第2話:喉に刻まれた沈黙
仮棟の窓の外で、朝の木槌の音がしていた。
市民広場の工事だ。昨日まで神殿の塔が立ってた場所で、今は人が汗かいて、新しい壁を立ててる。未来っぽい音だと思う。
なのに、私の前にある寝台だけ、空気が冷たかった。
薄い毛布の中で、少女の指先が小さく震える。泥と血を洗い落とした顔は思ったより幼くて、まつ毛がやけに長かった。喉元には、まだ赤黒い焼け跡が残っている。
そのまぶたが、ゆっくり開いた。
灰色っぽい目が、最初に私を映す。
次の瞬間、びくっと肩が跳ねた。
「大丈夫」
私はすぐ両手を上げた。触らないよ、って分かるように。
「ここ、王都の仮棟。あんたを門のところで拾ったの、私たちだから」
少女は息を浅くして、喉を押さえた。逃げようとしたのか、半分だけ体を起こして、痛みで顔を歪める。
「無理しないで。まだ動かない方がいい」
横からゆうりが椅子を引いて立ち上がる。
「警戒するのは当然だけど、今は追っ手も来てない。少なくとも、この部屋の中ではね」
窓際のラグナが、ミレナの喉元を見て眉を寄せた。
「《聖塔》で見た沈黙の刻印に似ているが、こっちはもっと厄介だ」
私は奥歯を噛んだ。
あのときの刻印は、ほどけた。声も戻った。
でも、ミレナの喉には、まだ黒いものが傷の奥に噛みついている。
「話そうとした瞬間に反応してるでしょ」
ゆうりが眉を寄せる。
「これ、偶然の怪我じゃない。証言封じよ」
ふざけんな、と思った。
逃げて、倒れて、やっと助かったかもしれない子の喉に、まだそんなもん噛ませてるのかよ。
でも今それを顔に出したら、この子はもっと怖がる。
私はできるだけ声を落とした。
「名前、分かる? 喋らなくていい。書けそうなら、これ」
机から紙と炭筆を取って差し出す。
あの子は少し迷ってから、震える手で受け取った。指先が細い。爪の間にまだ土が残ってる。
紙に、ゆっくり文字が落ちた。
ミレナ
「ミレナ」
私が読むと、その子は小さく肩をすくめた。
「私はひなた。こっちがゆうり、ラグナ」
部屋の入口から、控えめな声がした。
「……ひなたお姉ちゃん」
振り向くと、エリスが半分だけ顔を出していた。不安そうに両手を胸の前で組んでる。
「その子、起きたの……?」
「うん。起きたよ」
「こわい、のかな」
ミレナがエリスを見る。銀髪の小さな聖女。たぶん、安心より先に警戒が来る組み合わせだ。
案の定、ミレナの指がぎゅっと紙を握った。
私はエリスを手招きして、寝台から少し離れた場所に立たせた。
「エリス。ありがと。でも今は、ここで見てて」
「……うん」
ミレナが何か言おうとした。
「ひ、な――」
途中で喉が詰まった。
焼けた鉄でも飲み込んだみたいに、顔が真っ白になる。口元を押さえた指の隙間から、細い血がにじんだ。
「無理に喋らないで!」
私は反射で手を伸ばしかけて、ぎりぎりで止めた。喉に触れれば、また術式が暴れる。
代わりに背中へ手を添える。呼吸だけ整えるみたいに、弱く癒しを流す。
「大丈夫。今ここで話さなくていい」
ミレナは苦しそうに息を吸って、何度か頷いた。
それでも伝えたいらしくて、紙に何か書こうとした。
最初の一本の線で、手首が止まる。
ぎっ、と嫌な音がした。炭筆の先が紙を削る。指が強張って、文字にならない。
ゆうりが低く言う。
「喋るだけじゃない。書くのも制限されてる」
「告発に繋がる情報へ反応しているのだろう」
ラグナの声はいつも通り静かだった。
「ずいぶん手の込んだ拘束だ」
私は新しい紙をミレナの前に置いた。
「文字じゃなくていい」
ミレナが私を見る。
「絵でも、形でも、なんでも。あんたが出せるものでいいから」
しばらく止まっていた手が、また動いた。
一本。縦の線。
その横に、もう一本。
高い塔だった。
上へ細く伸びる壁。小さな格子。並んだ四角。そこに、豆粒みたいな人影がいくつも描き足される。小さい。エリスより小さそうな影もいる。
最後に、塔の上へ白い冠みたいな印。
部屋の空気が、すっと冷えた。
「……ひとりじゃないのね」
ゆうりが言う。
ミレナは頷いた。今度ははっきり。
それから、喉を押さえながら、絞り出すみたいに息を漏らす。
「あ……の、こ……」
そこで限界だった。咳き込んで、肩が震える。
私はもう迷わず、その手を握った。
「分かった」
ミレナの指がびくっとする。
「まだ向こうにいるんだね」
握ったまま、もう一度言う。
「大丈夫。今ここで全部言わなくていい」
ミレナの目の端が赤くなった。
たぶん、この子はずっと“言え”って命令される側だった。黙るな、祈れ、従え、役に立てって。だから逆に、言わなくていいと言われると、余計に崩れそうになるんだと思う。
ゆうりが腕を組んだ。
「でも、相手が誰かも分からないまま匿うのは危ないわよ」
「分かってる」
私は塔の絵を見たまま答えた。
「でも、だからって返す理由にはならないでしょ」
ラグナが短く頷く。
「感情で動くな、とは言わん。だが順序は守れ。まずは情報だ」
「うん。でも」
私はミレナの手を離さなかった。
「返さないから」
ミレナの唇が、かすかに震えた。
「……あ、りが……とう、ございます」
声にならない、擦れた空気みたいな音だった。
それでも十分だった。
外ではまた木槌の音が鳴る。壊した後に作る音だ。
だったら、今度は広場だけじゃ足りない。
この子が逃げてきた場所の分まで、取り返さなきゃいけない。




