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第6話:癒しって、敵味方で変わるの?

 魔王城は、思ったよりも――いや、全然怖くなかった。


 重厚な黒石で築かれた外壁。高い塔。尖った屋根。そして門番の魔族たちがズラリと並んでいたときはさすがに身構えたけど――


「客人だ。通せ」


 ラグナの一声で、全員が黙って頭を下げた。


(え、魔族ってちゃんと礼儀正しいの?)


 想像していた“邪悪な闇の城”のイメージとは、かけ離れていた。


 むしろ中は――


「わ、広っ。なんか、きれい……」


 廊下には赤い絨毯、壁には美術品のような装飾。すれ違う魔族たちも、こちらに驚いたような顔をしながらも、無用な敵意は見せてこない。


(あれ、これ……下手したら、神殿よりちゃんとしてる……?)


 そんな感想すら抱いてしまった。



「案内しよう」


 ラグナに続いて魔王城の一角――医療塔へ入った私は、ある光景を見た。


 ベッドに並ぶ、魔族の子どもたち。


 腕に包帯を巻いた獣人の少年。片目を潰した女性。ぐったりと息をしている小さな子。


 魔族といっても、人間と変わらない顔だった。ただ、角が生えていたり、肌が少し灰色だったりするだけで。


「……この子たち、どうしたの?」


「難民だ。人間の村から逃げてきた者もいれば、前線で家族を失った者もいる。……その子は、“聖女の癒し”を受けたことがある」


 ラグナが指差した少女の肌には、癒しの痕跡が微かに残っていた。


「……あたしの、力?」


「おそらく、王国が聖女を送った時に、味方の治療で巻き添えになったのだろう。……お前の力は、敵味方の区別をしない」


「……」


 私は、そっと少女の傍らにひざをついた。


 手をかざす。光が、あふれる。

 見慣れた光――けれど、それは“初めて意味を持った”気がした。


 少女の眉が、すこしだけ動く。


「……治った」


 魔族の医師が、驚きに目を見開いた。


「傷が……癒えている……毒の反応も消えた……! すごい……!」


 私はただ、静かに見ていた。


 “魔族”という言葉の壁が、ひとつ崩れていくのを。


「ありがとう、聖女様」


 か細い声が聞こえた。


 その瞬間――涙がこぼれそうになった。


 ああ、こんなにも、まっすぐに。


 こんなにもあっさりと、「ありがとう」と言ってもらえるなんて。


「……あたし、王国では、感謝なんて一度も言われなかった」


 つぶやいた言葉に、ラグナが返す。


「“与えられて当然”と思っている者ほど、感謝をしない。……人間にも、魔族にもな」



 ***



 夜、与えられた部屋に入った私は、ベッドの上に座り込み、拳を見つめた。


 癒しの手。


 殴る手。


「癒すって、敵味方で変わるの……?」


 答えはまだ出ない。でも、ひとつわかったことがある。


 ――“正しさ”は、人によって変わる。


 私の力は、“敵”のために使っちゃいけないの?


 いいや、もうそんな価値観、捨ててしまっていい。


 あたしは、癒す。


 相手が誰であろうと、苦しんでるなら――


「癒すし、殴るし、必要ならぶっ壊す」


 私は、拳をぎゅっと握った。


 少しずつ、自分の在り方が見えてくる。


 聖女としてじゃない。

 誰かのための道具としてじゃない。


 “私自身として”どう生きるかを、選び始めていた。



 ***



「――この包帯、ほどいてもいい?」


「あっ……はい、お願いします……」


 少年の腕に巻かれた白い布をそっとほどき、傷口を確かめる。


 まだ少し赤みはあるけれど、膿んではいない。感染の兆候もない。


 私は指先を軽く添え、ゆっくりと魔力を流し込む。


 ふわり、と光が少年の腕を包み、淡くきらめいたあと、静かに消えた。


「……痛くない」


「うん、もう大丈夫。明日には動かせるよ」


「すごい……ありがとう、聖女様!」


 はにかむように笑う少年に、私も微笑みを返す。



 魔王城に来て、五日が経った。


 私は、戦っていない。


 殴ってもいない。


 ただ――ひたすら、“癒していた”。



「おい、誰だよ! そこの通路、寝る場所じゃねぇぞ!」


「だって……ベッド、いっぱいで……」


「しょうがねぇな! こっち来い! 空き部屋に運んでやるから!」


 魔族の兵士と、避難民の少年のやり取りが聞こえてくる。


 その一部始終を見ながら、私は心のどこかで驚いていた。


 魔族は怖い存在――そう思っていた。


 でもここで出会ったのは、家族を失った子どもを気遣い、空腹の者に自分のパンを分け与え、傷を負った仲間の背を支える、普通の“人”だった。


(私が“癒したい”と思ったのは、こういう人たちだったんだ)


 ふと思う。


 王国にいたとき、癒しの魔法をかけた兵士たちは、誰一人私を“見て”くれなかった。


「ありがてえ!」「助かった!」――それは、自分の傷が治ったことへの歓喜であって、“私”に向けられた言葉ではなかった。


 でも、ここでは。


「聖女様が来てくれた!」


「聖女様のおかげで、お兄ちゃんが……!」


 そう言って、子どもたちが笑ってくれる。

 お礼にと、花を摘んできてくれる。


 私は、魔物を倒したわけじゃない。


 ただ、癒しているだけだ。


 でも今は、それだけで十分だった。



 ***



「魔力の減り方が安定してきているな」


「うん。たぶん、癒す相手が“自分で選べてる”からだと思う」


 見回りに来たラグナにそう言うと、彼女は静かに頷いた。


「人は、自分の意志で力を使うとき――限界以上の力を出せる。逆に、無理やり搾り取られると、すぐに壊れる」


「……あたし、ずっと“壊れかけ”だったのかも」


 壁にもたれて、そっと笑う。


「この数日でね、やっと人間らしい生活ができている気がする……まともに寝られるし、ご飯もちゃんと味がする」


「お前のような人間が、なぜ王国の中で生きていたのか、不思議でならん」


「……生きてたんじゃない。“生かされてた”だけ」


 ぽつりと、こぼしたその言葉に、ラグナが目を細めた。


「――聖女、天川ひなた」


「ん?」


「お前が本気で望むなら。ここで、“癒すだけの生活”を続けることもできる」


「……っ」


 思わず黙った。


 ラグナの言葉は、優しかった。でも、私は心の中で、揺れていた。


 癒すだけの日々。それは、確かに穏やかで、優しい世界だった。


 でも。


 私は、知ってしまった。


 “癒すだけじゃ届かない場所”があることを。


 “誰かを守るために、殴らなきゃいけない瞬間”があることを。


「……ありがとう。でも、私、たぶんまた――ぶん殴っちゃうと思う」


「……そうか」


 ラグナは、どこか安心したように笑った。



 ***



 夜、久しぶりに手帳を取り出し、ページをめくる。


 この世界に来てから書き留めた、ほんの短い言葉たち。


 その空白に、私は一行だけ書き加えた。



 癒すことは、戦わないことじゃない。

 私は、戦ってでも、癒すんだ。



 その言葉が、今の私の――答えだった。


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