第1話:聖女様のお仕事は、奴隷ですか?
神殿の床は、やけに冷たかった。
目が覚めた瞬間、まず感じたのはそれだ。石の冷たさが、肌をじわじわと奪っていく。ぼんやりと目を開ければ、白い天井。白い壁。見渡す限りの石造り。
まるで、ファンタジーの中に入り込んだような景色。
「……え?」
私はゆっくりと起き上がり、自分の体を見下ろす。着ているのは、見慣れた夏服のブラウスとスカート。でも、裾は汚れていて、腕には擦り傷があった。
(たしか……学校の帰りに、子どもをかばって……)
思い出しかけたそのときだった。
重々しい扉がギィ、と音を立てて開く。
「おお……目を覚まされましたか、聖女様!」
駆け寄ってきたのは、金糸の刺繍が入ったローブをまとった男。銀の髪飾りをつけ、どこか神聖な雰囲気すら漂わせている。でも、その顔には妙な興奮が浮かんでいた。
「せ、聖女……?」
訳もわからず呟く私を、男は平伏しかけて出迎えた。
「ここはアストレア王国。そして貴女は、魔王を倒すために女神によって召喚された“選ばれし聖女”なのです!」
「ま、魔王……?」
唐突すぎる単語の羅列に、頭が追いつかない。
でも、男の言葉が終わる前に、侍女や兵士たち、果ては国王らしき人物までが現れて、私を囲むようにひざまずいた。
「聖女様、どうか我が国をお救いください!」
「……」
私は、ただ、呆然とすることしかできなかった。
***
召喚されて三日が経った。
ロクな説明もないまま、私は“癒しの力”とやらを使わされていた。
「この者たちを癒してもらえますかな、聖女様」
神官マールは涼しい顔でそう言い、ずらりと並んだ兵士たちを示す。みな、骨折や切り傷など、明らかに戦場帰りの負傷者たちだ。
「ま、またヒールですか……」
「何か?」
マールの目が冷たく細められる。私は反射的に頭を下げた。
「いえ、やります」
しぶしぶながら、手をかざす。指先からふわりと光が溢れ、兵士の傷口がじわじわと塞がっていく。
「おおっ……!」
「すげぇ、もう痛くねぇぞ!」
「やっぱ聖女様は違うな!」
口々に感謝の声が上がる。けれど――その中に、私を気遣う声は一つもなかった。
(……ねぇ、私って便利道具か何か?)
背筋に、ぞわりとしたものが走る。
癒しの力を使うたびに、体から何かが抜けていく。お腹も空くし、喉も渇く。だけど、それを訴えるとマールは涼しい顔で言った。
「回復魔法で疲れるのは当然。聖女様なのですから、根を上げずに頑張ってください」
「……はあ」
三日連続、休みなし。
与えられた部屋はあるけれど、休憩中にも呼び出される。食事は冷えたスープと固いパンだけ。しかもそれすら、途中で中断させられることもある。
人として扱われていない。
でも。
それでも――私は、我慢していた。
***
その夜、ようやく部屋に戻ると、ベッドの上に見慣れない袋が置かれていた。
「……なにこれ」
開けてみると、薬草と、石のような固形物がゴロゴロと詰め込まれていた。メモが一枚。
『明日までにこれをすり潰して回復薬を五十本分作成してください 神官マール』
「……は?」
脳が情報を処理するのを拒否した。
十数人に癒し魔法を使ったあとで、五十本分の手作り回復薬……?
「無理じゃん……」
叫びたかった。でも、叫んだところで、明日の朝にはマールがやって来るだろう。
「“聖女様”なのですから、当然でしょう」
「“期待されているのですから”努力なさい」
「“召喚して差し上げたのだから”感謝すべきです」
――今まで、何度も言われた言葉。
帰る手段もない。味方もいない。わがままだと思われるのが怖くて、私は彼らの言いなりになっていた。
歯を食いしばりながら、袋の中の薬草を握りしめた。
熱い。痛い。でも、誰も、そんなことは気にしない。
***
「聖女! まだですか!」
次の日、厨房で黙々と薬草を刻んでいた私の元に、マールが怒鳴り込んできた。
「す、すみません……! あと少しで終わります!」
「急いでください! ったく、使えないですね」
背中を向けて吐き捨てるように言う彼の言葉に、私は拳を握った。
言い返したい。怒鳴り返したい。でも、怖い。ここで何をされるかわからない。
「……」
ふと、自分の指先を見ると、火傷の跡が赤く腫れていた。
――あたし、なんなんだろう。
人を癒したくて、この力を使っていたのに。
今の私は、癒すことで、自分が削られていく。
でも、それでも。
明日もきっと、私は笑顔を作って、癒しの光を振りまく。
そうするしか、“生きる術”がないのだから。