第8話:ぶっ壊すべきは、どこですか?
「……ここが、その村?」
私は立ち止まり、前方を見つめた。
瓦屋根と木造の家々が連なる、小さな集落。けれど、人の気配が感じられない。
まるで、時間が止まってしまったかのような空気。
「そうだ。ここは、元は普通の人間の村だったんだ。でも、王国が“魔族の血が混じってる”なんて言いがかりをつけて、援助を止めた。そのせいで食糧は尽き、病気は蔓延して……この有様さ。」
ラグナの言葉を聞きながら、私は村の奥へ歩を進める。
子どもも大人も、痩せ細って、ボロ布のような服をまとい、影のように暮らしていた。
「っ……」
見るだけで、胸が痛くなる。
あのとき、自分が“神殿で使い潰されていた”ことなんて、比べ物にならないほどの地獄。
「水も薬も、王国からは一切届いていない。民の多くは、もう王に絶望している。だが、それでも生きているんだ」
ラグナの声が、どこか悔しげだった。
***
「お姉ちゃん……魔族、じゃないの?」
震える声で問うてきたのは、まだ小さな女の子。
見るからに栄養失調で、頬がこけ、指は細い枝のようにか細い。
私は、ひざをついて目線を合わせる。
「違うよ。私は……うーん、なんていうか、“なんでも癒す人”?」
「なんでも……?」
「うん。人でも、魔族でも、元気な子でも、弱った子でも。癒すのに、理由はいらないよ」
そっと、彼女の額に手を当てた。
光が、やさしく灯る。
熱がすっと引いて、少女の表情が少しやわらいだ。
その瞬間――村のあちこちで、ざわめきが広がった。
「……聖女様だ……!」
「光の癒しだ……!」
「神殿のとは、違う……!」
住人たちが、ひとり、またひとりと顔を出してくる。
その誰もが、怯えと期待を入り混ぜた目で、私を見ていた。
「聖女が……俺たちのところに来てくれた……!」
「神に見捨てられたと思っていたのに……!」
違う。
見捨てたのは、神じゃない。
王国だ。
神の名を語って、都合よく“癒す相手”を選んできたやつらだ。
「ねえ、ひなた」
ラグナが私の隣に立ち、問いかける。
「お前は、癒すべき相手を、何で選ぶ?」
私は拳を握った。
「“傷ついてるかどうか”だけだよ」
「では、“ぶっ壊すべき相手”は?」
「……苦しむ人を無視してるやつら。搾取してるやつら。見て見ぬふりしてるやつら」
私は立ち上がる。
拳を、天に向かって突き出すように掲げた。
「ぶっ壊すべきは、制度! 構造! そのてっぺんにいるクソどもだよ!」
村の空気が変わった。
「聖女様……!」
「俺たちも、戦っていいのか……?」
「もちろん。癒して、立ち上がって、ぶっ壊していい!」
私は微笑む。
「だってそれが、“生きる”ってことだから」
***
その夜。
村の広場には、小さな焚き火がともっていた。
宴と呼ぶには、あまりにも静かで、質素なものだった。
でも、子どもたちは火の周りで小さな歌を口ずさみ、大人たちは久しぶりに“顔を上げて”話をしていた。
「……こんなの、宴なんかじゃないけどね」
焚き火を見つめていた年若い母親が、照れくさそうに笑った。
「でも、聖女様が来てくれて、初めて“明日”の話ができたから……それだけで、今日は特別なんですよ」
配られたのは、ほんの少しの干し肉と、じゃがいもを煮た塩スープ。
それだけでも、ここではごちそうだった。
「なあ、聖女様。ひとつだけ、聞いていいかね」
老いた村長が、私の隣に腰を下ろした。
「……お前さんは、王国を敵に回す覚悟があるのか?」
私は、夜空を見上げた。
「うん。もう敵に回っちゃってるから」
「……はっはっは。そうか、そうか!」
二人して笑う。
その笑いは、ほんの少しだけ、あたたかかった。
もしこれで王国が動き出すっていうなら――こっちも動いてやる。
私はもう、神殿に縛られた聖女じゃない。
拳で制度をぶっ壊して、
癒しで世界を作り直す。
これはその、はじまりの日だった。