9 リオン
人間嫌いの相方は普段であれば町には寄りつきもしない。
その相方、ナイが珍しく町へと寄ったのだ。
リオンは彼女の後ろについて賑わう通りを突き進む。
相方といってもリオンが勝手にナイをそう定義付けしただけ。
追い払われない事を良い事に、彼女について行動しているだけで、リオンがナイからどう思われているのかは正直不明だ。
だがそんなことはわりとどうでもいいとリオンは考える。
鬱陶しがられてはいるのはわかるが、拒絶されているわけではなさそうなので自由にしているというのが本当のところだ。
話しかけても無視。
質問しても何も返ってこない。
ただウザそうに顔を歪めながら首を掻く。
その際に外れない首輪がガチャガチャと不快な音をたてるのも耳慣れてきた。
二人のやりとりはほぼリオンの独り言と化しているが、当の本人達が気にしていないので問題はない。
召喚師の杖を引きずりながら歩くローブを纏った女は、召喚師ではなくリオンと同じ召喚獣。
それだけは確信している。
彼女の首にある首輪がその証拠だ。
あれは召喚獣にしかつけられない。
なぜ召喚師の格好をしているのか聞いたこともあったが、返ってくるのはガチャガチャと鳴る不快な音と血の匂いだけ。
いつか首の血管を傷つけてそのまま死ぬんじゃ無いかと思わなくもないが、言っても辞めないので嗜めるだけしかリオンにはできない。
自分の事を話さないナイだが、わかってきたこともある。
まず、人間が嫌いだということ。
特に召喚師に対しては強い恨みでもあるのか、リオンを探していた召喚師と出くわしてしまった時に必要以上にいたぶって殺していた。
正直、これについてはリオンにも気持ちはわかるので思うところはない。
もちろんナイも無傷ではなかったが、気にした素振りも見せなかった。
しかも傷の手当もろくにせず放置しようとしたので、見ていられなくなったリオンが治療を――なかば無理矢理にだが――買って出てしまったほどだ。
次に召喚獣に対しては多少の気遣いを見せるということ。
召喚獣にきつい対応をしている召喚師に対しては容赦もなく命を奪うナイであったが、使役されている召喚獣に対しては別であった。
当然ながらこちらに対して危害を加える意志を見せるような召喚獣や、彷徨獣などには容赦はない。
しかしそうでない場合。
無理矢理いう事を聞かせられて仕方なく襲ってくる場合などは命を奪うまではしなかった。
次に自分に対して無頓着であること。
先程も述べたが、怪我をしても放置するのは当たり前。
食事もまともに摂らない。
ひどい時は水だけで過ごしていた。
風呂には入らず――野外なので当然だが風呂があるわけないのだが――水浴びすらまともにしようとはしなかった。
あまりにも汚れが酷くなってきた時は、リオンが近場の川へとナイを連行し強制的に洗ってやった。
もちろん強制治療、強制水浴びを初めて敢行した時には激しい抵抗にあったが、なんとか勝利を収める事ができた。
二、三、四度目と数をこなすうち抵抗が少なくなり、五度目にしてようやくほぼ無抵抗で――睨まれるし、舌打ちもされるが――リオンがする行為を受け入れてくれたようだ。
ただ首の傷だけはどうしても触らせてもらえなかったが。
食事に関してはどうにもできなかったので、自然に食べるまでは放置している。
リオンも最悪魔力さえあれば生きてはいけるので食べないこともあるが、それは自分が悪魔だから平気なだけで人間は違うはずだ。
狭間の世界の人間はこちらの人間と同じように、食事をとらなければいけない存在だったはず。
しかし、どうやらナイはそうでもないらしい。
混ざりモノ故、普通の人間とは根本的に違うのだろう。
そう自分を納得させても、どうしても気にはなってしまうのだが。
ふと、なぜ高位悪魔である自分が狭間の世界からの召喚獣なんぞの世話をしているのか?
そんな疑問に頭を悩ませた日もある。
放っておくとどこまでいくのか少し興味はあるが、放置して死んでしまっては元も子もない。
ナイのそばは初めて会った時に感じた通り、とても居心地が良かった。
負の感情が色濃く漂うナイ。
元の世界に帰れないうえに、こちらの世界はリオンにとってあまり居心地が良くない。
だから、せっかく見つけた好条件な物件を逃したくないだけだ。
そう、それだけだ。
ナイに死んでもらっては困るのだ。
断じて、あまりにもあまりな生活をしているナイを見かねたわけではない。
断じて、情が湧いたわけでもない。
本当だ。
一緒にいるのに自分が不快な思いをしたくないから、仕方なく世話をしているだけだと。
そうやって自分に言い訳じみた理由をつけて納得させた。
――そのはずだった。
以前あまりにもリオンが口うるさかったのか、ナイが自分を母親呼ばわりしたことがあった。
正直あの時は驚いた。
無論、高位悪魔のリオンに対して「お前はうちの母親か?」などと言い放ったことにも驚いたのだが、それだけではない。
あのナイが、笑ったのだ。
口元だけの笑みなどではなく、皮肉気な笑みなどでもなく、声をあげて、笑ったのだ――
(笑えるのか……?)
ナイが笑っていることに心底驚いた。
なんとなく、明確に自分の気持ちが変わったのは、変わってしまったのは、その時なんじゃないかと、今になってリオンは思う。
認めよう。
情がわいてしまったのだと。
前を歩く曲がった背中を眺める。
普段は人がいるような場所を避けて行動するナイが、自らの意志で町へと寄るのは本当に珍しい。
なんの用事かは不明だが、リオンはただナイについていくだけだ。
そんなことをぼんやりと考えていたら、すぐそこの路地から小さな足音が近づいてくるのに気が付いた。
ナイは気付いていないようなので知らせた方がいいだろうと声をかける。
「おいナイ」
「……」
「危な――」
「きゃぁ!」
背を曲げてのっそりと歩いていたナイの体に、路地から出てきた小さな影がぶつかった。
ナイの体が衝撃で少しだけ揺れるが、倒れるようなことはない。
反対に、ナイにぶつかってきた小さな影は押し返され盛大に尻餅をついた。
「遅かったな」
「……」
ナイは小さく首を動かし倒れた相手を見ている。
手を貸して起こしてやろうという気は一切ないようで、無言で相手を見つめていた。
「うぅ、ごめんなさ――ひっ!」
すぐさま自力で起き上がった少女が謝罪を口にする。
しかしナイと目があった瞬間に顔色を変え、引き攣った悲鳴を漏らした。
「あ、うぁ……ご、ごめ、ごめんなさあああぁぁぁぁぃぃぃ!」
「ククッ。怖がられてやんの」
「…………チッ」
じりじりと後退りし、大声で謝罪を口にしながら走り去る少女の背中を見送りながら、リオンはケラケラと笑う。
そんなリオンに一瞥をくれたナイは、深く被っている自身のフードをさらに深く被り直す。
いつもの金属音が小さくリオンの耳に届いたので、すぐにたしなめると素直に音も止んだ。
一度大きく息を吐いたナイは気を取り直したのか、そのまま目当ての店へと足を進めた。
近付くにつれパンの焼けるいい匂いがリオンの鼻をくすぐる。
まさかと思ったが、そのまさかで、ナイはそのパン屋の入り口をためらいもなくくぐった。
「いらっしゃいませー!」
「…………」
店に入るとナイは無言でトレイとトングを手に持ち、日持ちのするであろうパンを三個トレイに乗せるとさっさと会計を済ませるために店主の元へと進む。
まさかの食料調達だった。
あのナイがまともな食べ物を自らの意志でとろうとすることに、リオンは少しばかり感動する。
「あ、おいナイ。これ美味そうだぞ、こっちも」
会計へと進むナイを引き止め、リオンはナイが持つトレイの上に無断でどんどんパンを追加していく。
こんな機会は滅多にないだろうから、ここぞとばかりに美味そうなものを乗せていく。
ナイが食べなくても自分が食べれば問題はないし、ナイの好むものがわかるかもしれない。
好きなものなら多少は食べることが増えるかもしれない。
我ながらナイスアイデアだと褒めてやりたいくらいだ。
「…………欲しいなら自分で」
「いいだろ別に。お、これもうまそうだな」
「………………はぁー」
ナイから漏れる小さな抗議の声を流し、さらにパンを積むと大きなため息が横から聞こえてきた。
これも無視だ。
どんどん積んでいく。
「こんなもんか?」
リオンがパンを積むのをやめた頃にはトレイの上にはパンの山ができていた。
満足したリオンはナイからトレイを奪い、会計をすます。
金なら召喚師たちから奪ったものがあるし問題はない。
後ろからまたしても抗議の声が聞こえるが、聞こえないふりをしてさっさと店を出た。
遅れて店から出てきたナイが何かを言っているが、リオンは気にせず町並みを眺めながら歩く。
やがて諦めたのか後ろから舌打ちが聞こえてきたところで、ナイの気配が遠ざかっていった。
どこに行くのかと確かめるように視線を向けると、ナイは肉屋で何かを買っているようだった。
店主のひきつった笑顔から察するに、ナイの強烈な眼つきの悪さに怯えてるのだろうか。
言葉少なに買い物を終えたナイがこちらに戻ってくる。
目の前まで来た彼女はリオンに持っているものを無言で突き出した。
「…………」
「……んだこれ?」
答えを求めても返ってこないのはわかっているので、そうそうに受け取り中を見る。
紙袋の中にはいくつかの干し肉。
視線をナイへと戻すと突き出した手はそのまま、手のひらを上にして何かを待っているようだった。
「くれんの? んで、この手はなんだ?」
「……パン」
「パンがどうした?」
「それやるから、うちが買おうとしたパン返せ。交換や」
「一緒に食えばいいだろ、細かいな」
「黙れ。はよよこせや」
しばらくお互いにらみ合いのような状態が続く。
結局はリオンが折れしぶしぶ紙袋の中からパンを三つ取り出し、ガサガサの手のひらに乗せた。
どうやら当初の目的は達成できそうにない。
残念だ。
パンを受け取ったナイは、そのまま腰に付けた荷袋へパンを突っ込むとリオンから視線を外し先を歩き始める。
せめて何かに包むとか、食料袋と荷袋は分けるとかすればいいとは思うが、思うだけで口にはしない。
自分も似たようなものだから。
町へは買い物の為に寄っただけのようで、ナイはそのまま町の出口へと足を向けた。
リオンも特に町に用事があるわけでもなかったので、大人しくついていく。
いや、少し買いたいものがないわけではないが、そんなことをすれば当然のように置いて行かれるのは目に見えている。
見えてはいるが、いつか、もう少しナイと仲良くなった時にでも実行してみるか。
せめて返事くらいは貰えるレベルが目標だ。
それならば一度姿を消し、ナイの元に戻ったとしても、不信には思われないだろう。
抱えたパンの袋から適当に一つを取り出しナイへと差し出す。
しかし当然のように受け取ってはくれないので、そのまま自分の口へと運ぶ。
デザート系のパンだったようで甘い。
中にクリームが入っていてリオンの口の端を汚した。
甘ったるい匂いと味にリオンは眉をしかめる。
行儀悪くも歩きながらパンを頬張るリオンの先を歩いていたナイの足が突然止まった。
当然後ろを歩いているリオンの足も止まる。
どこかを見ているナイの視線を辿ると、沢山ある露店の一つを見ているようだが、どれかはわからない。
ナイの足が露店の方へと向かうのを見送ったリオンも少し遅れて後を追う。
ナイの目当ては仮面屋だった。
店の前へと移動したナイは、しばし逡巡したのち一つの仮面を手に取った。
顔の上半分を覆えるほどのシンプルなデザインの黒い仮面だ。
手に持った仮面の値段を店主へと聞き、無言で代金を突きだす。
引きつった顔の店主が代金を受け取り、ナイへとおつりを手渡した。
買い物を終えたナイは予想通りさっさと歩きだしたので、リオンもその背を追う。
もしかしなくても、先ほどの子供の事を気にしているのだろうか?
いや、ナイに限ってそれはないか?
ただ単に他人の反応がうっとうしかっただけのような気もする。
仮面をローブの内ポケットに突っ込むと速足で町から出ていくナイ。
そのあとを追うリオンはまたパンへと手を伸ばした。