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第3話






飛空艇の中には、昼の光が柔らかく差し込んでいた。


窓の外、陽光は雲を透かして淡く輝き、船体の影をぼんやりと床に落としている。

天井の通風孔からは、精霊風のうねりが、まるで眠っているかのような音を奏でていた。


その静けさの中で、ヴァネッサはソファに腰を下ろし、足を組んだ姿勢で想太を見ていた。

その視線は、問うでも咎めるでもない。ただ、風のようにそこにあるだけのものだった。


食事を摂った後、ヴァネッサは工具の手入れをしていた手を止め、何気ない口調で尋ねた。


「つーかよ、…だいにっぽん帝国、だっけ?その国の飛行士だったのか?」


想太は一瞬、問いの意図を測るように黙った。


「……日本。大日本帝国、って名前だった。

太平洋の西側にあって……国土の大半は島。群島国家だ」


「にほん……」


ヴァネッサは、その名を口の中で転がすように反復した。


「聞いたことねぇな。少なくとも、こっちの空図には載ってない。

アストリアでもヴァルディナでもない……レイム辺境でもねぇ」


彼女の目が細くなる。


「あんたの言葉には、妙な“整い方”がある。

軍隊口調っていうか……訓練された人間の話し方だ」


「軍人だったからな。一応は」


「……“一応”?」


「……正規の軍属じゃなかった。

俺は学生だったんだ。“学徒”って言って、徴兵されて。

教室から、飛行機のコックピットに座らされた」


ヴァネッサは眉をひそめた。


「……学生が戦争に? なんの冗談だよ。

それじゃ、国っていうより宗教国家だな。信仰のために子供を燃やす国か?」


想太は肩をすくめて、苦笑のような表情を浮かべた。


「戦争は、信仰に似てる。

誰かが“そうだ”って言えば、それが正しさになる」


「なるほどね……ますます興味が湧いてきたよ」


ヴァネッサは工具を棚に戻し、椅子に深く腰掛けた。


「最初はただの墜落兵かと思った。

でも、あんた……動きに“芯”がある。

自分の重さを知ってるっていうか、風に怯えない重心をしてる」


想太は苦笑した。


「風に怯えない、か……むしろ、俺は風の音に怯えてたよ。

被弾したとき、空の中に死が混じってる気がしたんだ」


「だからこそ、飛べるのかもな。

あたしら“風読み”は、風の中の異音を感じ取って進む。

風の向こうに何があるか――それを嗅ぎ分けるんだ」


「…風の向こう?」


「あんたも、少しはわかるんじゃないか?飛空艇乗りはみんなそうさ。いつだって、風の向こうにある「自由」を追い求めてる」


ヴァネッサの視線が鋭くなる。


想太はしばらく黙っていた。

船内の静けさに耳を傾けながら視線を落とし、掌を見つめた。

血の跡も、火傷も、まだそこにあった。

けれどそれ以上に、胸の奥で疼く、消えない感覚があった。


――俺は、何のために飛んだ?


目を閉じれば、あの音が聞こえる。プロペラの回転、風の切れる音、

そして……“帰ってこられない”と知りながら出た、あの空の冷たさ。


答えを探す舌が動かない。喉が重たい。

だが、彼女は急かさなかった。

ただ、そこにいてくれた。


そして、想太は語り始めた。


「……特攻だったんだ、俺」


ヴァネッサが眉をひそめる。


「特攻?」


「戦争で、敵艦に機体ごと突っ込む命令。……帰りの燃料も積まない。

最初から、死ぬために飛ぶ」


「……なんだそりゃ。機体ごと突っ込むって…、クソみたいな作戦だな」


「……わかってたよ。俺も、上も、皆わかってた。

だけど、それが“正しさ”でもあった。今でも思うんだ。戦争に勝つためなら、どんなことだって…」


言葉が震えた。

だが、それは怒りでも後悔でもなく、真実を吐き出す痛みだった。


「俺は、死ぬつもりだった。理由なんてない。逃げたいとも思ったけど、でも…」


ヴァネッサのまなざしが、微かに揺れる。

だが、それだけだった。彼女は何も言わない。


「……太平洋戦争。末期だった。

俺は、鹿児島の基地から出撃した。“学徒出陣”ってやつでな、まだ十九だった。

兵隊になるために学業を捨てて、飛行機に乗ったんだ」


窓の外で、風に帆布が小さくはためいた。


「“特別攻撃隊”――そう呼ばれた。

帰るつもりのない飛行だ。最初から、片道の燃料しか積んでない。

命と引き換えに敵艦を沈める、そういう作戦だった」


想太は、指を組んだまま拳を固める。


「出撃の日、朝は冷たかった。

だけど、空は綺麗だった。滑走路の端で、機体に触れたとき……なんていうか、

生きてるって感覚が、最後に残ってた。風も、機体も、音も――全部が、異常に鮮明だった」


その声は、微かに震えていた。だが、それでも続ける。


「俺の中には……“死ななきゃいけない”って意識しかなかった。

そう教育されたし、それが“正しい”とされてた。

でも……」


ここで彼は一度、言葉を止め、拳を開いた。

光が手のひらに差し込む。白い、温かな光だった。


「……飛んでる間、ほんの一瞬――怖くなった。

風が気持ちよくて、空があまりに美しくて、

そのときだけ、“ああ、死にたくない”って思ったんだ。

俺は……生きたかったんだって、その時に気づいた」


しばらくの沈黙。


やがて、想太は静かに笑う。

それは悔しさでも懺悔でもない。ただ、あまりに人間らしい感情の吐露だった。


「俺が何を信じて、何を守って、何を捨てて飛んだのか……

それすら、いまはもう曖昧になってる。

ただ……あの空の感触だけは、まだ体に残ってる」


彼の声が止まると、船内は再び静寂に包まれた。


窓から差す光が揺れる。

遠くで風の唸りが、空を流れる音を伝えていた。


ヴァネッサは、長いこと目を閉じていた。

その顔には、同情も、評価も、安易な慰めもなかった。


ただ、――黙って寄り添っていた。


やがて、彼女はそっと目を開けた。


「……そうか。

まあなんつーか、信じられねー話だが…。

あの“機体”を見る限りじゃなぁ…」


ヴァネッサは少し考えた後、続けた。


「なんにしても、あんたは“飛ぶ”ことを選んだってわけだ」


「……選んだのかどうかは、今でもわからないよ」


「でも、“生きたい”って思った。そうだろ?」


その言葉に、想太はふと視線を上げる。


「空は残酷だ。でも、嘘はつかない。

生きたい奴には、生きる理由を投げてくる。

……飛び続けたいなら、きっと、風が教えてくれるさ」


昼の光が、静かに船内を包み込む。

風が船体を撫で、遠くの帆を揺らした。



船内の時計代わりに吊るされた砂滴計が、昼を過ぎていた。


《バラッド・ワスプ》の船窓越しに、空が光を帯び始める。

雲海はゆるやかに揺れ、空の上にも昼下がりの静けさが訪れていた。


そんなとき、遠くから風を裂くような音が届いた。


「ん、来たな」


ヴァネッサが椅子から立ち上がり、飛空艇の外に出る。


「何が?」


想太がついて出ると、視界の向こう、青空に影が差していた。

巨大な艦影。帆を張り、回転式の風導板を広げたその船は、まるで空中都市のようだった。


「“市場艦グリフ・マーケット”。帝国の移動市だよ。補給用に寄ってきたってわけさ」


船体下部には数十の吊り貨物がぶら下がり、側面には帆布に描かれた金のロゴ。

人や物資がぶら下がるその姿は、空に浮かぶ商都そのものだった。


「よし、補給に行くぞ。あんたも来るか?」


想太は反射的に頷いた。だが、次の瞬間――


「ってことで、動かすぞ。“魔導炉”ってやつ、初体験か?」


そう言ってヴァネッサは操縦席へ滑り込み、スイッチを押し込んだ。


轟、と低く唸る音が船体の底から響く。


「なっ……!」


想太は思わず踏ん張った。足元が、わずかに浮くような感覚。

床下で何かが熱を帯び、空気が震える。

それは明らかに、“エンジン”とは異なる、生き物のような反応だった。


「こいつの心臓は《双輪式魔導炉》ってタイプ。風精霊の渦流を片方で生成して、もう一方で推進力に変換すんだ。

……まあ、細かいことはいい。体で覚えな」


ヴァネッサは慣れた手つきで、操縦桿の左側――風導板の開閉機構を操作する。


ゴウッ――と風が跳ねた。


船体側面の帆が展開し、左右の推進フィンが回転し始める。

圧縮された風が一気に船体後部から抜け、飛空艇が滑るように前へ動いた。


「うおおッ……!」


想太はその“滑空感”に、戦慄に近い感動を覚えた。


重力に抗うのではない。

風と一体になって進むような、自然との融合。


「離陸するぞ!」


ヴァネッサの号令とともに、船体がふわりと持ち上がった。


風の上に乗る。

空が近づく。



船体が、軋んだ。


想太が手すりを強く握りしめた瞬間、**《バラッド・ワスプ》**は地を離れた。


床がわずかに震え、重力が足元から抜ける。

浮くというより、“支えを失う”感覚に近い。

地上にあったはずの景色が、窓の外でじわりと下がっていく。


「浮力安定。風脈接続……滑空開始」


操縦席でヴァネッサの指が一つずつレバーを倒していくたび、

船体の各所が羽ばたくように変形し、風の形に適応していく。


「……飛んでる、のか……?」


「いや、“滑ってる”が正しいな。こいつは風を“拾う”タイプの艇さ。

羽の下に風を流して、魔導炉が浮力を維持する。地を蹴らず、風を抱くんだよ」


想太の知っていた“飛行”とは違った。

零戦は、エンジンの回転と加速で空へ引きずり上げるような力技だった。


でも今、この飛空艇は滑っていた。風の延長線上に“自然と”乗っていた。


「……こいつは生きてるみたいだ……」


想太がぽつりと呟くと、ヴァネッサが片目だけで笑った。


「そうさ。あんたの機体は、戦うために造られてたろ?

コイツは“生き延びるために飛ぶ”。その違いだ」


窓の外、世界が広がっていた。


木々は小さく、崖はなだらかに曲線を描き、

遺跡の石柱はまるで歯車の歯のように並んでいた。


そして、その遥か先に――空に浮かぶ巨大な平面。


金属の帆が反射する光。帆布のはためき。

人と貨物が忙しく行き交い、空に鳴り響く鐘の音。


「見えるだろ?あれが“市場艦”だ。補給も修理も娯楽も揃う、空の露店街ってとこさ」


船体が傾き、ゆるやかに角度を変える。

風導翼が微調整され、舵がゆっくりと戻る。


「着艦用の風域に入るぞ。衝撃はねぇけど、念のため掴まっとけよ」


想太は手すりを握った。

船体は空を“滑る”ように、市場艦の一角――甲板の接舷場へ向かっていく。


風が、近づく。

人の声が届く。

そして、船が――空の港へと吸い込まれていった。



「……まるで、街だな……」


想太がつぶやいたとき、甲板の床板が足元で小さく鳴った。


飛空艇バラッド・ワスプは《グリフ・マーケット》の接舷場に停められ、補給用の縄が固定されたところだった。


想太の目の前に広がっていたのは――空に浮かぶ都市の断片。


鋲打ちされた金属板の通路、列をなして並ぶ店のテント、

漂う香辛料の香りと、油で揚げられた食べ物の匂い。


「おう、行ってこい。あたしはちょっと用事があるからよ」


ヴァネッサが肩越しに言った。両手に補給リストと工具一式を抱えて、艦尾側の商業区画へと消えていく。


想太はその背中を見送り――ゆっくりと、目の前の喧騒に歩を踏み入れた。



色とりどりの旗が棚の上でたなびいていた。

店先には、名も知らぬ果物、乾燥させた白い肉、金属の歯車をあしらった腕輪が並ぶ。


子どもたちは素足で駆け回り、大声で喧嘩する商人たちの間を器用にすり抜けていた。

空に浮かぶというのに、地に足が根ざした暮らしがここにある――その事実に、想太は言葉を失っていた。


「…こんなとこが……」


ここには戦火も、命令も、敵機の影もない。

あるのは、生きるための生活、そしてそれを守るための熱だ。


想太の視線が、屋台の片隅に積まれた部品の山に止まる。

見覚えのない金属片。だが、なぜか規則的に配置された穴や切り込み。


「……これ、航空機の部品か?」


店主らしき老婆がギョロリと目を向けてきたが、言葉は通じなかった。

しかし、その瞳には悪意はなく、むしろ「よく気づいたな」と言いたげな含みがあった。


遠くでは、魔導炉の唸りが響く。

帆を張った商業艇がゆっくりと浮上し、甲板を横切っていく。



風が、頬を撫でた。


想太は、甲板の縁に立っていた。

視線の先、世界は足元にあった。


《グリフ・マーケット》の甲板は、空の真上に張り出した観測テラスのような作りで、そこから見下ろす景色は――言葉をなくすほど広大だった。


風は静かに吹き抜け、甲板の端に立つ者の髪をやさしく撫でていく。

想太は欄干に手をかけたまま、ただ黙って“世界”を見つめていた。


広がる雲海――


その果てには、形容しがたい“空の景色”が存在していた。


雲が波打ち、陽光を反射して白銀に光る。

その上に、ぽつり、ぽつりと浮かぶ大地の塊。


浮遊する大地が、水平線のように連なっている。

いくつもの島が、空中に浮かんだまま、ゆっくりと漂っていた。


尖った岩塊に囲まれた小島。

空中で回転する環状の地塊。

樹々に覆われ、逆さに吊り下がるような林。

断続的に重なりながら、どこまでも続く空の地平。


そのすべてが、風に運ばれるように、微かに動いている。


島々はまるで、雲海に浮かべられた巨石のようだった。


緑に包まれた山脈も。

赤茶けた断崖も。


あるものは逆さまに垂れ下がり、あるものは回転しながらゆっくりと移動している。


風が、深く吹き上げてくる。

まるで空の底に吸い込まれるような感覚。


風の音、雲のざわめき、空気の重なり――

すべてが、想太の肌に、肺に、心に染み込んでいく。


「……これは……夢の中でも、見たことがない……」


思わず口をついて出た言葉。

けれど、それは感嘆ではなかった。むしろ“恐れ”に近い。


自分が今、何を見ているのか――

この空の上に、本当に“世界”があるのかどうか。

理解が追いつかないほどの広さが、ただ、そこに在った。


空が深い。

雲が厚い。

風が重い。


けれど、不思議と“孤独”ではなかった。


零戦の風防越しに見た空とは違う。

あの空は、帰り道のない、命を削る空だった。

でも――この空は違う。


「……まだ、“先”がある……」


言葉にした瞬間、胸の内に小さな波が走った。


“生きている”。


この空には、それを感じさせる何かがあった。


大地が浮かぶ。

風が流れる。

光が透ける。


すべてが、“止まっていない”世界。


命令のない空。敵の影のない空。

誰かの意図に支配されない、風のままの空。


想太は、重ねて手を広げた。

掌に、風の輪郭が乗っていた。


「……この空を……」


この先へ行けたなら。

この先に、自分の居場所があるのなら。

もう一度、“飛ぶ”ことに意味があるのなら――


その時だった。



「よう、新入りか?」


低く落ち着いた、どこか笑っているような男の声が背後から届いた。


想太が振り返ると、そこにいたのは長身の男だった。

年は三十代半ばか。無精髭に、褐色の肌。

防風ゴーグルを額に上げ、胴体には空賊特有の多機能ベスト。


「いや……俺は」


咄嗟に否定しながらも、想太はそこで言葉に詰まった。

“空賊の新入り”ではない。けれど、それ以外に自分を何と呼べばいいのかも、わからない。


男はそんな反応を気にするでもなく、片手をひらひらと振って言った。


「ああ、堅くなんなよ。誰が何者かなんて、空の上じゃそんなに意味ねえ。

ただ、顔覚えのない奴がぼーっと雲見てりゃ、そりゃ気になるってだけさ」


「……あんたは?」


「カザン。ここの整備担当ってことになってる。

たまに武器も弄るし、帆の張り方も教えるし、まあ適当に何でも屋さ」


そう言って、彼は近くの柵に肘をかけた。


「で? お前さん、ヴァネッサと一緒だったろ。珍しいねぇ、あいつが誰か連れて歩くの」


「……連れてこられた、みたいなもんだよ」


想太は、やや苦笑気味に返した。

カザンはその答えに、満足げに鼻を鳴らす。


「だろうな。あいつ、気まぐれだからな。風に乗るのも、付き合うのも気分次第。

でもまあ、一度拾った奴は割と面倒見るぜ。……俺も、昔ぶん殴られたのがきっかけで今こうしてる」


その言葉に、想太は思わず目を見張った。


「殴られた?」


「おう。そん時、俺が手を抜いて整備した部品が空中で壊れてな。

あの女、即座に自分の飛行術で補正して無事帰還。

戻ってきたら真っ先に俺の顔面に拳一発。――いいパンチだった」


カザンの語り口はどこまでも軽い。だが、その眼の奥には確かな敬意があった。


「……そんなことがあったんだな。豪快っつーか、変わってるっていうか…」


「変わってんのは今に始まったことじゃないさ。

あいつの飛び方は、理屈より感覚。風を読んで、空を泳ぐ。まるで、空に帰るために飛んでるみてぇな」


しばらく風の音だけが続いた。


カザンは、ふと想太の顔を見て言った。


「で? お前さんは、どこから来たんだ?」


「……日本って国の、鹿児島のあたりからだ」


「にほん? ……あー、聞いたことねぇな。浮遊圏の外縁? それとも小さな島か?」


想太は苦笑した。


「…わかんないけど、多分、ずっと遠いところ」


「ふうん。じゃあ、“外”から来たってわけか」


そう言ったカザンの顔には、笑いではなく、どこか不思議そうな光があった。


「そういう奴、たまにいるよ。時折、“空の裂け目”から風に乗って降りてくる連中がな。

皆、妙な格好して、妙な言葉喋って、でもどこか“生きてる”顔してる」


想太はその言葉に、少しだけ目を伏せた。


「……俺は、“生きたかった”だけなのかもな」


カザンはそれには答えず、空の方を向いた。


「ま、それなら――空は、悪くねぇ選択だよ」


雲の海が広がっていた。

空の上にも、人がいて、暮らしがあり、風が流れている。


想太は、少しだけ深く息を吸い込んだ。



「――なあ、カザン」


想太が言葉を選びながら口を開いた。


「空賊って……あんたらは一体、何をしてるんだ?」


問いは素朴で率直だった。


空を見て、空賊を見て、その日々を感じてきた今だからこそ、疑問の重さが違う。

カザンは手すりにもたれかかり、ゆるく目を細めた。


「何をしてるか、ねぇ。まあ簡単に言や、空を流れ、拾い、売って、生きてる。

運び屋だったり、救助屋だったり、ハンターだったり。

空を食い物にしてるのが空賊って思われてるが……実のところは、“空に食われないようにしてる”のが俺たちさ」


「……空に、食われる?」


「そう。風は気まぐれだ。空路は変わる。魔導炉も壊れる。補給が滞れば村も沈む。

そんな時、正規軍や国家は助けちゃくれねえ。動きが遅いし、規則がうるさい」


カザンは、懐からくしゃくしゃの煙草を取り出して火をつけた。


「だから俺たちがいる。空の綻びを縫う“縫い目”みてぇなもんさ。

国家や市民にとっちゃ目障りだろうが――いなきゃ空が成り立たねえ。

少なくとも、この“浮遊圏”じゃな」


想太は言葉を失った。

空賊という響きには、もっと混沌とした匂いを感じていた。

だが今、カザンの話を聞きながら、空の上の“実務者”としての彼らの顔を垣間見た気がした。


「……じゃあ、ヴァネッサは」


「ああ。アイツはな、“レヴァン航団”の一角を仕切ってる。

名目上は独立小隊ってことになってるが、実際はあいつ一人で一艦運営してるようなもんだ」


「レヴァン航団……?」


「空賊連盟の一種だ。国家に所属せず、独立航路を維持してる勢力でな。

ヴァルディナ帝国からの干渉を避けつつ、交易と護衛、時に戦闘任務まで請け負う。

航団ごとに規律は違うが、ヴァネッサの隊は“風律自由制”ってやつを採ってる」


「……風律自由?」


「簡単に言や、命令も階級もない。“同じ空を飛ぶ者は、同じ風の下に在れ”って掟さ。

でもな、言うほど甘くはねぇ。空で生きるには、力と信頼がいる。

あいつは、それを一人で築き上げた」


想太は、風の匂いの中でしばらく黙っていた。


ヴァネッサ。

ただの自由人ではない。

彼女は、空そのものを“守る者”だったのだ。


「空賊ってのは、風と共にある職業だ。

時に盗み、時に救い、時に殺す。

だがな、“風に抗わず生きる”ってのは、俺たちにしかできねえ芸当だ」


カザンの声が、静かに甲板に残った。


想太は、自分のいた“空”とはまったく違う空を、ようやく知り始めていた。


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