序章:禁断の夜明け(前編)
夜空は濃密な藍色に沈み、星々が宝石のように煌めいていた。しかし、その中でもひときわ青白く、巨大な光を放つ惑星があった。それが、氷と水の文明が栄える惑星ハウメアである。
ハウメア王宮の深奥、光沢のある黒曜石で出来たバルコニーに、二つの影が密やかに寄り添っていた。一方は、ハウメア王族の伝統的な純白のローブを纏った女性。もう一方は、黒い詰襟の制服に身を包んだ、彼女の護衛官だった。
女性の名はアリステリア・プリンセス・ハウメア。透き通るような白銀の髪と、深いサファイアの瞳を持つ、惑星ハウメアの第一王女である。彼女は、隣に立つ男の胸に顔を埋め、小さく震えていた。
「ウォルター……」
彼女が呼んだその男こそ、主席護衛官であるウォルター・ハルト・マトゥザックだった。精悍な顔立ち、鍛え抜かれた体躯、そして何よりもアリステリアを映す時だけ、わずかに熱を帯びる琥珀色の瞳を持っていた。
「殿下、もうお戻りください。夜が深すぎます」
ウォルターの声は低く、抑揚がない。それは彼の公の顔であり、王族に対する絶対の忠誠と敬意を示す鎧だった。しかし、アリステリアは、その硬質な響きの奥にある、彼自身の葛藤と痛みを理解していた。
「嫌よ。私は……明日は……」
明日。それは、アリステリアにとって、そしてウォルターにとって、定められた運命が最終的にその歯車を噛み合わせる日だった。
アリステリアは、数百年周期で結ばれる銀河間盟約の一環として、隣星系に君臨する強大な軍事国家、惑星ヴァルハラの若き王子、ゼノン・ヴァルハラとの婚約が既に決定していた。そして、明日、その正式な婚約式が執り行われることになっていた。
「陛下のご決定です。我々は、その運命を受け入れねばならない」
ウォルターはそう言ったが、その手はアリステリアの腰を抱く力を強めていた。
「…ウォルター、私は、貴方の……私たちの愛の結晶を宿しているのよ」
アリステリアの言葉に、ウォルターの体が僅かに硬直した。
彼女の腹部にそっと触れる手のひらから、微かな生命の鼓動が伝わってくるような気がした。
それは、世界の秩序、星系の盟約、王族の血統、全てを覆す、あまりにも重い事実だった。王女と護衛官という身分の差を超えて芽生えた、禁断の恋の証。
「私は、ヴァルハラへ行かないわ。私は絶対に…この子を産むわ!」
アリステリアの瞳から、一筋の雫が零れ落ちた。
その時、ウォルターの心の中で、これまで頑なに守ってきた「忠誠」という名の壁が、音を立てて崩れ去った。
「殿下……いえ、アリステリア…アリス……」
彼は、初めて彼女の名を呼び捨てにした。
そして、その瞬間、二人は王女と護衛官ではなく、ただ愛し合う男と女に戻った。
ウォルターは決断した。この愛のために、彼は全ての職責、忠誠、そして未来を捨てる覚悟を決めた。
「アリス……逃げよう。この星から」
アリステリアは顔を上げた。
サファイアの瞳に、再び希望の光が宿った。
「ウォルター……でも、どうやって?」
「親友がいる。ヤミという名の、宇宙工学の天才だ。彼は、我々の秘密を知っている。そして、何億光年をも一気に駆け抜ける、極秘の超光速宇宙船を密かに完成させている」
ヤミ……ヤミ・クロノス・ヴァイス。
ウォルターが王立アカデミー時代からの唯一の親友であり、その型破りな才能を危険視され、今は王宮から離れた辺境で研究を続けている男だった。
「その、ヤミ様?が、私たちを助けてくれるの?」
「ええ。奴には貸しがある。そして、王室の腐った慣習を誰よりも嫌っている。それに……シーナも…」
シーナ……シーナ・テレイア・エリュシオン。
アリステリアの幼い頃からの侍女であり、二人の逢瀬を知る唯一の人物だった。彼女は、王女の幸せを何よりも願っていた。
「婚約式が始まる直前。夜が明ける前に、必ず迎えに行く。どうか、準備をしていてください。そして……二度と、この星には戻らないと、心に誓ってくれるかい?」
ウォルターの瞳は、琥珀色から灼熱の炎の色に変わっていた。それは、彼の覚悟の深さを示していた。
「誓うわ。貴方と、私たちの子どものために新しい未来を生きると!」
二人は唇を重ねた。
それが、ハウメアの王宮で交わす、最初で最後の口付けとなることを知りながら。
色々とツッコミ入れたいかと思いますが…私は素人ですので…お手柔らかにお願いいたします。
続きは、明日20:00頃に更新します。
お楽しみに☆




