Ep.2 ツボミの管理人とカタバミの少女
桜の花びらを飲んだことがきっかけとなり、帝華学園に入学することになった鞠ナ。
胡散臭いひょろなが男、槐が管理人としてつくことになるも、説明もそこそこ訳の分からないまま施設中を引きずり回されていた。
恋雪と別れ、槐が引っ張るまま歩いていると、廊下の奥、エレベーターと反対側に開けたスペースが見えてきた。
槐は半ば乱暴に鞠ナを放り込むと、疲れたかのように伸びをする。
「今度は何……。」
相変わらず何も答えてくれない槐に嫌気が差してきてしまい、鞠ナはそれ以上口を開かなくなってしまった。そんな彼女を他所目に槐は机の上に置いてあった段ボールやら書類やらをどさどさと下に落としていく。鞠ナは見ているだけでも疲れる光景が嫌になり、ひとまず腰を落ち着けたくて手近なソファに腰掛ける。
「はああ、全く疲れたったら。ちょっと椅子借りるわね。」
そう言って鞠ナの返事を待たずに座る槐に鞠ナが将来を思い詰めていると、槐の方から話しかける。
「ルームメイトちゃんからきっちり一通り話は聞いてきたでしょうね。明日は丸一日休みだし好きにしてていいわよ。アタシも休みたいし。」
だらだらと落とした中から書類を拾い上げ、雑誌かのようにぺらぺらと捲り始める槐。しばらくして手を止めるとぴたりと固まった。
「あ。」
「…………。」
「アタシについてなんちゃら~って話してないわね。」
槐はただげらげらと笑うだけだったが、鞠ナはあまりに説明がないのでそういうものかと飲み込みかけていた所だった。
「由月さんからは管理人だと伺ったわ。」
「なんて可愛くないガキ! まあでもそうよ、アタシはあんたの管理人。語弊があるけどまあ個別の担任みたいなもんね。もっとも、そんな真面目チャンなんざくそくらえですケド。」
由月からも説明があった通り、ここ帝華学園は、学園と名がついていても厳密では学校法人ではない。あくまで孤児院的な立ち位置であり、生徒が入る時も去る時もてんでバラバラで名目上はあれど、一般的なクラスの集団は作られていなかった。
「あんたらが持つ能力はまーーっ、かなり面倒でだるいワケ。だから、責任者の意味も含めてアタシ達が管理人としてガキの御守りをしてんのよ。」
そう。ツボミと呼ばれる異能を持つ幼い少年少女には、それぞれに管理人が存在している。学園内には複数の管理部に分かれており多くの管理人がいるものの、中でも【ツボミ付きの管理人】は親兄妹のようにツボミのあれこれを世話したり、その能力を管理・監視をする役目を負う重いものである。
「で、そのツボミ付き管理人がアタシなワケよ。いい、えらーいの。」
「……だからそんなに偉そうなのね。」
思わずこぼれた本音に睨まれたが、鞠ナも負けじと睨み返す。
槐曰く、ツボミ付きの管理人にはなりたくてなれるものではないらしく、管理人の中でも優秀な証であり誇って良いものだが、鞠ナにとってはただのいち変質者に過ぎなかった。
「結局担任じゃないとか管理人だとかって、一体何するっていうの?」
「アタシに従えばいいだけよ。簡単でしょう。」
「従う? 変質者に?」
「ほんっと頭足りないのねえ、イライラ製造機だわ。アタシが何か教えるわけないじゃない。アタシはあくまで"お前"の管理人。何かするわけじゃないの、分かる?」
「じゃあ、勉強とか教えるんじゃ……学校だし……。」
訝しげに眉をひそめる槐には明らかな怒りが浮き出ていた。そしてしばし顎をさすると、ポンと手を叩く。
「あんたは人の話が理解できない馬鹿なのね。」
その全て分かったような顔とニヤリと笑う口元が鞠ナには心底気に入らなかった。違うのなら素直に教えてくれればいいのに、と槐を睨んでいると、彼はすくっと立って鞠ナの手を強く引っ張りながら部屋を出た。
「痛いわよっ! どこ行く気?!」
「あんたのようなお馬鹿さんは直接体験した方が早いらしいじゃない。早速行くわよ~!!」
なんとなく嫌な予感がざわめき当たらないといいなと鞠ナは心の中で祈りながら、必死についていくものの、槐はこちらを見ることも話すこともなくすたすたと進んでしまう。追いつけなくなってきた鞠ナは腕が強く引っ張られる形になってしまい、エレベーターに着いて足を止めた時の一回だけバンッと槐の背中を叩いた。
その時だけ一瞬鞠ナを睨むも、やはり口を開こうとはしなかった。
「何っなのよ!!」
先程よりはゆっくりではあるがそれでも早足でエレベーターを降り、AB連絡通路を渡ってまたA棟のエレベーターに乗り込む。
掴まれた腕がじんじんとする頃、ようやく辿り着いたのは十階だった。
ここまでの道のりで何を聞いても答えてもらえないことはよく分かったので、槐からの言葉を待って静かにしていた鞠ナだったが、すぐに無駄だと知る。エレベーターを出てすぐは六畳ほどの受付になっており、案内されるまま広いドームのような場所に連れてこられた。
「ここで待ってなさい。数ミリでも動くんじゃないわよ。」
さっきまでの行動とは裏腹に、うきうきとした上機嫌な声色と変わらない不快なにやけ顔のまま、受付横にあるガラス張りの部屋へと向かい、自分が中に入ると鞠ナを放って鍵をかける槐。しばらくしてからスピーカー越しに槐が怒号を飛ばす。
「何ぼーっと突っ立ってんのよ! 死にたいの?!」
無茶苦茶な指示のすぐ後にガシャンと音を立ててドーム奥の扉が開く。扉が開いた後もガチャガチャと鉄が鳴り響いていたが、槐が声がかけるとその音も治った。
「久しぶりねクソガキ。元気してたぁ?」
いつも以上に高く、軽快なねっとりとする声。
「よしよし、じゃあ次はあんた。あの奥にいる子見えるわよね?」
そう呼ばれて、鞠ナはよくよく目をこらす。
奥に見えたのは、彼女とそこまで変わらないくらいの少女が両手足を鎖に繋がれ、今にも飛び出してきそうな様子だった。うー、うー、と口元を覆ういかついマスクの奥から精一杯の叫び声が聞こえてきて急に背筋が寒くなった。
彼女の眼光は真っすぐ鞠ナを狙っている。
「楽しそうなところ失礼するけど、見えたわね? それじゃあアタシは今からあのクソガキの拘束を解きまーす。」
嫌な予感は当たったかもしれない。
鞠ナは勢いよく振り向いてガラス越しの槐を睨む。しかし全く効いてないようで、ひらひらと手を振り返してくるばかりだった。
「それじゃあ五分間このチビとのお遊びに耐えてくれたらご褒美にひと肌脱いじゃおうかな。ア・タ・シ・が♡」
不愉快極まりないセリフが反響する。
鞠ナはこれから行われることを想像し、恐怖に飲まれ後悔の渦に巻き込まれる。
どうして花びらを飲んだだけで、あんな暴れまくってる少女と向き合わなくてはいけないんだろうか。自分の行動が恨めしいばかりで、何一つ好転しやしない。
それもこれもあれもそれもだれもどれもなにもかも。
――この花びらの"毒"のせいだ。
「睨んじゃってかーっこいー。んじゃあ頑張ってね。」
ガシャァンッッ!! と重たい金属音が鳴り響く。
拘束が解かれた少女は腹の底から奇声を発しながら飛び出してきた。鞠ナはとにかく暴れまくる少女から五分間逃げ続けるしかないが、この限られた空間でどこに行けばいいのか。
そんな一瞬の思案が寿命を縮める。
気づけば少女は鞠ナの眼前に来ており、低い、誰かと似たうすら笑い混じりの声で呟いた。
「誰だよてめぇ。」
たじろいだその隙に片手でいとも簡単に胸ぐらを掴まれる。彼女が掲げた左手には小さな鍵が握られており、恍惚に近い、状況に不釣り合いな笑顔を讃えながら宣告する。
「ダーリンにかまってもらってぇ腹立つしい、お前のこと――ブッッッッ殺してやるからね♡」
間髪入れずに彼女は左手に握った鍵をダアンッと思いっきり自身の右肩にある錠にぶち込んだ。
勢いで襟元が締まり、いよいよ呼吸が浅くなる鞠ナの額には冷や汗がにじむ。どうにか彼女の手を緩めなきゃいけないのに、人と思えないほど固く、びくともしなかった。
そうこうしてるうちに体が浮き、自重でさらに気道が狭まる。焦る鞠ナをよそに、彼女は挿した鍵をカチャリと回した。
「花毒ーー方喰の顎」
すると鞠ナの胸ぐらを掴む右手が異形なものに変わっていった。まるでツタが伸びるように肩から手頸が分裂し、勢いよく膨らんでいくと、血管がぼこぼと膨らみ肌派血色に染まった。相対して手も同様に赤黒く大きくなっていき、食い込む爪はより厚く硬くなって突き刺さる皮膚が張り裂けそうになる。気づけば
そうして鞠ナ一人をすっぽり覆えるほどの大きさになっていった。
もはや手ではなく、大きな顎の形となって。
そう、花毒とは花の毒に侵されたものにのみ顕現する、いわゆる超能力である。
「やめ……っ!!」
鞠ナが気づいた時にはもう手遅れで、あまりのスピードで突っ込んでくる何かが一瞬見えるだけだった。必死にじたばたと暴れているが、力は緩むどころかどんどん首が絞められていく。
するとぱっと胸ぐらを離されて、少しだけ体が宙に浮いた。瞬間、空をも切り裂きながら振りかぶった顎が飛んできて、一瞬にして腹が喰いちぎられた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!」
肉がちぎれるぶちぶちとした音がかろうじて聞こえただけで、鞠ナの腹が抉り取られていく。おへそがあったはずの場所は真っ赤な血液が垂れるばかりで、むしろ内臓のようなものが顔を出していた。顎が飛んできた衝撃で鞠ナの体も壁際まで吹っ飛び倒れ込む。
とにかく痛くて、痛くて仕方がなくて、痛くて痛いことしか頭に入ってこなかった。
――なんで私、痛い、こんな痛くて痛い思いを、どうして痛い、痛いこと、痛い、痛い痛い、すごく痛いの。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛いのよおっ―――――
「い、痛いよ、痛い痛い痛い痛い、ああああああああっっっっ!!!! があぁっ……ああああああっっっ!!! いだぁぁっ、づあぁぁっっ!! ああああああああっ!」
ただただ鞠ナは声を吐き出すことしかできなかった。それはじんじんと熱くなっていき、刺されるような激痛の後には、流れる血の匂いと体中を駆け巡るぎしぎしとした経験したことのない痛みに襲われる。
ひたすらにうずくまって叫ぶことしかできなかった。痛くて腹をおさえようとしてもその刺激さえが激痛でどうにもならず、言葉にならない声を発するばかりだった。
「う゛あ゛あああァァ!!! ああああああ、いだぁい、いだっ、いだいぃぃ!!! 痛い、痛いよ…………あああああああっ、 うぐっ、あああっ!!!」
視界が揺らぐ。
吐き気がする。
息ができない。
鞠ナが焦点の合わない瞳を向けると、顎を得た少女はつまらなさそうに口を歪ませていた。
「……うるさいなぁ、痛いのは分かったってば。」
そして少女はコツコツと一歩ずつ近づき、鞠ナの首を片手で鷲掴みにすると、そもまま持ち上げてしまい鞠ナの体は宙に浮いてしまった。痛くて苦しくてとにかく掴まれている腕をほどくのに必死になっていた。
その間に音もなく鞠ナの肉片がついた爪を差し出しては、血が噴き出すような腹をちょんと突いた。
「いぃぃっっ、ぎっ、あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああっっっ!!! やめてっ、やめでぇ゛え゛え゛え゛え゛っっっ!!!」
ぼろぼろ溢れるのが涙なのか鼻水なのかもう分からなくなり、痛みに喘ぐだけの機会となっていた。つん、つん、と突かれるたび、電気が走り焼き焦がしていくような激しい痛みが全身を襲う。もう声が枯れ、彼女の手を避けるので精一杯になり痛いのか痛くないのか区別がつかなくなった。
これはまた意識を手放さなくてはならないのか。
その瞬間、突かれ食い破かれた腹から茎が伸び、傷口が塞ぐばかりか根を張り小さな黄色い花をつけ痛みをより深く、より心臓に近くなるよう神経を蝕んでいっていた。
だが既に鞠ナには何の痛みなのかも分からなくなっていた。
「あっはあ♡ ちょーっとかじってちょーっと突いただけでアホ面晒してこんなになって馬鹿みたい! ダーリンがせっかく連れてきた子なんだからもっと頑張ってよう。」
「っ…………っ……っ……!」
「なあにぃ、文句の一つも言えないんだ。簡単にこんななっちゃって、全く脆いなあ。」
少女は、鞠ナの反応がなくなり、ぶうと文句を垂れながらも突くのはやめなかった。
ほんの少し動きを止めたかと思えば、真後ろにまで腕を引き、そして思いっきりビンタした。少し目を見開くくらいでびくともしなくなった鞠ナに興が削がれたのか、その場に鞠ナをどさりと落とし、置きっぱなしにしたまま槐のいる部屋のガラスへ駆け寄った。
「ねえダーリン、この子壊れちゃったあ。」
全く悪気がなさそうに言う。
するとこれまで静観していた槐が口を開いた。
「はーあ……すぐ壊すんじゃないわよこのクソガキ。おい、そろそろ起きろっての。それとも血噴き出して無様に死んじゃったかしらあ?」
槐が気だるげな声で鞠ナを呼ぶが、動く気配がない。
一瞬顔を歪めたかと思えば、鍵をあけ部屋から出てくる槐。少女はすぐさま槐の腕に自らの腕を絡めるが、槐はうっとうしそうに振り払った。
そのまま槐は鞠ナのそばに向かい近くにかがんで顔を覗き込むが、鞠ナの髪と顔を伏せているせいで表情はよく分からなかった。槐はあからさまに嫌な顔をしただけで少女に話かける。
「クソガキ。」
「なにー?」
「やりすぎ、アタシこれ触るの嫌なんだケド。」
「ボクがやる!!!」
「やめて、もっとぐちゃぐちゃになるわ。とりあえず鍵かけなさいよ。」
槐がぱっぱと少女を避ける仕草をすると、不満そうにぶつくさ文句を垂れながら身を引いた。錠にささっている鍵を反対に回すと、赤黒いツタはみるみるうちに縮まり、すぐに元の人間の腕に戻った。
そんな様子に目もくれず、槐は鞠ナの頭を嫌そうにつんつんと突き始める。
「おーい、ちんちくりん。そろそろ起きてくれなきゃ困るんだよねえ、始末書とかクソめんどいし。さっさと右手出してちょうだい。」
槐がそう声を掛けると意識が無くなり始めている鞠ナがボロボロになった弱弱しく右手を上げた。
「あらあ、たまには言う事聞くじゃない。んじゃ、そのまま右手に集中してみなさい。」
鞠ナは虚ろに聞こえた声の言う通りに、ぐっと右手の指先に意識を向けると、手の中が暖かくなりだした。しかし、その行動に戸惑っているのは、鞠ナではなく彼女だった。
「なんで?! ダーリン!! どうしてこいつなんかに……っ!!」
「まあまあいいじゃない。楽しそうでしょ。」
にやにやと笑い少女をあざ笑う槐に、少女はきーきーと喚きはじめる。それがうるさかったのか槐が黙れと低い声で諭すと、彼女は一瞬で口を閉じた。
「えーーっと、どこまでやったっけ。」
そんな無責任な言葉も、既に鞠ナには届いていなかった。無意識化で、鞠ナが手のひらに集中していると、ほんの少しの重みが手に触れた。
その瞬間、鞠ナはぱっと目を開き意識を取り戻す。さらに右手に力を入れて、小さな金属の感触を確かにする。
「上出来ぃ。」
行儀悪くしゃがんだまま頷いて、槐はにやりと笑う。
それに反応するかのように全身がボロボロで痛みながら鞠ナは、よたよたと立ち上がる。槐の後ろに隠れて完全に自分の勝利を確信していた少女はぎょっと目を剥いた。
鞠ナはそんな少女に気づきもせず、ぐしゃぐしゃになった髪をかきあげ、まるで化け物のように槐を睨んだ。怒りをその身に宿して。
「それがあんたの鍵。ま、あんたと一緒でちんちくりんだケド。」
そう言うと槐はさっさとベンチの部屋に戻り、また鍵をかけた。そのカチャリという音を合図にして、ほぼ本能だけで鞠ナは動き始めた。
そんな猛獣のような鞠ナの様子を見て、槐はやたらと楽しそうに指示を出す。
「んじゃあ、そのちんちくりんな鍵で、そのちんちくりんな錠を開けてちょうだあい。」
鞠ナが喉元にある錠にゆっくりと鍵を差し込み、もっとゆっくりと回し始める。
慌てて少女が鞠ナを抑えに駆けだし、後ろから飛びかかってまるで猿かのようにしがみつく。その反動で鞠ナはよろけるが、足を開いて腰を落とし耐えてみせる。反面少女は冷や汗を垂らし焦った様子だった。
「あらあ、クソガキはちんたらしちゃって。アタシのこと舐めてんのね。」
「ううううぅるっさい!!! 今!! ボクは!! いそがしーの!!!!!」
少女が叫ぶと、鞠ナに飛びついたまま片手で器用に鍵を回し……
「花毒っ!! 片喰の――――」
その鍵が周りきるすんでの所で、少女は謎の力に弾かれて壁際まで吹き飛んだ。
「あっ…………がっ………!! はあっ!!」
骨が軋む音を感じながら荒く呼吸をすると、少女は、笑い始めた。ケタケタと奇妙な笑い声を上げながら、槐以上に異様な笑みを湛えた。
少女が見つめる先に立つ鞠ナは、桜の花びらが舞うつむじ風に包まれていた。風に舞い時たまはらりと落ちるその様子を見て、少女は高笑いを上げる。
「きゃーーーーーーーーははははっ、あははははっ!!!!!!!!!!!」
それを、槐は真面目な顔で見つめていた。
「なあにぃ? あんたまだ力あるよーとか言ってんのお?? ぐふっ……そ~んなボロッボロの体で毒に耐えられる訳じゃないでしょうにぃ。きゃははっ!」
狂ったように笑いながら嘲笑う少女に、鞠ナはただ黙って突っ立っているだけだった。
少女はゆっくりと立ち上がり、体勢を立て直す。鍵を開けて腕をまた異形のものにすると、風を切るがごとく鞠ナの方へと突っ込んできた。
「ばーーか。あんたとボクじゃ経験値が違うん……だよッ!!!!」
勢いよく腕を振りかぶり、ツタのような顎を鞠ナの頭部に向かって遠慮なく叩きつける。勢いあまって床まで達し、大きな穴があき、周囲にヒビが入った。
「あーん。しくっちゃったあ♡ もっかいだーけ、あーげ、るゥッ!!!」
独特の合図で右足を大きく引き、体を後ろに倒して左足で地面を踏みしめた。その勢いでツタも一緒に少女の後ろへ弾丸のように飛んでいくと、少女は一息で体を前に倒した。その反動で後ろへ飛んだツタが少女の前、鞠ナの方へ飛び出す。ギュルルルとドリルのような音を立てながら鞠ナの腹目掛けて一直線に向かっていった。
瞬間、刃が届くか否かの所で鞠ナはパタリ、と頭から倒れてしまった。少女が向けた刃は腹を掠めるだけで、鞠ナが立っていた場所に黄色い小花が舞うだけだった。
「えーーー、えーーーーーーーっ!! なあにそれーー!!」
とどめが刺せず、不完全燃焼になった少女はだんだんと地団駄を踏み始める。槐の合図でぎゃあぎゃあ騒ぎながら少女は肩の鍵をしめ、また人間らしい腕に戻った。
それを見届けるとようやく槐はベンチの部屋から出てきて、血塗れになった鞠ナを見下ろした。しばらくじっと見つめてから、周囲を見渡しため息をついた。
「アタシ、ここまでやれって言ったかしら?」
「……。」
「なあに、その顔。」
「だってダーリンがあ――」
「ふぅん。」
「…………ごめんなさい。」
*****
次に鞠ナが気づいた時は、既に部屋に戻っていた。
「鞠ナちゃん、大丈夫……?」
恋雪が鞠ナの顔を覗き込み心配そうに見つめていた。
初めは夢かと錯覚した鞠ナだったが、手を握る恋雪の感触にはっと起き上がる。
「私、生きてる……?」
「ずっと、生きてたよ? 本当に大丈夫?」
「え、ええ……。」
「さっき鞠ナちゃんがめまいを起こして倒れたって、槐さんがここまで運んできてくれたんだよ。」
鞠ナは起きたばかりだからか記憶が曖昧で、必死に辿ったもののあまりよくは思い出せなかった。
「槐さんといたところまでは覚えてるのだけど……。」
仕方なく起き上がろうと体を起こした瞬間、全身に激痛が走った。
「い、いったあ~~っ……。」
「ダメだよ、槐さんが安静にしててって言ってたし。きっと倒れた拍子にどこかぶつけたんだね、でも痛いならじっとしてなきゃ。」
恋雪はうるんだ瞳で心配そうに鞠ナの手を握る。痛みに耐えながら、鞠ナは再度横に戻る際、ふと痛みが特に強かった腹部に触れてみた。お腹の大部分が包帯とギプスでがちがちに固められているようで、さするだけでもかなりの激痛を感じた。
そして、その痛みで思い出したことがあった。
知らない女の子と戦ったこと、傷つけられたこと。槐に連れてかれたことと謎の部屋にいたこと。思い出してみると不可思議な箇所が多く、鞠ナは一つだけ恋雪に確かめたくなった。
「うっいたた、恋雪さん。聞いてもいいかしら……。」
「いいよなんでも言って!」
鞠ナはその優しさに癒されて、つい微笑みを返す。
痛みを落ち着けるため、深く深呼吸してから、また恋雪の方へ顔を向けて聞いてみた。
「A棟の方の、十階ってどういう場所なの?」
「…………えっ?」
すぐには答えずとも恋雪は心底驚いた様子で、抜けた声が返ってきた。あまりに不思議そうな顔をするものだから、鞠ナは自分がおかしなことを聞いたのかと不安になってしまう。
そんな鞠ナに気づいて恋雪は慌てて手を横に振った。
「あ、ごめんねびっくりしちゃって。A棟ツボミが自由に出入りできる階は職員室や管理人室がある一階からEクラスの教室がある七階まででそれ以外の階には管理人さんが許可しない限り立ち入り厳禁なの。エレベーターにも管理人さんじゃないとカバーが開けられないはずなの。」
「そう、なの……。」
「鞠ナちゃん、もしかして十階に行ったの? 噂だと牢屋になってるとか、研究施設になってて被験者にされるとか、変なのばっかりだけど……。」
「いや槐さんに聞いたのよ。そんなに怖い場所なのね。」
「えーっ、槐さんって意地悪だね! 鞠ナちゃんのこと怖がらせようとしたんだよきっと!」
ころころと笑う恋雪の前で、鞠ナは咄嗟に嘘をついた。少女の存在が知られているのか確信がないまま聞いてしまうと、槐の罠ではないかと感じたのだ。なぜなら、槐は鞠ナが怪我をした理由を、恋雪に話しておらず、更には痛いことも不自然になるような言い訳を残している。
内臓が見えたような深い傷を負ったのにも関わらず「めまいを起こして倒れた」とわざと伝えたのだろう。
槐なりの意地悪なのか、それとも何か意味があるのかが計り知れない内は黙ることが鞠ナにとっての得策に思えた。
とにもかくにも、今の鞠ナがくたくたで疲れ切っていることには違いなかった。
「ごめんなさい恋雪さん。色々あって疲れてしまったようだから少し眠ってもいいかしら。」
「うん。誰か来たら起こすね。」
「ありがとう。」
恋雪が鞠ナの布団をかけなおすと一緒に鞠ナも目をつむる。相当な疲労だったらしく、鞠ナはすぐに寝息をたてはじめた。
恋雪はすやすやと眠る鞠ナをしばらく見守ってから、そばを離れた。
「おやすみなさい、鞠ナちゃん。」
鞠ナが目覚めたのは、それから四日後のことであった。
恋雪が丁度授業を終えて部屋に戻ってきたタイミングだったため、まぶたを開けた鞠ナにすぐ気づいた。
「わあっ、おはよう鞠ナちゃんっ!」
「ん…………。」
鞠ナの体は長く眠っていたからか少ししびれて重たかった。恋雪がちょっと待っててねと声を掛けるとぱたぱたと部屋を出て行ってしまった。
その間、鞠ナは寝起きで鈍い脳を働かせて、またこの間のことを思いだす。
「……あれ?」
体が軽く感じたため、腹を触ってみると固定されていたはずのギプスが無くなっており、包帯だけが巻かれていた。少し体を起こしてみてもかなり痛みが減っている。流石にすべてではないが、それでも全身に広がるような痛みではなく、腹部の傷がじんじんする痛みに変わり、点滴が繋がれていた。
鞠ナは考えるのを辞めてもう一度横になろうとした瞬間、ノックの音が聞こえて体勢を戻した。そっと扉が開いて恋雪が顔を覗かせる。
「あっ、起きれた? ゆづちゃんが来てくれたよ。」
「はーい、寮母さんだよー。ちょっとお部屋入るね、鞠ナちゃん。」
恋雪の後ろから由月がやって来た。手には大きいお盆に土鍋やらペットボトルやら色々と乗せて持っていた。
「扉ありがとう恋雪ちゃん。このお盆置いてもいい?」
「じゃあこっちの机使ってください。」
恋雪と由月はてきぱきと動いているが、鞠ナは全くついていけずじっとするしかなかった。それでも二人は何も言わず何も聞かず手を動かす。机を片付けクッションを用意すると、恋雪は鞠ナにペットボトルを両手で差し出す。
「お水だよ。ペットボトルなんだけど開けられる?」
「あ……ありがとう。」
鞠ナは少し時間がかかったものの蓋を開けて数口飲んだ。自分が思っていたよりも喉が渇いていたようで、それからごくごくと水を飲む。その姿を見た由月は嬉しそうに話す。
「お水飲めたの、えらいわあ。私、おかゆ持ってきたんだけど食べられそう?」
そういってベッドのそばに座り、土鍋の中身を見せる由月。ふわっと優しいお米の香りが漂って、鞠ナは思わず唾をのんだ。
「はい。」
「起き上がれているし自分で食べられそう? お鍋熱いから私が持っていた方が食べやすいかな?」
「たぶん自分で、食べられます。」
由月は熱くないよう鍋をタオルで厚めにくるみ、鞠ナに渡す。足元に置いてもらった鞠ナは点滴を引っかけないようにも気を付けながら少しづつ食べる。
傷が治りきっていないのに食べていいのか不安でもあったが、それ以上に空腹であったからかぱくぱくと食が進んだ。
すぐに空いた鍋を由月が受け取ると、再度水を渡された。
「いっぱい眠って起きたばかりだから、お水飲んでゆっくりしてね。体がびっくりしちゃうから。」
鞠ナは頷いた。その鞠ナを見てにっこりと笑うと、由月は色々と入っているビニール袋を恋雪に手渡す。軽く片付けると由月はお盆を持って部屋を出る。
「じゃあちゃんと休むのよ。恋雪ちゃん、よろしくね。」
「任せてください!」
パタンと扉が閉じると、恋雪はひそひそと小声で鞠ナに話しかける。鞠ナは少しだけ顔を寄せる。
「鞠ナちゃん良かったね。」
「え、何が……?」
「槐さんも心配してくれてたよ。」
恋雪は満足そうに離れた。恋雪はにこーっと笑っているものの、鞠ナは嘘だと言わんばかりにかなり訝しげに眉をひそめていた。
「誤解よ、恋雪さん。」
「え?」
「私は槐さんが心の底から大っ嫌いよ。」
「えー? でもあの槐さんだよ?」
「幻想よ幻想。字面の通りただの鬼でしかないわよ、あの人。」
鞠ナは頬を膨らませて、ぶっきらぼうに言う。しかし恋雪的には天邪鬼のように見えてしまい、逆に嬉しそうな表情を返す。
「絶対に違うから、神にも誓えるわ。」
「ふふ、そっかあ。」