表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/26

第7話



二人はレヴァン・ノードの甲板の上で、互いの存在を確かめ合うように言葉を交わしていた。


想太は彼女が《レイ・カスタ》であることをいまだ信じられずにいたが、二人の間に流れる時間は穏やかで、わずかな膨らみを帯びたように円やかだった。


彼女の言葉を追いかけるように想太は尋ねた。


それは以前から気になっていたことで、度々耳にしている言葉でもあった。


「“空の裂け目”って……なんなんだ?」


その問いにレイは立ち止まり、しばし空を見上げた。


雲の切れ間から差し込む星光が、彼女の髪を淡く照らす。

青銀にきらめくそれは、風の化身であるかのように儚く、どこか芯の強さを帯びていた。


「――お前が落ちてきた場所。あれは、“天穿の痕域てんせんのこんいき”と呼ばれてる」


「天穿……?」


「うん。“天を穿うがつ”って意味。かつてこの世界が地上と繋がっていた頃――すべてを引き裂いた災厄、“グラヴィア・インシデント”が起きた」


「……それは、戦争か? 災害か?」


レイは静かに首を横に振る。


「戦いでも、災害でもない。“終焉に近い、始まり”だった。すべてが変わったのは、その時だよ」


彼女の声には、ただの知識ではない、感情がこもっていた。


想太はさらに言葉を重ねた。


「じゃあ、その……“グラヴィア・インシデント”って、いったい何が起きたんだ?」


レイはしばし沈黙したまま、遠くを見る。


その光彩はほんの少し――懐かしい色を帯びていた。


そして、ぽつりと呟くように語り始めた。


「地が割れ、空が膨らんだ。世界の重力の軸が、ある日突然、ひっくり返ったの」


「……ひっくり返った…って??」


「魔力の飽和と、大気圧の歪み。それに、人工魔導炉の連鎖暴走。全部が一度に重なって……結果、空に“逃げなきゃならない”世界になった。

それが、今の“浮遊圏”の始まり」


想太は息を呑んだ。

それは歴史ではなく、神話に近い話だった。


「空に浮かぶ都市たちは、もともと浮いていたんじゃない。

地上から“押し上げられた”んだ」


「…地上から…。ヴァネッサも言ってたけど、大陸は昔“雲の下”にあったって…」


「“信じられない”って顔だね」


「当たり前だろ。大体なんだよ…。浮遊大陸って…」


「お前がそう思うのも無理ないかもね。かつての地上は、もう雲の下にはない。あるのはただ嵐の下に揺れる海だけ。“失われた地平”だけだよ」


「かつての「地上」が、今は空に…?」


「そういうこと」


「……じゃあ、この空は、地上の“残骸”なんだな」


「言い方はキツいけど、そうかもね。

でも、だからこそ――空に立つ意味がある」


レイの目が、ほんの少しだけ強く光った。


「……まだ、知りたい?」


「……ああ。教えてくれ」


レイは小さく頷き、次の言葉を選ぶように口を開いた。


「じゃあ次は――なぜ、空の都市が崩れずに存在できているか。その“支柱”の話をしようか」


聞き慣れない言葉たちを必死に追いかけながら、想太は耳を傾ける。


夜の空は静かで、星たちはまるで耳を澄ませるようにまたたいていた。


「この世界が“浮かんでいる”のは偶然じゃない。

ちゃんと理由があって、そして、その理由を支えているものがあるの」


「それが……“空の支柱”ってやつか?」


「そう。正式名称は《グラヴィ=アクシス》。

通称“軸柱じくばしら”。この浮遊圏の重力バランスを保つために構築された、巨大な魔導構造体よ」


「構造体……じゃあ、自然物じゃないのか?」


「違う。あれは人間たちが、世界が壊れた後に作った“再定義の柱”。

重力、浮力、時間、空間。それぞれの揺らぎを一定の波形に保つように調整された、魔導炉の集合体」


想太は言葉を失っていた。


「世界の重力が崩壊した後、それぞれの浮遊島を“落ちないように”繋ぎ止める必要があった。

そのために、空間に張り巡らされた《重力織界》と、それを制御する“柱”が必要だったの」


「じゃあ……この空は“人工的に維持されてる”ってこと…?」


「そう。だから私たちは、ただ飛んでるだけじゃない。

“飛び続けられるように”、この空のルールを守りながら生きてる」


その言葉は、レイの小さな体から出ているとは思えないほど、強く響いていた。


「さっき言った《グラヴィ=アクシス》――“空の支柱”は、この世界の浮遊圏を保つ重力調整装置でもあり、空の柱の名残でもある」


想太は、傍らで静かに頷いた。


「……それって、いくつあるんだ?」


「四本」


「四本?」


「そう。東西南北、それぞれに1本ずつ配置されていて、この世界の“重心”を保つ軸になってる。

この支柱が一本でも崩壊したら、浮遊圏はバランスを失って、全ての大陸が落ちる」


レイの声は穏やかだが、その言葉には確かな緊張が宿っていた。


想太は、机の上に置かれていた整備用の炭素板に、無意識に指で図を描き始めた。


「……ってことは、その支柱の上に浮かんでる大陸も、四つ?」


「正確には、《グラヴィ=アクシス》を中心とした**浮遊環域ラグーンベルトの上に形成された大陸プレートが四つ、

それぞれ“巨大重力制御核”**を起点にして定着してる。言ってみれば、空に浮かんだ“四本脚のテーブル”みたいなもんだね」


「それぞれ、国があるんだよな」


「うん。そしてそれぞれが、重力炉の支柱を独占してる」


そう言って、レイは指を一本立てた。


「東の《ルビアス帝国》。古代魔導の末裔とされる学術都市帝国。空の魔力濃度を操る研究を続けてる」


次にもう一本。


「西の《ヴェルトライク連邦》。重装飛空艇と魔導工廠の国。機械技術で支柱制御を最も進化させてる」


三本目。


「南の《カド=エル王政領》。魔力と宗教が混在した神権政治。支柱そのものを“神の柱”と崇め、異端を拒む厳しい国」


そして、最後の一本。


「北の《イグナ=フレア帝国》。空賊国家の母体とも言える場所。航路と空域の支配で絶大な影響力を持つけど、内部では群雄割拠状態」


想太は依然として言葉を失っていた。


(ただの空じゃない。この空には、“秩序”がある……)


そしてその秩序は、科学と魔法と信仰と、暴力と――すべてが、空に浮かぶ支柱を基点として支えられている。


「……それぞれの支柱に不調が起きたら?」


レイはきっぱりと言った。


「世界が割れる。冗談じゃなく、本当に。

支柱間のエネルギーバランスは精密に保たれていて、もしひとつでも干渉されたら……他の支柱が“軌道修正”のために連動崩壊を起こす」


「それが……戦争の火種になってるんだな」


「うん。支柱の制御権は、国家の命綱そのもの。

そしてその国家同士は、“支柱”の保有権や浮遊炉の管理権を巡って、ずっと静かな戦争を続けている」


「静かな戦争……?」


「直接的な戦闘ばかりじゃないわ。交易路の妨害、浮遊石の供給制限、情報戦、政治的同盟……。

空は狭いようで広い。でも“落ちる”リスクと隣り合わせのこの世界では、一つの浮島、一つの補給炉が命綱になるの」


想太はゆっくりと息を吐いた。


「……地上での戦争とは、少し勝手が違うのか」


「そう。“風と支柱”を巡る争いなの。だから、空を飛ぶ者たちはみな、どこかの国家に属するか、あるいは――」


「空賊になる」


レイは微笑み、肯定するようにうなずいた。


「そう。そして、ヴァネッサたちレヴァン航団は、どこの国家にも属さず、自分たちで浮遊圏を守る“自由航団”。

でもそれは、“空の秩序の外”にいるということでもある」


「つまり……俺がいるこの場所も、決して安全じゃないってことか」


「正確には、“守られていない”ということね」


その言葉に、想太の胸に一つの感情が芽生える。


(じゃあ――ここで生きるには、自分の風を選ばなきゃならない)


レイは、そんな彼の変化を静かに見つめていた。



——風が、止んだ。


星がまたたくその静けさの中で、想太はふと、ここに来る途中で見た「渦」のことを思い出した。


「……そういえばさ、つい先日見たんだよ。見たこともないような巨大な渦が、地平線の向こうに立ってたんだ。…嘘みたいな光景がだった。ヴァネッサも言ってたが、あれが“空の裂け目“ってやつだよな?」


その言葉に、レイ=カスタの瞳が微かに揺れる。

その揺らぎは、まるで過去の記憶に手を伸ばすような微光だった。


「……そうだね――」


彼女はゆっくりと、言葉を選ぶように話し始めた。


「そう捉えて間違いはない。だけど、本当の”裂け目”は雲の下に存在してる。転界層のさらに下、——かつて地上があった場所に、この世界に開いた“時間と空間の傷痕”がある」


「…傷痕」


「空が“完全ではなくなった瞬間”に刻まれた、世界の矛盾のしるし」


彼女が説明する空の裂け目は、ひとつの「出来事」ではなく、複数の物理法則と魔導理論が衝突し、重なり、ねじれた結果として生じた“現象”だった。


「かつて、旧世界の科学者たちは、“限界”に挑もうとしていた。

魔力と重力、空間と質量の相互干渉を、人工的に安定化できるか試みていたんだ」


その中心にあったのが、かの伝説的な巨大施設――《リグ・シンフォニア》。


「彼らは、空を超えた“次元の調律”を目指していた。

世界の全てを制御可能な状態に“整列”させようとした。……だが」


レイの声が低くなる。


「失敗した。

次元の“根幹構造”――時間軸そのものに、微細な誤差が生じたの。

それはほんの一万分の一秒の揺らぎ。

だけどその揺らぎは、**因果律の“巻き戻しと重複”**を誘発した」


想太は、ただ静かに聞いていた。

レイの言葉が意味するのは、常識を超えた、世界そのものの“破綻”だった。


「空はひび割れた。時は裂け、場所はねじれた。

それが“空の裂け目”――《クロノ=フラクチャ》と呼ばれる領域」


「……あれは、ただの穴じゃなかったのか……?」


「違う。あれは、“存在の綻び”。

この世界の“ルール”が書き換えられる前触れでもあった」


レイの視線が、遠くの空へと向けられる。


「裂け目の中では、過去と未来が交差する。

重力は上と下を見失い、光は曲がり、風はさざめきながら逆流する。

そこに落ちた者は、“本来あるはずのない時間”に紛れ込み、

――やがて、別の場所へと辿り着く」


想太の心臓が、微かに脈打った。


「……まさか。俺も、その裂け目を通ってきた……?」


レイは、はっきりと頷いた。


「“天穿の痕域”。お前が落ちてきた場所は、まさにその裂け目の境界。

風のさざめきに満ち、時の記憶がうごめいていた。

――お前は、“ここではない時空”から引き寄せられた」


「じゃあ……それって、“転生”じゃないのか?」


「……理論上は、そうとも言える。

でも正確には、“帰属軸の置き換え”だよ。

お前の“存在情報”――身体と魂と記憶が、“別の時空の因果軸”に貼り直された」


想太は、自分がいまどこに立っているのかさえわからなくなった。


だが、レイは穏やかに言葉を重ねる。


「恐れることはない。

裂け目は“傷”であると同時に、“扉”でもある。

お前がここにいるということは、この空が――“お前を受け入れた”という証でもある」



その瞬間、格納区画の上空に、静かな風が通り過ぎた。


まるで、誰かが“見ている”かのように。

あるいは――空そのものが、想太に語りかけたかのように。


想太は、ようやく言葉を絞り出す。


「……じゃあ、俺は……

ここで、“何をすればいいんだろうな”」


レイは少しだけ微笑み、星空を見上げた。


「それを決めるのが、“飛ぶ”ってことじゃない?」


夜空は果てしなく澄んでいた。

“綻びの空”の下に、新しい物語の座標が生まれつつあった。







それは、ひとつの習慣のようになっていた。


補給区での仕事を終えたあと、想太は食事もそこそこに、静かに格納区画へと向かう。


待っているのは、飛空艇《レイ=カスタ》と、それを黙々と点検しているヴァネッサだった。


「おう、来たか」


彼女は振り向かないまま、機体下部のフレームに手を伸ばす。


「今日からは動力制御板の点検。浮力反応が一秒でも遅れたら、次の瞬間には墜ちるぞ。覚えとけ」


「……はい」


想太は工具を受け取り、彼女の指示に従って順にパネルを外していく。


フレームの下に潜ると、油と魔導石の匂いが微かに鼻を突いた。

懐かしい感覚だった。――だが、それ以上に、新しい“学び”だった。


「空の上じゃ、予兆の1秒が命の30秒になる。

だから飛ぶやつは“機体と喋れ”って教える。……お前は、そのへんは覚えがあるだろ?」


「……ああ。感覚で、わかることが多いんだ。

手の震えとか、音の変化とか。……あれは、機械の言葉だったのかもな」


ヴァネッサは短く鼻を鳴らした。


「言葉だよ。風の言葉でもある。機体は風に抗う道具だ。だから、どっちの言葉も理解してなきゃな」



作業の合間、想太はふと口にした。


「……なあ、ヴァネッサ。お前は、なんで俺にここまで手を貸すんだ?」


その問いに、彼女は手を止めなかった。


だが――その目は一瞬、別のものを見ていた。


(――あの飛空艇。零戦とかいう名だったか。

あれは、この世界のどんな設計にも属さない。

魔導炉も、風石も使わない。けど、空を“知っている”。

こいつがどこから来たのか、それを知るには――)


「……興味だよ」


「え?」


「お前じゃなくてな。お前が乗ってた“あの機体”が、どこから来たのか。

どこを飛んで、何を見て、どんな空を越えてきたのか――それを知りたいだけだ」


ヴァネッサの声には、乾いた響きがあった。

だが、その奥にあったのは確かに、空に魅せられた者の“渇き”だった。



夜が更けても、ふたりは機体を前に言葉を交わし、手を動かし続けていた。


整備台の光の下、想太の額には汗が浮かび、ヴァネッサの横顔は淡い光に照らされていた。


ふたりの会話は多くなかった。

だが、沈黙そのものが“信頼と理解の間合い”を形作っていた。


その夜もまた、風は機体のまわりを静かに巡っていた。


想太は知っていた。

この沈黙の中に、再び空を飛ぶための翼が、少しずつ育っていることを。



***



《レイ=カスタ》の整備は、想太の手によって着実に仕上がりつつあった。

風導板の調整、推進器の点火リレー、制御盤の応答速度――

どれも彼にとって未知の技術だったが、毎晩のようにヴァネッサと共に作業を重ねたことで、次第に手応えを掴みはじめていた。


そして、その夜。


整備区画にて、ヴァネッサが飛空艇の側に立ち、腕を組んだまま告げた。


「……整備も十分だ。反応も悪くねえ。

そろそろ、実地に移る」


想太の胸がわずかに跳ねた。


「じゃあ……俺が、飛ぶのか?」


だがヴァネッサは首を振る。


「お前は“まだ”だ。いきなり飛ばせるほど、空は甘くねぇ」


そう言って、彼女は操縦席へと乗り込んだ。


「まずは見とけ。――空賊式の“飛び方”ってやつを」



《レイ=カスタ》の推進炉が静かに脈動を始める。

整備士が手際よく安全枠を外し、試験航路へと滑走ルートを展開する。


艦内の風が緩やかに渦を巻く中、機体が軽やかに前進し――

わずかな助走ののち、ふっと、空を掴むように浮かび上がった。


想太は目を見張った。


ヴァネッサの操縦は、まるで“落ちない風”をなぞるようだった。

風を押すのではなく、風に“乗っている”。


右へ、左へ。機体は鋭くも柔らかく旋回し、

高度を取らずとも滑空の角度でリフトを生み出す――


(……これが、“空賊の飛び方”か)


戦闘機のような直線加速もなければ、軍式の高度管理もない。

だがそこには、空を生きる者の“呼吸”と“重さ”があった。


機体は一度ゆるやかに弧を描き、旋回して再び甲板へと戻ってくる。


着陸は滑らかだった。

風が、まるで機体を迎えに来たように、甲板へと押し戻していた。



ヴァネッサが操縦席から降りると、想太はすぐに駆け寄った。


「……すごい。全然、軍で教わった操縦とは違う」


「当たり前だ。空賊にとって飛ぶってのは、“逃げる”ことでも“追う”ことでもない。

“生き延びる技術”だ。生きることが目的だから、無駄な空力も、過剰な装備もいらねえ」


「……その飛び方、俺に教えてくれるのか?」


ヴァネッサは一拍だけ沈黙し――小さく頷いた。


「空が望むなら、な」


その言葉は風のように軽く、だが確かに、想太の胸の中で“応え”になった。


彼は、ついに“飛ぶ準備”の一歩を踏み出そうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ