第七章:白銀の頭脳
ヒヨリが「次元知覚」を覚醒してから、さらに七年の歳月が流れた。
かつての魔都場家は、今や遠い記憶となった。
この異次元の片隅、カーライル公爵の庇護下にある古びた洋館で、彼らは逃亡者としての生活を続けている。
ウォルター・ハルト・マトゥザックは、公爵の私兵団の中で、その戦闘能力と統率力により、一目置かれる存在となっていた。
彼の体躯は、ハウメア護衛時代よりもさらに研ぎ澄まされ、その瞳には、亡き妻アリステリアと、二人の子どもたちを守り抜くという、鋼のような決意が宿っていた。
長男、海路は十四歳になっていた。
彼の成長は、驚くべきものだった。
体躯は、ウォルター譲りで基本的な戦闘技術は十歳の時に習得済みだ。
そして、アリステリアから受け継いだ白銀の髪は、その出自を隠すことができない証であると同時に、彼の天賦の才を象徴していた。
ヤミは、次元跳躍技術の基礎、ハウメアの高度な宇宙工学、そしてこの次元の魔術理論まで、カイジに叩き込んだ。
カイジは、その全てを、まるでスポンジが水を吸い込むように吸収した。
「師匠。この次元の空間結界魔術の原理、ハウメアの次元シールドの理論と全く同じだと思います。魔力ではなく、空間波長を変調させている。結界術師が、単なる魔術師ではなく、次元波長エンジニアとして定義されるべきではないでしょうか」
カイジは、わずか十二歳で既に、ヤミが十数年かけて構築した次元理論の矛盾点を指摘し、新たな仮説を打ち立てていた。
その天才ぶりは、宇宙工学の権威であるヤミでさえ、舌を巻くほどだった。
「カイジ……お前は、俺の次元移動理論を完全に理解している。そして、それをこの次元の魔術に適用する思考の柔軟さも持っている。俺の知る限り、ハウメアの歴史上でも、お前の知力はトップクラスだ」
ヤミは、興奮と同時に、ある種の畏怖の念を込めて言った。
カイジは、ヴァルハラの追跡から逃れるための、新しい次元移動座標の計算を、既にヤミと並行して進めていた。
彼の知性は、この一族の未来を切り拓く、最大の武器となっていた。
一方、妹の日和は九歳になった。
彼女は、兄とは対照的に、九歳にしては体が小さく、静かでおとなしい子供だった。
あの二歳の時の「次元知覚」の覚醒以来、彼女の体から青白い光の粒子が放たれることは二度となかった。
彼女のサファイアの瞳は、母親アリステリアの面影を強く残していたが、普段は感情を表に出さず、ただ静かに、兄や父、ヤミのそばに寄り添っていることが多かった。
そして、ウォルターは、日和のことが心配だった。
「ヤミ。日和の"あの力"は、本当に覚醒したのか? あれ以来、何の反応もない。ただの幻覚だったのではないか?」
ウォルターが尋ねると、ヤミは首を振った。
「違う、ウォルター。次元知覚は、常に発動する力ではない。それは、宇宙の深淵を覗く行為だ。彼女は、あの時、ヴァルハラの『悪意の波長』を察知した。だが、その力の使用は、彼女の幼い精神に、計り知れない負荷をかけたはずだ」
ヤミは続けた。
「ヒヨリは、無意識のうちに、その強大すぎる力を『封印』しているか……あるいは、彼女の脳が、日常的な刺激からその力を隠そうとしているのかもしれない。だが、その力は消えていない。見てみろ」
ヤミは、静かに絵を描いているヒヨリを指さした。ヒヨリの描く絵は、いつも同じだった。
── 光の粒子の渦。
そして、その渦の中を、一隻の小さな船が、ひたすら遠くへと進んでいる絵。
それは、シーナが囮となった、「アサギリ」の最後の姿を、抽象的に描いているかのようだった。
「彼女は、その絵を通して、次元の深淵と繋がっている。静かな水面の下に、巨大な力が潜んでいる。それが、ヒヨリだ」
ヤミは、ヒヨリが、兄のカイジとは全く異なる方法で、この一族の逃亡を支えているのだと理解していた。
カイジが頭脳で道を切り開くのに対し、ヒヨリは感覚で危険を予知し、この一族の安全を繋ぎ止めている。
ある日、カイジが計算を終え、興奮した様子でヤミとウォルターに駆け寄ってきた。
「師匠、父さん! 新しい次元移動の座標が確定しました! ヴァルハラの偵察波長が届かない、さらに安全な星系です。しかも、この異次元と同じようにヴァルハラの勢力圏外になります!」
それは、待ちに待った朗報だった。ウォルターは、安堵の息を漏らした。
「よくやった、カイジ。これで、また少し安心して暮らせるな。」
その夜、ウォルターがヒヨリの寝室を覗くと、ヒヨリが小さな声で、ウォルターを呼んだ。
「お父さん……」
「どうした、ヒヨリ。怖い夢でも見たか?」
ウォルターが優しく尋ねると、ヒヨリは、サファイアの瞳をきらめかせ、彼を見つめた。
「怖い?わからない…ただ…船の音が…聞こえるの…」
「船の音?」
ウォルターは、周囲の静寂に耳を澄ませたが、何も聞こえない。
「違う…次元の…船の音。ゼノン…の船……すぐ…近くの次元…にいる…」
ヒヨリは、そう言って、静かにその場で倒れた。
ウォルターは、倒れたヒヨリを抱きかかえ…背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ヤミとカイジが、最新の科学技術と、天才的な頭脳で、ヴァルハラの追跡を回避しようとしている。
だが、ヒヨリの「次元知覚」は、その科学の網を潜り抜けた、悪意そのものの波長を、この次元の、すぐ隣に感じ取っていたのだ。
「馬鹿な……もう、すぐ近くの次元にまで……?」
ウォルターは、すぐにヤミとカイジにこの事を話した。
そして、カイジが計算したばかりの安全な座標は、既にヴァルハラの追跡圏内にあったのだった。
滄海の一粟として生きる彼らの運命は、永遠に、あの広大な宇宙の波間に翻弄され続けるのだろうか。
ウォルターは、再び、愛する子どもたちと、ヤミと共に、この安住の地を捨てる決断を迫られていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は、月曜日の19:00頃に更新します。
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