Ep.1 中峰鞠ナの始まり
花毒。
美しき花々の毒に侵された者が顕現させる能力。
時には自身を病み、時には狂い暴走し、ほとんどの蕾は開花もせずに散ってしまった。
そんな花毒に侵されたツボミ達を一手に引き受け、その毒との戦い方を教える施設が設立された。
それがここ、帝華学園だ。
名古屋駅から西側に歩いてしばらく。
駅周辺の開発ぶりとは反対に、のんびりとした空気が漂う商店街、駅西銀座が見える。周囲は昔から残る住宅に囲まれ、未だ古民家もちらほらと残るほど。
その駅西銀座を昭和通り沿いにさらに西側へ真っすぐ向かって環状線を抜け、適当な道を曲がり、また何本目かの路地を曲がったところにある雑居ビル「帝ビル」。
パッと見はコンクリ造りで若干ヒビも見られる古いビルで小さな建築系事務所と長く放置された間借りの倉庫があるだけである。
しかしこの帝ビルの実態はそこではない。
事務所の奥にある使用不可にされた扉を入口としてKITTEほどの大きなビルが埋まるほどの地下空間が広がっている。地下通路や地下鉄が張り巡らされた名古屋市で、それらを全て回避した上で極秘に建てられた政府管轄の特殊な児童の保護を目的とした名前も付けられていない『養護施設』が存在する。
といっても目的はあくまで言い訳で、謎の特殊能力を持つ人々を隔離保護し、研究をするための施設でだが、そんなことはここで暮らす人にとってはどうでも良いことである。
さらには厳重に隠されて秘密裏に運営されていることも知らない子が大多数なほど。
何故なら、今を生きることで精いっぱいな子どもしかいないのだから――――
*****
気がつくと少女は学校で使う椅子に縛りつけられ、真っ暗な部屋にぽつんと置かれていた。
「やぁやぁ小娘、おはよう。」
唯一彼女の目の前にあるのは偏屈そうでガリガリでよれたスーツを着た男。彼は休み時間に友達と話しているかのように少女の目の前に座っていた。
片目を隠すほど長い前髪に、一つにまとめた後ろ髪を垂らしてまるでキツネのような笑みを湛えている様子はまさに詐欺師のようであった。
そんな嫌味な雰囲気を持つ男が、椅子の背もたれから伸びる脚先をパタパタと遊ばせる。それだけで、自分がこの世で最も苦手な人種であることが想像ついてしまい、少女は苦悶の表情を浮かべて答える。
「誰ですかあなた。」
「あらまあ! 命の恩人に対して甚だ失礼な少女だこと、イマドキの子って嫌ねえ~。」
「せめて名乗るのが礼儀ですよね。」
口ごたえされたのが気に入らないのか、それとも小娘に礼儀を説かれるのが面白くなかったのか、男はふんと鼻を鳴らした。
「別にあんたの名前なんか誰も興味ないわよ。アタシの名前もアンタに教える必要無いし。」
そしてまた沈黙が訪れた。
暗くて相手の顔もイマイチ見えない部屋の中、椅子が二脚と脇に小さなテーブルしかないこの殺風景な空気が余計に気まずさを強調する。がらんとした空間の威圧感はすごく、とにかく耳鳴りばかりがよく聞こえた。
しばしの沈黙の後、男は文句を言うかと見せて、きぃと椅子を鳴らして足を組み直し背もたれに肘を乗せ、わざわざ頬杖をついてきた。
しかしその目は鋭く光らせたまま、鞠ナを真っ直ぐ捉えて逃がさない。
鞠ナは訳の分からないこの状況をとにかく把握しようと沈黙に徹して視線を左右に振った。凶器が無いか、共謀者がいないか探るも辺り一面薄暗くてここが部屋かどうかも自信が無くなってきた。
すると、その視線に気づいたのか頷くように首を傾げてから男は立ち上がった。
「本当になんにも覚えてないわけ? どうしてココにいるのか、あんたが何をしたのかも。」
男は面倒くさそうに喋り出し、ゆっくりと近づいてきた。
コツ、コツ、といやに響く足音に背筋がむずがゆくなる。
「ねーえ、なんでもいいから喋ってくれないかしら。アタシ一人で喋り倒すシュミとかないんだけど。」
「……だからまずあなたから名乗るのが常識じゃないのって言ってんのよ。」
ついイラっと来て、吐き捨ててしまう。だがこの鞠ナの言い方が彼の鼻についてしまったようで、さっきまでのへらへらとした態度が一変しぎろりと睨まれてしまう。
「は? ガキから名乗るのが常識でしょう。アタシ忙しいから、馬鹿と喋ってる暇ないんですケド。」
「…………っ。」
「言ってること分かんないかしら。」
突然の低く冷たい声に思わず背筋を伸ばす。
きっとこの男は、私に害をなす人だ。そう直感で判断した鞠ナは、とりあえず穏便にやり過ごそうと必死になる。
「……私、は。中峰鞠ナ。」
男はすぐに返事をせずじろじろと嘗め回すように視線を送り、嘗め回しきったかと思えば、一歩、また一歩と鞠ナの周りを徘徊する。
このおぞましさというか、妙な気持ち悪さは一体どこから来るのか。鞠ナは深呼吸をして男の反応を待った。
それから少し間を空けて、ようやく彼が口を開いたが――
「ふぅん、あっそ。」
そう言うだけだった。
自分から名乗れとか言ったくせに名乗ったら名乗ったで名前も明かさないようなムカつく態度の男は、くるっと振り返って椅子の方へと帰っていく。彼の思考がまったくといって分からず、鞠ナの額がうっすら汗ばんだ。
もしかすると私は誘拐されていて、今ここで殺されるのかもしれない――既に鞠ナの思考はそれでいっぱいになっていた。
そんな彼女を知ってか知らずか、男はつらつらと話を続ける。
「知ってるかしら。普通の人はね、花びらを飲み込もうとはしないのよ。お茶に入ったからといっても、桜の花びらだって小さいわけでもないんだし。あんまり喋らせないで欲しいわね、酸素がもったいなくて仕方ないわ。」
きょとんとする鞠ナに対し、呆れたと言わんばかりに男は深いため息をつく。
「本当におつむの弱いクソガキね。だから子どもって嫌なのよねえ。揃いも揃ってみぃんな馬鹿ばっかりで。アンタたちを慈しみ、憐れむアタシが全く可哀想だと思わないのかしら。」
そうしてひとしきり鞠ナに対してケチをつけると、男はまたうろうろと歩き出した。
革靴の音が何もない空間によく響いた。
「いい? あんたはそこら辺の適当な草食ったせいで今日からココに入学してもらうのよ。親がどうだの生活がどうだの関係ないわよ、あんたのせいだもの。今後一切口答えなんかするんじゃないわよ。アタシは文句は受け付けない主義なの。理解して頂戴ね。ま、もっとも、あんたが嫌だと言えばすぐにでも殺さなきゃならない状況だから拒否権なんかないけど。」
一気に捲し立てると、やたら鼻につくにやけ顔を鞠ナの眼前にぐいと近づける。座ったままの彼女にとっては否応にも見上げなくてはいけないのがなんとも屈辱的だった。
(こんなの、拷問でしかない。)
鞠ナがそう考えるのは必然だった。
状況すら飲み込めないまま、目の前では胡散臭い男が勝手に話を進めていくこの状況で冷静になれという方が難しいだろう。
ひたすら男が何を言っているのか理解ができないのだ、仕方ないのかもしれない。
そして彼女は全てを諦め、適当に受け入れることにした。
そう覚悟を決めた瞬間、カッと目の前から光り出した。鞠ナは思わず目を瞑ってしまったものの、男が手を叩いたと同時に目が開いてしまい目の奥が焼ける。
「小娘。あんたはこれからここで生きていくのよ。日に触れず、全てを捨て、組織の捨て駒として。」
にいっと男が笑い、手を差し伸べる方へと視線を誘導する。その部屋の奥には年若く見える、スーツをきっちり着た男性がまるで玉座のような豪奢で立派な椅子にじっと座っていた。
厳しい視線を鞠ナに向け、眉間を寄せた表情は幾ばくかの迫力があった。彼女は思わず体をこわばらせる。
だが、しばらく沈黙が続くとスーツをきっちり着た男性はがくりとうなだれた。
「……なぁ槐。やっぱこれクサすぎるんじゃないか。」
「そう〜? とってもお似合いですよ、学園長。」
スーツをきっちり着た男性が、嫌味で陰険な――槐と呼ばれた男を睨みつける。
しかし彼にそんな威圧は目の前の小娘と同じ程度なのだろう、怯えるどころかむしろ楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「諮ったな、貴様。来月の給料を覚えておけよ? ……まあいい、そこのほうけている子を現実にひきずり戻せ。」
ヘラヘラと返事をした誘拐犯は、突然鞠ナの両頬をめいっぱい引っ叩いた。
「いぃッたああぁぁ!!!」
当然の衝撃に大声を出してしまう鞠ナ。
引っ叩いた張本人はといえば、よちよちと呟きながら丁寧に手袋を直しており、鞠ナの方を見向きもしなかった。
だが椅子に座った男性、貴族のようにも見える彼は眉ひとつ動かない冷たい顔を鞠ナに向ける。
「おはよう。すまないが手短に済ませたい。細かいことはおいおい覚えてくれ。」
返事をする間もなく話しだす。
「私は御門 吟。ここ、帝華学園の学長をしている。そして中峰君は今日この瞬間から学園の生徒として扱うことになったんだ。急な話で混乱すると思うが、諸々の手続きは私の方で進めているから安心してくれ。」
「でもっ、私まだ……っ!」
話が通じそうな男性に鞠ナは思わず口答えをしてしまう。
一瞬、瞼が動いたものの、御門はあくまでゆっくりと声を低くして鞠ナに語りはじめる。
「大事な初対面の場に変なのが同席したことは謝ろう。だが彼は強くてね、信頼しているんだ。君のような子が出たときに庇ってもらうためにね。」
「私のような子……?」
「ああ。……中峰君に心当たりはないかな? 一定の日から記憶がないとか、突然身体に異変が起きたとか。」
鞠ナの中で異変といえば、思い当たる節は一つしかない。今朝の公園で喉が焼けるように痛かったことだ。
喉が。
焼けるように痛くて――――
「しゃべ、ってる……。」
あんなに痛くて声も出せなかったのだから、何かしらあってもおかしくないのに、今の彼女は普通に声を出し普通に会話をしていた。
鞠ナは、今朝の出来事そのものが気のせいかとも考えたが、この訳の分からない状況がなによりの証拠だ。彼女の体に何かしらの異変が起きているのだ。
「中峰君は、突然公園で倒れたそうだね。」
「ええ。でもその時の記憶はほとんど覚えてないです。」
「まあその時のことは後でそこの槐に聞けば分かるさ。それより一つ大きな問題があってね。」
すると、御門――もとい学長は、鞠ナの背後に回って、彼女を縛っているロープを切った。少ししびれていたもののじっとしていればすぐ感覚が戻ってくるだろうと手を握る鞠ナに、学長は少し心配そうに声をかける。
「ふむ、手は動かせるかい。」
「……動きます。少ししびれてはいますけど大丈夫です。」
「そうか。じゃあ君が違和感を覚えた箇所を触ってごらん。」
少しだけ考えてから、彼が嘘を言っているようにも思えず渋々言う通りにする鞠ナ。
恐る恐る喉元を触ると明らかな異変ができていた。
「何、これ!?」
それは、人体にあるはずのない硬い何か。
半分しびれた手では上手く感触が伝わらないものの、板のような4cmm角の金属片があるのは分かる。
「爆弾取り付けられているとかじゃ……。」
「君はなかなか物騒な考えをするね。それは『錠』だ。中峰君が授かった異能というべきかな。その力を使うためのトリガーだよ。」
「異能、ですか? 本当に爆弾とかじゃなくて……。」
「大丈夫だよ。学園の生徒にわざわざ爆弾なんか取り付けないさ。大人が本気で言ってるんだ。」
彼の言っている意味が分からず、身に覚えのない謎の能力の持ち主だと告げられた鞠ナは、眉間のしわを深めた。
その様子を見て噴き出したのは男――槐だった。
「槐。笑っちゃだめだろ。みんな最初は戸惑うものだし仕方ないよ。」
「あっ、あははっ!! いや、だってもうこんなの……あははっ!!」
鞠ナ自身はなぜ笑われているのか理由は察せなかったが、とにかく男の笑い方で馬鹿にしてきているのだけは分かったので、あえて怒りを見せる。
「何が可笑しいのよ。」
「ぶふっ……くくくっ、あはははっ!!!」
彼女が問うたびに腹を抱えて大笑いする様子に、鞠ナはさらにムカついてきていた。
拘束も解かれ、今にも飛びかかろうかとしていたところを察した学長が仲裁に入る。
「ほら、もうその辺で。槐はあとできちんと謝りなさい。もしくは一緒に叱られに来るかい。」
「あはっ……はーい…………ふふふっ!」
ふうと大きなため息をつき、呆れる学長。どうしたものかと槐に視線を送るが、もう一度ため息をついてから鞠ナに向き直る。
「すまないね、彼ちょっとおかしくて。」
「いえ、なんか。……はい。」
鞠ナは即答だった。こんな男が少しでもまともであってたまるかという思いも含めて。
彼女が食い気味に答えたことに対してもまたため息をついた学長は、情けないね、と呟いた。
「ちゃんと紹介していなかったね。彼、槐って言うんだ。見ての通り変な男だ。そして……はあ、私も頭を抱えているのだけど、彼はかなり優秀でね。何かあったら彼に聞いてほしいんだよ。」
「え゛っ。」
「……分かるよ。言いたいことはもちろん分かるんだが、他に空いてる人がいなくてね、はあ。」
学長はため息しかつかなくなっていた。そんな学長が話すに、男――槐は、彼自身も能力を持っているため、この学園で教師のような立ち場になる<管理人>に属するほどの優秀な人材らしい。
だがそれと同時に悪評も多く、恨まれている数もそこそこで成績優秀な問題児として扱っている、と愚痴混じりに紹介をする。
槐はその間もずっと腹を抱えて笑い、げらげら楽しそうに転げ回っていた。
「それで、私の管理人……が槐さんになるんでしょうか?」
「アレだね。本当、これに関しては申し訳なく思っているよ。人手が出来ればすぐにでも取り換えると約束しよう。そろそろ、私は頭痛が酷くなってきたから後はアレに任せて先に失礼する。」
そそくさと学長が、問題児を残して、頭を抱えて、出ていった。
鞠ナと莫大な不安だけが取り残された。
「あー、笑った。一生分笑ったかもしれないわ。」
涙を浮かべながら、学長と入れ替えに槐が近づいてきた。鞠ナの前に立つとまた嘗め回すような視線を送り、とんでもない要求を口にする。
「じゃっ、ここで服脱いで頂戴。」
ぱあんっ、と小気味いい音が響き、鞠ナは槐に盛大な平手打ちをかます。槐はあまり動じてはいないようで、頬をさすりながら睨むような視線を向けている。怒りや驚きはおろか、まるで飛び回る蚊を追うような目で。
流石に引いたらしく、鞠ナも大きな声を出して槐を罵った。
「さ、最低っ!!」
「あーー、女ってほんとどうしようもない程馬鹿ね。何も襲おうとか言ってんじゃないわ、人の話を最後まで聞くのが礼儀ってもんじゃなあい?」
「へ、変態!! あなたって結局ただの変態な誘拐犯だったのね!!」
そして槐は学長同様の盛大なため息を吐くと、片手で鞠ナの胸ぐらを掴み引き寄せた。その勢いで鞠ナの片足が浮きバランスを崩してこけそうになる。
それを見るや否や、ぱっと手を離して不機嫌そうに言い放つ。
「ほら、礼儀。」
「は……?」
「れ・い・ぎ。人の話は最後まで聞けって言ったでしょう。」
絶対に言っていなかったが、槐は有無を言わさず顎で指図をしてみせた。
鞠ナに何を求められているのか分からずまごまごとしていると、あああ、と声を荒げて髪を掻きむしる槐。
お互いに相性が最悪だった。
しばらくぶつくさと何か喋っていたが、とん、と鞠ナの『錠』に指を置き、槐は冷たい声で鞠ナに怒りをぶつける。
「あんたって本当にチリみたいな脳みそしてんのね。武器隠し持ってねえか聞いてんだわ。」
「え……いや、持ってませんけど……。」
「だーかーらあ。そっんなちんちくりんな小娘の言うことなんざ信じらんねえから今すぐ服脱げって言ってんの。分かる?」
「どうして突然そんなことしなきゃならないのよっ!」
この口答えがカチンと来たらしく、槐は無理やり鞠ナの服を引きちぎった。バチンとボタンが飛び、どこかに転がっていった音がする。
鞠ナの皮膚に触れた、衣服を切り裂く何かの感覚があまりに恐ろしかった。ひょろがりでも背の高い男が何の感情も持たずに淡々と作業を行ったことは、少女が恐怖するのに十分だった。
「きゃ……っ!」
「叫んでもだーれも助けねえよ。だーれもいないんだから。」
「ちょっと、やめて――。」
「はあ、まだ分かんないワケ。うだうだうだうだ本当煩いわねえ。ハエの方がまだ物分かり良いんじゃないかしら。」
鞠ナは一瞬で身ぐるみ剥がされ、槐の前で下着姿同然となってしまった。あまりの恐怖と羞恥に涙があふれそうになってしまい、奥歯を強く噛み締める。彼女が握った拳は小さく震えていた。
(私、これからいったい何されるのよ。)
そんなことお構いなしに、部屋の隅にあったバインダーを取って、脱いだ服を漁っては体を調べる槐。たまにふーん、と言うだけであとはずっと無言で手を動かし何かを記入していた。
一通り調べ終わったかと思うと、槐は学長のいた辺りの机から服を取り、鞠ナに差し出した。
「ぇ……。」
「何。」
本気で訳が分からず、鞠ナは服を受け取ることが出来なかった。じっとしていると、また呆れた声を出して、槐はばさっとタオルを投げてくる。
「着ろって言ってんの。襲うわけじゃないって言ったでしょ。」
これ以上何か言ってもこじれそうな空気を察した鞠ナは渋々服を受け取った。
槐はそう言っていたが、絶対にそんなことは言っていなかった上、『何かする』は言っていたが『何もしない』とはこれまで微塵も口にしていなかったと思い直し、鞠ナはなんとなく嫌な気持ちになっていた。
すると、誰かが扉を叩き人が部屋に入ってきた。槐は入ってきた人と軽く話し、床に散らばった鞠ナが元々着ていた衣服を適当に集めだす。彼は鞠ナの様子を横目に見て明らかにうわ、と引いた表情をしたようだが、それも一瞬であっという間に槐から服を受け取り持っていってしまった。
その間鞠ナはというと、言われた通りにできるはずもなく槐と誰かのやり取りを突っ立って見ていることしかできなかった。
やり取りを終えた槐が鞠ナの元に戻ると、彼女が手に取ったままの服を奪い、広げる。
「はい。腕のばして手出して。」
「…………はい……。」
思考がついていかず、言われた通りにするしかできなかった鞠ナはゆっくりと手を伸ばす。それからは槐が慣れた手つきで鞠ナに服を着せてしまった。
終わるとぱんぱんと手をはたき、一仕事終えたように首元に手を添え、こきこきと鳴らす。
「あんたまだそんな顔してんの。アタシが襲うようなやつに見える?」
「…………はい。」
「あんたのその誘拐犯だ爆弾だみたいなヒロイン思考は一体何様のつもりなのかしらね。ガキ特有のアレね、アレ。あんたそのままじゃいつか友だちいなくなるわよ。」
「…………別に、あなたじゃあるまいし。」
素直に答えると、丁度開いた扉の方から噴き出す声が聞こえた。
「ぶっ……。ちょ、先輩……ぶふっ!!」
デジャヴのようなやり取りに、鞠ナはようやく正気を取り戻した。服はすっかり新しいものに着替えさせられており、槐は扉の方に顔を向けしかめっ面をしていた。
そこには先程とはまた違う、槐を先輩と呼んだ黒いスーツの男が腹を抱えて立っていた。
「何よ、遅かったじゃない。面白い所はとっくに見逃したわよ。」
「あーははっ、いやいや。超・ベストタイミングで来れたっす。せんぱぁい、ロリは良くないっすよ、ロリは。」
「ロリったって十六は大人の一歩手前じゃない。子ども扱いだなんて逆に子どもに失礼でしょ。」
「あーあ、そんなこと言ってぇ。だって先輩――だっ、すみませんっした!!! なんでもないっす!!!」
さっきの学長とは全く違う雰囲気の槐がなにやら彼と話し込んでいた。槐の同僚だか何かだろうかと見ていると鞠ナの視線に気づき近づいてきた。
「初めまして鞠ナちゃん、俺は皐月っす。槐先輩の後輩やってます。」
そう言って鞠ナに手を差し出した。太陽のように明るい人なようで、笑った顔が妙に落ち着く。鞠ナは恐る恐る手を握り、握手を返した。
「な、中峰です……。皐月さん。」
「はーい! 皐月さんっすよ。」
ぶんぶんと手を振り回す皐月に鞠ナは戸惑いながらも少しだけ顔を綻ばせた。その様子を見て、皐月は手を止めると、そっと目を伏せて話しはじめる。
「先輩で分かったかも知れないっすけど、これから鞠ナちゃんにはこわーいことがいーっぱい起きるかもしれないっす。でも、さっき俺にしたみたいに警戒は怠らないで欲しいんすよ。」
「怖い、こと。その、異能ってやつでですか?」
「そうっすよ。先輩も俺もその異能を持ってるっす。だから嫌なこととかは良く知っていて、それを鞠ナちゃんには経験させたくないんすよね。それも、鞠ナちゃん以外にも沢山同じような境遇の子が居て、先輩はその子達を守るためにさっきみたいなことしたんすよ。」
皐月の言葉で鞠ナは少しだけ察した。まだ受け入れがたい部分は多く、よくは分からないこともあるが他にもいる異能を持つ子達の為であって、本当に武器が無いか確認していたんだろうというのは流石に分かる。本気で"襲う"つもりはなかったということも。
だが、これまでの生活が突然無くなり、違う生活を送れと言われてもそう簡単に頷けるわけはない。
自分の親が本当に許可を出したとは到底思えないし、本当に出したのであれば裏切られたような気持ちだった。それに学校だってあるし、友だちと遊ぶ約束もあった。次に会った時なんて言えばいいのだろうか、この状況を話したところで信じてもらえるだろうか、誰かが警察に相談してくれてないか、いつか助けはくるのだろうか。
そして一番は。
(お母さんに……会いたい…………。)
鞠ナがきゅっと口を結んだところで皐月は手を離して手招きをする。手を寄せてくるので、そのまま耳を貸すとこっそりと教えてくれた。
「でもさっきのはやりすぎの部類っすから、次何かされそうになったらちゃんと俺に言うんすよ。その時は助けてあげられるっす。」
鞠ナは徐々に感情を取り戻してきて槐への怒りを覚えたものの、苦笑いする皐月に免じてため息一つでやり過ごすことにした。
だがここでいらないことを言うのが槐という男だった。
「あんた達ってため息ばっかりねえ。幸せ逃げちゃうわよぉ。」
「あなたにだけは言われたくないわ。」
「先輩にだけは言われたくないっすね。」
間髪入れずに突っ込むのであった。




