9.ふざけるな?!
出張から帰ってきたオレは、会社にいるはずのあの人の姿を探した。
・・・なぜ、どこにもいない?
秘書室も、給湯室も、他の部署も、どこにも姿がなかった。
「社長」
オレを呼んだのは、藤田だった。
「・・・岩下を見なかったか?」
「その事でちょっと…」
オレと藤田は、社長室へ向かった。
…そこで手渡されたのは、『辞表』だった。
…誰のだ?オレは、藤田の顔を見つめた。
「岩下さんから預かりました」
自分の耳を疑った。
「もう一度、言ってくれ」
「岩下さんからの辞表です」
「オレに、一言もなく、辞表だと?」
「何も言わずに、受け取ってほしいと」
藤田は真剣な表情で言った。
「…なぜ、止めなかった?」
「彼女を止める必要性はないと、勝手に判断しました」
「チーフは?」
「チーフは、何も知らされていませんでした。私だけに・・・」
椅子に座って、辞表を握りしめた。
「下がれ」
「…失礼します」
藤田は一礼して出ていった。
好きだと・・・
愛していると、言ったのは、嘘だったのか?
あの日の夜の事は、すべて夢だったのか?
オレはその場のモノを、投げ飛ばした。
ガシャンと物凄い音を立てて…砕けた。
オレの心と共に・・・
しばらくして、もう一度、藤田を呼んだ。
「何でしょうか?」
「岩下の行先を知ってるのか?」
「・・・」
何も言わない藤田。藤田は、すべての事情を知ってるような気がした。
「藤田」
!!…オレは、壁に藤田を抑えつけた。
「知ってるはずだ。行き先を言え。・・・お前の愛する人を、ズタズタにされたくなければ」
オレは、藤田が、香華を好きな事を知っていた。卑怯だと言われても、すみれの行先が知りたかった。
しばらく黙っていた藤田だったが、その重い口を開いた。
「・・・アメリカへ」
「・・・アメリカ?」
「・・・はい」
「アメリカのどこへ?」
「そこまでは聞いていません」
抑えつけていた手を緩めた。藤田は乱れたスーツを直している。
「すまない」
「・・・チーフと」
「・・・え?」
「チーフと、幸せになってくれと、岩下からの伝言です」
「なぜ、そこで香華の名前が出てくるんだ?」
「社長を愛しているからこそ、香華さんと幸せになってほしいと・・」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
オレが、香華と幸せになれると?
そんな事・・・あるわけないだろ?
オレの傍にいるのは、すみれ・・・お前だけなんだよ!
「社長・・・岩下の気持ちも、考えてやってください」
そう言った藤田は出ていった。
…すみれの気持ち?
オレを好きだと、愛していると言ってくれたのが気持ちじゃなければ、他になんなんだ?
…今すぐアメリカに向かい、しらみつぶしに探したい。
でも、オレは数千人の社員を持った社長だ。すべてを投げ捨ててしまってもいいほど、
すみれを愛しているのに・・・
身動きできない事が、もどかしかった。
悶々とした日々が続いていたある日、とんでもない事が、オレの耳に入ってきた。
誰もいない廊下を、一人、歩いていた。
給湯室から、聞き覚えのある声がした。
「香華さん、凄い事しますよね」
「声が大きいわよ、美登里」
女子社員とこそこそ話す香華の声。
「飛び降りなんてホントは、死ぬ気なんて、全然なかったのに、あの子ったら、本気にしちゃうんだもん」
・・・飛び降り?自殺の演技でもしたのか?
「でも、岩下さんがここを辞めてくれて、香華さんはラッキーでしたね」
「ふふ、そうね」
2人の笑い声が聞こえたのが最後だった。
「香華、どういう事だ?」
オレの声に、顔色が変わった香華。
「な、何のこと?」
「しらばっくれても、全部聞こえたぞ。香華、お前がすみれを追い出したのか」
「・・・」
バツの悪そうな顔をして、俯いてしまった。
横にいた女子社員は、逃げるように、その場を去っていった・・・
…パシッ!
静かな廊下に、頬を叩く音が響いた。
「お前はクビだ・・・オレの前から消えろ、二度と現れるな」
「修二・・・ごめんなさい」
「何も聞きたくない・・ここから出ていけ」
オレの冷たい態度に、香華は、泣きながら出ていった。
こんな事があってもいいのか?
オレは壁にもたれ、溜息をついた・・・
・・・すみれ。
何も気づいてやれなくて、すまない・・・
そ言葉だけが、頭の中を駆け巡った。