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第4話:聖女さまの逆襲、始めます

 魔物の死骸から、ゆっくりと黒い煙が立ちのぼる。


 地面には砕けた角と、削れた爪跡が深く刻まれていた。


 そのすべてを――拳一つで打ち砕いたのは、紛れもない。

 聖女、天川ひなただった。


 場に立ちこめる沈黙の中で、誰よりも先に声を上げたのは神官マールだった。


「い、今の……!? な、なんですか、その力は!? 魔物を、一撃で……!」


 彼は馬から慌てて降りると、顔色をコロコロ変えながら私に駆け寄ってくる。


「す、すばらしい! まさかそんな力まで秘めておられたとは……! さすが、聖女様! いやはや、私も……密かに信じておりましたとも!」


「……へえ」


 私は、にっこりと微笑んだ。


 けれど、その目は氷よりも冷たかった。


「じゃあさ――どうして、私を盾にしたの?」


「……っ」


「“死なないでしょう”って言って、私を突き飛ばしたよね。あれ、“とっさの判断”だったんだっけ?」


 場の空気が、凍りつく。


 マールの顔から、音を立てて血の気が引いた。


「そ、それは……! その……あ、危機的状況でしたから……!」


「そっかぁ。とっさに人を犠牲にする人って、神官って言えるの?」


 私はゆっくりと歩み寄り、彼の胸元を指でトンと突いた。


「今までずっと、私に命令して、使って、見下してきたよね」


「い、いや、それは誤解で――」


「……そう。じゃあ、誤解を解くチャンスをあげるね」



 ドゴッ!!!!!!



「がはっ……!!?」


 マールの体が、音を立てて宙に浮いた。


 私の拳が、彼の腹を思いきりぶち抜いたのだ。


 そのまま、5メートル近く吹き飛ばされたマールは、地面に転がり、白目を剥いて動かなくなった。


「……やっとスッキリした」


 私は深呼吸し、肩を落とした。



 ***



「お、おい……!」


「マール様が……!」


「でも、あれは自業自得じゃ……?」


 兵士たちは一斉に口をつぐんだ。


 誰もが分かっていた。

 マールがどれだけ“聖女様”にひどいことをしてきたか。


 見て見ぬふりをしてきた彼ら自身も、いずれ“ぶん殴られる側”になるかもしれない。

 そう思った瞬間、全員が身動きを止めた。


 私は、彼らをひとりひとり、ゆっくりと見渡した。


「私、戻らないから」


 声は静かだった。けれど、それは間違いなく、宣戦布告だった。


「この一週間、私がどれだけ“使い潰されてきたか”――みんな、見てたよね? 知らないとは言わせないよ」


 一歩踏み出すたびに、兵士たちは後ずさる。


「このことを王都に報告してもいい。でも、もし私の邪魔をするなら――その時は」


 私は拳を、ぎゅっと握った。


 兵士たちは、誰一人言葉を返せなかった。



 私はゆっくりと砦を後にする。


 背後からは、誰も追ってこない。


 空は、夕陽に染まり始めていた。

 魔物の死骸と、神官のうめき声を背にして――


 私は、ようやく、自分の足で歩き出す。


 この道がどこへ続いているのかは、わからない。


 でも、今だけは、はっきり言える。



 私はもう――誰の道具でもない。



 ***



 砦を離れてしばらく、私は一本道を歩いていた。


 道の両脇には草が伸び、遠くで鳥が鳴いている。


(……静かだ)


 戦場の喧騒が嘘みたいだった。


 それでも、右手の拳にはまだ熱が残っている。

 マールを殴ったときの感触――あれだけは、たぶん、一生忘れない。


 それは、初めて自分の“意思”で行動した証だったから。



 ***



「戻ってください、聖女様!」


 背後から、馬の足音が迫る。


 振り返れば、数人の兵士が馬を並べていた。武装して、槍を構えて、明らかに「説得」というより「制圧」に来ている。


「……やめときなよ」


 私は道の真ん中で立ち止まり、静かに言う。


「今ならまだ、無事に帰れるよ?」


「命令だ。おとなしく戻れ。でなければ――」


「でなければ?」


 私はゆっくりと拳を握る。地面が、小さく震えた。


「ぶっ飛ばされたいわけ?」


 兵士たちは顔を見合わせた。


 誰もが、砦で見た“あの一撃”を思い出している。ヘルホーンを拳で粉砕した少女。怒りを込めて神官を吹き飛ばした姿。


「……ちっ、逃がすな!」


 先頭の男が叫んだ。馬が突進してくる。


 私は、ため息をひとつ吐いて――


「もう、あんたらに遠慮する理由ないから」


 次の瞬間、拳が地面を叩いた。



 バゴォォォンッ!!



 地割れが走る。馬が転び、兵士たちが宙に舞った。


「ひ、ひいいいっ!?」


「ば、バケモノかよっ……!」


 次々に逃げていく背中を見送りながら、私は肩をすくめた。


「私は“聖女”だよ。バケモノなんかじゃない」


 そう、自分に言い聞かせるように。



 ***



 日が暮れる頃、私は小さな川のほとりで腰を下ろした。


 川の水は冷たくて、澄んでいて――思わず、顔を洗う。


(ふつうの水が、こんなに気持ちいいなんて)


 昨日までは、神殿の冷たい井戸水しか知らなかった。


 そこでは、火傷も、睡眠不足も、心の傷も、誰にも見てもらえなかった。


 でも今は違う。


 たったひとりになって、ようやく息ができた気がした。


「……これで、自由?」


 誰にともなく呟いて、笑ってみた。


 その笑顔は、まだちょっとぎこちない。でも、嘘じゃなかった。



 ***



 王都では、少し遅れて混乱が広がっていた。


「……なに? 聖女が、神官マールを殴った?」


「しかも魔獣を一撃で? 本当かそれは」


 国王は椅子の上で身を乗り出し、神官たちと騎士団に問い詰める。


「はい。現在、聖女は砦を離れて逃走中かと……」


「なら、追え!」


 王の顔に浮かぶのは、恐怖と焦り。


「その力がこちらに向けられる前に――潰すしかあるまい」


 こうして、アストレア王国は正式に聖女ひなたを“反逆者”として指名手配した。


 だが、この時、王も神官たちも気づいていなかった。


 その“反逆者”こそが、後にこの世界の形を変える存在になるということを。



 ***



 夜。


 私は焚き火を囲みながら、少しだけ考えていた。


「これから……どうしようかな」


 魔王って、どこにいるんだろう。

 人間じゃない相手なら、話が通じるかもしれない。


 そう思ったのは、ある種の皮肉だ。


「魔物より、人間の方が怖かったんだもん」


 パチパチと火のはぜる音だけが、夜の空気に響く。


 私は、火に手をかざしながら呟いた。


「もし会ったら言ってやろう。魔王様――ちょっと、話しません?って」


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