第9話:勇者と聖女と、矛と盾
王国・神殿地下の召喚の間。
静寂の中に、鈍く紫がかった光の魔法陣がゆっくりと浮かび上がる。
「準備は整いました。……これより“勇者召喚”を開始いたします」
神官が朗々と告げると、周囲の者たちは一斉に頭を下げた。
王も、緊張に額に汗を浮かべていた。
「……聖女が反旗を翻した今、もはや我らに残された選択肢は、これしかない」
「神に代わって、異世界の力を借りるのですね」
「神に代わり――聖女を討つ矛となる者」
魔法陣が輝きを増す。
稲妻のような閃光がほとばしり、部屋が白に染まる。
そして――少女が、その中心に立っていた。
制服姿の少女。日本人らしい黒髪を、肩まで伸ばして結んでいる。
澄んだ瞳が、光の中でゆっくりと開かれた。
「……え、ここどこ……? え、マジで……?」
「ようこそ、異世界アストレア王国へ! あなたこそが、我々が求めていた“勇者”なのです!」
「……は???」
少女――神崎ゆうりは、状況を理解できないまま、異世界に降り立った。
***
「聖女が……“敵”?」
召喚から三日。説明を受けた神崎ゆうりは、思わず眉をひそめた。
「はい。我が国の聖女“天川ひなた”は、魔王と通じ、反逆の道を選びました」
「……でも、その人、元々日本から来たんですよね?」
「ええ。ゆうり様と同じく、“現代日本”からの召喚です。ですからこそ……彼女の力は強大なのです」
「ふうん……」
王や神官たちが語る“裏切りの聖女”像に、ゆうりはどこか違和感を抱いていた。
(本当にそんな悪者だったら、魔王に接触して“癒して回ってる”なんて、するのかな……?)
「彼女を討てば、あなたは“世界の救い主”となります!」
そう言って差し出された剣を、ゆうりはしばらく見つめた。
「……やってみます。でも、まず会って、自分の目で確かめさせてください」
その言葉に、神官たちは一瞬眉をひそめたが、強くは反論しなかった。
***
その日。
森の中に、小さな足音が鳴る。
「……あれが、“聖女”か」
木陰から姿を見せたゆうりの視線の先には、焚き火のそばで子どもたちと笑い合う、ひなたの姿があった。
ボロボロの子どもたちの手をとり、傷を癒し、笑って話すひなた。
その姿は、王や神官から聞いていた「裏切り者の魔王の手先」とは、あまりにもかけ離れていた。
「……お姉さん?」
気づいた子どもが声をかける。ひなたがゆうりに気づいて、振り返る。
「え……? あんた……まさか……」
「あたし、神崎ゆうり。異世界から来た勇者」
「ははーん……そっちも、召喚されたんだ?」
「そう……“あなたを倒せ”って言われてね」
二人の間に、張り詰めた空気が流れる。
子どもたちが、おそるおそる距離を取る。
ひなたは、ゆうりから視線を外さずに、静かに言った。
「で、あたしを見て、どう思う?」
「……あんた、王国の敵なんだってさ。でも……」
ゆうりは、剣に手をかけながらも、鞘から抜こうとはしなかった。
「子どもを癒して、笑わせて。あたしの目には、どう見ても“人助けしてる人”にしか見えない」
「……」
「でもそれが、国にとって都合が悪いってんなら――その国の正義って、いったい何なんだろうね」
「……いい目してるじゃん、勇者」
ひなたが笑った。
「一発ぶん殴ってくるかと思ったのに、まともに会話できるタイプで安心したよ」
「こっちだって、殴り合いする気はないよ。でも、一つだけ確認させて」
「なに?」
「――あなた、本当に、“癒すだけ”じゃないの?」
その問いに、ひなたは拳を掲げて答える。
「うん。癒すだけじゃ、救えないこともあるから。だから――殴るよ」
「……!」
「だけどね、ゆうり」
ひなたは一歩、近づく。
「もし、あんたが“殴らなきゃ守れないもの”を見つけたとき――その拳、ちゃんと使える?」
ゆうりは、黙っていた。
そして、ゆっくりと剣から手を離した。
「……あんたとは、一回ちゃんと話すべきだった……王国には、戻らないよ」
「いい判断」
ひなたは、今度こそ心からの笑顔を浮かべた。
***
――こうして、“勇者”神崎ゆうりは、
“ぶん殴る聖女”ひなたと、同じ側に立つことを選んだ。
この出会いが、後に王国を揺るがす“第三勢力”誕生の契機となる。
けれどそれは、まだほんの序章にすぎなかった。




