第3話
◇
飛空艇の中には、昼の光が柔らかく差し込んでいた。
窓の外、陽光は雲を透かして淡く輝き、船体の影をぼんやりと床に落としている。
天井の通風孔からは、精霊風のうねりが、まるで眠っているかのような音を奏でていた。
その静けさの中で、ヴァネッサはソファに腰を下ろし、足を組んだ姿勢で想太を見ていた。
その視線は、問うでも咎めるでもない。ただ、風のようにそこにあるだけのものだった。
食事を摂った後、ヴァネッサは工具の手入れをしていた手を止め、何気ない口調で尋ねた。
「つーかよ、…だいにっぽん帝国、だっけ?その国の飛行士だったのか?」
想太は一瞬、問いの意図を測るように黙った。
「……日本。大日本帝国、って名前だった。
太平洋の西側にあって……国土の大半は島。群島国家だ」
「にほん……」
ヴァネッサは、その名を口の中で転がすように反復した。
「聞いたことねぇな。少なくとも、こっちの空図には載ってない。
アストリアでもヴァルディナでもない……レイム辺境でもねぇ」
彼女の目が細くなる。
「あんたの言葉には、妙な“整い方”がある。
軍隊口調っていうか……訓練された人間の話し方だ」
「軍人だったからな。一応は」
「……“一応”?」
「……正規の軍属じゃなかった。
俺は学生だったんだ。“学徒”って言って、徴兵されて。
教室から、飛行機のコックピットに座らされた」
ヴァネッサは眉をひそめた。
「……学生が戦争に? なんの冗談だよ。
それじゃ、国っていうより宗教国家だな。信仰のために子供を燃やす国か?」
想太は肩をすくめて、苦笑のような表情を浮かべた。
「戦争は、信仰に似てる。
誰かが“そうだ”って言えば、それが正しさになる」
「なるほどね……ますます興味が湧いてきたよ」
ヴァネッサは工具を棚に戻し、椅子に深く腰掛けた。
「最初はただの墜落兵かと思った。
でも、あんた……動きに“芯”がある。
自分の重さを知ってるっていうか、風に怯えない重心をしてる」
想太は苦笑した。
「風に怯えない、か……むしろ、俺は風の音に怯えてたよ。
被弾したとき、空の中に死が混じってる気がしたんだ」
「だからこそ、飛べるのかもな。
あたしら“風読み”は、風の中の異音を感じ取って進む。
風の向こうに何があるか――それを嗅ぎ分けるんだ」
「…風の向こう?」
「あんたも、少しはわかるんじゃないか?飛空艇乗りはみんなそうさ。いつだって、風の向こうにある「自由」を追い求めてる」
ヴァネッサの視線が鋭くなる。
想太はしばらく黙っていた。
船内の静けさに耳を傾けながら視線を落とし、掌を見つめた。
血の跡も、火傷も、まだそこにあった。
けれどそれ以上に、胸の奥で疼く、消えない感覚があった。
――俺は、何のために飛んだ?
目を閉じれば、あの音が聞こえる。プロペラの回転、風の切れる音、
そして……“帰ってこられない”と知りながら出た、あの空の冷たさ。
答えを探す舌が動かない。喉が重たい。
だが、彼女は急かさなかった。
ただ、そこにいてくれた。
そして、想太は語り始めた。
「……特攻だったんだ、俺」
ヴァネッサが眉をひそめる。
「特攻?」
「戦争で、敵艦に機体ごと突っ込む命令。……帰りの燃料も積まない。
最初から、死ぬために飛ぶ」
「……なんだそりゃ。機体ごと突っ込むって…、クソみたいな作戦だな」
「……わかってたよ。俺も、上も、皆わかってた。
だけど、それが“正しさ”でもあった。今でも思うんだ。戦争に勝つためなら、どんなことだって…」
言葉が震えた。
だが、それは怒りでも後悔でもなく、真実を吐き出す痛みだった。
「俺は、死ぬつもりだった。理由なんてない。逃げたいとも思ったけど、でも…」
ヴァネッサのまなざしが、微かに揺れる。
だが、それだけだった。彼女は何も言わない。
「……太平洋戦争。末期だった。
俺は、鹿児島の基地から出撃した。“学徒出陣”ってやつでな、まだ十九だった。
兵隊になるために学業を捨てて、飛行機に乗ったんだ」
窓の外で、風に帆布が小さくはためいた。
「“特別攻撃隊”――そう呼ばれた。
帰るつもりのない飛行だ。最初から、片道の燃料しか積んでない。
命と引き換えに敵艦を沈める、そういう作戦だった」
想太は、指を組んだまま拳を固める。
「出撃の日、朝は冷たかった。
だけど、空は綺麗だった。滑走路の端で、機体に触れたとき……なんていうか、
生きてるって感覚が、最後に残ってた。風も、機体も、音も――全部が、異常に鮮明だった」
その声は、微かに震えていた。だが、それでも続ける。
「俺の中には……“死ななきゃいけない”って意識しかなかった。
そう教育されたし、それが“正しい”とされてた。
でも……」
ここで彼は一度、言葉を止め、拳を開いた。
光が手のひらに差し込む。白い、温かな光だった。
「……飛んでる間、ほんの一瞬――怖くなった。
風が気持ちよくて、空があまりに美しくて、
そのときだけ、“ああ、死にたくない”って思ったんだ。
俺は……生きたかったんだって、その時に気づいた」
しばらくの沈黙。
やがて、想太は静かに笑う。
それは悔しさでも懺悔でもない。ただ、あまりに人間らしい感情の吐露だった。
「俺が何を信じて、何を守って、何を捨てて飛んだのか……
それすら、いまはもう曖昧になってる。
ただ……あの空の感触だけは、まだ体に残ってる」
彼の声が止まると、船内は再び静寂に包まれた。
窓から差す光が揺れる。
遠くで風の唸りが、空を流れる音を伝えていた。
ヴァネッサは、長いこと目を閉じていた。
その顔には、同情も、評価も、安易な慰めもなかった。
ただ、――黙って寄り添っていた。
やがて、彼女はそっと目を開けた。
「……そうか。
まあなんつーか、信じられねー話だが…。
あの“機体”を見る限りじゃなぁ…」
ヴァネッサは少し考えた後、続けた。
「なんにしても、あんたは“飛ぶ”ことを選んだってわけだ」
「……選んだのかどうかは、今でもわからないよ」
「でも、“生きたい”って思った。そうだろ?」
その言葉に、想太はふと視線を上げる。
「空は残酷だ。でも、嘘はつかない。
生きたい奴には、生きる理由を投げてくる。
……飛び続けたいなら、きっと、風が教えてくれるさ」
昼の光が、静かに船内を包み込む。
風が船体を撫で、遠くの帆を揺らした。
船内の時計代わりに吊るされた砂滴計が、昼を過ぎていた。
《バラッド・ワスプ》の船窓越しに、空が光を帯び始める。
雲海はゆるやかに揺れ、空の上にも昼下がりの静けさが訪れていた。
そんなとき、遠くから風を裂くような音が届いた。
「ん、来たな」
ヴァネッサが椅子から立ち上がり、飛空艇の外に出る。
「何が?」
想太がついて出ると、視界の向こう、青空に影が差していた。
巨大な艦影。帆を張り、回転式の風導板を広げたその船は、まるで空中都市のようだった。
「“市場艦”。帝国の移動市だよ。補給用に寄ってきたってわけさ」
船体下部には数十の吊り貨物がぶら下がり、側面には帆布に描かれた金のロゴ。
人や物資がぶら下がるその姿は、空に浮かぶ商都そのものだった。
「よし、補給に行くぞ。あんたも来るか?」
想太は反射的に頷いた。だが、次の瞬間――
「ってことで、動かすぞ。“魔導炉”ってやつ、初体験か?」
そう言ってヴァネッサは操縦席へ滑り込み、スイッチを押し込んだ。
轟、と低く唸る音が船体の底から響く。
「なっ……!」
想太は思わず踏ん張った。足元が、わずかに浮くような感覚。
床下で何かが熱を帯び、空気が震える。
それは明らかに、“エンジン”とは異なる、生き物のような反応だった。
「こいつの心臓は《双輪式魔導炉》ってタイプ。風精霊の渦流を片方で生成して、もう一方で推進力に変換すんだ。
……まあ、細かいことはいい。体で覚えな」
ヴァネッサは慣れた手つきで、操縦桿の左側――風導板の開閉機構を操作する。
ゴウッ――と風が跳ねた。
船体側面の帆が展開し、左右の推進フィンが回転し始める。
圧縮された風が一気に船体後部から抜け、飛空艇が滑るように前へ動いた。
「うおおッ……!」
想太はその“滑空感”に、戦慄に近い感動を覚えた。
重力に抗うのではない。
風と一体になって進むような、自然との融合。
「離陸するぞ!」
ヴァネッサの号令とともに、船体がふわりと持ち上がった。
風の上に乗る。
空が近づく。
船体が、軋んだ。
想太が手すりを強く握りしめた瞬間、**《バラッド・ワスプ》**は地を離れた。
床がわずかに震え、重力が足元から抜ける。
浮くというより、“支えを失う”感覚に近い。
地上にあったはずの景色が、窓の外でじわりと下がっていく。
「浮力安定。風脈接続……滑空開始」
操縦席でヴァネッサの指が一つずつレバーを倒していくたび、
船体の各所が羽ばたくように変形し、風の形に適応していく。
「……飛んでる、のか……?」
「いや、“滑ってる”が正しいな。こいつは風を“拾う”タイプの艇さ。
羽の下に風を流して、魔導炉が浮力を維持する。地を蹴らず、風を抱くんだよ」
想太の知っていた“飛行”とは違った。
零戦は、エンジンの回転と加速で空へ引きずり上げるような力技だった。
でも今、この飛空艇は滑っていた。風の延長線上に“自然と”乗っていた。
「……こいつは生きてるみたいだ……」
想太がぽつりと呟くと、ヴァネッサが片目だけで笑った。
「そうさ。あんたの機体は、戦うために造られてたろ?
コイツは“生き延びるために飛ぶ”。その違いだ」
窓の外、世界が広がっていた。
木々は小さく、崖はなだらかに曲線を描き、
遺跡の石柱はまるで歯車の歯のように並んでいた。
そして、その遥か先に――空に浮かぶ巨大な平面。
金属の帆が反射する光。帆布のはためき。
人と貨物が忙しく行き交い、空に鳴り響く鐘の音。
「見えるだろ?あれが“市場艦”だ。補給も修理も娯楽も揃う、空の露店街ってとこさ」
船体が傾き、ゆるやかに角度を変える。
風導翼が微調整され、舵がゆっくりと戻る。
「着艦用の風域に入るぞ。衝撃はねぇけど、念のため掴まっとけよ」
想太は手すりを握った。
船体は空を“滑る”ように、市場艦の一角――甲板の接舷場へ向かっていく。
風が、近づく。
人の声が届く。
そして、船が――空の港へと吸い込まれていった。
「……まるで、街だな……」
想太がつぶやいたとき、甲板の床板が足元で小さく鳴った。
飛空艇は《グリフ・マーケット》の接舷場に停められ、補給用の縄が固定されたところだった。
想太の目の前に広がっていたのは――空に浮かぶ都市の断片。
鋲打ちされた金属板の通路、列をなして並ぶ店のテント、
漂う香辛料の香りと、油で揚げられた食べ物の匂い。
「おう、行ってこい。あたしはちょっと用事があるからよ」
ヴァネッサが肩越しに言った。両手に補給リストと工具一式を抱えて、艦尾側の商業区画へと消えていく。
想太はその背中を見送り――ゆっくりと、目の前の喧騒に歩を踏み入れた。
色とりどりの旗が棚の上でたなびいていた。
店先には、名も知らぬ果物、乾燥させた白い肉、金属の歯車をあしらった腕輪が並ぶ。
子どもたちは素足で駆け回り、大声で喧嘩する商人たちの間を器用にすり抜けていた。
空に浮かぶというのに、地に足が根ざした暮らしがここにある――その事実に、想太は言葉を失っていた。
「…こんなとこが……」
ここには戦火も、命令も、敵機の影もない。
あるのは、生きるための生活、そしてそれを守るための熱だ。
想太の視線が、屋台の片隅に積まれた部品の山に止まる。
見覚えのない金属片。だが、なぜか規則的に配置された穴や切り込み。
「……これ、航空機の部品か?」
店主らしき老婆がギョロリと目を向けてきたが、言葉は通じなかった。
しかし、その瞳には悪意はなく、むしろ「よく気づいたな」と言いたげな含みがあった。
遠くでは、魔導炉の唸りが響く。
帆を張った商業艇がゆっくりと浮上し、甲板を横切っていく。
風が、頬を撫でた。
想太は、甲板の縁に立っていた。
視線の先、世界は足元にあった。
《グリフ・マーケット》の甲板は、空の真上に張り出した観測テラスのような作りで、そこから見下ろす景色は――言葉をなくすほど広大だった。
風は静かに吹き抜け、甲板の端に立つ者の髪をやさしく撫でていく。
想太は欄干に手をかけたまま、ただ黙って“世界”を見つめていた。
広がる雲海――
その果てには、形容しがたい“空の景色”が存在していた。
雲が波打ち、陽光を反射して白銀に光る。
その上に、ぽつり、ぽつりと浮かぶ大地の塊。
浮遊する大地が、水平線のように連なっている。
いくつもの島が、空中に浮かんだまま、ゆっくりと漂っていた。
尖った岩塊に囲まれた小島。
空中で回転する環状の地塊。
樹々に覆われ、逆さに吊り下がるような林。
断続的に重なりながら、どこまでも続く空の地平。
そのすべてが、風に運ばれるように、微かに動いている。
島々はまるで、雲海に浮かべられた巨石のようだった。
緑に包まれた山脈も。
赤茶けた断崖も。
あるものは逆さまに垂れ下がり、あるものは回転しながらゆっくりと移動している。
風が、深く吹き上げてくる。
まるで空の底に吸い込まれるような感覚。
風の音、雲のざわめき、空気の重なり――
すべてが、想太の肌に、肺に、心に染み込んでいく。
「……これは……夢の中でも、見たことがない……」
思わず口をついて出た言葉。
けれど、それは感嘆ではなかった。むしろ“恐れ”に近い。
自分が今、何を見ているのか――
この空の上に、本当に“世界”があるのかどうか。
理解が追いつかないほどの広さが、ただ、そこに在った。
空が深い。
雲が厚い。
風が重い。
けれど、不思議と“孤独”ではなかった。
零戦の風防越しに見た空とは違う。
あの空は、帰り道のない、命を削る空だった。
でも――この空は違う。
「……まだ、“先”がある……」
言葉にした瞬間、胸の内に小さな波が走った。
“生きている”。
この空には、それを感じさせる何かがあった。
大地が浮かぶ。
風が流れる。
光が透ける。
すべてが、“止まっていない”世界。
命令のない空。敵の影のない空。
誰かの意図に支配されない、風のままの空。
想太は、重ねて手を広げた。
掌に、風の輪郭が乗っていた。
「……この空を……」
この先へ行けたなら。
この先に、自分の居場所があるのなら。
もう一度、“飛ぶ”ことに意味があるのなら――
その時だった。
「よう、新入りか?」
低く落ち着いた、どこか笑っているような男の声が背後から届いた。
想太が振り返ると、そこにいたのは長身の男だった。
年は三十代半ばか。無精髭に、褐色の肌。
防風ゴーグルを額に上げ、胴体には空賊特有の多機能ベスト。
「いや……俺は」
咄嗟に否定しながらも、想太はそこで言葉に詰まった。
“空賊の新入り”ではない。けれど、それ以外に自分を何と呼べばいいのかも、わからない。
男はそんな反応を気にするでもなく、片手をひらひらと振って言った。
「ああ、堅くなんなよ。誰が何者かなんて、空の上じゃそんなに意味ねえ。
ただ、顔覚えのない奴がぼーっと雲見てりゃ、そりゃ気になるってだけさ」
「……あんたは?」
「カザン。ここの整備担当ってことになってる。
たまに武器も弄るし、帆の張り方も教えるし、まあ適当に何でも屋さ」
そう言って、彼は近くの柵に肘をかけた。
「で? お前さん、ヴァネッサと一緒だったろ。珍しいねぇ、あいつが誰か連れて歩くの」
「……連れてこられた、みたいなもんだよ」
想太は、やや苦笑気味に返した。
カザンはその答えに、満足げに鼻を鳴らす。
「だろうな。あいつ、気まぐれだからな。風に乗るのも、付き合うのも気分次第。
でもまあ、一度拾った奴は割と面倒見るぜ。……俺も、昔ぶん殴られたのがきっかけで今こうしてる」
その言葉に、想太は思わず目を見張った。
「殴られた?」
「おう。そん時、俺が手を抜いて整備した部品が空中で壊れてな。
あの女、即座に自分の飛行術で補正して無事帰還。
戻ってきたら真っ先に俺の顔面に拳一発。――いいパンチだった」
カザンの語り口はどこまでも軽い。だが、その眼の奥には確かな敬意があった。
「……そんなことがあったんだな。豪快っつーか、変わってるっていうか…」
「変わってんのは今に始まったことじゃないさ。
あいつの飛び方は、理屈より感覚。風を読んで、空を泳ぐ。まるで、空に帰るために飛んでるみてぇな」
しばらく風の音だけが続いた。
カザンは、ふと想太の顔を見て言った。
「で? お前さんは、どこから来たんだ?」
「……日本って国の、鹿児島のあたりからだ」
「にほん? ……あー、聞いたことねぇな。浮遊圏の外縁? それとも小さな島か?」
想太は苦笑した。
「…わかんないけど、多分、ずっと遠いところ」
「ふうん。じゃあ、“外”から来たってわけか」
そう言ったカザンの顔には、笑いではなく、どこか不思議そうな光があった。
「そういう奴、たまにいるよ。時折、“空の裂け目”から風に乗って降りてくる連中がな。
皆、妙な格好して、妙な言葉喋って、でもどこか“生きてる”顔してる」
想太はその言葉に、少しだけ目を伏せた。
「……俺は、“生きたかった”だけなのかもな」
カザンはそれには答えず、空の方を向いた。
「ま、それなら――空は、悪くねぇ選択だよ」
雲の海が広がっていた。
空の上にも、人がいて、暮らしがあり、風が流れている。
想太は、少しだけ深く息を吸い込んだ。
「――なあ、カザン」
想太が言葉を選びながら口を開いた。
「空賊って……あんたらは一体、何をしてるんだ?」
問いは素朴で率直だった。
空を見て、空賊を見て、その日々を感じてきた今だからこそ、疑問の重さが違う。
カザンは手すりにもたれかかり、ゆるく目を細めた。
「何をしてるか、ねぇ。まあ簡単に言や、空を流れ、拾い、売って、生きてる。
運び屋だったり、救助屋だったり、ハンターだったり。
空を食い物にしてるのが空賊って思われてるが……実のところは、“空に食われないようにしてる”のが俺たちさ」
「……空に、食われる?」
「そう。風は気まぐれだ。空路は変わる。魔導炉も壊れる。補給が滞れば村も沈む。
そんな時、正規軍や国家は助けちゃくれねえ。動きが遅いし、規則がうるさい」
カザンは、懐からくしゃくしゃの煙草を取り出して火をつけた。
「だから俺たちがいる。空の綻びを縫う“縫い目”みてぇなもんさ。
国家や市民にとっちゃ目障りだろうが――いなきゃ空が成り立たねえ。
少なくとも、この“浮遊圏”じゃな」
想太は言葉を失った。
空賊という響きには、もっと混沌とした匂いを感じていた。
だが今、カザンの話を聞きながら、空の上の“実務者”としての彼らの顔を垣間見た気がした。
「……じゃあ、ヴァネッサは」
「ああ。アイツはな、“レヴァン航団”の一角を仕切ってる。
名目上は独立小隊ってことになってるが、実際はあいつ一人で一艦運営してるようなもんだ」
「レヴァン航団……?」
「空賊連盟の一種だ。国家に所属せず、独立航路を維持してる勢力でな。
ヴァルディナ帝国からの干渉を避けつつ、交易と護衛、時に戦闘任務まで請け負う。
航団ごとに規律は違うが、ヴァネッサの隊は“風律自由制”ってやつを採ってる」
「……風律自由?」
「簡単に言や、命令も階級もない。“同じ空を飛ぶ者は、同じ風の下に在れ”って掟さ。
でもな、言うほど甘くはねぇ。空で生きるには、力と信頼がいる。
あいつは、それを一人で築き上げた」
想太は、風の匂いの中でしばらく黙っていた。
ヴァネッサ。
ただの自由人ではない。
彼女は、空そのものを“守る者”だったのだ。
「空賊ってのは、風と共にある職業だ。
時に盗み、時に救い、時に殺す。
だがな、“風に抗わず生きる”ってのは、俺たちにしかできねえ芸当だ」
カザンの声が、静かに甲板に残った。
想太は、自分のいた“空”とはまったく違う空を、ようやく知り始めていた。