呪いの王女の伝説
千年前、世界中の魔法をその身に集めたことで暴走し、「呪いの王女」として封印された少女がいた。 時は流れ現代。 古跡の守護者の家系に生まれた青年・イトウは、ある日、封印の奥で眠る伝説の王女を目覚めさせてしまう。 国を滅ぼす災厄の化身――そう語り継がれてきた王女だったが、実際に
千年の昔、高山の頂は決して晴れることのない漆黒の帳に覆われた。その中心にある「魔力核心」から放たれる狂暴なエネルギーは、時と場所を選ばず周囲を襲い、王国は毎年この災厄に頭を悩ませていた。そして、すべての元凶とされたのは、かつて力の暴走によって無数の村を滅ぼしたという伝説の恐怖の存在――人々は彼女を「呪いの王女」と呼んだ。
千年後の現代。人里離れた遺跡の廃墟、その崩れ落ちた壁の隙間で、千年の眠りについていた王女が静かに目を覚ました。
「……ん、うぅ……」
彼女はぼんやりと周囲を見回した。目の前に広がる見知らぬ、しかしどこか懐かしい古びた世界に、好奇心をくすぐられる。長く眠りすぎたせいか、まだ強い眠気が残っている。王女は小さくあくびを噛み殺すと、無防備に両手を上へと伸ばして背伸びをした。
しかし、彼女が右手を突き上げたその瞬間、複雑な幾何学模様の魔法陣が空中に展開した。
「どおぉぉぉん!」
キーンと鼓膜を揺るがす大爆破の音が炸裂した! 恐怖の魔力光線が凄まじい勢いで真上へと放たれ、遺跡の天井を容赦なく吹き飛ばして、ぽっかりと光の差し込む大穴を開けてしまった。無数の瓦礫と土煙が雨のように降り注ぐ。
この突然の自爆には、王女自身も驚いて一気に目が覚めた。彼女は服についた灰を手で払いながら、遺跡の中を観察しつつ、外へ出るための出口を探し始めた。
それから約十分後。静まり返った廃墟の奥から、かすかに人の叫び声が聞こえてきた。
王女が声のする方へと向かい、崩れかけたアーチをくぐり抜けると、遥か遠くで松明を持った一人の青年が、必死にこちらに向かって手を振っているのが見えた。
青年は声を張り上げて叫んだ。「おーい! 大丈夫か――!?」
距離が遠すぎるため、王女は眉をひそめ、同じように大声で返した。「はぁ――!? 聞こえないぞ――!」
青年は首の筋を立ててさらに怒鳴る。「だから――! お前、誰なんだよ――!」
王女は不機嫌そうに声を張り上げる。「はぁ――!? もっと大声で喋れ――!」
二人は遠く離れた場所から、何度も「はぁ?」と言い合うだけで、まったく会話が成り立たない。
非効率極まりない空中戦に、ついに王女の堪忍袋の緒が切れた。彼女は眉を寄せると、右手を軽く一振りした。強力な引力魔法が、瞬時に遠くの青年をロックオンする。
「うわあああああああ!」
青年の身体がふわりと宙に浮いたかと思うと、ものすごい速度で「引き寄せられ」、王女の目の前へと文字通りぶっ飛んできた。
「ぶふっ!」青年は地面に派手に尻餅をつき、手元から転がった松明の火が消えた。彼は恐怖でガタガタと震えながら、慌てて王女を指差し、結句を引くように吃った。
「ま、魔法……そんな馬鹿な! お前……いや、貴女が、あの伝説の魔法王女なのか!」
王女は首を傾げ、少し怪訝そうに自分の顔を指差した。「伝説? お前、誰だ?」
青年は震えを止めようと、生唾を飲み込んで答えた。「実は……俺の頭領……いや、俺の家族は、代々この古跡を守ってきた守護者んだ。でも、貴女は封印されているはずじゃ……本当に目覚めるなんて思ってもみなかった……」
「では、私はなぜ封印されていたのだ?」王女が尋ねる。
青年は深く息を吸い込み、緊張のあまり大声で叫んだ。「だって、伝説じゃ、お前の力は国一つを簡単に消し去るほど危険だって言われてるからだよ!」
自分が国を滅ぼすほどの恐怖の存在だと聞かされても、王女はただ眉をピクリと動かしただけで、至極淡々とこう言った。「ふん、そうなのか」
青年は呆気にとられた。伝説の破壊魔王がこれほど平和な反応を見せるとは思わなかったのだろう。空気は一瞬にして気まずくなり、薄暗い光の中で二人はただ見つめ合った。
青年は困惑したように頭を掻いた。「あー……お。ぶっちゃけ、お前が目覚めた後どうすればいいか、俺も全然考えてなくて……。とにかく、行く宛がないなら、とりあえず俺の村に来るか? でも、まずはここから出る道を探さないと……」
王女は答えず、青年の前に数歩歩み出ると、「パチン!」と指を鳴らした。
先ほどまで薄暗く不気味で、青苔に覆われていた遺跡の通路が、一瞬にして柔らかくも明るい魔法の光で満たされ、遥か先まで伸びていく。青年はその光景に完全に目を見張った。
王女は振り返って言った 。「村とは、どのような場所だ?」
「人がたくさん集まって住んでいる場所だよ。俺が生まれ育った場所でもある」青年は馬鹿正直に答えた。
王女は小さく頷いたが、その瞳には理解しがたいという色が浮かんでいた。「一人で住む方が、よほど自由で静かだろう。誰にも邪魔されず、好きなことができる」
青年は苦笑した。「確かにそうだけど、困った時は隣人がいれば、みんなで助け合えるからさ!」
王女はパチパチと瞬きをした。「……妙な場所だな」
それからしばらくして、二人はようやく薄暗い古跡の廃墟から外へと抜け出した。
外の太陽の光は少し眩しく、目の前には鮮やかな緑の谷が広がっていた。遠くにはいくつかの民家から細い煙が立ち上っている。あれが青年の村だろう。
青年は遠くを指差して言った。「あそこが俺の村。ところで、お前のこと、なんて呼べばいい?」
「呼び名、か?」
「そう、名前だよ! 名前くらいあるだろ?」青年は頭を掻く。
王女は少し考えた。「名前……。私の伝説には、私の名前など書かれていなかったのか?」
青年は記憶を辿り、「いや、なかったな」と言った。
青年は周囲を見回し、ちょうど道端に一輪の美しいひまわり(葵の花)が咲いているのを見つけて提案した。「『アオイ(葵)』ってのはどうだ?」
王女はそれを聞いても嬉そうな顔をせず、むしろ心底不満そうに顔をしかめた。「そんな投げやりな名前の付け方、絶対に嫌だぞ」
「それもそうか……」青年はバツの悪そうな顔で言った。「俺はイトウ(伊藤)。よろしくな、一応」
そう言って、彼は礼儀として王女に右手を差し出し、握手を求めた。
王女は不思議そうにイトウの手を見つめ、頭の上に大量の疑問符を浮かべている。イトウは慌てて説明した。「これは握手。お互いの手を握り合って、敵意がないこと、友好的であることを示す挨拶だよ」
「ふむ……」王女は納得したように、イトウの手を握った。
しかし、両手が交わった瞬間、イトウを襲ったのは神話級の凄まじい握力だった。
「ぎゃああああああああーーー!?」
イトウの悲鳴が天を突き、近くの森にいた鳥たちが驚いて一斉に飛び立っていった。
「ふふっ、ははは! すまぬ!」王女は楽しそうに笑いながら手を離すと、ついでに治癒魔法をかけてやった。温かいエネルギーが通り抜け、イトウの青紫に鬱血しかけた手のひらは一瞬で元通りになった。
イトウは泣きそうな顔で手を振り回した。「あ……いや、大丈夫だけどさ。やっぱり伝説の王女様だわ……」
王女はイトウを追い抜いて前へと歩き出し、ぽつりと言った。「お前は私のことを伝説の人物と言うが、目覚めてみれば、私は何をすべきかも、どこへ行くべきかも分からぬ」彼女は足を止め、イトウを振り返った。「お前には、行きたい場所や、やりたいことはないのか?」
イトウは肩をすくめ、少し無力そうに笑った。「俺の家族は代々古跡の守護者だからなぁ。でも、お前が目覚めちまった今……さあね。釣りにでも行くか。俺、釣りには結構興味あるんだ」
王女は疑問を投げかける。「もし私がずっと封印されていたなら、お前たちは一体『何を』守っていたのだ?」
イトウはハッとして、妙にサスペンスに満ちた顔で王女を見つめた。「……言われてみれば、俺、今までその矛盾に気づかなかったわ!?」
歩いているうちに、イトウと王女はついに村の入り口に到着した。すると、一人の少女が村の中から嬉しそうに駆け寄ってきた!
「イトウ!」少女は笑顔で言った。「おかえり、異常はなかった?」
イトウは急に顔を真っ赤にして、ドギマギしながら答えた。「お、おう……問題ない!」
その時、他の村人たちもイトウを心配して集まってきた。「イトウ、古跡の方から煙が上がってたが、大丈夫だったか?」
少女はイトウの隣に立つ王女に気づいた。「あら? その子は旅の人?」
王女が口を開こうとした瞬間、イトウがそれを大慌てで遮った。「あ! そう! 旅人なんだ、旅人!」
イトウは王女の耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。「もしお前が『王女』だってバレたら、かなりマズいことになる!」
王女は不思議そうに小声で返す。「なぜだ?」
「この村、滅多に外から旅人が来ないから、新しい旅人が来るとみんな大歓迎するんだよ」。少女は親しみやすく一歩踏み出すと、王女の手を引いて微笑んだ。「私はユイナ(結菜)。貴女のお名前は?」
突然の無防備な好意を前にして、あの最強の魔法王女が目に見えて狼狽した。彼女は少し泳ぐような視線で考えた後、自信なさげに呟いた。「私は……アオイ、か?」
後ろに立っていたイトウはそれを聞いた瞬間、心の中で激しくツッコミを入れた。*(さっき『そんな投げやりな名前は嫌だ』って言ったの、どこの誰だよ!?)*
「アオイ? 素敵なお名前ね!」ユイナはひまわりのような笑顔を見せた。
すると今度は、王女がユイナに向かっておずおずと手を差し出した。握手をしようとしているのだ。ユイナは少し不思議そうにその手を見ると、嬉しそうに王女の手を握り、そのまま村の広場へと走り出した。「さあ、村を案内するわね!」
イトウは一まず大きな問題はなさそうなのを確認すると、急いで自分の家へと駆け込んだ。
「じいちゃん!」イトウは息を切らせて言った。
祖父は驚いて言った。「どうした、そんなに慌てて」
「じいちゃん、あの古跡の王女が……彼女が目覚めちまったんだ! どうすればいい!?」
祖父は自分の耳を疑った。「お前、暑さで頭がやられたんじゃないか? そんな訳なかろう」
イトウは祖父の手を引っ張って窓辺へと向かった。窓の外からは、ちょうどユイナと王女の姿が見えた。
そこでは、王女が水やり用のホースを握り、ユイナが使い方の説明をしていた。王女が蛇口をひねった瞬間、ホースの向きが自分に向いており、突然噴き出した水に驚いた王女は頭からびしょ濡れになっていた。
ユイナは爆笑している。「何やってるのよ! 水は花に向けるの!」
それを見た祖父は、ぽりぽりと頭を掻きながらイトウに言った。「……いや、そんなバカなことが」
イトウも信じられないといった様子で言った。「本当んだよ、じいちゃん。俺、彼女が魔法を使うのを確かに見たんだ。どうすれば……」
祖父は尋ねた。「彼女は何か言っていたか? どこかを滅ぼしたいとか」
「いや、何も。彼女自身、自分が何をしたいのかまだ見つけられてないみたいだ」
祖父は窓の外の王女を複雑な目で見つめ、憂鬱そうに呟いた。「何事も起きなければ良いがな……」
その時、ユイナが窓辺の二人に気づき、イトウにこっちへ来るよう手招きした。
同じ頃、カメラは先ほどの遺跡の内部へと戻る。
黒いフードを深く被った謎の人物が、馬から降りて古跡へと足を踏み入れていた。本来そこにあるはずの封印が解け、もぬけの殻になっているのを見たフードの男は、低く呟いた。
「ついに、その時が来たか……」
遺跡を出た男は、地面に残されたイトウと王女の足跡を見つめ、村の方角へと歩き出した。
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イトウは外に出て二人のもとへ向かった。
王女は興奮した様子で言った。「見よ、このくだ(管)から不思議な水が出るぞ! これも魔法か!?」
イトウは目を輝かせる王女に呆れ顔で言った。「そんな訳ないだろ。その管の後ろは池に繋がってるんだよ」
ユイナは楽しそうに笑った。「あはは、本当に変わった人ね」
イトウはユイナの笑顔を見つめた。最初は照れ隠しで無表情を装おうとしたが、楽しそうなユイナを見ているうちに、どうしても口元のニヤけを抑えきれなかった。
その時、他の村人が夜の祭りの手伝いをしてほしいとユイナを呼んだ。ユイナは手を振りながら「じゃあ、私は先に行くね。イトウ、あんたもサボっちゃダメよ! 一年に一度のお祭りなんだから!」と言い残して去っていった。
イトウは相変わらず顔を赤くして、生返事をするのが精一杯だった。
ユイナが完全にいなくなったのを確認すると、王女は指を鳴らした。凄まじい突風が彼女の周囲に巻き起こり、一瞬にして濡れていた衣服が完全に乾いた。
王女は不思議そうにイトウの肩を叩いた。「どうしたのだ? なぜユイナと話す時だけ、いつも様子がおかしくなる?」
イトウはため息をついた。「……あいつと話すのは、どうも苦手なんだよ」
「なぜだ?」
イトウは顔を赤くして言葉を濁した。「あー、説明しづらいんだよ! ほら、俺たちも手伝いに行くぞ!」
王女は納得がいかない様子だったが、それ以上は追求しなかった。
広場へ向かう道中、王女はイトウに尋ねた。「これは何の祭りなのだ?」
イトウは答えた。「これは年に一度の、新しい『希望』を願うお祭りだよ。みんなで集まって美味しいものを食べて、出店を回って……この祭りを境に、自分が少しでも成長できるように、あるいは生活が良い方向に変わるようにって願いを込めるんだ」
王女は少し皮肉を込めた、冷ややかな視線で言った。「そんなものに、意味があるのか?」
イトウは笑って答えた。「希望ってのはさ、目に見えないものを信じることだと思うんだ。成功するかもしれない未来と、失敗するかもしれない未来。どちらを信じるかは、自分自身で選ぶしかないんだよ」
王女はイトウの言葉をじっと聞いていたが、まだ完全には理解できていないようだった。イトウは言った。「ほら、急ごう! もうすぐ広場だ」
広場に到着すると、たくさんの村人たちが夜の薪を運んでいた。イトウは村人たちに向かって「手伝いに来ました!」と声をかけた。
村人たちは喜び、「じゃあ、その木材をあっちまで運んでくれ!」と指示した。イトウがすぐに作業を始めると、王女も木材を一つ持ち上げ、不敵にニヤリと笑った。
十分後、何往復もしたイトウは息を切らし始めていた。ふと隣を見ると、王女が完璧にサボりながら、小馬鹿にしたような顔でこちらを見ている。
村人たちは驚き、笑いながら言った 。「おいおい、アオイちゃんはあんなに平気な顔をしてるぞ。イトウ、女の子に負けるなよ!」
イトウは意地になり、負けじと木材を運び始めた。二人はまるでどちらが多く運べるか競い合っているかのようだった。
しかし数往復した後、イトウはついに降参した。「ギブアップ……」彼は「まさかお前がこれほど力持ちだとは……」と呟きながら、王女が持っていた木材を一つ代わりに持ってみた。すると、彼は驚愕した。「……軽っ!?」
イトウは王女に顔を寄せ、小声で問い詰めた。「おい! これ、インチキだろ!」
王女はニヤニヤしながら言った。「私はお前と勝負などしていないぞ」。王女が密かに指を鳴らすと、一瞬にして木材は元の重量に戻った。
イトウの手にある木材が急激に重くなり、危うく足の上に落としそうになって無様に転びかけた。それを見た村人たちは「アオイちゃんは本当に働き者だねぇ」と彼女を褒めちぎり、別の作業へと戻っていった。
王女はイトウに耳打ちした。「魔法を使った方が圧倒的に効率が良いものを、なぜ彼らに隠すのだ?」
イトウは王女を人のいない物陰へと引っ張り、説明した。「今の世界では、伝説の王女であるお前を除いて、魔法なんてものはとっくに『失伝』してるんだよ。もし見つかったら……」
「なぜ――」
イトウは王女の言葉を即座に遮った。「お前が次の『なぜ』を口にする前に答えておくが、――俺も知らない」
夜の帳が下り、広場のキャンプファイヤー(先ほど運んだ薪)に火が灯ろうとしていた。出店の灯りが次々と点り、香ばしい焼き肉の匂いが漂ってくる。
イトウは王女を連れて様々な屋台を回った。千年ぶりに「肉」を一口食べた王女は、目をこれ以上ないほど輝かせ、イトウの肩を激しく叩きながら笑った。「……私の封印が解けた理由は、これを食べるためだったのかもしれぬな!」
その後、イトウは王女を射的の屋台へと連れて行った。一発、二発、三発と撃つが、景品はビクともしない。
王女の顔が次第に不気味になっていくのを見て、イトウは恐る恐る声をかけた。「おい……大丈夫か……?」
王女の周囲に微かな風が巻き起こり始める。イトウは慌てて彼女の肩を叩いた。「おい、落ち着けって!」
王女は不敵な笑みを浮かべ、「……問題ない」と呟くと、引き金を引いた。
ドゴォン!という爆音とともに、放たれた強大な魔力は景品どころか、屋台の後ろの壁まで木っ端微塵に貫通していった。
王女は満足そうに笑った。「ははは! 案外、簡単な遊戯だな!」そう言って笑いながら去っていく。
残されたのは、開いた口が塞がらない店主と、顔面蒼白のイトウだけだった。
イトウは慌てて王女を追いかけ、小声で窘めた。「おい……今のめちゃくちゃ危険だろ! もし魔法のことがみんなにバレたら……」
王女はイトウの言葉を遮った。「うるさいな、お前は心配しすぎなのだ」
「……そうかもしれないけどさ」イトウは呟いた。
しかしこの時、二人は気づいていなかった。後ろからあの黒いフードの男が、一連の出来事を冷徹な目で見つめていたことに。
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二人が笑い合いながら、王女が食べ歩きをしていると、イトウの耳に突如ユイナの声が飛び込んできた。その瞬間、彼の世界の時間がスローモーションになった。
人混みの隙間から見えたのは、見知らぬ若い男と楽しそうにデートをしているユイナの姿だった。
王女もそれに気づき、イトウを振り返った。「おっ、ユイナではないか! あいさつに行こう!」
イトウは慌てて王女の腕を掴み、それを制止した。「空気を読めって! 今は邪魔しない方がいい」
王女は一瞬きょとんとして、「空気の声など聞こえぬぞ」と言い放ち、そのままユイナの方へと走っていった。
イトウは自分の顔を覆った。「……そういう意味じゃないってのに」
「ユイナ――!」王女は手を振りながら近づいていった。
ユイナの隣にいた男は、王女が走ってくるのを見ると、「ちょっと食べ物買ってくるわ」とユイナに告げて手を振り、その場を離れた。
ユイナは笑顔で見送った後、王女を振り返った。「アオイ! お祭り、楽しんでる?」
王女は嬉しそうに言った。「初めての祭りだが、非常に興味深い! ユイナ、その格好、とても美しいな!」
遅れてイトウが追いついてきた。浴衣姿のユイナを目の当たりにした彼は、顔を真っ赤にして完全に言葉を失っていたが、その胸の奥には言葉にできない失落感が広がっていた。
ユイナは王女の手を取った。「そろそろ踊りの時間ね!」そう言って、王女を広場の中央へと連れて行った。
村人たちが炎を囲み、二人一組になって踊り始める。ユイナは王女に二人の協力舞のステップを教えた。王女は飲み込みが早く、すぐに完璧に踊れるようになった。
ふと広場の隅に目をやると、イトウが一人でポツンとベンチに座り、ひどく落ち込んだ顔をしているのが見えた。王女はユイナのもとを離れ、イトウの隣へと歩み寄った。
王女はイトウの視線の先を追った。そこには、先ほどの見知らぬ青年と楽しそうに踊るユイナの姿かった。
王女はイトウの隣に腰掛け、からかうように言った。「どうしたのだ? ユイナに見惚れて魂でも抜けたか?」
イトウは二人のダンスを見つめながら、深い、深い、ため息をついた。「……あいつの隣にいるのが、俺だったら良かったのにな」
王女は不思議そうに小首を傾げた。「なら、今からでもあやつのところへ行けばよかろう?」
イトウは苦笑した。「そういうことじゃないんだよ。あいつとは小さな頃からの幼馴染でさ……俺、ずっとユイナのことが好きだったんだ」
王女は首を傾げた。「好き……?」
「ユイナは俺にとって完璧な女の子なんだ。でも、あいつが俺をそういう目で見てないことは分かってたし……俺が意気地なしだから、結局何もできなかったんだよ」
王女はイトウをじっと見つめ、問いかけた。「仮に、お前が過去に行動を起こしていれば、結果は違っていたと思うか?」
イトウは一瞬言葉に詰まり、遠くの燃え盛る炎を見つめながら自嘲気味に笑った。「いや……。当時は『何もしなきゃ後悔する』って分かってたはずなのに、怖くて動けなかった。だから、もし時間を巻き戻してもう一度やり直せたとしても……俺はやっぱり、同じ選択をすると思う。でも、いいんだ。今はこうして、陰ながらあいつを応援できれば、それで十分さ」
王女はそれを聞き、しばらく沈黙した。
「……なるほどな」
王女は静かに立ち上がると、弓を引くようなポーズをとった。彼女が虚空へ向けて手を放した瞬間、一筋の閃光が夜空へと駆け上がり、次の瞬間、大輪の色鮮やかな花火が夜空一面に炸裂した。祭り中の人々が一斉に見上げ、大歓声が湧き起こる。
王女は言った。「私もあやつを応援したい。これは、私もユイナを『好き』だということか?」
イトウは思わず吹き出した。「ははは! 世界を滅ぼすと言われた伝説の王女様が、今、恋について語ってるのか? 不思議なもんだな」
王女はイトウの腕を強引に引っ張り上げた。「ユイナは他の男と踊っているのだろ? 私も今、練習の相手がいない。お前、私の練習に付き合え!」
イトウは観念したようにため息をついた。「はいはい、分かりましたよ。王女殿下の仰せのままに」
二人はステップを刻み始めた。その時、人混みの中から彼らを見つめていた黒いフードの男が、さりげなくキャンプファイヤーの薪を激しく蹴り飛ばした。燃え盛る巨木が、村人たちの方向へと倒れ込んでいく。
ダンスのターンを決めていた王女は、視線の端でその異変を捉えた。彼女の楽しげな笑顔が、一瞬にして冷徹な戦士のそれへと変わる。彼女は右手を突き出し、指を弾いた。
「静止せよ」
落下しかけていた燃える大木が、空中で完全にピタリと停止した。王女が突き出した手を強く握り締めると、停止していた巨木は凄まじい衝撃波とともに、跡形もなく粉砕されて消滅した。
周囲の村人たちは驚愕の目であ然と王女を見つめた。しかし、そこには歓声はなかった。人々は恐怖に震え、不気味な囁き声を漏らし始めた。「おい……今の、魔法か? 嘘だろ、あいつが……破壊の王女なのか!?」
一人の村人が怒鳴った。「イトウ! 出てきて説明しろ! あれは何なんだ!」
イトウは慌てて手を振った。「違うんだ、みんな、これは……!」
その時、ユイナが人混みをかき分けて前に出て、必死に弁護した。「アオイちゃんは、みんなが思っているような悪い人じゃないわ!」
イトウも声を荒げた。「そうだ! 彼女は、俺たちが想像していたような破滅の王女なんかじゃない!」
しかし、王女の目に映ったのは、誰一人として近づしようとしない村人たちの姿だった。先ほどまで一緒に薪を運んだ者、一緒に屋台の飯を食べた者、彼女を「働き者だ」と褒めちぎった者たちが……今、一様に恐怖の表情を浮かべ、じりじりと後退していく。
村人たちの間に動揺が広がる。「あの娘、今日俺たちを手伝ってくれた子だよな?」という声もあれば、「あの魔法の力こそ、王女の呪いそのものだ!」と叫ぶ声もあった。
村人たちはそれ以上何も言わず、津波が引くようにその場から去っていった。去り際、一人がイトウに向かって吐き捨てた。「イトウ、早くその『呪いの王女』をどこかへ連れて行け!」
ユイナも他の村人たちに無理やり連れ去られ、イトウが言い訳をしようと追いかけたため、広場には王女が一人だけ取り残された。
王女には理解できなかった。なぜ、さっきまであんなに友好的だった人間が、一瞬にしてまるで別人のようになってしまうのか? なぜ人間は、他者を平等に扱うことができないのか?
「……彼らは貴女の存在に値しない、偉大なる破壊の王女よ」
背後から、あの黒いフードの男が現れ、王女に話しかけてきた。王女は鋭い視線で振り返り、男を睨みつけた。「……誰だ、お前は」
男はゆっくりとフードを外した。現れたのは、顔中が数々の刀傷で覆われた、屈強な中年戦士だった。彼は不敵に笑った。「破壊の王女よ、なぜご自身を縛るのです? 貴女の存在意義は、この世界を滅ぼすことにある。彼らの仕打ちを見るがいい。貴女が彼らを助けたというのに、彼らは貴女を化け物扱いしたのだ」
王女が静かにうつむいた。その瞬間、彼女の感情に呼応するように周囲の大気が激しく振動し始める。
一方、イトウは村人たちに説明を試みていたが、誰も聞く耳を持たなかった。突如、足元から凄まじい地鳴りが響き渡り、広場の中央から巨大な竜巻が巻き起こるのを見て、イトウは顔色を変えた。「アオイ!?」
ユイナがイトウの背中を押した。「村人のことは私に任せて! イトウは早く彼女のところへ行って!」
その光景を見た男――ジョン(約翰)は、静かに後退しながら愉悦の笑みを浮かべた。「そうだ、それでいい。胸の中の怒りを解放しろ!」
そこへイトウが命がけで駆け込んできた。「アオイ! 何をやってるんだ!」
王女は激しい嵐の中で、イトウに問いかけた。「お前は言ったな、困った時は人が助け合うと。ならばなぜ、私がこれほど善意を尽くしたというのに、化け物を見るような目で扱われねばならぬのだ!?」
イトウは暴風に逆らい、一歩、また一歩と王女の方へと歩みを進めた。彼は喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。「聞け! 確かにこの世の全員が良い奴ってわけじゃない! でもな、あいつらに酷い態度を取られたからって、俺たちまで同じように酷い人間になる必要なんてないだろ!」
ジョンが後ろから煽るように叫ぶ。「違う! 目には目を、歯には歯をだ! 奪われた恐怖は恐怖で返すのが道理! なぜそんな有象無象のために耐える必要がある!? 己の使命を果たせ!」
イトウはさらに叫んだ。「アオイ、そんな奴の言うことを聞くな!」
王女はそっと目を閉じ、深く、長い息を吐き出した。次の瞬間、周囲を狂暴に吹き荒れていた暴風が、嘘のように一瞬で霧散した。
王女は静かに佇み、それからゆっくりとジョンの方へと向き直った。ジョンは信じられないといった表情で王女を見つめた。「……貴女は本当に、あの伝説の呪いの王女なのか?」
王女が指を軽く引くような仕草をすると、ジョンの方術が破られ、彼の身体が王女の目の前へと一瞬で引き寄せられた。王女は冷徹な声で告げた。「お前の知っていることをすべて話せ。お前が誰なのか、現代そして私が封印された真の理由をな」
ジョンは忌々しげに睨みつけた。「なぜ私が貴女に教えねばならん?」
王女は冷ややかに微笑んだ。「ふん、そうか」。彼女が指を鳴った瞬間、絶対的な『誠実の魔法』が発動した。
ジョンは自分の意志に反して、勝手に口が動き出す恐怖に目を見開いた。「くっ……私はジョン。お前が眠る古跡を長年探し続けてきた。お前の封印は年々弱まっていたが、まさかあの小僧が先に貴女を見つけるとは、計算違いだった……」
王女は言った。「当然だ。あやつの家族は古跡の守護者なのだからな」
ジョンはガクリと頭を垂れると、不気味に低く笑い始めた。「くくくく……はははは! なるほど、守護者か。真実を何も知らぬとは、滑稽極まりないな。あの小僧、貴女に何も話していないのか? 守護者だと? よくもまあ、そんな嘘を信じたものだ」
イトウは困惑した。「……お前、一体何を言ってるんだ?」
ジョンは歪んだ笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。「お前たち二人の組み合わせは、最悪の皮肉だな……」。そう言い捨てた瞬間、ジョンは懐から数個の煙幕弾を取り出して地面に叩きつけた。爆発とともに濃い煙が立ち込め、霧が晴れた時には彼の姿は消えていた。
王女は冷ややかな目でイトウを見つめた。「お前、私に何か隠し事をしておるな?」
イトウは必死に首を振った。「隠し事なんてない! でも……とにかく、一度じいちゃんに確かめる必要がある」
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王女はイトウと共に彼の家へと戻った。祖父は二人の姿を見るなり、重いため息をついて出迎えた。「……ついに、魔法のことが公になってしまったか」
イトウは食い入るように祖父に詰め寄った。「じいちゃん、俺たちの家族って、本当にただの『古跡の守護者』なのか?」
祖父は不思議そうに「そうだとも」と答え、二人を家の下層にある地下室へと案内した。埃を払い、古い箱から一本の古びた巻物を取り出す。「ほれ、ここを見ろ。『守護……古跡……封印……王女……』と書かれておる」
それを見たイトウは安堵の息を漏らした。「ほら見ろ、やっぱりあの男が俺たちの仲を裂くためにデタラメを言っただけだったんだ」
底、祖父はイトウの言葉を遮った。「……結論を急ぎすぎるな、イトウ」
王女は何かが引っかかるのを感じ、イトウの手からその巻物をひったくるように奪い取った。その瞬間、巻物が眩い光を放ち、擦り切れていた文字の『続き』が、鮮やかに浮かび上がってきた。
> 『……世界を守れ。古跡の奥深くに、我が一族の手によって封印されし「魔法王女」から。
> かつて世界には魔法が満ち溢れていた。しかし、その強大すぎる力は世界中に終わりのない紛争をもたらした。王女は高山の頂へと向かい、世界中のすべての魔法を「瞬時に」己の身体へと集約させた。ある者は彼女を強欲と呼び、ある者は平和の締結者と呼んだ。
> しかし、あまりにも突発的で膨大なエネルギーは、王女の身体では完全に制御しきれぬものだった。力を御しきれなくなった王女は、両手を広げただけで、意図せず無数の町や村を破壊し尽くした。我が一族はその時、命を賭して高山に登り、魔法王女を古墓の奥底へと封印した。王女が再び目覚めし時、我が一族は必ず、彼女を再び封印せねばならない。』
イトウ、祖父、そして王女の三人は、目の前に突きつけられた真実に言葉を失った。
沈黙を破り、イトウが重い口を開いた。「……明日、もう一度古跡に戻ってみよう。何か別の手がかりがあるかもしれない」
その日の深夜。二段ベッドの上段で眠っていたイトウはふと目を覚まし、下段の王女の姿がないことに気づいた。彼は静かにベッドを降り、家を探した末、屋根の上に座り込んでいる王女を見つけた。
イトウは台所で温かいココアを二つ淹れ、屋根の上へと登って彼女の隣に座った。「どうした? 眠れないのか?」そう言って、マグカップを差し出す。
王女は「うむ……」と力なく呟き、ココアを一口啜った。直後、「……何だこれ、ものすごく美味ではないか!」
先ほどまでの沈んだ表情が嘘のように、彼女の顔に活力が戻った。彼女はカップを見つめながら、イトウに言った。「自分がなぜ封印されたのかは分かった。だが……それでもやはり、この周囲のすべてが、私にはまだ見知らぬものに思えて怖いのだ」
イトウはそんな王女を見つめ、少し意地悪く微笑んだ。「へえ……あの天下無敵の魔法王女様でも、そんな風に悩むことがあるんだな」
王女は不満そうに頬を膨らませた。
イトウは王女の肩を軽く叩き、笑った。「大丈夫だよ、全部うまくいくさ。今日のエネルギーは今日のためにだけ使いな。明日のことは、明日のエネルギーに任せればいいんだよ」
それだけ言うと、イトウは「おやすみ」と言いて一足先に部屋へと戻っていった。
翌朝、二人が出発するために家の大きな門を開けると、遠くから「待って――!」という鋭い叫び声が響いた。
ユイナが走ってこちらに向かってくる。彼女は息を荒くしながら、申し訳なさそうに言った。「ごめんね、アオイ! 村のみんなを説得しきれなかった……。でも、私はこれからもずっとみんなに言い続けるから!」
王女は静かに尋ねた。「ユイナ……お前は、私が怖くないのか?」
ユイナは、昨日彼女と一緒に過ごした楽しい時間を思い出し、悪戯っぽく微笑んで首を振った。「全然! 私は伝説なんて信じない。私は、私が実際に一緒に過ごしたその人のことを信じるの」
王女はパチパチと瞬きをすると、今度はゆっくりと、自らの意志で右手を差し出した。ユイナはその手を見て、少しどうすればいいか戸惑う。
後ろに立っていたイトウはそれを見るなり、我が子を見守る父親のような満面の笑みを浮かべ、ユイナの死角から必死に「手を握れ」とジェスチャーでサインを送った。
ユイナは思わず吹き出し、一歩前へ踏み出すと、王女の手をギュッと力強く握り締めた。
そしてイトウに尋ねた。「二人でどこへ行くの?」
イトウは前へ歩み出ると、少し照れくさそうに荷物の詰まったバックパックを叩いた。「まずは古跡に戻って、他に手がかりがないか探す。それから……高山にある、あの厄介な『魔力核心』を片付けに行くよ」
ユイナは、目の前に立つイトウが、以前よりもどこか大人びて、頼もしく見えることに気づいた。彼女は微笑んで言った。「危険な旅になりそうね。必ず、無事に帰ってきてね!」
イトウは頬を微かに赤く染め、きまり悪そうに頭を掻いた。「あ、あぁ……応! じゃあ、行ってくる」
二人は振り返り、朝日に向かって、すべての運命の始まりの場所である古跡へと歩き出した。
古跡に到着した二人は、周囲の探索を開始した。王女がかつて自分が封印されていた祭壇の台座に近づくと、そこに一つの古い『手枷』が落ちているのを見つけた。
王女がその手枷に触れた瞬間、虚空に光の文字が浮かび上がった。
*『残された魔法は、すべてこの手枷の中に封印せねばならない。』*
イトウはそれを見て言った。「なるほど、お前が封印された時に残された、一種の安全装置(保険)みたいなものだな」
しかし、王女はその手枷を見つめたまま、記憶の片隅にもそんなものは存在しなかった。王女は深く首を傾げた。*(おかしな話だ。昨夜読んだ巻物の続きには、安全装置などという記述は一言もなかったはずだが……)*。しかし、彼女は雑念を振り払い、言った。「行こう。私が引き起こした因縁だ、私が終わらせねばならぬ」
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二人は高山の麓へと辿り着いた。眼前に広がる登山道は蛇のようにうねりながら上へと伸びている。上へ向かえば向かうほど、周囲の植物は黒く焦げ付き、枯れ果てていた。天空を覆う漆黒の帳からは不吉な雷光が轟き、重苦しい魔力の圧迫感によって空気は異常なほど薄くなっていた。
王女はふと足を止め、自分の手首に嵌めた古びた手枷を見つめた。胸の奥底にずっと燻っていた恐怖が、ついに言葉となって漏れ出した。「……なぁ、イトウ。これがすべて終わった後、もし……もし皆がまだ私のことを恐れたら? あるいは、変わらず忌み嫌い続けたら、どうすればいい?」
イトウは足を止め、不安そうに揺れる王女の瞳をまっすぐに見つめた。彼は安っぽい綺麗事の慰めは言わず、ただ不敵に笑ってこう問い返した。
「じゃあ、もし誰も恐れず、嫌わなかったら?」
王女はハッとして目を見開いた。
イトウは数歩先へと進み、黒雲が渦巻く山頂を見上げながら、静かだが確固たる意志を込めて言った。「それにさ、お前は他人の目を気にしすぎなんだよ。この世界にはいろんな奴がいる。お前がコントロールできない他人の感情なんて、いつまでも頭の中に置いておく必要はないんだ。お前が信じるべきは、俺たちと一緒に過ごした『アオイ』。それだけで十分だろ!」
王女はイトウの背中を見つめ、張り詰めていた肩の力がすっと抜けていくのを感じた。彼女は自嘲気味に小さく鼻で笑うと、ぷいっと顔を背けた。「……ふん」
イトウは大股で再び登り始めた。「行くぞ! お前の果たすべき責任を終わらせて、それから――お前が本当に生きたい人生を生きるんだ!」
王女はイトウの背中を追いかけながら、その口元に、千年間の孤独の中で一度も浮かべたことのないような、温かい微笑みを咲かせた。
二人が頂上に近づくにつれ、周囲の異変は最高潮に達した。目の前に巨大な魔力核心が鎮座している。王女はゆっくりと手枷を核心へと近づけ、魔法を発動した。核心から放出されていた莫大な魔力が、凄まじい地鳴りとともに手枷の中へと急速に吸収されていく。
すべての魔力を吸い尽くした瞬間、周囲は一転して完全な闇に包まれ、激しい雷雨が襲いかかった。手枷が激しく振動し、突如として王女の手を離れ、遥か後方へと吹き飛んでいった。
イトウが驚愕して振り返ると、そこには飛んできた手枷を掴み、狂気的な笑みを浮かべるジョンの姿があった! ──最初から、その手枷は王女の遺物などではなく、ジョンの仕込んだ罠だったのだ。
ジョンは大爆笑した。「感謝するぞ、王女様!」
王女はイトウを鋭く睨みつけた。「だから言ったではないか! お前のじいちゃんが『結論を急ぎすぎるな』と言っておっただろうに!」
イトウは冷や汗を滝のように流しながら、必死に手を振った。「あー! 今はその説教、後にしてくれ!」
王女はジョンに向かって声を荒げた。「お前、一体なぜこんなことをする!?」
ジョンは手枷を掲げて叫んだ。「お前が現れる前、魔法の力は我らの生活を豊かにし、王国に抗う力を与えてくれていた! しかし、お前がすべての魔力を一方的に回収したせいで、我が国は王国に対抗する術を失い、滅ぼされたのだ! 我が一族は、お前が目覚め、この手枷に再び魔力が満ちるのを何世代も待ち続けていたのだ! さあ、魔力は我が手に戻った。王国どもに、我が一族の復讐の業火を思い知らせてやる!」
ジョンが手を振り下ろすと、巨大な落雷の群れが王国各地へと容赦なく降り注ぎ始めた。さらに、一本の鋭い雷撃が王女を直撃する。凄まじい衝撃。王女が生まれて初めて「痛み」を体感した瞬間だった。王女も即座に魔力で反撃を試みたが、ジョンが手枷で周囲の魔力を支配しているため、一切の効果を結ばない。
王女の瞳に初めて明確な恐怖の色が浮かぶ。ジョンはそれを見て嘲笑した。「これこそが、魔法の正しい使い方だ!」
ジョンが放った巨大なエネルギー波を受け、イトウと王女は高山の崖から真っ逆さまに突き落とされた。地面に激突する寸前、王女が死に物狂いで指を鳴らし、二人の落下速度を魔法で減速させた。
地面に着地した王女は、激しく息を切らしながら苦渋の表情を浮かべた。「くっ……どうすれば……どうすればあやつに勝てるのだ?」
その時、ジョンが一本の稲妻となって二人の前に着地した。「呪いの王女よ、お前は私と手を組むべきなのだ。あんな村人ども、守る価値などない」
王女は答えなかった。
二人の間で激しい魔力の鬩ぎ合いが始まった。イトウは激戦を見つめていたが、ふと、崩落した巨岩の下に王国の兵士たちが挟まれているのに気づいた。彼は迷うことなく駆け出し、命がけで怪我人たちを安全な場所へと避難させ始めた。
ジョンの攻撃は苛烈を極め、王女に一切の反撃の隙を与えない。彼は猛攻を浴びせながら、勝ち誇ったように叫んだ。「どうした、神話の王女! 貴女の実力はその程度か!」
王女はジョンの衝撃波をまともに喰らい、地面へと派手に吹き飛ばされた。イトウが必死に駆け寄る。「アオイ! 大張夫か!?」
王女はうつむき、悔しさに唇を噛んだ。「……すまぬ、イトウ。だが、あやつに勝つ方法が見つからぬ。あの手枷が、周囲の魔力をすべて吸い尽くしてしまうのだ……」
イトウは必死に頭を回転させた。脳裏に蘇るのは、あの巻物の記述。なぜ、千年前の王女は魔力の回収に失敗し、暴走してしまったのか? ──それは、魔力を一度に回収しようとした際、そのエネルギーに身体が耐えられなくなったからだ。
「……閃いた!」イトウは王女の肩を強く掴んだ。「アオイ、俺、お前が千年前になぜ暴走したのか分かったよ! あの莫大な魔力は、一箇所に『溜め込む』から暴走するんだ。つまり、あの手枷に『一瞬で、許容量を超える限界以上の魔力』を注ぎ込めば、あいつの身体は絶対に耐えきれなくなる!」
王女はイトウを見つめた。「だが、万が一、私がまた制御を失えば……」しかし、イトウの瞳に宿る絶対的な信頼の光を見て、彼女は言葉を込み、力強く頷いた。「……分かった。やってみせよう」
王女は再び立ち上がり、ジョンの前に立ちはだかった。ジョンは「お前の残りの魔力も、すべて私が喰らってやる!」と叫び、全力の衝撃波を放った。王女はその一撃を受け、再び膝を折る。
ジョンは倒れかけた王女を見下ろし、勝ち誇って手枷を突き出した。「さあ、大人しくお前の使命を果たせ!」手枷が王女の魔力をじわじわと吸収し始める。
──その瞬間、苦悶の表情を浮かべていた王女が、不敵にニヤリと笑って立ち上がった。
「……私の使命は、今ここで果たされる!」
王女は猛烈な踏み込みでジョンの懐に飛び込むと、手枷を嵌めた彼の右腕を、両手で死に物狂いに掴み落とした! そして、己の体内に残るすべての神話級の魔力を一点に凝縮させ、凄まじい逆流の勢いで、ジョンの手枷の中へと一気に流し込んだ!
「な、何だと!? ま、待て、止めろ! 止めろおおおおおあぁぁぁぁぁーーー!?」ジョンの顔面が驚愕で真っ白に染まる。神話の王女が持つ全エネルギーをダイレクトに叩き込まれた手枷は、その許容量を瞬時に超越。表面に無数の黄金の亀裂が走り、眩い光を放ち始めた。
「どおおおおおおおおおおおおおおん!」
天地を揺るがす大爆発が炸裂した! その凄まじい衝撃波は、千年もの間世界を覆っていた漆黒の帳と雷雲を一瞬にして吹き飛ばし、その向こう側に、どこまでも澄み渡る美しい青空を洗い出した。
遠くの村々、そして王国の全住民が、あの呪わしい黒幕と核心が消滅したのを目撃した。人々は次々と家から飛び出し、歓喜の声を上げて拍手喝采を送った。「やった……やったぞ! 核心が消えた! 私たちは救われたんだ!」
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それから数日が経ったが、ジョンと王女がどこへ消えたのか、知る者は誰もいなかった。
しかし、王国の間で千年間語り継がれてきた、あの恐ろしい「呪いの王女」の伝説は、いつしか人々の日々の感謝の言葉の中で、新しい名前へと書き換えられていった。──そう、「伝説の王女」という名に。
まあ、何はともあれ、守護者の一族である俺としては、もうあの陰気臭い古跡にこもって見張りを続ける必要がなくなったわけだ。王国中が復興に向けて大忙しで働いている中、俺は先の戦いで名誉ある「軽傷」を負ったおかげで、村の力仕事から合法的にサボる権利を得ていた。
古跡のすぐ側にある、キラキラと光る池のほとり。
イトウは大きな岩の上に腰掛け、竹製の釣り竿を握りながら、穏やかな水面をのんびりと眺めていた。釣りをしていると、どうしてもあの生意気な王女と交わした様々な会話が頭をよぎる。
「はぁ……あいつ、今頃どこで何をしてるのかなぁ……」
「またサボっておるな、イトウ」
聞き覚えのある、少しからかうような凛とした女の声が、突如として背後から響いた。
「ぶふっ!?」イトウは心臓が飛び出るほど驚き、竿を持ったまま池に落ちそうになりながら振り返った。そこには、信じられないことに、あの王女が立っていた!!
「お、お前……王女様!? なんでここにいるんだよ!? あの大爆発に巻き込まれて消えたから、てっきり死んだと思ってたぞ!」
王女は心底呆れたように大きなため息をつくと、両手を胸の前で組み、不満そうに口を尖らせた。「無礼な奴め。私がジョンに最後の一撃を叩き込む直前、足元に『転移門』を開いておいたに決まっているだろう。ただ、久々の魔法で少し座標がズレてな……名も知らぬ遥か遠くの異郷に飛ばされ、ここまで歩いて戻るのに数日もかかってしまったのだぞ!」
目の前に立つ、相変わらず傲慢で、しかしこれ以上ないほど元気そうな少女の姿を見て、イトウの顔に心からの安堵の笑みが浮かんだ。彼は岩から立ち上がると、しっかりと右手を差し出した。
「……おかえり、アオイ」
王女はその手を見つめ、それから、千年間の人生の中で最も美しく、最も輝かしい、心からの笑顔を咲かせた。彼女はイトウの手をしっかりと握り返すと、弾むような声で言った。
「さあ、私に『釣り』とやらを教えてくれるのだろう?」
完
新作を書きました!✨
少し童話のような雰囲気の物語です。
楽しんで読んでいただけたら嬉しいです!




