Ep.2 ようこそ帝華学園へ
あれから、槐と皐月に連れられて、鞠ナは学園を案内されることに。
皐月が説明するには、そもそもこの帝華学園は簡単に言えば異能に目覚めた人のための学園とのこと。
生徒一人一人が全員何かしらの能力を持っていて、体のどこかにこの『錠』ができている子しかいないらしい。そのため危険が無いよう、基本手には一人につき一人<管理人>と呼ばれる大人の能力者がつけられているそうだ。ただ人手不足で複数を担当する管理人もいるらしい。
なぜ管理人と呼ぶかと聞くと、生徒のことをこの学園では<花蕾>と呼ぶことになっており、その花のツボミたちを管理するからというなんとも安直な理由らしい。
ツボミたちもまた、能力が不安定なことが由来とのことだが、呼びにくいし色々紛らわしいとして不評らしい。
「でも、私の管理人は槐さんなんですよね。」
「あら嬉しそうね。そんな色目使われても気持ち悪いしお断りさせて頂戴。」
「管理人って変えられないんですか。」
「あんたみたいなガキにそんな権限あると思わないことね。本当全く図々しいったらありゃしないんだから。そもそも学園に来た理由ももう忘れたのかしら。ガキな上に鳥頭ときたらこの先苦労するわよお。」
「ははっ! もうすでに仲良しっすね。」
鞠ナは心底ありえないといった表情でふるふると首を振った。
だが納得はしていないものの、何となく鞠ナは自分のおかれた状況がうっすら飲み込めてきた。簡単にいえば自分が危険人物となったから、無理にでもこの学園――"施設"に閉じ込めておこうという考えのようだ。いわば少年院のような役割をしているのかもしれない。
親への心配はまだ残るものの、皐月がいつか会えると言ってくれたのをひとまず信じてみることにした。
「それにしても本当にこの学園って広いんですね。」
「広いっちゃ広いっすけど……まあさっきの部屋からB棟までがめちゃくちゃ遠いだけっすね。」
皐月はそう言って苦笑いをした。
しかしかれこれ15分程度は歩こうというのに向かっている食堂が一体どこなのか、鞠ナには検討もつかなくなっていた。
もう少しで着くと言って、皐月は施設内を軽く説明する。
学園自体広いものの一応全ての階が地下になっており、学習周りを中心とした学校のような機能を持つ【A棟】と寮として機能している【B棟】の二箇所に大きく分かれている。
まるで二つのビルが地中に埋められているような構造になっていて、階の移動は主にエレベーターで階段は非常時以外は使わない。また、往来については一部の階にA棟・B棟間の連絡通路が渡されている。
基本は今までの生活と変わらず、B棟にあるそれぞれの部屋で寝て、授業時間になればA棟の各教室へ出向き、授業が終われば翌日までB棟で過ごすことがメインになる。
これはあくまで子ども達の社会復帰が最終目標のため、地下施設といえど地上とほとんど変わらない生活を送るようにという学長の意向らしい。
「でも皐月さん、私何も荷物を持っていないけれど、どう生活していくんですか?」
「ああそれはこの後会う寮母さんに頼めば必要なものを揃えてもらえるっすよ。他にも途中で必要になったものは購買部や通販で好きに買っていいっすよ、もちろんお小遣いの範囲で。」
「お小遣い? お給料みたいなものですか?」
「まあー、色々見て毎月頭にみんな支給されるっすよ。やりくりするのも社会勉強っすから。アルバイト的なのもあるっすけど、今はまだそこまで覚えなくていいっす。」
相変わらず説明もほどほどのまま、気づけば三人はB棟の食堂の入口に着いていた。
鞠ナの中では未だに少年院の印象だったためか、彼女の感想としては思ったより普通な食堂だった。
フローリングや壁は綺麗に掃除され、複数人が座れるテーブル席がほとんどと、ソファでできたささやかなスペースもいくつか壁際に並んでいた。
食堂に入り、皐月は色々と説明を交えながら角の席へと向かう。
「食堂はラウンジやリビングも兼ねてるんで、自室以外でくつろぎたい時とか自由に使っていいっすよ。コーヒーとかお菓子とか、あの辺も自由に飲んだり食べたりしていいっす。」
「分かりました。多分、ちょっとずつ使って覚えようと思います。」
「それでいいっすよ。分からないことは聞けばみんな教えてくれるっすから。」
「ありがとうございます、皐月さん。」
鞠ナは既に槐を無視するようになっていた。時折茶々を入れていた槐もあまりの反応の無さにつまらなくなり、後ろから無言で着いてくるだけになっていた。
そして皐月は角にあるソファのスペースを手で指し示すと、先に座っていた女性が優しく微笑みかけた。
「それで、あっちの席にいるのが寮母の金子由月さん。寮は由月さんの方が詳しいんで、また後で迎えに来るっすね。」
そう言って皐月は鞠ナに手を振ると、由月に会釈をして食堂を出て行った。
槐はまだ鞠ナについているようで、不貞腐れた顔でじっと後ろに立ち尽くしていた。
鞠ナは槐の視線を感じつつも、改めて由月の方へ向き直る。目が合いぺこりと会釈をすると、由月は優しい微笑みで返した。
「皐月君から説明があったから二度目になるけれども、初めまして。金子由月です。あなたが鞠ナちゃんね。」
由月は立ち上がり、鞠ナへ右手を差し出す。おずおずと鞠ナが手に取ると優しくて暖かい手で握り返した由月に、鞠ナは少しだけ安心感を覚えた。
「由月でいいからね。」
「はい……。よろしくお願いします、由月さん。」
またふっと笑うと、鞠ナに席へ座るよう促した。
「ほらほら座って。鞠ナちゃん疲れたでしょう、飲み物何がいいかしら。コーヒーは飲める?」
「ありがとうございます、頂きます。……良ければ甘い方が飲みやすいです。」
「いいよ。ちょっと待っててね。」
くるっと振り返り由月はドリンクバーが備え付けられたカウンターの方へ歩いていく。
鞠ナがそっとソファに座ると、その向かいにわざとらしくどっかりと槐が座った。すぐに足を組み姿勢を崩す槐に鞠ナはやはり嫌悪感を抱いていた。
「槐さん。さっきから思っていたこと言っていいでしょうか。」
「何。」
「私のことが嫌いなんですよね。どうしてここまで付いてきているのですか。」
鞠ナが思っていたことをついに聞くと槐は睨み返して返事をする。
槐は手袋をいじりながらそっと口を開いたものの、相変わらずの憎まれ口に鞠ナは若干辟易としてしまう。
「そんな口聞けると思ってんの?」
「でも、そこまで悪態をつかれていたら私も気分が悪くなります。そろそろ一言くらい言ってもいいですよね?」
「あーーっ、ほんっと可愛くないガキだこと。うるさいわねえ、アタシがどうしてようとあんたにはどうでもいいこと、いい? どうでもいいの、アタシも。」
イライラしながら槐も鞠ナも口調を荒げて吐き捨てる。
そしてまた訪れる沈黙に皐月が恋しくなった頃、由月がカップを乗せたトレーを持って戻ってきた。
「まあ! 槐君。女の子には優しくしなきゃダメっていつも言ってるでしょ。」
「みんなしてうるさいわね。アタシがどうしてようが別に迷惑かけてないんだしいいでしょ?! あーあ、気分悪くなっちゃったわ!」
「ふふっ、まだまだおこちゃまかな?」
「誰が子どもよ!! このちんちくりんの方がよっぽどガキよ!! アタシのことは今更いいわよ、さっさと仕事して頂戴。」
どこまでも不貞腐れてみせる槐を、ただあどけなく笑って返す由月。どうあがいても返されてしまう様子に、槐はばつの悪そうな様子だった
みんなが手を焼く問題児にも堂々と応じるそんな姿が、鞠ナにはとてもかっこよく見えていた。それに、自分の方が大人である確実な自信があった。
甘いカフェオレを入れたカップとチョコレートをそれぞれに置くと、トレーを脇に置いて由月も向かいの席に着く。
「鞠ナちゃんの管理人さん、槐君なんだ。大変そうだねえ。」
「ああ…………そうですね……。」
由月はけらけらと笑っているが、鞠ナにはこれからの不安に押しつぶされそうだった。
当の槐は『何よ、二人して。』とぶつくさ文句を言いだしていたものの、邪魔してくる様子が無かったので鞠ナはとりあえず由月の話を聞くことにした。
「ここのお話は聞いたかな。」
「大まかには。でも皐月さんに施設内を案内してもらったくらいでそう詳しくは聞いていないです。」
「あら。槐君がおサボりしたのね。」
槐の肩がぴくりとした気がしたが、鞠ナはもう気にしないようにしていた。
「槐君には後で言っておくね。えぇっと、どうしようかな。どこから話しましょうか。」
「あの。私、聞きたいことがあるんですがいいでしょうか?」
「もちろん。なんでも聞いて。」
「結局ここ、どういう施設なんでしょうか? 私、いまいち現状が掴めていないんです。この『錠』のことも何も聞いていなくて……。」
由月は笑った顔のまま固まっていた。鞠ナの耳には、槐が席を立つガタリとした音だけが聞こえた。
由月の後ろに般若のような何かが見えた気がしたが、やたら怖かったので突っ込むまいと鞠ナは口を引き結んだ。案の定、由月は怒っているらしく、槐に向かって笑顔のまま諭しだす。
「こ~んな最初に教えるようなことも教えずに? 何時間も一緒に着いて回りながら? つまらなくて不貞腐れてなあんにも説明せずに自分のお仕事サボっていた問題児は一体どこの誰なのかなあ??」
「はぁ……い。」
槐の口元はすっかりひきつっていて、蚊のような声しか出なくなっていた。
そのまますとんと座り直す槐を見て鞠ナは由月が豹変したのではとびくびくしていたが、由月がそっと頭を撫でてくれたことで冷静さを取り戻す。
そう、槐は今までここがどこで何なのか全く説明していない。
皐月ですら当然槐が説明したものだと思い込み、鞠ナもついていくのに必死で一番怒らせてはいけない人のところでバレたのは、彼の日頃の行いであろう。
「鞠ナちゃん、槐君が嫌ならいつでも言ってね。皐月君や他の人に変えてもらうよう言うから。」
「はぁ……。まあ、もう嫌ですけど……。」
「やっぱりそうよねえ。」
片手を頬につき、ため息をつく由月。
かと思えばはっと目を開き、ぱん、と手を叩く。
「こんなことしてちゃダメだったわ。えー、ここの説明よね。」
そして由月は半ば慌て気味に説明を始めるのであった。
――――帝華学園。
それは花に見初められ<花蕾>となった少年少女たちを『解毒』し、最終的に社会復帰することを目的として作られた施設である。
花蕾はいずれも花をきっかけとして『花毒』という能力が顕現している。
その花毒を使用するトリガーが体のどこかにできる『錠』である。
それだけであれば聞こえはいいものの、実態はかなり厄介な現象で、これまで普通の人間として生きてきた人達が突然異能力を手にして体の負荷が耐えられる訳がない。
特に共通してみられるのが、花毒を手にした人が日光に長時間当たってしまうと、その花毒を持つ者の命を奪ってしまうことがままあるらしい。そのためこの施設も、地中にビルが埋まるような形で日光を避けるようにこの施設は建てられているので、おおよそ学園とは呼べないような状態である。
そして毒とついている通り、個人が持つ毒の許容量を超えてしまうと汚染状態となり身体が負荷に耐えきれなくなってしまう。しかも、その毒は『能力を使用する度に蓄積していく』というのだから、花毒の顕現が確認される者は一人残らず危険人物として公的機関からマークされている。
特に体が成熟していない少年少女は毒に対する抗体がほとんどの出来ておらず日光の影響を強く受けやすい。そのため、花蕾の少年少女達を守るために試行錯誤を重ねた国内唯一の施設として、学校法人の体で秘密裏に運営されている。
逆に言えば、強大な力を恐れた当時の国の偉い人が、世間の混乱を避けるためと称して能力者を閉じ込めておくための厳重な牢屋がこの学園ということである。
つまり、正式には学校ではない。
なので入学する時もまばらで卒業もまばら、さらには症状もまばらなので学校でありながら学年という概念がないのだ。
由月は説明を終えると、コーヒーをひとくち飲んだ。鞠ナは聞いたことを反芻しながら、ここまで歩いてきた通路を思い出した。
「だから……どこにも窓が無かったんですね。」
「そうなの。だけどみんなは人間でもあるから、一定の光には当たらなくちゃいけないの。だから、時間や場所を絞って必要最低限の光が当たるように作られているらしいの。私は難しいことがよく分かってないんだけど、とにかくお日様が強すぎるっていうことは分かるかな?」
こくり、と鞠ナは頷く。
それと同時に、槐が恐らくこの説明が面倒くさかったらしい理由も、彼女は少しだけ理解した。学園について話すには鞠ナの状況を整理するところからであり、確かにこれまでの説明を全て飲み込むには時間がかかりそうであった。
いくら会ったばかりとはいえ、鞠ナにも槐が苦手なことなのは手に取るように伝わった。が、彼女は槐のことを何一つ許していなかった。それとこれとは別として。
鞠ナは少し不服そうにしながら槐を睨み、由月に向き直った。
「私は、この錠が出来てしまったからここに連れて来られたんですよね。」
「そうだね。でも鞠ナちゃんにとって憎いものになるか助けになるかは、これからの鞠ナちゃん次第でもあるんだよ。」
「これからの私次第……?」
「そう。鞠ナちゃんは今、戸惑っていてその錠が憎いと思うんだよね。でもその錠と上手く付き合って頑張って生きている子も寮にはとても多いし、鞠ナちゃんがどう付き合っていくかみんなを見て、悩んで、選べばきっと良い将来になるんじゃないかな。」
「憎い……のかしら。まだ、色々と分からないことしかないし。」
「大丈夫。槐君がいるから。」
その言葉で鞠ナは眉をぐっとひそめた。
恐らくからかわれているのだということに気づいてしまった鞠ナは、うーんと腕組みしてから、ため息をついてまた腕をだらりと下ろす。
「よく分かってないんですけれど、ここで生活していけってことだけは分かります。ただ槐さんに助けてもらうのだけはゼッタイに避けたいです。恩を売ると面倒な人ってことはいくら初対面でも分かりきっていますから。」
鞠ナの言葉を聞いて由月は困ったように笑った。
良くも悪くも肝が据わった少女がため息をつき、その隣に座った大人は偉そうにあごを上げている様子がやたら滑稽に感じたのかもしれない。
「槐君じゃなくても、鞠ナちゃんにはここを卒業するまでは誰かしらがついていることになっているから、槐君かそれ以外に人になるだけで『誰か』はついて回っちゃうんだ。管理人さんって、鞠ナちゃん達ツボミの保護者代わり、冷たく言うと責任者みたいなものだからね。」
「う……それでも、槐さんだけは……。」
頑なに認めようとしない鞠ナに、困った顔のまま由月は説得をする。
「明日からとは言わないから、一ヶ月くらいはかけてゆっくり慣れていって。今から紹介するルームメイトの女の子もすごく優しい子だし安心してね。」
飲み終えたカップを持って立ち上がる由月。鞠ナは慌てて残りを飲み干して、同じくカップを手にして由月と同じくカウンターへ置く。
何もせず座っているだけの槐のカップは由月が片づけた。
どんどん下がっていく鞠ナの評価など気にせず。
「それじゃあ鞠ナちゃんのお部屋へ案内するね。」
「槐さんは……?」
座ったまま目をつむり今にも眠りそうな槐を見て、本心としては着いて来ない方がすっきりするのでできれば来て欲しくないと願いつつ鞠ナは聞いた。
「管理人さんはまた後で。大人がいたら落ち着けないからね。」
その瞳はくりくりとして母のような眼差しであったからか、鞠ナは何も返せなかった。
学園に来る前にも友人がいなかった訳ではないが嘘が吐けない性格と自分の意見を言えないところから人付き合いが苦手な自覚があり、この時の鞠ナはあまり積極的にはなれなかった。
本音を言えば一人部屋が気楽だったがやはり言い出せずに、とぼとぼと歩いてはそのまま部屋の前に着いてしまう。
由月はノックをし、少し開いた扉の隙間から声をかける。
「恋雪ちゃん。新しいお友達が来たからお話してもいいかな?」
少しだけドアが空いて、隙間から鈴のような声が返ってくる。
「はい、大丈夫です。」
それを聞いた由月は鞠ナに手招きをして見せ、部屋の中へと誘導する。鞠ナは気乗りしないまま、おそるおそるドアから顔をのぞかせた。
「初めまして、中峰さん。」
ドアの向こうには艶やかでさらさらな髪を持った少女がいた。あどけなく子どもっぽい表情に反した、大人びた雰囲気がよく似合う、綺麗な女の子だった。
「加々宮恋雪っていいます。同じ部屋になるの、よろしくね。」
ふわりと笑うその姿はどことなく由月に似たものを感じていて、彼女から優しさを学んできたであろうことを容易に思わせてくれる。
そして恋雪は部屋の中へと誘導する。掃除の行き届いた室内は寮というよりアパートの一室のような間取りになっており、玄関を隔ててすぐがリビング、その奥に別室へと繋がるドアが二箇所見える。
「ええ、初めまして。その…………加々宮さん。私のことは鞠ナでいいから。」
「そう? 私のことも恋雪でいいよ、鞠ナちゃん。歳近いし!」
「……分かったわ。よろしく、恋雪さん。」
「うんうん! えへへ、鞠ナちゃんが優しい子で良かったあ。」
恋雪が笑いかけると、鞠ナも少しだけ顔を綻ばせる。
そのまま由月と恋雪に部屋の中を案内された。玄関からすぐは洗面所になっており、トイレとシャワー室がそれぞれ左右にある。そのドアを開け、リビングにはソファやテレビ、冷蔵庫なんかも見えた。下手なホテルよりも充実した様子に鞠ナはほんの少しだけ期待を寄せる。
そしてリビングの奥、2箇所あった内の片方は恋雪の個室、もう片方が鞠ナの個室となり、ベッドや机が置かれている。
ここにきて初めて見せた鞠ナの笑顔を見守ると、由月はよろしくねと言って部屋を出ていった。
鞠ナは由月に手を振って、部屋に戻る。カーペットに置かれたクッションに腰を下ろすと一気に力が抜けてしまった。妙な変態といるよりも歳の近い女の子と一緒にいる方が、今の鞠ナには心地よかった。
恋雪はいそいそと座椅子とクッションを引っ張ってきて、鞠ナに渡したが、鞠ナはクッションだけ受け取り恋雪を座椅子に座らせてしまった。そしてクッションを抱きしめて安堵のため息をついた。
「疲れちゃった?」
「そうね……。散々な目に遭ったわ。」
「きっと大変だよね、私も槐さんを見るの初めてだし。」
鞠ナは声に出して驚いた。あんなにしつこく後ろを付いてくるような男を初めて見たというのが信じられず、不思議そうに恋雪に聞く。
「本当に見たことないの?」
「うん、超レアなんだよ。それに、なんだか槐さんってミステリアスだよねっ!」
「……ん?」
あんな偏屈で面倒くさくて更にはロリコンの変態をミステリアスで片付けようとしたルームメイトを、鞠ナはじっと見つめる。どう考えても嫌な不快感しかなかったが自分だけなのだろうかと少し考えた。一瞬、周りから見ればそう見えなくも……と考えたのも束の間、おおよそ初めて会う人間に対しては使わない言葉の数々を思い出し首を振った。
「どうしたの?」
「あ、いや……。槐さんってミステリアス……なのかなって思ったのよ。」
「そうだよう! みーんな憧れてるんだよ、管理人になって欲しいよねって。」
「今すぐにでも、代わってあげるわよ……。」
「ダメだよ!!!滅多にないチャンスなんだから!!!」
「あっ、ああ、そう……なのね…………。」
若干引きつつも物凄い剣幕で押し切られてしまった鞠ナは、恋雪の力説にただ頷くことしかできなかった。
そして恋雪の力説はかれこれ小一時間は続いたもので。
「それでねー、紗香ちゃんの管理人さんは――――」
新たな話題に移ろうかという時、部屋のドアがノックされた。
『クソガキそろそろ話は終わったかしらあ?』
口の悪さが明らかではあるものの、それさえも良さだと話した恋雪はミーハーにきゃあきゃあ楽しそうな声をあげる。反対に、鞠ナはうんざりした表情を浮かべていた。
「ほらほら噂をすれば槐さんだよ?! 鞠ナちゃん、早く行ってあげなよー!!」
「そんな……芸能人みたいな……。」
鞠ナの気持ちだけが部屋に取り残され、槐に会えて嬉しそうな恋雪に見送られてしまう。
この時に鞠ナは気づいたが、槐は鞠ナや学長以外には死ぬほど愛想良く接するのだ。それこそ、槐が一番苦手であろう恋雪のようなきゃぴきゃぴ話す女の子に対してはゾッとする程にこやかな表情で優しく手を振っていた。
「お邪魔したかしらあ。ちょーっとこの子借りるわね。」
「いいですよー。それにいつでも来てくださいっ。」
「いやっ、恋――っ」
「ありがと、ちゃんと返してあげるわよ。安心してちょうだい。」
背筋のぞわぞわと共に、鞠ナはまた連れ去られたのであった。




