第六章:異次元の庇護
シーナの自己犠牲によって稼いだ猶予は、ウォルター、ヤミ、海路、そして日和の命を救った。
ヤミが「別の次元」と呼ぶ空間は、彼が極秘裏に研究していた多次元移動技術の産物であり、銀河系内はおろか、ヴァルハラ軍の追跡技術も及ばない、完全に隔絶された場所だった。
小型脱出艇で辿り着いたのは、光と闇が混在する奇妙な惑星だった。
そして、彼らを匿ったのは、ヤミがハウメア王宮勤め時代から、秘密裏に交信を重ねていた、この次元の、とある貴族だった。
カーライル公爵家。
当主は、アロイス・ディメンジオ・カーライル。
この次元では、ハウメアやヴァルハラとは全く異なる、魔術的な文明が栄えていた。
カーライル公爵は、次元の狭間を研究する異端の貴族であり、ヤミの理論に興味を持ち、彼らの亡命を幇助することを密約していたのだ。
「ウォルター殿、貴殿たちが選んだ道は、この宇宙で最も危険なものだ。だが、私は貴殿たちの『愛の結晶』、すなわち王女の血統が持つであろう、次元を超えた力に強い関心がある」
公爵は、そう言って、ウォルターたちを自らの領地の奥深くに隠された、古びた洋館に匿った。
その洋館で、彼らの新たな生活が始まった。
海路は七歳になり、ヤミから、この次元の魔術理論と、ハウメアの基本的な科学技術を教わり始めた。
海路の白銀の髪は、この地でも目立つため、彼は常にフードを深く被って生活していた。
ウォルターは、深い喪失感を抱えながらも、子どもたちを守るという使命のために生きていた。
彼は、カーライル公爵の私兵隊の訓練に参加し、この次元の戦闘技術を学び、日々の糧を得ていた。
そして、日和は二歳になった。
彼女は、あまり言葉を発しない子で、幼児にしてはあまりに深い、サファイア色の瞳で、周囲の空間をじっと見つめていることが多かった。
洋館は、異次元特有の、濃密な魔力の霧に包まれていた。
カーライル公爵が用意してくれた最小限の使用人は皆通いであったため、夜は4人だけで過ごしていた。
そして、日和が二歳の誕生日を迎えた、とある夜のことだった。
海路は、日和の部屋でヤミから借りたハウメアの古い科学書の図解を眺めていた。
日和は、ベッドで静かに眠っているはずだった。
ウォルターは、少し遅くなった訓練から戻り、部屋の扉を開けた瞬間、異変に気づいた。
部屋の中の光景が、歪んでいた。
壁の絵画が、まるで水彩画のように滲み、床の絨毯の文様が、ゆっくりと形を変えている。
「これは、どうしたんだ!?」
ウォルターが叫ぶと、海路が怯えた表情で日和のベッドを指さした。
「父さん! 日和が……日和の周りが変なんだ!」
日和は、ベッドの中で目覚め、座っていた。
彼女の全身から、微かに、そして連続的に、青白い光の粒子が放たれていた。
その光は、彼女の周囲の空間を、まるで水の中のように揺らめかせ、現実の境界を曖昧にしていた。
絵画が滲み、絨毯が歪んでいたのは、日和から放たれる未知のエネルギーによって、空間そのものが局所的に変質させられていたためだった。
ウォルターは、日和に近づこうとしたが、その光の粒子が放つ、皮膚を刺すような強い静電気のような感覚に阻まれた。
その時、ヤミが駆け込んできた。
彼は日和の周りの空間を見て、興奮と恐怖の入り混じった表情を浮かべた。
「 これは……! まさか、次元知覚か!?」
「次元知覚? それは何なんだ?」
「ハウメア王族の血筋の中で、数百年に一度、極稀に発現すると言われる、ハウメアの秘力だ! 母君であるアリステリア様も持たなかったはずの、伝説の能力だ!」
ヤミは興奮気味に説明した。
ハウメア神話には、「真の女王」は、広大な宇宙の滄海を構成する、すべての次元、すべての粒子の動きを、感覚として知覚する力を持つ、と記されていた。
それは、単なる予知能力ではなく、宇宙そのものの理を知る、根源的な力だった。
「日和は、この次元の境界、そして私たちが逃げてきた元の次元の波長を……感じ取っている!」
ヤミは、光に近づきすぎないよう慎重に日和を観察した。
「難産だったのは、恐らく、この莫大な力が、彼女の体内で覚醒しようとしていたからだ! アリステリア様の命を削ったのは、この力だったのかもしれないな……」
その時、日和は、部屋にいるウォルターと海路、ヤミから、ふと目を離した。
彼女のサファイアの瞳は、部屋の壁の、一点を見つめていた。
その瞳の中には、何もないはずの空間の向こう側に広がる、無数の光の筋、すなわち次元の経路が映し出されているかのようだった。
そして、彼女は、小さな口を開き、はっきりと、この次元の言葉ではない、ハウメア王族の古語で、一つの言葉を発した。
「……ゼノン」
その瞬間、部屋を包んでいた青白い光の粒子が、一気に収束した。
日和は力を使い果たしたように、再びベッドに横たわり、静かに眠りについた。
ウォルターとヤミは、顔を見合わせた。
「ゼノン…?…ゼノンと言ったの…か…?」
ウォルターの顔から、血の気が引いた。
「おい!それって…ヴァルハラの?…ゼノン・ヴァルハラ事か!?……そうか…ヒヨリは、感じたんだ。ヴァルハラの追手が、この次元、この星系の、どこかにいることを!」
ヤミは、興奮と緊張から、手に汗を握った。
「ウォルター、この力は両刃の剣だ。日和が我々を救う鍵となるかもしれない。だが、もしヴァルハラが、いやハウメアが、この能力に気づけば……日和が、次の追跡目標となる」
ウォルターは、眠る日和の小さな手を握った。
彼女の命と、彼女の体内に覚醒した力は、亡きアリステリアが、命をかけて彼らに託した、最後の贈り物だ。
「もう逃げ隠れるだけでは、この一族は守れない。日和の力を守り育て、いずれ、ヴァルハラとの戦いに備えなければならない」
ウォルターの瞳には、かつて王宮でアリステリアを守っていた頃の、護衛官としての鋭い光が戻っていた。
滄海の一粟として逃げ出した彼らの運命は、今、次元を超えて、新たな戦いの渦へと飲み込まれようとしていた。
日和という、小さな女王の覚醒は、宇宙の歴史を動かす、最初の一歩となるのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は、金曜日の20:00頃に更新します。
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