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苦手な方はご注意ください。

白銀の騎士と漆黒の姫

作者: 甘灯

「この国はいずれ滅びます」


 幽閉塔へ続く城壁を歩いていたノワール=スウルスは、漆黒の髪を風になびかせながら静かに呟いた。

 白銀の騎士ブラン=ケオトルトは、彼女の言葉がにわかには信じられなかった。


 ――眼下(がんか)に広がるグリーディオラ帝国。  


 帝都の町並みは、とても華やぎ、活気に満ち溢れている。

(いた)るところに水路が通されており、客や荷を積んだゴンドラが忙しなく行き交っていた。


 この大陸では『金』よりも『水』に価値があり、各国共通の『富の象徴』とされていた。

 そして大陸内で、これだけの水路がある国は『グリーディオラ帝国』一つだけだ。


「どんなに栄華を極めようと、所詮(しょせん)は人が作ったもの。

…いずれ滅びる定めにあることには、変わりません」


 内心動揺するブランを静かに見据えながら、ノワールはさらに言葉を紡ぐ。


「それが“略奪”による、栄華なら尚の事。また人の手によって滅ぼされることでしょう」


「…口を謹んだほうがいい」


 ノワールの言葉を遮り、ブランが口を挟む。


「……貴女は、自分の置かれた立場をわかっておいでか?」


「ええ、わかっております」


 ノワールは、揺らぎのない澄んだ青い眼差しをブランに向けてきた。

 毅然とした彼女の態度に、ブランは不覚にも(ひる)みそうになった。


 グリーディオラ帝国の『白銀の騎士』といえば、周辺諸国にその名が知れ渡っている。

 返り血を一切浴びることなく、瞬時に敵を切り伏せる機敏さと卓越した剣術を誇る、ブラン=ケオトルト。

 彼の名声をさらに盤石なものにしたのが、『スウルス国』との戦いだった。

 勝利を治めた凱旋では、傷も汚れもまったくない白銀の鎧を纏ったブランの姿に、自国民は敬畏(けいい)の眼差しを向けたのだった。

 そんなグリーディオラ帝国の英雄が、今は囚われの身である亡国の姫ノワール=スウルスに気後れしたのだ。

 それほどまでに彼女の立ち振る舞いは、気高く、そして堂々たるものだった。


「――私は戦いに敗れた国の王女。

 今の言葉が“貴方の主人”の耳に入ったら、私は“殺さず生かしたのに恩知らずな女”として断罪される。 そうでしょう?」


 皮肉を込めたノワールの言葉に、ブランは頷いた。


「…そうだ。だから言葉を選んだほうがいい」


「私が死ぬこと…自分の命が惜しいと思っているとでも?」


 ノワールが初めて憤りを(あらわ)にした。

 ブランは押し黙る。


「あの日……祖国が焼かれたあの時に、私の心はもう死んだようなものです」


 そう言い放ったノワールの顔を直視できず、ブランは黙ったまま目を伏せた。




  ────  ────  


 


 ――赤々と燃える、敵国の王都。

 

 金目のものはすべて奪い尽くし、逃げまどう者たちを、自国の兵士が次々と切り殺していく。


 そこら(じゅう)で、絶えず悲鳴が聞こえた。

 そんな町中(まちなか)を、白銀の鎧を纏ったブランが馬で駆け抜ける。


 ブランは、グリーディオラ皇帝から“ある勅令”を受けていた。

 目的の場所に着き、適当な木に馬を繋ぎ止めたブランは、古い石造りの建物の中へと入る。


 入口のすぐ、地下へ続く階段があった。

 両手を広げても余りある横幅の広い石造りの階段。


 ブランはなるべく物音を立てないように、慎重な足取りで降りていく。

 そして行き止まりと思われる最奥部には大きな石の扉があった。

 

 警戒しながら、その扉をゆっくりと押し開ける。


『ここが…水の神殿』


 目の前の幻想的な光景に、ブランは思わず息を飲んだ。


 明かりが届かない地下のはずだが、辺り一面の満ちた水面(みなも)が淡く光っている。

 よく目を凝らして見てみると、水の中に発光した小さな浮遊生物が見える。

 この生物が発する光が水面を明るく照らしているのだ。

 

 ブランは、前方へ視線を向けた。

 細い石畳の道があり、それは広間のちょうど中央で途切れている。

 途切れた先には、一つの古びた『(はい)』が台座の上に鎮座していた。


『あれが…聖杯(せいはい)?』


 我を忘れ、ブランは導かれるように石畳の道へと、一歩足を踏み出した。

 

 ――その時。

 

 風を切る音がした。

 踏み出した靴先の石床に、一本の矢が突き刺さる。

 ブランは我に返り、その場からすぐ飛び退()いた。

 素早く広間を出ると、片扉を盾にするように身を隠す。


 一呼吸し、扉から少し顔を覗かせ、広間内の様子を(うかが)う。

 闇に目が慣れると、広間の上部がせり出した壁だと分かった。

 そして、そこから弓を構えた敵兵がこちらに向かって狙いを定めている。


(さて…どうするか)


 流石のブランでも、これでは正面突破は難しい。


『……兄様?』


 その時、背後から若い女の声がした。


『!!』


 やや身体を沈めるように、振り返りざまに抜いた剣を真横に払う。

 横一線に振られた剣先は、背後にいた女の喉元をぎりぎりかすめる。

 漆黒の髪の一房が切れ、はらりと床に落ちた。

 

 女の澄んだ青い瞳が、大きく見開く。

 一切の隙を与えず、ブランは女の真後ろに回り込むと、その細い首に自身の片腕を回した。


『くっ…!』


 背後から首を絞め上げられた女が、籠手(こて)を嵌めた腕へ必死に爪を立てる。


『貴様は、誰だ』


 ブランは締め上げる腕の力を少し抜き、より一層、低い声で問うた。


 ――女は、何も答えない。


『……首をへし折られてもいいのか?』


 本気の言葉に、女は息を呑んだ。


『ノワール様!!』


 その時、第三者の声が入り込んだ。

 ブランは舌打ちをし、声がする方へ振り返る。

 先ほど通過した時には、確かに壁だった場所が、今はくり抜かれたような横穴が開いていた。

 そして入口の前に、長い髭を蓄えた老人が立っている。


(壁ではなく、隠し通路だったのか。…いや、それよりも…)


 “ノワール”


 その名に、聞き覚えがあった。


『スウルス国の姫君か』


『っ!』


 ブランの投げかけに、女は(あき)らかに動揺した。


 

 ――その後。

 ノワールを盾にし、広間にいた弓隊の動きを封じると、ブランはいとも簡単に聖杯を手に入れた。

  

 運さえ味方につけたブランは、こうして――スウルス国を滅ぼしたグリーディオラ帝国の英雄『白銀の騎士』として、さらにその名を轟かせたのだった。


『ブランよ、よくやった。この聖杯が手に入れば、枯渇した我が国土は、かつてのように再び潤う!』


 グリーディオラ皇帝の称賛を、ブランはまったく喜ぶことができなかった。


(あの戦いに正義はなかった。

無抵抗な他国への侵略と略奪…そして殺戮だけだった…)




    ────  ────




 無抵抗なスウルスの民を殺した。 

 投降しようとした者の首をはねた。


『なぜだ…我々が何をしたというのだ…?』


『痛い…痛いよ』


『抵抗はしない!だから殺さないで!!』


 嘆き、悲しみ、もがき、

 スウルスの死者達が、ブランの体へ(まと)わり付く。


「っ!!」


 ブランはベッドから飛び起きた。


 ――…あの戦いの後から、ブランは悪夢に(うな)されるようになった。


 


 ブランはその足で、ノワールが幽閉されている塔を訪れる。


「――何か、望むものは?」


 そう問われ、ノワールは首を小さく横に振る。

 そして椅子に腰を落ち着けながら、小窓から外を眺め始めた。

 食事に口をつけた様子はない。

 給仕の女を見ると、静かに首を横へ振った。

 ブランは黙り込むと、視線を落とした。


「なぜ、ここへ来るのですか?」


 顔を上げる。

 ノワールの視線は、依然(いぜん)として窓の外に向けられたままだ。


「あなたに……死なれては困るからだ」


「ああ、愚問でしたね。――聖杯のお陰で、私は生かされているのでした」


 ノワールは生気のない眼差しを、ブランに向けながら弱々しく呟いた。 


 【聖杯】はスウルス王家一族にしか、『その力』を引き出すことはできない。


 この大陸は、深刻な水不足に陥っていた。

 数年間、雨が地上を潤すことはなく、大陸中の至るところの水場が干上がった。

 乾き切った大地では、作物が全く育たず、人々は飢饉(ききん)に苦しんだ。

 唯一、聖杯を持つ古い民族が統治する小国――『スウルス国』以外を除いては。


 スウルスの民は、慈愛心の塊のような思慮深い民族だった。

 困窮(こんきゅう)している周辺諸国へ、スウルスの王はその聖杯を用いて、無償で水の援助した。

 彼らはそれを独占することは、決してなく、他国と均等に水を配当したのだ。

 だが、グリーディオラ皇帝だけは、無限に水をもたらす聖杯を独占しようと陰で画策していた。


『スウルスの王は、水の配当を打ち切ろうとしている!!』


 そんな嘘の情報が近隣諸国へ流れる。

 それを信じた各国は、激しく動揺した。


『スウルスの民が、聖杯を独り占めしようとしている!』


『なんとしても阻止しなくては!!』


 各国の首脳たちが、勝手極まりない非難の声を上げ始める。

 その波紋は瞬く間に広がり、国同士の聖杯を奪う戦いが始まった。


 そして戦いの末――聖杯を勝ち取ったのは、グリーディオラ帝国だった。


(……あの戦いに正義などなかった。

 独占力に駆られた、(ただ)の暴力だ。

 スウルスの民の慈悲の心を踏みにじった。

 これは彼らへの冒涜(ぼうとく)に他ならない)


 


 幽閉される以前、ブランに怯むことなく、静かに諭していたスウルス国の王女ノワール。

 数か月が経ち、かつて威厳のあった彼女の面影はもうそこになかった。 

 その痛々しい姿を、ブランは直視できなかった。


『本当に、彼女の心は死んでしまったのかもしれない』


『そうさせたのは一体…誰だ?』


 静かに責め立てる、姿なき亡霊の声がする。


(違うんだ…私は…!)


 ブランは思わず、苦悶の表情を隠すように片手で顔を覆った。


 ――自分が人質に取られたことで、まんまと国の宝である【聖杯】を他国に奪われた。

 

 ノワールは、自分自身をとても恨んだことだろう。

 兄が来たと期待し、隠し通路から出てきた彼女は、敵兵である自分の姿を見て――どんなに絶望したことだろうか。


「…………」


 ブランは意を決して、椅子に座るノワールの前で片膝を折った。


「…何を、しているのですか」


 ブランの行動に、ノワールは疲れ切った顔のまま眉を(ひそ)めた。


「私は貴女に償わなければならない……」


 ブランは片膝をついたまま、真っ直ぐ彼女を見上げて告げた。


「何でも言うことを聞く。…貴女が望むなら私の…この命を喜んで差し出す」


 その言葉に、ノワールは目を見開いた。


「何を…言っているの…?」


「私は本気だ…この剣で私を殺してくれてもいい」


 己の剣を、ノワールの前に差し出す。


「そんなことをして…なんになるの?」


 ブランの行動に、ノワールは怒りで震えた声を振り絞った。


「貴方が死んだところで!死んだ父も、兄も、臣下の者たちも、民の皆も! みんな生き返るわけではないわ!!」


 椅子から立ち上がり、ノワールは泣きながら声を荒げた。


「何でもするなら、私の家族たちを“生き返らせて”よ!」


 悲痛な面持ちで叫ぶ。


「……ほらね、できないでしょ?」


 何も答えられないブランの姿を見て、ノワールは力なく再び椅子に座り込んだ。


「もう…いい。私の前から“消えて”」


 ノワールの願いに、ブランは黙って従った。




    ────  ────




「ノワールを処刑する…」


 グリーディオラ皇帝の言葉に、ブランは動揺を隠せなかった。


「ああ」


「しかし、彼女が死ねば、聖杯の力を行使することができなくなるのでは…?」


「それがな。あの女がいなくて済む方法を見つけたのだ」


 ブランの問いかけに対し、グリーディオラ皇帝は自慢気に答えた。


「なぁ、そうであろう?」


「左様でございます、陛下」


 グリーディオラ皇帝の隣に立っていた男が(うやうや)しく、自身の胸に手を当てて、そう答える。


「貴殿は…?」


 ブランは、男を睨みつける。


「アッシュと申します。――以前は、スウルス大神殿で神官長を務めておりました」


(……ノワール以外に、まだ生き残りがいたのか…)


「こやつはスウルス国の古い禁書から、王族の血筋がいなくとも聖杯の力を使える(すべ)を見つけ出したのだ!!だからあの女を生かす必要はもうない!!」


 グリーディオラ皇帝は勝ち誇ったように高笑いした。

 

 ――グリーディオラ皇帝は、聖杯の力を引き出せるノワールを恐れていた。


『いつか自国民が、敗戦国の者どもが、聖杯を使えるノワールのことを“聖女”と祭り上げて、自分の地位を失墜させるのではないか』


 グリーディオラ帝国は国民の税の取り立てが厳しく、また殺戮を繰り返しては敗北した近隣諸国を属国して従わせて、国土の肥大化を図っていた。

 それゆえに、グリーディオラ皇帝は“報復”をなによりも恐れていた。

 そして聖杯を操れるノワールが、そのきっかけを与える引き金に成り得ると危険視していたのだ。

 だが、スウルス国の王族がもう必要ないとわかれば――ノワールは用済みだ。


 高笑いする“己の主”を静かに見つめながら、ブランは血が(にじ)み出るまで爪を立て、自身の拳をきつく握りしめた。




「なぜ、陛下に仕えている? お前にとって陛下は…」


 その場からグリーディオラ皇帝がいなくなると、ブランはすかさずアッシュを問いただす。

 するとアッシュは無言で、自身の口元に人差し指をそっと添える。


「お静かに。それ以上仰ると不敬罪に問われますよ?」


 アッシュに釘を刺されて、ブランは押し黙った。


「まぁ、“自分の命の保証と引き換えに情報を提供したまで”です」


 アッシュはそう言って笑ったが、その目は全く笑ってはいなかった。


「――時に、ノワール…様はいかがお過ごしなのですか?」


「…………」


 命と引き換えに、国を裏切っても、自国の王女のことは気になるらしい。

 アッシュの言葉に、静かに首を横に振る。


「彼女に…消えろと、拒絶されてから会いには行っていない。だから、彼女が今どうしているか…分からない」


 ブランは、アッシュに事の経緯を話した。


「…そうですか」


 ブランから話を聞き終えて、アッシュは納得したように頷いた。


「それで?…貴方はこのままノワール様の我儘(わがまま)にただ従うと?」


「……それが、彼女の望みだ」


 ブランの返答に、アッシュは思案顔で自身の顎にそっと手を添えた。


「なら、貴方にはその“誓い”を破っていただくしかないですね」


「……どういう意味だ?」


 アッシュの含み笑いに、ブランは眉をひそめた。 




   ────  ────




「アッシュ…他の者は?他に誰もおらぬのか?」


「ええ、陛下と私だけですよ」


 誰もいない部屋を怪訝そうに見渡すグリーディオラ皇帝に、アッシュは内心ほくそ笑む。


これは(・・・)、他の方々には内密にしていただきたいことですから」


「む、そうだな。――して、余が、聖杯を自由に扱える方法とは? 一体どうすれ……ぐっ」


 突然鋭い痛みを感じて、グリーディオラ皇帝は自身の胸を見下ろした。

 血塗られた剣先が、背中から己の胸を(つらぬ)いている。 

 上等な服に、赤黒いシミがみるみるうちに広がっていった。

 呆然とした様子で、血に塗れた己の胸元に触れる。

 グリーディオラ皇帝は、ぎこちなく首だけを後ろへと向けた。


「アッ…シュ。これは…どういう…」


 皇帝の片肩を掴んだまま、アッシュは背中に刺したままの剣をさらに深く差し込んだ。


 グリーディオラ皇帝は、堪らず口から血を吐く。

 そして自身が作った血溜まりの上へと、その両膝を突いた。


「そんな方法などありませんよ。陛下」


 床に倒れ込んだグリーディオラ皇帝の背中を踏みつけながら、アッシュは剣を抜き去る。

 そして剣身についた血をひと振りで払うと、鞘に収めた。


「貴様…余を…騙し…」


「…先に(あざむ)いたのは、貴様の方だろ?」


 アッシュは、冷酷なまでに静かな声で問うた。


「……貴様は…だれ…なのだ……!」


 グリーディオラ皇帝は、息も絶え絶えになりながら、目一杯に叫んだ。

 鬱陶(うっと)しい自身の前髪を乱暴にかき上げながら、アッシュは言った。


「――俺か? 俺は、スウルス国第一王子のアシュベルトだ」


「…ばか…な」


「配下に“死んだ”と聞かされていたものな。

だが、貴様はその自身の目で、俺の死体を確かめてみたのか?」


 戦いの最中、グリーディオラ皇帝は、一度も自国の城から出たことがない。

あの戦火を、あの悲惨な光景を、この男はその目で見たことがないのだ。


 ――無言。


 それが、なによりの答えだった。


 グリーディオラ皇帝の死を確認すると、アシュベルトはすぐにその場から立ち去った。




    ────  ────




『…お待ちください!……ぐっ』


 制止する兵の声が途切れて、ずさっと重い音が漏れ聞こえてきた。

 ギィー、と軋んだ音を立てながら、鉄扉が内側へ開く。


「…ノワール」


 片膝を折り、彼女の名を呼ぶ。


「ブラン…貴方に“お願い”があります」


 ノワールは、消え入りそうな(かす)れた声で続ける。


「…私を殺してください」


 その言葉に、ブランは目を見開いた。

 ノワールは椅子から崩れ落ちるように石床に座り込むと、ブランの胸元に縋って懇願した。


「もう疲れました。…皆が…私を責め立てるのです。国の宝を奪われたのはお前のせいだと…お前のせいで…我々は死んだ。……と、そう責めるのです」


「それは違う!」


 ブランは、すかさず強く否定した。

 彼女の両肩を掴み、強い口調で(さと)す。


「貴女のせいではない! 絶対に違う! 私のせいだ…貴女から聖杯を奪ったのは、この私なんだ…!

――一体…誰が貴女を恨むだろうか」


 ブランは、己の下唇を噛み締めながら深く俯いた。


「…そうだ。貴女は悪くない…なにも悪くないんだ」


 悲壮(ひそう)な表情を浮かべるブランを見て、ノワールは途端に泣き出した。


 ――しばらくして、慌ただしく石畳を打ち鳴らす複数の足音が聞こえてきた。


「…ノワール、行こう」


 ブランは優しい声音でそう言い、彼女を片腕で抱き上げた。


 聖杯を奪ったあの日。

 気を失った彼女を抱きかかえたことがあったが、その時よりも驚くほど身体が軽くなっていた。


「どこ…へ?」


 抱き上げられて戸惑うノワールに、ブランは何も言わずただ優しく微笑みかけた。

 そしてノワールを片腕で抱き上げたまま、剣を振り払って鞘を抜き去る。


 カラン。

 

 軽やかな音を立てて、鞘が石床に落ちる。

 と同時に、複数の兵が部屋に雪崩れ込んできた。


「ブラン=ケオトルト! 貴様を陛下を殺した“反逆者”として拘束する! 大人しく投降しろ!!」


 兵士たちが突き出した剣の切っ先が、一斉にブラン達に向けられた。

 ノワールが身体を(すく)ませて、彼の首に(すが)りつく。

 そんな彼女を安心させるように、ブランはノワールを抱きかかえる片腕にグッと力を込めた。


「断る!」


 短く答え、不敵な笑みを浮かべる。

 この危機的状況下の中でも、尚も余裕を見せるブランに、兵士たちは思わずじりじりと後退った。


「ノワール姫をお守りすることが、この白銀の騎士ブラン=ケオトルトの使命!!貴様ら、そう心得よ!」


 そう叫ぶと、ブランは態勢を少し低めながら、踏み出した脚にぐっと力を込めた。


「――押し通る。死にたくなかったら、そこを退()け!」


 その気迫に、兵士たちはたじろぐ。

 ノワールをしっかりと抱きかかえたまま、白銀の騎士ブラン=ケオトルトは兵士たちに向かって突進した。




  ────  ────




「…はっ…はっ…はっ」


 建物の影に身を潜めながら、ブランは荒い呼吸を繰り返した。


「大丈夫…ですか?」


 ブランの腕から降りたノワールは、心配そうに声をかけた。


「…大丈夫だ」


 傷ついた身体で、ブランは無理に笑う。


「でも…」

 

 ノワールは両膝を折り、ブランを気遣った。 


 ブランたちは、なんとかその場を切り抜けられた。

 だが、流石に無傷とはいかなかった。


 ――なんとか、ノワールだけでもこの国から逃さなければ…。


  自身の傷より、ノワールの身を案じる。


 ――あとどのくらい、自分は保つのか。


 ――ノワールを安全なところに、一刻でも早く。


 ブランは言う事を聞かない身体に焦りを募らせていたが、ふと心配するノワールの顔を見て、言い忘れていたことを思い出した。


「ああ…そうだ。――貴女に、吉報があるんだ」


 ノワールが首を傾げる。


「貴女の兄上は存命している」


「!!」


 ノワールの目に、再び光が点った。


「お兄様が…生きていらっしゃる?」


「そうだ」


 ブランの力強い言葉に、ノワールの目から涙が溢れた。

 彼女の青い瞳に再び生気が灯ったことに、ブランはこの上なく喜びを感じた。


 ――まだだ。自分は、まだ進める。


 途端に力が漲り、ブランは再び立ち上がった。


「ノワール、行こう」


 ブランが差し出した手を、ノワールは迷わずに掴んだ。




「お兄様!」


 アシュベルトの姿を一目見て、ノワールはその胸に飛び込んだ。


「ご無事でよかった…!」


 ノワールは、彼の胸元で泣きじゃくる。

 アシュベルトは、痩せた妹の背中を優しく擦った。


「お前も生きていて、本当によかった…」


 アシュベルトは、安堵(あんど)の息を吐いた。


 そんな兄妹の再会を見届けたブランは、急に力が抜けて、その場に崩れ落ちた。


「ブランっ!」




 ────  ────




 乾いた喉に何かが流し込まれ、ブランは薄く目を開けた。


「よかった…」


 ノワールは泣きそうな表情を浮かべながら、顔を覗き込んでいた。

 

 ブランはノワールに膝枕された状態で、はっきりしない視界で辺りを見渡す。

 すると、鮮やかな緑の色彩が真っ先に目に飛び込んできて、無意識に起き上がる。


 ――目の前の光景に、圧倒された。


「これ…は、一体」


 まるで二人を囲うように、青々と茂った木々が覆っていた。


「聖杯の力を使いました」


 唖然とするブランに、ノワールが静かに告げる。


 彼女の手には、かつてブランが『水の神殿』から奪い取った【聖杯】が握られていた。


「聖杯は、無尽蔵(むじんぞう)に水を湧かせるだけではありません」


 ノワールは辺りを見渡しながら、ゆっくりと話す。


「生命の成長を早める促進作用もあるのです。種を撒き、聖杯の水を与えたら…このように、数時間で大木に成長することも出来るのです」


 その話を聞き、ブランは驚いた。


「…だが、その力(・・)を引き出せるのはスウルス王家の者だけだ。

 他の者が、聖杯の水をいくらかけたとしても効果は出ない」


 木の幹に体を預けながら、腕を組み、アシュベルトが不機嫌そうに補足した。


「だが、その力には“危険(リスク)”がある」


危険(リスク)?」


「ああ。………力を使った分だけ、使用した者自身の寿命を縮めることになる」


「!?」


 ブランは弾かれたように、ノワールを見た。


「さっき…私に飲ませたのは…?」


 ブランの問いには答えず、ノワールは静かに微笑む。


「聖杯の力は、飲んだ者の自己回復の手助けにもなるのですよ」


 ノワールの言葉に、ブランは自身の身体を見下ろした。


 ――ブランの深手を負った傷はすでに治っていた(・・・・・)


「しかし、それでは…」


「それで、これから『私達』は、巡礼の旅に出ることにしたのです」


 ブランの言葉を遮り、ノワールはそう告げる。


「お兄様と一緒に……各国を回って、この大陸を再び緑の大地に戻すつもりです」


 それは、ノワール達の寿命を縮める行為だ。

 だがしかし、スウルスの民はとても慈愛深い民族である。


「本当は、こうなる前にすべきだったのですが…」


「我々とて、人間だ。聖人ではない。自分の寿命を縮めてでも…お前たちを助ける価値があるのか? 私達は、それを見極めようとしていた。…だが、お前たちは大きな過ちを犯した」


 ノワールの言葉を引き継ぎ、アシュベルトが話を続ける。

 その表情は、明らかに(いきど)っていた。


「自分達の私利私欲のために、聖杯を我が物にし――独占しようとした」


 表情と裏腹に、アシュベルトが冷淡たる声で言い放つ。


「……」 


 ブランは、何も言い返せなかった。


「…ですが、ブラン。貴方は、私に自分の命を差し出そうとした。

その気持ちは“私たち”に通じるものがありました。

だから…私たちはあなたたちを許し――そして救う道を選びます」


 ブランを気遣ってか、ノワールは優しい声音で言った。


 そしてノワールとアシュベルトは互いの顔を見合って、しっかりと頷き合う。


「…その巡礼の旅、私にも同行させてほしい」


 ブランが静かに告げると、ノワールとアシュベルトは驚いた。


「傭兵としてでも構わない。――国を追われる身としては…むしろ好都合だ」


 そう言って、ブランはからっと笑った。


「私は、自分で言うのもなんだが強い。その聖杯を、あなたたちを狙う輩は多いのだろう?」


 その投げかけに、二人は言葉に詰まった。

 ブランの言う通りだからだ。


「だから、私を連れて行ってくれ」


 ブランは、深々と頭を下げる。


「……本当にいいんですか?」


 ノワールが控えめな声で尋ねる。


「ああ。それが私の望みなんだ」


 ブランは立ち上がり、強く頷いた。


「それに…私は、何よりも貴女と共に、生きたい」


 ブランに真っ直ぐな目を向けられて、ノワールは驚いて目を見開く。

 頬にやや朱を差し、戸惑いを隠せないノワールの手をそっと取り、ブランは静かに片膝をついた。

 そしてノワールの手の甲に、己の額を近づける。


「ノワール=スウルス。私、ブラン=ケオトルトは、我が魂に誓い、貴女へ揺るぎなき忠誠を。そして――」


 ブランは顔を上げて、高々と宣言する。


「貴女に、永遠の愛を捧げる!」


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