも感じる。
多分、アニスさんの言う通りなんだろう。
何かに真剣になったことのない俺が持ち合わせていないもの。小森寧人はそれを持っているのだ。
ただ一つのことのために魂の全てを燃やすことが出来る力、とでも言えばいいのだろうか。
暑苦しくて、必死すぎて、そもそも性質は悪。それは本当は褒められたことでもなければ、尊いことでもないに違いない。そもそも泥臭くて、新名の性には合わない。
けど。
だから魅かれてしまう。この俺が、いつのまにかこんなところにまで来てしまったのもそのせいかもしれない。
だから、アニスさんはあの人のことが、好きなんだ。
「ニーナ?」
新名は、少しの間考え込んでしまっていた。その間にも買い物カゴに食材を入れていたアニスは、それを不思議そうにしている。
「なんでもないっすよ。っと、つかこれ、いくらなんでも買いすぎっすよ。ミスタービッグ、と先輩とアニスさんの三人っすよね?」
誤魔化す新名に、アニスは細い首を傾げて答えた。
「え? ニーナは? ニーナも来るよね?」
おっと……。寂しげなアニスの表情に、新名はまたしても苦笑してしまった。
アニスさんは、ガチで俺に来てほしいみたいだ。いやいやいや、ないっしょ。
「やー、どっすかねー。俺はー」
「おいでヨ! パパもネイトも喜ぶし! わたしもニーナがいたほうが楽しいな♪」
純粋で無邪気なお誘い。
新名はとても珍しいことに、少しだけ迷った。が、やっぱり彼らしく答える。
「いいっすよ、俺は。ミスタービッグとかちょっと怖いし。それに俺、夜はデートがあるんで」
アニスは目に見えてわかるほどにがっくり、と肩を落としたが。それでもすぐに顔を上げて笑顔を見せてくれた。
「ちぇっ。そっかー。デートかー。じゃあ仕方ないね。」
「サーセンした」
その後、テキパキと買い物を済ませスーパーマーケットを出た新名は、部下に連絡して車を手配し、アニスを乗せた。そもそも、クリムゾンのボスの娘である彼女が一人で歩いているのは、いろんな意味であぶないことなのだ。ニューヨークに戻ってきたばかりの彼女は、まだその辺の感覚がもどっていないらしい。
「じゃあ、俺はこれで」
「うん! ありがとね♪ ニーナ! 今度また誘うから、来てね!」
「うぃーっす」
仔犬のしっぽのように手をふるアニスを見送ると、新名は携帯電話を取り出す。
「あー、どうも。俺、昨日会ったカズマだけど。そうそう。今夜って暇?」
昨夜バーで知り合ったニューヨーカーの美女へ誘いをかける。もちろん返事はOKだったので、結果として新名はアニスに嘘はついていないことになる。
「……ちぇっ」
ついでにスーパーで買ったコーヒーを啜ると、ふとそんな声が漏れた。
らしくもなく、少しだけ気分が沈んでいる。でも、本当に少しだけだ。多分、30秒もすればフツーになる。
――別に、そんなに本気で想っていたわけじゃない。けどまぁ、あれだけ可愛くて良い子なんだから、そりゃちょっとくらいイイじゃん、って思うのが当たり前っしょ――
これは強がりでもなんでもなくて、新名の本心だった。
新名は寧人が誰のことを想っているのか知っている。でも、出来ればアニスも幸せになってもらいたいところだと思う。
悪の首領になろうってんだから、ハーレムくらいつくりゃいいっすよ。と、今度言ってみるつもりだ。
「にしてもなー」
アニスの話した小森寧人のあり方。新名もそれを感じてはいる。そして多分、心のどこかではそれを眩しくみている。
譲れないもののために、目指すもののために、命を懸けて進む姿は、あまりにも自分とは違うものだから。
――俺もいつかは、熱くなることがあんのかな?――
「いや、ないな」
新名数馬はそう結論づけ、コーヒーを飲みながら歩き始めた。飄々とした足取りで、マンハッタンを行く。
ま、なるようになるだろ。なにしろ俺は、天才だからな。
多分、あと1~2話くらいは短編行きます。
また、現在は『ワールドドライブ』連載中で、開始一週間くらいです。
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相棒、乗り物、ロードムービー、男の絆? あたりが好きな方はこちらが(拙作のなかでは)オススメです。
あとは、じわじわ連載を続けている『てのひらに星雲を』
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こっちは宇宙を舞台とした学園青春もの。
ドックファイト、超能力、恋愛、とにかく無敵のヒーローとが好きな方はこちらが(拙作のなかでは)オススメです。
この辺もご一読くだされば幸いです。