第八章:新たな座標とゼノンの影
ヒヨリの「次元知覚」による警告を受けて、ウォルター、ヤミ、そしてカイジに緊迫が走った。
カイジが算出した「安全な座標」が、ヴァルハラの追跡波長に既に捕捉されている。
ヒヨリの力が、彼らの科学を上回る現実を突きつけた。
「信じられない……。僕の計算が、これほど早く裏切られるとは」
十四歳のカイジは、唇を噛み締め、悔しさを滲ませていた。
「違う、カイジ。お前の計算は間違っていない。だが、ヤツらが、お前の予測を超える進化を遂げたということだ。あるいは……」
ヤミは、ヒヨリのサファイアの瞳を見つめた。
「ヒヨリの力は、ヤツらが『未来の経路』を追跡する能力を持っていることを示唆している」
「『未来の経路』……?」
ウォルターが眉をひそめた。
「ヴァルハラの技術者が、カイジの計算結果を先回りして予測し、待ち伏せしている可能性がある。だが、今は考察している時間はない。カイジ、さらに別の座標を。ヤツらの思考の裏をかく、最もランダム性の高い座標を叩き出すんだ!」
カイジは、即座に古い計算機とこの次元の魔力解析装置に向かい、数時間で再計算を終えた。
その顔には、疲労の色は全くなく、天才的な集中力が宿っていた。
「父さん、師匠。完了しました。座標は、この異次元の更に『不安定領域』の奥。カーライル公爵の領地惑星からも離れた、誰にも予測できない次元の嵐の端です。移動可能時間まで、あと数日しかありません。」
ウォルターは、その冷徹な判断力に、カイジの成長を感じ取った。
「カーライル公爵に挨拶を。別れを告げに行くぞ」
カーライル公爵の館を出る時、公爵は彼らに静かに言った。
「ウォルター、ヤミ。君たちを匿ったのは、私にとって危険な賭けだった。だが、この異次元にまでヴァルハラの悪意が忍び込んでいるのなら、君たちの逃亡が、我々の未来に繋がるかもしれん…」
公爵は、一枚の古びた金属製のメダルをウォルターに手渡した。
「これは、私が昔、次元の狭間で助けた、ある女性から貰ったものだ。彼女は、ヴァルハラの者だと名乗っていた…これを持っているだけで、どこかの次元で、思わぬ助けとなるかもしれない…」
「ヴァルハラの女性……?」
ウォルターはメダルを受け取った。
それは、ヴァルハラ帝国の紋章が刻まれているが、どこか古風で、軍事的な冷たさよりも、芸術的な熱を帯びたデザインだった。
彼らが洋館の裏手のドックから、小型脱出艇で飛び立とうとした、その瞬間。
突然、一機の小型の、しかし非常に高速な単座型戦闘機が着陸してきた。
それは、この異次元の機体ではなく、紛れもなく、ハウメアやヴァルハラと同じ星系に属する、既知の文明の機体だった。
ハッチが開き、中から出てきたのは、顔の半分をゴーグルで覆った、精悍な顔立ちの女性だった。
彼女は、ウォルターたちを認めると、ゴーグルを上げ、一瞬、驚愕の表情を浮かべた。
「あなたたちは……! まさか、あのハウメアの……!」
その女性は、ウォルターたちが警戒する暇もなく、懐から小さな通信装置を取り出し、焦燥した声で話し始めた。
「私は、エリス・ファースト。ヴァルハラ帝国の辺境惑星出身の、元軍属の技術者です! 私は、追跡艦隊から逃げてきました。あなた方に警告しなければならないことがあります!」
ウォルター剣を、カイジは、すぐさま銃を構えた。
「ヴァルハラの軍属だと? 」
エリスは、両手を上げ、装備していた銃を捨てた。
「私は、ゼノン王太子の命令で、あなた方の追跡システムを開発していました。そして、私は知ってしまった。ゼノン王太子の真の目的を!」
彼女は、息を切らせながら、カイジとヒヨリを見て、声を潜めた。
「ゼノン王太子は、アリステリア王女の逃亡を、ヴァルハラ王家に対する最大の侮辱と考えています。彼は、王女を奪ったあなた方を捕らえるだけではない。王女とあなたの血を引く子どもたちを、生きたままヴァルハラの首都に連行し、王家の血統を貶めるための公開実験の道具にしようとしているのです」
ウォルターの体から、怒りが噴き出した。
「卑劣な……!」
「そして、私は知っています。なぜ、彼がそれほどまでに、ハウメア王族の血統、特にアリステリア王女に執着するのかを」
エリスは、ウォルターが先ほど公爵から受け取ったメダルを指さした。
「そのメダル……それは、ヴァルハラ王族に代々伝わる、『初代皇后の嘆き』と呼ばれる装飾品に似ています。ヴァルハラの初代王妃は、ハウメア王族の分家出身でした。そして、彼女は、夫である初代ヴァルハラ王の冷酷さに耐えかね、王宮から逃亡を図った」
エリスの言葉は、ウォルターの心を深く抉った。
「初代ヴァルハラ王は、王妃を捕らえ、その逃亡を『ヴァルハラの血統への異物混入』として断罪しました。そして、王妃の子どもたちを、王族の恥として、隔離された次元の辺境に追放したのです」
彼女は続けた。
「ゼノン王子は、その初代王の冷酷な精神を、最も強く受け継いでいる。そして、彼は、アリステリア王女と、あなたの愛が、かつての王妃の逃亡を、歴史の再現だと感じている。彼にとって、あなた方の存在は、ヴァルハラ王家の血統の純粋性を脅かす『穢れ』でしかないのです」
「ゼノンは……私怨で、アリステリアを追っていたのか……」
ウォルターは、怒りを通り越し、静かな絶望を感じた。
彼らの逃亡は、個人的な愛の逃避行であると同時に、数世紀前の因縁を再現してしまっていたのだ。
「私を信じてください、ウォルター様。私は、これ以上、ゼノン王太子の狂気に付き合いきれない。私は、この船で、あなた方を追跡していたのです。どうか、私を連れて行ってください。私も、ゼノン王太子いえ、ゼノンから逃げたいのです」
エリスの瞳には、かつてアリステリアが抱いていたのと同じ、逃亡者としての孤独と、切なる願いが宿っていた。
ヤミは、腕時計型のタイマーを見て、叫んだ。
「ウォルター! 時間がないぞ! 座標が開く!」
ウォルターは、一瞬の判断を迫られた。この女性を信じるか。それとも、斬るか。
そして、剣を下ろした。
「ヤミ。彼女の戦闘機を、小型艇の牽引ワイヤーで繋げ! カイジ、ヒヨリ。私たちは、また旅立つぞ!」
「はい、父さん!」
カイジは、力強く答えた。
ウォルターは、エリスの手を掴み、小型脱出艇に乗り込ませた。
彼らの新たな逃亡は、敵の過去を知る者、そして敵のシステムを知る元技術者を伴い、さらに深く、予測不能な次元の荒波へと向かうことになった。
船が発進し、カイジが設定した新たな座標に向けて次元の裂け目を開いた瞬間、カーライル公爵の洋館の上空に、ヴァルハラ軍の先遣隊の偵察機が姿を現したのであった。
彼らの逃亡劇は、ぎりぎりの攻防戦の連続となっていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は、木曜日の20:00頃に更新します。
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