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花園の鍵  作者: 羽切 愁慈
Episode.
2/7

Ep.1 ようこそ毒の花園、帝華学園へ





花毒(かどく)

美しき花々の毒に侵された者が顕現させる能力。

時には自身を病み、時には狂い暴走し、ほとんどの蕾は開花もせずに散ってしまった。

そんな花毒に侵されたツボミ達を一手に引き受け、その毒との戦い方を教える施設が設立された。


それがここ、帝華(ていか)学園だ。


 名古屋駅の西側。

 駅の開発ぶりとは反対に、のんびりとした空気漂う商店街、駅西銀座。周囲は昔から残る住宅街に囲まれ、未だ古民家もちらほら残るほど。

 その駅西銀座を昭和通り沿いに西側へ真っすぐ向かい、環状線を抜け、適当な道を曲がり、また何本目かの路地を曲がったところにある雑居ビル「帝華ビル」。

 パッと見はコンクリ造りで若干ヒビも見られる古いビルだが、ここを入口としてKITTEのような大きなビルが埋まるような形で地下空間が繰り広げられている。地下通路や地下鉄が張り巡らされた名古屋市で、それらを全て回避した上で極秘に建てられた政府管轄の特殊児童保護を目的とした施設。


 といっても目的はあくまで言い訳で、その実態は謎の特殊能力を持つ人々を隔離保護し、研究をするための施設であるが、そんなことはここで暮らす人にとってはどうでも良いことである。

 何故なら、今を生きることで精いっぱいな人しかいないのだから――――



*****



 気がつくと少女は学校で使うような椅子に縛りつけられ、真っ暗な部屋にぽつんと置かれていた。


「やぁやぁ小娘、おはよう。」


 唯一彼女の目の前にあるのは偏屈そうでガリガリで少しボロいスーツを着た男。彼は休み時間に友達と話しているかのように座っていた。片目を隠すほど長い前髪に、一つにまとめた後ろ髪を垂らしてまるでキツネのような笑みを湛えている様子はまさに詐欺師のようであった。

 そんな嫌な雰囲気を持つ男が、椅子の背もたれから伸びる脚先をパタパタとさせる。それだけで、自分がこの世で最も苦手な人種であることが想像ついてしまい、少女は苦虫を嚙み潰したような苦悶の表情を浮かべる。


「誰ですかあなた。」

「あらまあ! 命の恩人に対して甚だ失礼な少女だこと、イマドキの子って嫌ねえ~。」

「怪しい側から名乗るのが定石ですよね。」


 そしてまた沈黙が訪れた。

 コンクリで覆われ、椅子が二脚とテーブルしかないこの殺風景な部屋が余計に気まずい空気を強調する。がらんとした空間の威圧感はすごく、何も言い出せないこの時間はとにかく耳鳴りがした。

 しばしの沈黙の後男は何か言ったかと思えば、きぃと椅子を鳴らして足を組み直し背もたれに肘を乗せ、わざわざ頬杖をついてきた。


 しかしその目は鋭く光らせたまま、鞠ナを真っ直ぐ捉えて逃がさない。鞠ナは訳の分からないこの状況をとにかく把握しようと沈黙に徹して視線を左右に振る。凶器が無いか、共謀者がいないか探るも辺り一面薄暗くてここが部屋かどうかも定かではなくなった。

 すると、視線に気づいたのか頷くように首を傾げてから男は立ち上がった。


「なんにも覚えてない? どうしてココにいるのか。」


 男は口を尖らせて面倒くさそうに喋り出し、ゆっくりと近づいてきた。

 コツ、コツ、と妙に響く足音に背筋がむずがゆくなる。


「ねーえ、なんでもいいから喋ってくれないかしら。アタシ一人で喋り倒すシュミとかないんだけど。」

「……だからまずあなたから名乗るのが常識じゃないの。」


 ついイラっと来てしまい、吐き捨てるように言ってしまった。だがこの鞠ナの言い方が彼の鼻についてしまったようで、さっきまでのへらへらとした態度が一変しぎろりと睨まれてしまう。


「は? ガキから名乗るのが常識でしょう。アタシ忙しいから、馬鹿と喋ってる暇ないんです()()。」

「…………っ。」

「言ってること分かんないかしら。」


 突然の低く冷たい声に思わず背筋を伸ばす。

 きっとこの男は、私に害をなす人だ。そう直感で判断した鞠ナは、とりあえず穏便にやり過ごせる方を選ぶしかなくなった。


「……私、は。中峰(なかみね)鞠ナ(まりな)。」


 男はすぐに返事をせず、じろじろと嘗め回すように視線を送り嘗め回しきったかと思えば、一歩、また一歩と鞠ナの周りを徘徊するように歩き出す。このおぞましさというか、この気持ち悪さは一体どこから来るのか。それから少し間を空けては口を開くが――


「ふぅん、あっそ。」


 そう言うだけだった。

 自分から名乗れとか言ったくせに名乗ったら名乗ったで名前も明かさないような中々に苛立たせてくる男は、くるっと振り返って椅子の元まで戻ってしまう。彼の思考がまったくといって分からず、鞠ナの額に冷や汗が浮く。

 もしかしたら私は誘拐されていて、今ここで殺されるのかもしれない。既に鞠ナの思考はそれ一方になっていた。そんな彼女を知ってか知らずか、男はつらつらと話を続ける。


「普通の人はね、花びらを飲み込もうとはしないのよ? お茶に入ったからといっても、桜の花びらは小さいわけでもないんだし。」


 呆れたと言わんばかりに深いため息をつく。だが彼の言い分が正しくはあるし、なぜそれを指摘するのかと言える間も無く、まくし立ててくる勢いにただただ縮こまるしかない自分が腹立たしい。

 そうしてひとしきり鞠ナに対してケチをつけると、男はすくっと立ちまた歩き出した。革靴の音が何もない空間によく響いた。


「あんたにはココに入学してもらうのよ。もっとも、あんたが嫌だと言えば殺さなきゃならない状況だからおすすめしないけど。」


 そういうも、やたら鼻につく()()()()が眼前にせまってくる。座ったままの彼女にとっては否応にも見上げなくてはいけないのがなんとも屈辱的だった。


 こんなの、拷問でしかない。

 この男は別に命の恩人でもなんでもない。

 私は、この男が誘拐犯であると確信をした。

 私の命を今すぐに消すか、後で消すかを悩んでいるだけの悪者だ。


 どのみち男の言うことに従わなくてはいけないのなら、今できることをやるしかない。鞠ナにとっては余りに気乗りはしないが、聞くしかない不利な状況だ。

 そう覚悟を決めたその時、カッと目の前から光出した。鞠ナは思わず目を瞑ってしまったものの、男が手を叩いたと同時に目が開いた。


「小娘。あんたはこれからここで生きていくのよ。日に触れず、全てを捨て、組織の捨て駒として。」


 にいっと男が笑い、手を差し伸べる方へと視線を誘導する。その部屋の奥には年若く見えるスーツを着た男性がまるで玉座のような豪奢で立派な椅子にじっと座っていた。


「……なぁ(えんじゅ)。やっぱこれクサすぎるんじゃないか。」

「そう〜? とってもお似合いですよ、学()長。」

「諮ったな、貴様。来月の給料を覚えておけよ? ……まあいい、そこのほうけている子を現実にひきずり戻せ。」


 ヘラヘラと返事をした誘拐犯は、突然鞠ナの両頬をめいっぱい引っ叩いた。


「いぃッたああぁぁ!!!」


 当然の衝撃に大声を出してしまう鞠ナ。引っ叩いた張本人は気だるげに手袋を直しており、鞠ナの方を見向きもしなかった。

 だが椅子に座った男性、貴族のようにも見える彼は眉ひとつ動かない冷たい顔を向けてきた。


「おはよう。すまないが手短に済ませたい。細かいことはおいおい覚えてくれ。」


 返事をする間もなく話しだす。


「私は御門 (みかど) (ぎん)。ここで学長をしている。君のような子が出たときに庇ってもらうためにね。」

「私のような子……?」

「ああ。……中峰君に心当たりはないかな? 一定の日から記憶がないとか、突然身体に異変が起きたとか。」


 異変といえば、思い当たる節は一つしかない。今朝の公園で喉が焼けるように痛かったことだが――


「しゃべ、ってる……。」


――あんなに痛くて声も出せなかったのだから、何かしらあってもおかしくないのに、今の彼女は普通に声を出し普通に会話をしていた。

 鞠ナは、今朝の出来事そのものが気のせいかとも考えたが、この訳の分からない状況がなによりの証拠。彼女の体に何かの異変が起きたのだ。


「中峰君は、突然公園で倒れたそうだね。」

「ええ。でも記憶は無くって。」

「まあその時のことは後でそこの槐に聞けば分かるさ。それより一つ大きな問題があってね。」


 すると、御門吟――もとい()()は、鞠ナの背後に回って後ろ手にさせられているロープを切った。少ししびれていたもののじっとしていればすぐ感覚が戻ってくるだろうと手を握る鞠ナに、学長は少し心配そうに声をかける。


「ふむ、手は動かせるかい。」

「ん……動きます。少ししびれてはいますけど。」

「そうか。じゃあ君が違和感を覚えた箇所を触ってごらん。」


 少しだけ考えてから、彼が嘘を言っているようにも思えず渋々言う通りにする鞠ナ。恐る恐る喉元を触ると確かに異変は起きていた。


「何、これ!?」


 それは、人体にあるはずのない硬い何か。

 半分しびれた手では上手く感触が伝わらないものの、板のような4cmm角の金属片があるのは分かる。


「どうしてこんなものが……。」

「それは『錠』だ。君の、中峰君が授かった異能というべきかな。その力を使うためのトリガーだよ。」

「異能のトリガー、ですか?」


 彼の言っている意味が分からず、身に覚えのない謎の能力の持ち主だと告げられた鞠ナは、眉間のしわを深めた。その様子を見て噴き出したのは男――槐だった。


「こら笑っちゃだめだよ。みんな最初は戸惑うものだし仕方ないんだよ。」

「あっ、あははっ!! いや、だってもうこんなの……あははっ!!」


 鞠ナ自身はなぜ笑われているのか理由は察せなかったが、とにかく男の笑い方で馬鹿にしてきているのだけは分かり、怒りをあらわにする。


「何が可笑しいのよ。」

「ぶふっ……くくくっ、あはははっ!!!」


 彼女が問うたびに腹を抱えて大笑いする様子に、鞠ナはさらにムカついてきていた。今にも飛びかかろうかとしていたところを、察した学長が仲裁に入る。


「まあまあ、その辺で。槐はあとで謝りなさい。」

「あはっ……はーい…………ふふふっ!」


 ふうと大きなため息をつき、呆れる学長。哀れな目線を男に送ると、またため息をついてから鞠ナに向き直る。


「すまないね、彼ちょっとおかしくて。」

「いえ、なんか。……はい。」


 鞠ナは即答だった。こんな男が少しでもまともであってたまるかという思いも含めて。

 彼女が食い気味に答えたことに対してもまたため息をついた学長は、情けないね、と呟いた。


「彼、(えんじゅ)って言うんだ。君の言う通り変な人だ。そして……はあ、私も頭を抱えているのだけど、彼はかなり優秀でね。何かあったら彼に聞いてほしいんだよ。」

「え゛っ。」

「……分かるよ。分かるんだけど他に空いてる人がいなくてね、はあ。」


 学長はため息しかつかなくなっていた。そんな学長が話すに、男――槐は、彼自身も能力を持っているため、学園で教師のような立ち位置に属するほどの優秀な人材らしい。だがそれと同時に悪評も多く、恨まれている数もそこそこで成績優秀な問題児として扱っている、と愚痴混じりに紹介をする。

 槐はその間もずっと腹を抱えて笑い、げらげら楽しそうに回っていた。


「それで、私の管理人? ってやつが槐さん(アレ)になるんでしょうか?」

「アレだね。本当、これに関しては申し訳なく思っているよ。人手が出来ればすぐにでも取り換えると約束しよう。そろそろ、私は頭痛が酷くなってきたから後はアレに任せて先に失礼する。」


 そそくさと学長が、問題児を残して、頭を抱えて、出ていった。

 鞠ナと莫大な不安だけが取り残された。


「あー、笑った。一生分笑ったかもしれないわ。」


 涙を浮かべながら、学長と入れ替えに槐が近づいてきた。鞠ナの前に立つとまた嘗め回すような視線を送り、とんでもない要求を口にする。


「ここで服脱いで頂戴。」


 ぱあんっ、と小気味いい音が響き、鞠ナは槐に盛大な平手打ちをかます。槐はあまり動じてはいないようで、頬をさすりながら睨むような視線を向ける。

 まるで飛び回る蚊を追うような目で。


「さ、最低っ!!」

「あーー、女ってほんとどうしようもない程馬鹿ね。何も襲おうとか言ってんじゃないわ、人の話を最後まで聞くのが礼儀ってもんじゃなあい?」

「へ、変態!! 貴方はただの変態じゃない!!」


 そして槐は学長同様の盛大なため息を吐くと、片手で鞠ナの胸ぐらを掴み引き寄せた。その勢いで鞠ナの片足が浮きバランスを崩してこけそうになる。

 それを見るや否や、ぱっと手を離して不機嫌そうに言い放つ。


「ほら、礼儀。」

「は……?」

「れ・い・ぎ。人の話は最後まで聞けって言ったでしょう。」


 何を求められているのか分からずまごまごとどもっていると、あああ、と声を荒げて髪を掻きむしる槐。お互いに相性が最悪だった。

 とん、と『錠』に指を置いた槐は冷たい声で鞠ナに怒りをぶつける。


「チリみたいな脳みそしてんのね。武器隠し持ってねえか聞いてんだわ。」

「え……いや、持ってませんけど……。」

「だーかーらあ。そっんなちんちくりんな小娘の言うことなんざ信じらんねえから今すぐ服脱げって言ってんの。分かる?」

「なんでそん……。」


 この口答えがカチンと来たらしく、槐は無理やり鞠ナの服を引きちぎった。バチンとボタンが飛び、どこかに転がっていった音がする。何の感情も持たずに淡々と作業として行ってきたことは、恐怖するのに十分だった。


「きゃ……っ!」

「叫んでもだーれも助けねえよ。だーれもいないんだから。」

「ちょっと、やめて――。」

「はあ、まだ分かんないワケ。うだうだうだうだ煩いわねえ。」


 鞠ナは一瞬で身ぐるみ剥がされ、槐の前で下着姿同然となってしまった。あまりの恐怖と羞恥に涙があふれそうになってしまい、奥歯を強く噛み締める。握った拳は小さく震えていた。


(私、これからいったい何されるのよ。)


 そんなことお構いなしに、脱いだ服を漁り体を調べる槐。たまにふーん、と言うだけであとはずっと無言で手を動かしていた。

 一通り調べ終わったかと思うと、槐は学長のいた辺りの机から服を取り、鞠ナに差し出した。


「ぇ……。」

「何。」


 本気で訳が分からず、鞠ナは服を受け取ることが出来なかった。じっとしていると、また呆れた声を出して、槐はばさっとタオルを投げてくる。


「着ろって言ってんの。襲うわけじゃないって言ったでしょ。」


 すると、元々着ていた服を集め、扉を叩き他の人が入ってくる。明らかにうわ、という引いた表情をしたようだが、すぐに気を取り直すと手際よく服を持っていってしまった。

 その間鞠ナはというと、言われた通りにできるはずもなく槐のやり取りを突っ立って見ていることしかできなかった。

 やり取りを終えた槐が鞠ナの元に戻ると、手に取ったままの服を奪い、広げる。


「はい。腕のばして手出して。」

「…………はい……。」


 思考がついていかず、言われた通りにするしかできなかった鞠ナはゆっくりと手を伸ばす。それからは槐が慣れた手つきで鞠ナに服を着せてしまった。

 終わるとぱんぱんと手をはたき、一仕事終えたように首元に手を添え、こきこきと鳴らす。


「あんたまだそんな顔してんの。アタシが襲うようなやつに見える?」

「…………はい。」


 素直に答えると、丁度開いた扉の方から噴き出す声が聞こえた。


「ぶっ……。ちょ、先輩……ぶふっ!!」


 デジャヴのようなやり取りに、鞠ナはようやく正気を取り戻した。服はすっかり新しいものに着替えさせられており、槐は扉の方に顔を向けしかめっ面をしていた。

 そこには背の高い槐を先輩と呼ぶ同じくスーツの男が、腹を抱えて立っていた。


「何よ、遅かったじゃない。面白い所はとっくに見逃したわよ。」

「あーははっ、いやいや。超・ベストタイミングで来れたっす。せんぱぁい、ロリは良くないっすよ、ロリは。」

「ロリったって十六は大人の一歩手前じゃない。」

「あーあ、そんなこと言ってぇ。だって先輩――だっ、すみませんっした!!! なんでもないっす!!!」


 さっきの学長とは全く違う雰囲気の槐がなにやらやり取りをしていた。槐の同僚か何かだろうかと見ていると鞠ナの視線に気づき近づいてきた。


「初めまして鞠ナちゃん、俺は皐月(さつき)っす。槐先輩の後輩やってます。」


 そう言って鞠ナに手を差し出した。太陽のように明るい人なようで、笑った顔が妙に落ち着く。鞠ナは恐る恐る手を握り、握手を返した。


「な、中峰です……。皐月さん。」

「はーい! 皐月さんっすよ。」


 ぶんぶんと手を振り回す皐月に鞠ナは戸惑いながらも少しだけ顔を綻ばせた。その様子を見て、皐月は手を止めると、そっと目を伏せて話しはじめる。


「先輩で分かったかも知れないっすけど、これから鞠ナちゃんにはこわーいことがいーっぱい起きるかもしれないっす。でも、さっき俺にしたみたいに警戒は怠らないで欲しいんすよ。」

「怖い、こと。その、異能ってやつでですか?」

「そうっすよ。俺らもその異能を持ってるっす。だから嫌なこととかは良く知っていて、それを鞠ナちゃんには経験させたくないんすよね。それも、鞠ナちゃん以外にも沢山同じような境遇の子が居て、先輩はその子達を守るためにさっきみたいなことしたんすよ。」


 皐月の言葉で鞠ナは察した。あんなにすごんでいたのも、ここが学園という名なのも、よくは分からないが他にもいる異能を持つ子達の為であって、本気で"襲う"つもりはなかったのだと。

 鞠ナがきゅっと口を結んだところで皐月は手を離して手招きをする。手を寄せてくるので、そのまま耳を貸すとこっそりと教えてくれた。


「でもさっきのはやりすぎの部類っすから、次されたら俺に言うんすよ。」


 鞠ナは徐々に感情を取り戻してきて槐への怒りを覚えたものの、苦笑いする皐月に免じてため息一つでやり過ごすことにした。

 だがここでいらないことを言うのが槐という男だった。


「あんた達ってため息ぱっかねえ。」


「あなたにだけは言われたくないわ。」

「先輩にだけは言われたくないっすね。」


 間髪入れずに突っ込むのであった。



*****



 あれから、槐と皐月に連れられて、鞠ナは施設内を案内された。

 ここは広いものの地下らしく、学習関係の【A棟】と寮として機能している【B棟】の二箇所に大きく分かれており、まるで二つのビルが地中に埋められているような構造になっていた。階の移動は全てエレベーターで、一部の階にAB間の連絡通路が渡されている。

 基本は普通の生活と変わらず、授業時間になればA棟の各教室へ出向き、授業が終われば翌日までB棟で過ごすことがメインになると皐月が説明する。あくまで子ども達の社会復帰が最終目標のため、地下施設といえど地上とほとんど変わらない生活を送ることになるという。


「皐月さん、私ほとんどの荷物が無いのだけど、どう生活していくんですか?」

「ああそれはこの後会う寮母さんに頼めば必要なものを揃えてもらえるっすよ。他にも途中で必要になったものは通販みたく好きに買えるっす、お小遣いの範囲で。」

「お小遣い? 給料みたいなものですか?」

「いや、まあ色々見て毎月頭にみんな支給されるっすよ。やりくりするのも社会勉強っすから。」


 相変わらず説明もほどほどのまま、三人はB棟の食堂へ向かう。


「食堂はラウンジやリビングも兼ねてるんで、教室以外でくつろぎたい時とか自由に使っていいっすよ。コーヒーとかお菓子とか、あの辺も自由に飲んだり食べたりしていいっす。」

「多分、ちょっとずつ使って覚えようと思います。」

「それでいいっすよ。分からないことは聞けばみんな教えてくれるっすから。」

「ありがとうございます、皐月さん。」


 鞠ナは既に槐を無視していた。時折茶々を入れていた槐もあまりの反応の無さにつまらなくなり、後ろから無言で着いてくるだけになっていた。


「それで、あっちの席にいるのが寮母の金子(かねこ)由月(ゆづき)さんっす。寮は由月さんの方が詳しいっすから、また後で迎えに来ますね。」


 そう言って皐月は鞠ナに手を振ると、由月に会釈をして食堂を出て行った。槐はまだ着いてくるようで、不貞腐れた顔でじっと後ろに立ち尽くしていた。鞠ナは槐の視線を感じつつも、改めて由月の方へ向き直る。目が合いぺこりと会釈をすると、由月は優しい微笑みで返した。


「皐月君から説明があったから二度目になるけれども、初めまして。金子由月です。あなたが鞠ナちゃんね。」


 由月は立ち上がり、鞠ナへ右手を差し出す。おずおずと鞠ナが手に取ると優しくて暖かい手で握り返した由月に、少しだけ安心感を覚えた。


「由月でいいからね。」

「はい……。よろしくお願いします、由月さん。」


 またふっと笑うと、鞠ナに席へ座るよう促した。


「ほらほら座って。鞠ナちゃん疲れたでしょう、飲み物何がいいかしら。カフェオレは好き?」

「ありがとうございます、頂きます。……ただ良ければ甘い方が飲みやすいです。」

「いいよ。ちょっと待っててね。」


 くるっと振り返り由月はドリンクバーが備え付けられたカウンターの方へ歩いていく。鞠ナがそっと椅子を引いて座ると、その隣の椅子を乱暴に引いてどっかりと槐が座った。すぐに足を組み姿勢を崩す槐に鞠ナはやはり嫌悪感を抱いていた。


「槐さん。さっきから思っていたこと言っていいでしょうか。」

「何。」

「その態度、やっぱ悪すぎません?」


 鞠ナが思っていたことをついに聞くと槐は睨み返して返事をする。

 槐は手袋をいじりながらそっと口を開いたものの、相変わらずの憎まれ口に鞠ナは若干辟易としてしまう。


「そんな口聞けると思ってんの?」

「そんな態度でいられちゃ私も気分悪いもの。言う権利くらいあるんじゃないの?」

「あーーっ、ほんっと可愛くないガキだこと。うるさいわねえ、アタシがどうしてようとあんたにはどうでもいいこと、いい? どうでもいいの、アタシも。」


 イライラしながら口調を荒げて吐き捨てる。

 そしてまた訪れる沈黙に皐月が恋しくなった頃、由月がカップを乗せたトレーを持って戻ってきた。


「まあ、槐君。女の子には優しくしなきゃダメって言ってるでしょ。」

「みんなしてうるさいわね。アタシが好きにしてようが別に迷惑かけてないんだしいいでしょ?! あー気分悪くなっちゃったわ!」

「ふふっ、まだまだおこちゃまかな?」

「誰が子どもよ!! このちんちくりんの方がよっぽどガキよ!!」


 あどけなく笑って返す由月に槐はばつの悪そうな様子だった。みんなが手を焼く問題児にも堂々と応じるそんな姿が、鞠ナにはとてもかっこよく見えていた。それに、自分の方が大人である確実な自信があった。

 甘いカフェオレを入れたカップとチョコレートをそれぞれに置くと、トレーを脇に置いて由月も向かいの席に着く。

 

「鞠ナちゃんの管理人さん、槐君なんだ。大変そうねえ。」

「ああ……そうですね……。」


 由月はけらけらと笑っているが、鞠ナにはこれからの不安しか見えなかった。当の槐は「何よ、二人して。」とぶつくさ文句を言いだしていたものの、邪魔してくる様子が無かったので鞠ナはとりあえず由月の話を聞くことにした。


「ここのお話は聞いたかな。」

「大まかには。でも皐月さんに施設内を案内してもらったくらいでそう詳しくは聞いていないです。」

「あら。槐君がおサボりしたのね。」


 槐の肩がぴくりとした気がしたが、鞠ナはもう気にしないようにしていた。


「槐君には後で言っておくわ。えぇっと、どうしようかな。どこから話しましょうか。」

「あの。私、聞きたいことがあるんですがいいでしょうか?」

「まあなんでも聞いて。」

「ここ、どこなんです?」


 由月は笑った顔のまま固まっていた。槐が席を立つガタリとした音だけは聞き取れた。

 鞠ナには、由月の後ろに般若のような何かが見えた気がしたが、やたら怖かったので突っ込むまいと口を引き結んだ。案の定、由月は怒っているらしく、槐に向かって笑顔のまま諭しだす。


「こ~んな最初に教えるようなことも教えずに? 何時間も一緒に着いて回りながら? つまらなくて不貞腐れてなあんにも説明せずに自分のお仕事サボっていた問題児は一体どこの誰なのかしらあ??」

「はぁ……い。」


 槐の口元はすっかりひきつっていて、蚊のような声しか出なくなっていた。そのまますとんと座り直す槐を見て鞠ナは由月が豹変したのではとびくびくしていたが、由月がそっと頭を撫でてくれたことで冷静さを取り戻す。

 そう、槐は今までここがどこで何なのか一切説明していないのだ。皐月は当然説明したものだと思い込み、鞠ナもついていくのに必死で一番怒らせてはいけない人のところでバレたのは、彼の日頃の行いであろう。


「鞠ナちゃん、槐君が嫌ならいつでも言ってね。皐月君や他の人に変えてもらうよう言うから。」

「はぁ……。まあ、もう嫌ですけど……。」

「やっぱりそうよねえ。」


 片手を頬につき、ため息をつく由月。

 かと思えばはっと目を開き、ぱん、と手を叩く。


「こんなことしてちゃダメだったわ。えー、ここの説明よね。」


 そして由月は半ば慌て気味に説明を始めるのであった。



 ――――ここは帝華(ていか)学園。

 

 鞠ナのような花をきっかけとして非現実的な異能を手に入れ、社会で生きられなくなった人――ツボミ達を受け入れ『解毒』し最終的に社会復帰することを目的として作られた施設。

 しかし、その異能というのが厄介で日光に長時間当たってしまうと、その異能を持つ人間の命を奪ってしまうことがままあるらしい。そのため地中にビルが埋まるような形で日光を避けるようにこの施設は建てられているので、おおよそ学園とは呼べないような状態である。


 体が成熟していない少年少女(ツボミ達)は特に毒に対する抗体がほとんどの出来ず日光の強い光が天敵のため、ツボミ達を守るために試行錯誤を施された国内唯一の施設として学園の体を保って秘密裏に運営されている。

 逆に言えば、能力を恐れた国家が、地上の混乱を避けるために能力者の少年少女を閉じ込めておくための厳重な牢屋として隔離されているような状況だ。


 つまり、正式には学校ではない。

 なので入学する時もまばらで卒業もまばら、さらには症状もまばらなので学校でありながら学年という概念がないのだ。



「だから……どこにも窓が無かったんですね。どことなく薄暗かったし。」

「そうなの。だけどみんなは人間でもあるから、一定の光には当たらなくちゃいけないの。だから、時間や場所を絞って必要最低限の光が当たるように作られているらしいの。私は難しいことがよく分かってないんだけど、とにかくお日様が強すぎるっていうことは分かるかな?」


 こくり、と鞠ナは頷いた。同時に、槐が恐らくこの説明が面倒くさかったらしい理由も少しだけ理解した。

 この施設を説明するには、鞠ナに現れた能力を説明するところからであり、槐がそんな回りくどいことを好むわけがないとあったその日だとしても鞠ナには嫌という程に分かった。

 なるほどこれは、大変な面倒ごとである。が、槐のことは何一つ許していない。


「私には、この錠が出来てしまったからここに連れて来られたんですよね。」

「そうだね。でも鞠ナちゃんにとって憎いものになるか助けになるかは、これからの鞠ナちゃん次第でもあるんだよ。」

「これからの私次第……?」

「うん、鞠ナちゃんは今戸惑っていてその錠が憎いよね。でもその錠と上手く付き合って頑張って生きている子も(ここ)にはとても多いし、鞠ナちゃんがどう付き合っていくかみんなを見て、悩んで、選べばきっと良い将来になるんじゃないかな。」

「憎い……のかしら。まだ、色々と分からないことしかないし。」

「大丈夫。槐君がいるから。」


 その言葉で鞠ナは眉をぐっとひそめた。

 恐らくからかわれているのだということに気づいてしまった鞠ナは、うーんと腕組みしてから、はあとため息をついて腕をだらりとぶら下げる。


「よく分かってないんですけれど、ここで生活していけってことだけは分かります。ただ槐さんに助けてもらうのだけはゼッタイに避けたいです。恩を売ると面倒な人ってことも分かっているもの。」


 鞠ナの言葉を聞いて由月は困ったように笑った。良くも悪くも肝が据わった少女がため息をつくのに、その隣に座った大人は偉そうにあごを上げている様子がやたら滑稽に感じたのかもしれない。


「槐君じゃなくても、鞠ナちゃんにはここを卒業するまでは誰かしらがついていることになっているから、槐君かそれ以外かになるだけで『誰か』はついて回っちゃうんだ。管理人さんって、鞠ナちゃん達ツボミの保護者代わり、冷たく言うと責任者みたいなものだから。」

「う……それでも、槐さんだけは……。」


 頑なに認めようとしない鞠ナに、困った顔のまま由月は説得をする。


「明日からとは言わないから、一ヶ月くらいはかけてゆっくり慣れていって。今から紹介するルームメイトの女の子もすごく優しい子だし安心してね。」


 飲み終えたカップを持って立ち上がる由月。鞠ナは慌てて残りを飲み干して、同じくカップを手にしては由月の後にカウンターへ置いた。何もせず座っているだけの槐のカップは由月が片づける。

 どんどん下がっていく鞠ナの評価など気にせずに。

 

「それじゃあ鞠ナちゃんのお部屋へ案内するね。」

「槐さんは……?」


 座ったまま、今にも眠りそうな槐を見て鞠ナが言い放つ。本心としては着いて来ない方がすっきりするのでできれば来て欲しくないと願いつつ。


「管理人さんはまた後で。大人がいたら落ち着けないからね。」


 その瞳はくりくりとして母のような眼差しであったからか、鞠ナは何も返せなかった。

 学園に来る前にも友人がいなかった訳ではないが嘘が吐けない性格からか人付き合いが苦手な自覚があり、この時の鞠ナはあまり積極的にはなれなかった。本音を言えば一人部屋が気楽だが、やはり言い出すことができずに、とぼとぼと歩いてはそのまま部屋の前に着いてしまう。

 由月はノックをし、少し開いた扉の隙間から声をかける。


恋雪(こいゆき)ちゃん。新しい子が来たからお話してもいいかな?」


 少しだけ間が空いて、ドアの向こうから鈴のような声が返ってくる。


「はい、大丈夫です。」


 それを聞いた由月は鞠ナに手招きをして見せ、部屋の中へと誘導する。鞠ナは気乗りしないまま、おそるおそるドアから顔をのぞかせた。


「初めまして、中峰さん。」


 ドアの向こうには艶の良い、さらさらな黒髪を持った気品ある少女がいた。あどけなく子どもっぽい表情に反した、大人びた雰囲気がよく似合う、綺麗な女の子が。


加々宮(かがみや)恋雪(こいゆき)っていいます。同じ部屋になるの、よろしくね。」


 ふわりと笑うその姿はどことなく由月に似たものを感じていて、彼女から優しさを学んだことを容易に思わせてくれる。


「初めまして、加々宮さん。鞠ナでいいわ。」

「そう? 私のことも恋雪でいいよ。」

「……分かったわ。よろしく、恋雪さん。」


 ここにきて、初めて見せた鞠ナの笑顔を見守ると由月はよろしくねと言って部屋を出てしまった。

 だが、ようやく落ち着けそうだと感じた鞠ナはじゅうたんに腰を下ろすと一気に力が抜けてしまった。やはり変な変態といるよりも歳の近い女の子と一緒にいる方が、今の鞠ナには居心地よかった。

 恋雪はいそいそと座椅子とクッションを引っ張ってきて、鞠ナに渡したが、鞠ナはクッションだけ受け取り恋雪を座椅子に座らせてしまった。そしてクッションを抱きしめて安堵のため息をついた。


「疲れちゃった?」

「そうね……。散々な目に遭ったわ。」

「きっと大変だよね、私も槐さんを見るの初めてだし。」


 鞠ナは声に出して驚いた。あんなにしつこく後ろを付いてくるような男を初めて見たというのが信じられず、不思議そうに恋雪に聞く。


「本当に見たことないの?」

「うん、超レアなんだよ。なんか槐さんってミステリアスじゃんっ!」

「……ん?」


 鞠ナは違和感を逃さなかった。あんな偏屈で面倒くさくて更にはロリコンの変態をミステリアスで片付けようとしたルームメイトを。

 一瞬、周りから見ればそう見えなくも……と考えたのも束の間、おおよそ初めて会う人間に対しては使わない言葉の数々を思い出し首を振った。


「どうしたの?」

「あ、いや……。槐さんってミステリアス……なのかなって思ったのよ。」

「そうだよう! みーんな憧れてるんだよ、管理人になって欲しいなって。」

「今すぐにでも、代わってあげるわよ……。」

「ダメだよ!!!」


 若干引きつつも物凄い剣幕で押し切られてしまった鞠ナは、恋雪の力説にただ頷くことしかできなかった。

 そして恋雪の力説はかれこれ小一時間は続いたもので。


「それでねー、紗香ちゃんの管理人さんは――――」


 新たな話題に移ろうかという時、部屋のドアがノックされた。


『クソガキそろそろ話しは終わったかしらあ?』


 口の悪さが明らかではあるものの、それさえも良さだと話した恋雪はミーハーにきゃあきゃあ楽しそうであった。鞠ナはうんざりした表情だったが。


「槐さんだよ?! 鞠ナちゃん、早く行ってあげなよー!!」

「そんな……告白みたいな……。」


 鞠ナの気持ちだけが部屋に取り残され、会えて嬉しそうな恋雪に見送られてしまう。この時に鞠ナは気づいたが、槐は鞠ナや学長以外には死ぬほど愛想良く接するのだ。それこそ、槐が一番嫌いであろう恋雪のようなきゃぴきゃぴ話すような女の子に対してはゾッとする程のにこやかな表情で優しく手を振っていた。


「ちょーっとこの子借りるわね。」

「いいですよー。それにいつでも来てくださいっ。」

「恋――っ」

「ありがと、ちゃんと返してあげるわよ。安心してちょうだい。」


 背筋のぞわぞわと共に、鞠ナはまた連れ去られたのであった。





帝華学園にやってきた鞠ナ。


冷静な学長と、優しい寮母、年相応なルームメイトと賑やかな面々の中、ただ一つの不安要素『槐』が管理人として鞠ナについてしまった。

この後鞠ナは思い知る。


周囲の評価とは裏腹に、底知れないこの男がとんでもなく危険な奴であることを。

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