白銀の騎士と漆黒の姫
「この国はいずれ滅びます」
幽閉塔へ続く城壁を歩いていたノワール=スウルスは、漆黒の髪を風になびかせながら静かに呟いた。
白銀の騎士ブラン=ケオトルトは、彼女の言葉がにわかには信じられなかった。
――眼下に広がるグリーディオラ帝国。
帝都の町並みは、とても華やぎ、活気に満ち溢れている。
至るところに水路が通されており、客や荷を積んだゴンドラが忙しなく行き交っていた。
この大陸では『金』よりも『水』に価値があり、各国共通の『富の象徴』とされていた。
そして大陸内で、これだけの水路がある国は『グリーディオラ帝国』一つだけだ。
「どんなに栄華を極めようと、所詮は人が作ったもの。
…いずれ滅びる定めにあることには、変わりません」
内心動揺するブランを静かに見据えながら、ノワールはさらに言葉を紡ぐ。
「それが“略奪”による、栄華なら尚の事。また人の手によって滅ぼされることでしょう」
「…口を謹んだほうがいい」
ノワールの言葉を遮り、ブランが口を挟む。
「……貴女は、自分の置かれた立場をわかっておいでか?」
「ええ、わかっております」
ノワールは、揺らぎのない澄んだ青い眼差しをブランに向けてきた。
毅然とした彼女の態度に、ブランは不覚にも怯みそうになった。
グリーディオラ帝国の『白銀の騎士』といえば、周辺諸国にその名が知れ渡っている。
返り血を一切浴びることなく、瞬時に敵を切り伏せる機敏さと卓越した剣術を誇る、ブラン=ケオトルト。
彼の名声をさらに盤石なものにしたのが、『スウルス国』との戦いだった。
勝利を治めた凱旋では、傷も汚れもまったくない白銀の鎧を纏ったブランの姿に、自国民は敬畏の眼差しを向けたのだった。
そんなグリーディオラ帝国の英雄が、今は囚われの身である亡国の姫ノワール=スウルスに気後れしたのだ。
それほどまでに彼女の立ち振る舞いは、気高く、そして堂々たるものだった。
「――私は戦いに敗れた国の王女。
今の言葉が“貴方の主人”の耳に入ったら、私は“殺さず生かしたのに恩知らずな女”として断罪される。 そうでしょう?」
皮肉を込めたノワールの言葉に、ブランは頷いた。
「…そうだ。だから言葉を選んだほうがいい」
「私が死ぬこと…自分の命が惜しいと思っているとでも?」
ノワールが初めて憤りを顕にした。
ブランは押し黙る。
「あの日……祖国が焼かれたあの時に、私の心はもう死んだようなものです」
そう言い放ったノワールの顔を直視できず、ブランは黙ったまま目を伏せた。
──── ────
――赤々と燃える、敵国の王都。
金目のものはすべて奪い尽くし、逃げまどう者たちを、自国の兵士が次々と切り殺していく。
そこら中で、絶えず悲鳴が聞こえた。
そんな町中を、白銀の鎧を纏ったブランが馬で駆け抜ける。
ブランは、グリーディオラ皇帝から“ある勅令”を受けていた。
目的の場所に着き、適当な木に馬を繋ぎ止めたブランは、古い石造りの建物の中へと入る。
入口のすぐ、地下へ続く階段があった。
両手を広げても余りある横幅の広い石造りの階段。
ブランはなるべく物音を立てないように、慎重な足取りで降りていく。
そして行き止まりと思われる最奥部には大きな石の扉があった。
警戒しながら、その扉をゆっくりと押し開ける。
『ここが…水の神殿』
目の前の幻想的な光景に、ブランは思わず息を飲んだ。
明かりが届かない地下のはずだが、辺り一面の満ちた水面が淡く光っている。
よく目を凝らして見てみると、水の中に発光した小さな浮遊生物が見える。
この生物が発する光が水面を明るく照らしているのだ。
ブランは、前方へ視線を向けた。
細い石畳の道があり、それは広間のちょうど中央で途切れている。
途切れた先には、一つの古びた『杯』が台座の上に鎮座していた。
『あれが…聖杯?』
我を忘れ、ブランは導かれるように石畳の道へと、一歩足を踏み出した。
――その時。
風を切る音がした。
踏み出した靴先の石床に、一本の矢が突き刺さる。
ブランは我に返り、その場からすぐ飛び退いた。
素早く広間を出ると、片扉を盾にするように身を隠す。
一呼吸し、扉から少し顔を覗かせ、広間内の様子を窺う。
闇に目が慣れると、広間の上部がせり出した壁だと分かった。
そして、そこから弓を構えた敵兵がこちらに向かって狙いを定めている。
(さて…どうするか)
流石のブランでも、これでは正面突破は難しい。
『……兄様?』
その時、背後から若い女の声がした。
『!!』
やや身体を沈めるように、振り返りざまに抜いた剣を真横に払う。
横一線に振られた剣先は、背後にいた女の喉元をぎりぎりかすめる。
漆黒の髪の一房が切れ、はらりと床に落ちた。
女の澄んだ青い瞳が、大きく見開く。
一切の隙を与えず、ブランは女の真後ろに回り込むと、その細い首に自身の片腕を回した。
『くっ…!』
背後から首を絞め上げられた女が、籠手を嵌めた腕へ必死に爪を立てる。
『貴様は、誰だ』
ブランは締め上げる腕の力を少し抜き、より一層、低い声で問うた。
――女は、何も答えない。
『……首をへし折られてもいいのか?』
本気の言葉に、女は息を呑んだ。
『ノワール様!!』
その時、第三者の声が入り込んだ。
ブランは舌打ちをし、声がする方へ振り返る。
先ほど通過した時には、確かに壁だった場所が、今はくり抜かれたような横穴が開いていた。
そして入口の前に、長い髭を蓄えた老人が立っている。
(壁ではなく、隠し通路だったのか。…いや、それよりも…)
“ノワール”
その名に、聞き覚えがあった。
『スウルス国の姫君か』
『っ!』
ブランの投げかけに、女は明らかに動揺した。
――その後。
ノワールを盾にし、広間にいた弓隊の動きを封じると、ブランはいとも簡単に聖杯を手に入れた。
運さえ味方につけたブランは、こうして――スウルス国を滅ぼしたグリーディオラ帝国の英雄『白銀の騎士』として、さらにその名を轟かせたのだった。
『ブランよ、よくやった。この聖杯が手に入れば、枯渇した我が国土は、かつてのように再び潤う!』
グリーディオラ皇帝の称賛を、ブランはまったく喜ぶことができなかった。
(あの戦いに正義はなかった。
無抵抗な他国への侵略と略奪…そして殺戮だけだった…)
──── ────
無抵抗なスウルスの民を殺した。
投降しようとした者の首をはねた。
『なぜだ…我々が何をしたというのだ…?』
『痛い…痛いよ』
『抵抗はしない!だから殺さないで!!』
嘆き、悲しみ、もがき、
スウルスの死者達が、ブランの体へ纏わり付く。
「っ!!」
ブランはベッドから飛び起きた。
――…あの戦いの後から、ブランは悪夢に魘されるようになった。
ブランはその足で、ノワールが幽閉されている塔を訪れる。
「――何か、望むものは?」
そう問われ、ノワールは首を小さく横に振る。
そして椅子に腰を落ち着けながら、小窓から外を眺め始めた。
食事に口をつけた様子はない。
給仕の女を見ると、静かに首を横へ振った。
ブランは黙り込むと、視線を落とした。
「なぜ、ここへ来るのですか?」
顔を上げる。
ノワールの視線は、依然として窓の外に向けられたままだ。
「あなたに……死なれては困るからだ」
「ああ、愚問でしたね。――聖杯のお陰で、私は生かされているのでした」
ノワールは生気のない眼差しを、ブランに向けながら弱々しく呟いた。
【聖杯】はスウルス王家一族にしか、『その力』を引き出すことはできない。
この大陸は、深刻な水不足に陥っていた。
数年間、雨が地上を潤すことはなく、大陸中の至るところの水場が干上がった。
乾き切った大地では、作物が全く育たず、人々は飢饉に苦しんだ。
唯一、聖杯を持つ古い民族が統治する小国――『スウルス国』以外を除いては。
スウルスの民は、慈愛心の塊のような思慮深い民族だった。
困窮している周辺諸国へ、スウルスの王はその聖杯を用いて、無償で水の援助した。
彼らはそれを独占することは、決してなく、他国と均等に水を配当したのだ。
だが、グリーディオラ皇帝だけは、無限に水をもたらす聖杯を独占しようと陰で画策していた。
『スウルスの王は、水の配当を打ち切ろうとしている!!』
そんな嘘の情報が近隣諸国へ流れる。
それを信じた各国は、激しく動揺した。
『スウルスの民が、聖杯を独り占めしようとしている!』
『なんとしても阻止しなくては!!』
各国の首脳たちが、勝手極まりない非難の声を上げ始める。
その波紋は瞬く間に広がり、国同士の聖杯を奪う戦いが始まった。
そして戦いの末――聖杯を勝ち取ったのは、グリーディオラ帝国だった。
(……あの戦いに正義などなかった。
独占力に駆られた、只の暴力だ。
スウルスの民の慈悲の心を踏みにじった。
これは彼らへの冒涜に他ならない)
幽閉される以前、ブランに怯むことなく、静かに諭していたスウルス国の王女ノワール。
数か月が経ち、かつて威厳のあった彼女の面影はもうそこになかった。
その痛々しい姿を、ブランは直視できなかった。
『本当に、彼女の心は死んでしまったのかもしれない』
『そうさせたのは一体…誰だ?』
静かに責め立てる、姿なき亡霊の声がする。
(違うんだ…私は…!)
ブランは思わず、苦悶の表情を隠すように片手で顔を覆った。
――自分が人質に取られたことで、まんまと国の宝である【聖杯】を他国に奪われた。
ノワールは、自分自身をとても恨んだことだろう。
兄が来たと期待し、隠し通路から出てきた彼女は、敵兵である自分の姿を見て――どんなに絶望したことだろうか。
「…………」
ブランは意を決して、椅子に座るノワールの前で片膝を折った。
「…何を、しているのですか」
ブランの行動に、ノワールは疲れ切った顔のまま眉を顰めた。
「私は貴女に償わなければならない……」
ブランは片膝をついたまま、真っ直ぐ彼女を見上げて告げた。
「何でも言うことを聞く。…貴女が望むなら私の…この命を喜んで差し出す」
その言葉に、ノワールは目を見開いた。
「何を…言っているの…?」
「私は本気だ…この剣で私を殺してくれてもいい」
己の剣を、ノワールの前に差し出す。
「そんなことをして…なんになるの?」
ブランの行動に、ノワールは怒りで震えた声を振り絞った。
「貴方が死んだところで!死んだ父も、兄も、臣下の者たちも、民の皆も! みんな生き返るわけではないわ!!」
椅子から立ち上がり、ノワールは泣きながら声を荒げた。
「何でもするなら、私の家族たちを“生き返らせて”よ!」
悲痛な面持ちで叫ぶ。
「……ほらね、できないでしょ?」
何も答えられないブランの姿を見て、ノワールは力なく再び椅子に座り込んだ。
「もう…いい。私の前から“消えて”」
ノワールの願いに、ブランは黙って従った。
──── ────
「ノワールを処刑する…」
グリーディオラ皇帝の言葉に、ブランは動揺を隠せなかった。
「ああ」
「しかし、彼女が死ねば、聖杯の力を行使することができなくなるのでは…?」
「それがな。あの女がいなくて済む方法を見つけたのだ」
ブランの問いかけに対し、グリーディオラ皇帝は自慢気に答えた。
「なぁ、そうであろう?」
「左様でございます、陛下」
グリーディオラ皇帝の隣に立っていた男が恭しく、自身の胸に手を当てて、そう答える。
「貴殿は…?」
ブランは、男を睨みつける。
「アッシュと申します。――以前は、スウルス大神殿で神官長を務めておりました」
(……ノワール以外に、まだ生き残りがいたのか…)
「こやつはスウルス国の古い禁書から、王族の血筋がいなくとも聖杯の力を使える術を見つけ出したのだ!!だからあの女を生かす必要はもうない!!」
グリーディオラ皇帝は勝ち誇ったように高笑いした。
――グリーディオラ皇帝は、聖杯の力を引き出せるノワールを恐れていた。
『いつか自国民が、敗戦国の者どもが、聖杯を使えるノワールのことを“聖女”と祭り上げて、自分の地位を失墜させるのではないか』
グリーディオラ帝国は国民の税の取り立てが厳しく、また殺戮を繰り返しては敗北した近隣諸国を属国して従わせて、国土の肥大化を図っていた。
それゆえに、グリーディオラ皇帝は“報復”をなによりも恐れていた。
そして聖杯を操れるノワールが、そのきっかけを与える引き金に成り得ると危険視していたのだ。
だが、スウルス国の王族がもう必要ないとわかれば――ノワールは用済みだ。
高笑いする“己の主”を静かに見つめながら、ブランは血が滲み出るまで爪を立て、自身の拳をきつく握りしめた。
「なぜ、陛下に仕えている? お前にとって陛下は…」
その場からグリーディオラ皇帝がいなくなると、ブランはすかさずアッシュを問いただす。
するとアッシュは無言で、自身の口元に人差し指をそっと添える。
「お静かに。それ以上仰ると不敬罪に問われますよ?」
アッシュに釘を刺されて、ブランは押し黙った。
「まぁ、“自分の命の保証と引き換えに情報を提供したまで”です」
アッシュはそう言って笑ったが、その目は全く笑ってはいなかった。
「――時に、ノワール…様はいかがお過ごしなのですか?」
「…………」
命と引き換えに、国を裏切っても、自国の王女のことは気になるらしい。
アッシュの言葉に、静かに首を横に振る。
「彼女に…消えろと、拒絶されてから会いには行っていない。だから、彼女が今どうしているか…分からない」
ブランは、アッシュに事の経緯を話した。
「…そうですか」
ブランから話を聞き終えて、アッシュは納得したように頷いた。
「それで?…貴方はこのままノワール様の我儘にただ従うと?」
「……それが、彼女の望みだ」
ブランの返答に、アッシュは思案顔で自身の顎にそっと手を添えた。
「なら、貴方にはその“誓い”を破っていただくしかないですね」
「……どういう意味だ?」
アッシュの含み笑いに、ブランは眉をひそめた。
──── ────
「アッシュ…他の者は?他に誰もおらぬのか?」
「ええ、陛下と私だけですよ」
誰もいない部屋を怪訝そうに見渡すグリーディオラ皇帝に、アッシュは内心ほくそ笑む。
「これは、他の方々には内密にしていただきたいことですから」
「む、そうだな。――して、余が、聖杯を自由に扱える方法とは? 一体どうすれ……ぐっ」
突然鋭い痛みを感じて、グリーディオラ皇帝は自身の胸を見下ろした。
血塗られた剣先が、背中から己の胸を貫いている。
上等な服に、赤黒いシミがみるみるうちに広がっていった。
呆然とした様子で、血に塗れた己の胸元に触れる。
グリーディオラ皇帝は、ぎこちなく首だけを後ろへと向けた。
「アッ…シュ。これは…どういう…」
皇帝の片肩を掴んだまま、アッシュは背中に刺したままの剣をさらに深く差し込んだ。
グリーディオラ皇帝は、堪らず口から血を吐く。
そして自身が作った血溜まりの上へと、その両膝を突いた。
「そんな方法などありませんよ。陛下」
床に倒れ込んだグリーディオラ皇帝の背中を踏みつけながら、アッシュは剣を抜き去る。
そして剣身についた血をひと振りで払うと、鞘に収めた。
「貴様…余を…騙し…」
「…先に欺いたのは、貴様の方だろ?」
アッシュは、冷酷なまでに静かな声で問うた。
「……貴様は…だれ…なのだ……!」
グリーディオラ皇帝は、息も絶え絶えになりながら、目一杯に叫んだ。
鬱陶しい自身の前髪を乱暴にかき上げながら、アッシュは言った。
「――俺か? 俺は、スウルス国第一王子のアシュベルトだ」
「…ばか…な」
「配下に“死んだ”と聞かされていたものな。
だが、貴様はその自身の目で、俺の死体を確かめてみたのか?」
戦いの最中、グリーディオラ皇帝は、一度も自国の城から出たことがない。
あの戦火を、あの悲惨な光景を、この男はその目で見たことがないのだ。
――無言。
それが、なによりの答えだった。
グリーディオラ皇帝の死を確認すると、アシュベルトはすぐにその場から立ち去った。
──── ────
『…お待ちください!……ぐっ』
制止する兵の声が途切れて、ずさっと重い音が漏れ聞こえてきた。
ギィー、と軋んだ音を立てながら、鉄扉が内側へ開く。
「…ノワール」
片膝を折り、彼女の名を呼ぶ。
「ブラン…貴方に“お願い”があります」
ノワールは、消え入りそうな掠れた声で続ける。
「…私を殺してください」
その言葉に、ブランは目を見開いた。
ノワールは椅子から崩れ落ちるように石床に座り込むと、ブランの胸元に縋って懇願した。
「もう疲れました。…皆が…私を責め立てるのです。国の宝を奪われたのはお前のせいだと…お前のせいで…我々は死んだ。……と、そう責めるのです」
「それは違う!」
ブランは、すかさず強く否定した。
彼女の両肩を掴み、強い口調で諭す。
「貴女のせいではない! 絶対に違う! 私のせいだ…貴女から聖杯を奪ったのは、この私なんだ…!
――一体…誰が貴女を恨むだろうか」
ブランは、己の下唇を噛み締めながら深く俯いた。
「…そうだ。貴女は悪くない…なにも悪くないんだ」
悲壮な表情を浮かべるブランを見て、ノワールは途端に泣き出した。
――しばらくして、慌ただしく石畳を打ち鳴らす複数の足音が聞こえてきた。
「…ノワール、行こう」
ブランは優しい声音でそう言い、彼女を片腕で抱き上げた。
聖杯を奪ったあの日。
気を失った彼女を抱きかかえたことがあったが、その時よりも驚くほど身体が軽くなっていた。
「どこ…へ?」
抱き上げられて戸惑うノワールに、ブランは何も言わずただ優しく微笑みかけた。
そしてノワールを片腕で抱き上げたまま、剣を振り払って鞘を抜き去る。
カラン。
軽やかな音を立てて、鞘が石床に落ちる。
と同時に、複数の兵が部屋に雪崩れ込んできた。
「ブラン=ケオトルト! 貴様を陛下を殺した“反逆者”として拘束する! 大人しく投降しろ!!」
兵士たちが突き出した剣の切っ先が、一斉にブラン達に向けられた。
ノワールが身体を竦ませて、彼の首に縋りつく。
そんな彼女を安心させるように、ブランはノワールを抱きかかえる片腕にグッと力を込めた。
「断る!」
短く答え、不敵な笑みを浮かべる。
この危機的状況下の中でも、尚も余裕を見せるブランに、兵士たちは思わずじりじりと後退った。
「ノワール姫をお守りすることが、この白銀の騎士ブラン=ケオトルトの使命!!貴様ら、そう心得よ!」
そう叫ぶと、ブランは態勢を少し低めながら、踏み出した脚にぐっと力を込めた。
「――押し通る。死にたくなかったら、そこを退け!」
その気迫に、兵士たちはたじろぐ。
ノワールをしっかりと抱きかかえたまま、白銀の騎士ブラン=ケオトルトは兵士たちに向かって突進した。
──── ────
「…はっ…はっ…はっ」
建物の影に身を潜めながら、ブランは荒い呼吸を繰り返した。
「大丈夫…ですか?」
ブランの腕から降りたノワールは、心配そうに声をかけた。
「…大丈夫だ」
傷ついた身体で、ブランは無理に笑う。
「でも…」
ノワールは両膝を折り、ブランを気遣った。
ブランたちは、なんとかその場を切り抜けられた。
だが、流石に無傷とはいかなかった。
――なんとか、ノワールだけでもこの国から逃さなければ…。
自身の傷より、ノワールの身を案じる。
――あとどのくらい、自分は保つのか。
――ノワールを安全なところに、一刻でも早く。
ブランは言う事を聞かない身体に焦りを募らせていたが、ふと心配するノワールの顔を見て、言い忘れていたことを思い出した。
「ああ…そうだ。――貴女に、吉報があるんだ」
ノワールが首を傾げる。
「貴女の兄上は存命している」
「!!」
ノワールの目に、再び光が点った。
「お兄様が…生きていらっしゃる?」
「そうだ」
ブランの力強い言葉に、ノワールの目から涙が溢れた。
彼女の青い瞳に再び生気が灯ったことに、ブランはこの上なく喜びを感じた。
――まだだ。自分は、まだ進める。
途端に力が漲り、ブランは再び立ち上がった。
「ノワール、行こう」
ブランが差し出した手を、ノワールは迷わずに掴んだ。
「お兄様!」
アシュベルトの姿を一目見て、ノワールはその胸に飛び込んだ。
「ご無事でよかった…!」
ノワールは、彼の胸元で泣きじゃくる。
アシュベルトは、痩せた妹の背中を優しく擦った。
「お前も生きていて、本当によかった…」
アシュベルトは、安堵の息を吐いた。
そんな兄妹の再会を見届けたブランは、急に力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
「ブランっ!」
──── ────
乾いた喉に何かが流し込まれ、ブランは薄く目を開けた。
「よかった…」
ノワールは泣きそうな表情を浮かべながら、顔を覗き込んでいた。
ブランはノワールに膝枕された状態で、はっきりしない視界で辺りを見渡す。
すると、鮮やかな緑の色彩が真っ先に目に飛び込んできて、無意識に起き上がる。
――目の前の光景に、圧倒された。
「これ…は、一体」
まるで二人を囲うように、青々と茂った木々が覆っていた。
「聖杯の力を使いました」
唖然とするブランに、ノワールが静かに告げる。
彼女の手には、かつてブランが『水の神殿』から奪い取った【聖杯】が握られていた。
「聖杯は、無尽蔵に水を湧かせるだけではありません」
ノワールは辺りを見渡しながら、ゆっくりと話す。
「生命の成長を早める促進作用もあるのです。種を撒き、聖杯の水を与えたら…このように、数時間で大木に成長することも出来るのです」
その話を聞き、ブランは驚いた。
「…だが、その力を引き出せるのはスウルス王家の者だけだ。
他の者が、聖杯の水をいくらかけたとしても効果は出ない」
木の幹に体を預けながら、腕を組み、アシュベルトが不機嫌そうに補足した。
「だが、その力には“危険”がある」
「危険?」
「ああ。………力を使った分だけ、使用した者自身の寿命を縮めることになる」
「!?」
ブランは弾かれたように、ノワールを見た。
「さっき…私に飲ませたのは…?」
ブランの問いには答えず、ノワールは静かに微笑む。
「聖杯の力は、飲んだ者の自己回復の手助けにもなるのですよ」
ノワールの言葉に、ブランは自身の身体を見下ろした。
――ブランの深手を負った傷はすでに治っていた。
「しかし、それでは…」
「それで、これから『私達』は、巡礼の旅に出ることにしたのです」
ブランの言葉を遮り、ノワールはそう告げる。
「お兄様と一緒に……各国を回って、この大陸を再び緑の大地に戻すつもりです」
それは、ノワール達の寿命を縮める行為だ。
だがしかし、スウルスの民はとても慈愛深い民族である。
「本当は、こうなる前にすべきだったのですが…」
「我々とて、人間だ。聖人ではない。自分の寿命を縮めてでも…お前たちを助ける価値があるのか? 私達は、それを見極めようとしていた。…だが、お前たちは大きな過ちを犯した」
ノワールの言葉を引き継ぎ、アシュベルトが話を続ける。
その表情は、明らかに憤っていた。
「自分達の私利私欲のために、聖杯を我が物にし――独占しようとした」
表情と裏腹に、アシュベルトが冷淡たる声で言い放つ。
「……」
ブランは、何も言い返せなかった。
「…ですが、ブラン。貴方は、私に自分の命を差し出そうとした。
その気持ちは“私たち”に通じるものがありました。
だから…私たちはあなたたちを許し――そして救う道を選びます」
ブランを気遣ってか、ノワールは優しい声音で言った。
そしてノワールとアシュベルトは互いの顔を見合って、しっかりと頷き合う。
「…その巡礼の旅、私にも同行させてほしい」
ブランが静かに告げると、ノワールとアシュベルトは驚いた。
「傭兵としてでも構わない。――国を追われる身としては…むしろ好都合だ」
そう言って、ブランはからっと笑った。
「私は、自分で言うのもなんだが強い。その聖杯を、あなたたちを狙う輩は多いのだろう?」
その投げかけに、二人は言葉に詰まった。
ブランの言う通りだからだ。
「だから、私を連れて行ってくれ」
ブランは、深々と頭を下げる。
「……本当にいいんですか?」
ノワールが控えめな声で尋ねる。
「ああ。それが私の望みなんだ」
ブランは立ち上がり、強く頷いた。
「それに…私は、何よりも貴女と共に、生きたい」
ブランに真っ直ぐな目を向けられて、ノワールは驚いて目を見開く。
頬にやや朱を差し、戸惑いを隠せないノワールの手をそっと取り、ブランは静かに片膝をついた。
そしてノワールの手の甲に、己の額を近づける。
「ノワール=スウルス。私、ブラン=ケオトルトは、我が魂に誓い、貴女へ揺るぎなき忠誠を。そして――」
ブランは顔を上げて、高々と宣言する。
「貴女に、永遠の愛を捧げる!」
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