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ソウカイノイチゾク  作者: 神代 チイ


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第四章:一族の誕生そして別れ

「ホギャー…ホギャー……」


静かな平屋に、赤子の産声が響いたのは、冬の終わり、雪解け水が流れる頃だった。

しかし、その誕生は、五年前の海路の時とは比べ物にならないほどの苦痛を伴った。

魔都場(まとば) 亜璃水(ありす)、かつてのアリステリアにとって、それは長く困難な、まるで自身の命を削り取るかのような出産だった。


数日間の激闘の末、小さな、しかし力強い命が生まれた。女の子だった。


「……日和(ひより)。私たちの家族へ、ようこそ…」


亜璃水(アリス)は、目尻に涙を浮かべながら、我が子を抱き締めた。

魔都場(まとば) 日和ひより

彼女が願い続けた、穏やかな日々の象徴となる名だった。


日和(ひより)は、兄の海路(かいじ)とは異なり、髪は日本人に近い黒色だったが、瞳は、ハウメア王族特有の深く澄んだサファイアブルーを宿していた。

その瞳は、まるで生まれてきたばかりだというのに、全てを見通しているかのような神秘的な輝きを放っていた。

日和(ひより)の誕生は、魔都場家(まとばけ)に大きな幸福をもたらした。


海路(かいじ)は、初めて見る小さな妹に興味津々で、毎日、その小さな手を握ろうとした。

しかし、その幸福は、長く続かなかった。



亜璃水(アリス)……大丈夫か…」


陽登(ハルト)は、自宅のベッドの傍らで、衰弱しきった妻の手を握り締めていた。

ハウメア王族は、本来、この星の人間よりも遥かに強靭な肉体を持つはずだった。


だが、慣れない異星での生活のストレス、故郷から逃亡したという心の重圧、そして何よりも、次元跳躍という非人道的な旅が、彼女の体に、予想以上のダメージを与えていたのかもしれない…。


日和(ひより)を産んで以来、亜璃水(アリス)の体調は、日に日に悪化していった。


──原因は不明。


この星の医師たちは、「過度の疲労と産後の衰弱」と診断するばかりで、彼女の体内で静かに進行している、異星の生命体特有の病に気づくことはできなかった。


亜璃水(アリス)は、寝込むことが多くなり、やがて、起き上がることすら困難になった。


「ごめんなさい……陽登(ハルト)海路(カイジ)日和(ヒヨリ)……」


亜璃水(アリス)は苦しそうに咳き込みながら、家族に謝った。


「謝るな、亜璃水(アリス)。俺が、お前を必ず治す。」


陽登(ハルト)は、仕事も減らし、必死に妻を支えた。

しかし、彼の高度な異星の医療技術も、この地球では何の役にも立たなかった。


「母ちゃん……」

海路(かいじ)が庭から静かに声をかけた。

亜璃水(アリス)が、ふと、海路(かいじ)の声がした庭をみると、そこには、太陽に向かって力強く大きく育ったあの時の約束の花、ひまわりが咲いていた。


亜璃水(アリス)は、ひまわりを見て陽登(ハルト)との会話を思い出していた。

ここが、温かい世界。そして、愛によって自由に呼吸できる世界なのだと、改めて思い亜璃水(アリス)は一筋の涙を流した。



そして、亜璃水(アリス)が、病床についてから数ヶ月が経ち、容態が急変した。

彼女の肌は透明感を失い、サファイアの瞳から光が失われかけていた。


陽登(ハルト)は悟った。


彼女の命の灯火が、もうすぐ消えようとしていることを。

その夜、陽登(ハルト)海路(カイジ)日和(ヒヨリ)を寝かしつけ、亜璃水(アリス)の枕元に座っていたときだった。


障子の向こうに、不意に二つの影が立った。


「やあ、ウォルター。随分と、みすぼらしくなったな」


冷笑的な、しかしどこか懐かしい声が響いた。


陽登(ハルト)は、身構えた。

そして、その声の主を理解し、信じられない思いで障子を開けた。


そこに立っていたのは、他でもない、五年前、彼らをこの星に送り届けて以来、消息不明となっていた、親友のヤミと、アリステリアの侍女シーナだった。


「ヤミ!シーナ!お前たち、なぜここに……!」


陽登(ハルト)は声を荒げたが、ヤミはただ静かに、彼の背後に横たわる彼女(アリステリア)を見つめた。


「俺の作った船『アサギリ』には、ハウメア軍が仕込んだ追跡装置が組み込まれていた事に、逃亡した後で気付いたんだ。俺たちは、ずっとそれを誤魔化すために、銀河を逃げ回っていた…」


シーナが、憔悴した面持ちで口を開いた。


「でも、殿下……いえ、亜璃水(アリス)様の命の灯が弱まったとき、『アサギリ』の追跡装置が急激に反応したんです。私たち、それに気づいて、急いでこの座標に戻ってきたんです」


ヤミは、陽登(ハルト)の横を通り過ぎ、病床の亜璃水(アリステリア)の前に跪いた。


「王女殿下……俺の船の次元跳躍は、不安定でした。その副作用が、貴女様の身体を蝕んでしまった。俺のせいだ…なんと言って詫びれば……いいんだ…」


亜璃水(アリス)は、微かに目を開け、ヤミの顔を見つめた。


「ヤミ…気にしな…いで…シーナ…また…会えて…良かった…わ…」


彼女の声は、か細い糸のようだった。


シーナは涙を流しながら、亜璃水(アリス)の手を握った。


「殿下、もう一度、ハウメアに戻りましょう。王宮の医療技術なら、きっと……」


「…いいえ……戻らないわ…」


亜璃水(アリス)は、静かに首を横に振った。その瞳は、陽登(ハルト)へと向けられた。


「…陽登(ハルト)…いえ…ウォルター。私は……後悔していないわ……」


彼女は、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「あの時……私たちは、あの広大な滄海(そうかい)のような世界から、たった一粒の(アワ)として、逃げ出した……。皆は、私が王女としての使命を捨てたと言うでしょう。でも、私は……」


亜璃水(アリス)は、残された最後の力を振り絞って、微笑んだ。


「私は……私として…人として…愛に…生きた。この、家族こそが、私の全て…私の愛の一族…。ハウメアなんて…私にとっては…どうでもいい、遠い過去…滄海(そうかい)一粟(いちぞく)でしかないのよ……」


彼女は、自分自身の逃亡を、そして愛を選んだ人生を、壮大な世界に対する、微細な一族の抵抗として、肯定した。

陽登(ハルト)は、その強い意志を秘めた最期の言葉に、涙が止まらなかった。


「アリス…アリステリア…」


彼女は、陽登(ハルト)の手を握り返し、そして隣で眠っている小さな日和の顔を見つめた。


日和(ひより)……」


その瞬間、亜璃水(アリステリア)のサファイアの瞳から、最後の光が消え去った。


陽登(ウォルター)の絶叫が、夜空に響き渡った。



ヤミは、静かに立ち上がり、陽登(ウォルター)の肩に手を置いた。


「ウォルター。悲しむ時間は、もうない。俺たちがここに来たのは、お前たち家族の悲報をハウメアやヴァルハラに伝えるためじゃない」


シーナが、震える声で続けた。


「殿下…いえ…亜璃水(アリス)様は、追跡装置の反応が強まることで、私たちをこの星へ導いてくれたんです。でも、それは同時に、ハウメアにも……そして、ヴァルハラにも、あなたたちの居場所を知らせたということなんです…」


ヤミは、外の夜空を見上げた。


「俺は、お前に警告しに来た。ヴァルハラの軍は、もうすぐこの星に到達する。ウォルター。お前は、この家族を守り抜けるのか?」


魔都場亜璃水(アリステリア)の死は、彼ら一族が、再び宇宙の波に飲み込まれる、始まりの合図となったのだった。


滄海(そうかい)一粟(いちぞく)として逃げ出した彼らのささやかな幸福は、今、巨大な銀河の脅威によって、打ち砕かれようとしていた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


次回は、土曜日の19:00頃に更新します。

よろしくお願いいたします。

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