8 化け物と悪魔
あれから何日経ったであろう。
――どうでもいい。
眠気もあまり来ないし、腹もあまり減らない。
――便利だ。
怪我をした場所が少し痛むが、今はとても気分が良いので気にはならない。
放っておけばその内治ると化け物は考える。
歩いて休んで彷徨って。
川を見つけたから化け物はそこに飛び込んだ。
感覚がマヒしてしまい冷たさもあまり感じない。
全身の血をザバザバと洗い流す。
ある程度落ちるところまで落としたら川から上がり服を絞りまた着る。
少しばかり川上へ移動して適当に水分補給。
これでまたしばらく何も食べずとも平気だろう。
そうしてまたあてもなく歩く。
ふらふらのそのそと。
この一年ですっかり背中は曲がり、姿勢も悪くなった。
眼つきも悪くなったし、態度も悪くなった。
それもまた……どうでもいいことになってしまった。
ガリ、ガリ。
右手に持った杖を引き摺り歩く。
そのうち化け物の視界に、杖を持った複数の人間と守護獣だろう召喚獣の姿が見えた。
人間たちは何かを探しているのか、キョロキョロと忙しなく周囲を見回し何かを話している。
そしてばらけて散っていく。
好都合にも守護獣を付けずに一人になった人間がいる。
それの後を付けた。
ばれないように……。
汚れた服を脱ぎ、手に入れた服を着る。
そしてその上から大きなローブを頭から被る。
サイズが合っていないが、そんな細かい事は化け物は気にしない。
杖にローブ。
見た目だけは憎い憎い召喚師の出来上がり。
多少は役に立つだろう。
他にも金や大量の薬なども手に入った。
少しだけ自分に使い、まだ治り切らない傷を治す。
体の調子を確認する。
問題なし。
自由も手に入った。
服も手に入った。
金も手に入った。
薬も手に入った。
怪我もほぼ治った。
化け物は心の中でほくそ笑む。
ようやく新しい生活のスタートだ。
とはいえ、今すぐどうこうするつもりもない化け物は当てもなく歩く。
ずっと息苦しい生活だったのだ。しばらくは自由気ままにふらふらしよう。
そう決めて人気の無い森を歩く。
そうして森の中を歩いていた化け物は死にかけの悪魔を見つけた。
褐色の肌に、左右のこめかみからは黒い角。
長い赤髪が地面に散らばり、髪の隙間から覗く紫の瞳で化け物を睨む。
背中からは黒い羽に、腰からは尻尾が生えている。
頭の先から爪先まで怪我だらけで血塗れの悪魔が、大きな木の根元で転がっていた。
まだ息はあるようで、こちらを威嚇するように小さく動く。
だが、息も絶え絶え、虫の息である。
放っておけば死ぬだろう。
化け物はしばし悩み、先程手に入れた傷薬の蓋を開けた。
そして倒れている悪魔へ無遠慮にドボドボと傷薬をかける。
こんな使い方でも効果があるとは、異世界というものは素晴らしいと化け物は少しばかり感心する。
本当はいざという時にでも自分に使おうと思っていたのだが、細かいことは気にしない。
考えるのは面倒だから。
手に入れたすべての薬を使い切った頃、ようやく悪魔の怪我も動ける程度には回復した。
こちらを訝しげに眺める悪魔をよそに、もう興味はないとばかりに化け物は止めていた足を進める。
しばらく進んだところで背後から足音が付いてきているのに気付く。
振り返ると先程の悪魔が――ずぶ濡れの格好で――付いてきていた。
「…………なんか用か?」
「いや。別に」
因縁でも付けられるのかと思ったが、そうでは無いようなので化け物は気にせず進む。
ずりずりずり。
すたすたすた。
ずりずり。
すたすた。
……ガリ。
……。
化け物は背後の悪魔を肩越しに見る。
悪魔はヘラヘラした笑顔を貼り付け、首を傾げる。
「どうした?」
「………………ついてくんなや」
「別についていってるわけじゃねぇよ。たまたまオレもこっちに用があるだけ」
「…………チッ」
ならばと別方向に化け物は歩き出す。
後ろの気配は変わらず背後に付いてくる。
「…………おい」
「なんだ?」
「ついてくんな言うてんねん」
「さっき思い出したけどこっちにも用があるんだよ。いやぁ奇遇だな」
あぁもうめんどうくさい。どうでもいいか。
ガリガリガチャガリ。
化け物は背後の悪魔を気にせず歩き出す。
赤毛の悪魔は化け物の背後をゆっくりと追いかけてきた。
自由になった悪魔は可笑しな人間と会った。
見た目だけは召喚師の格好をしている白髪の女。
でもこの世界の人間には見えない。
よく見れば首に隷属の印が付いていた。
だが召喚獣にも思えない。
でも召喚獣の匂い、それも様々な種族の匂いがわずかにする可笑しな女に。
悪魔はある日突然召喚され、人間達にいいように利用される日々を送っていた。
何人もの召喚師による合同召喚により悪魔は召喚され、すぐに隷属の首輪をはめられてしまった。
あの時ばかりはマヌケな自分を呪ったが、起きてしまったことは仕方がない。
しかし人間に利用されているその現状は気に入らない。
施設内の構造や、ここへ顔を出す人間の行動パターンを把握する日々。
そしてある日、赤髪の悪魔は脱走を決行する。
普段から反抗的な態度であったため監視が付いていたが、そんなことは悪魔には関係ない。
その日の監視は中年の男と若い男の召喚師二人組だった。
檻へ入れられる直前、こちらに背を向けたタイミングで中年の心臓を一突きし、驚いたままで隙だらけの若い男の喉を掴んだ。
そのまま少し脅しただけで、男はあっさりと首輪を外してくれた。
あまりの根性の無さに嘲笑がこみ上げる。
もちろん男は悪魔へ隷属の首輪の力を発動させていた。
だが、不運にもそんなことで止まるほど悪魔が弱くなかったというだけ。
結果、首輪を外させることに成功し、悪魔は自由を得る。
目の前の根性無しを殺し、派手に暴れた。
いままでの鬱憤を晴らすがごとく研究所や人間を破壊しつくした。
脱出時には抜かりなく自身の召喚石と召喚師所有を示す腕輪を持ち出すことにも成功している。
人間達もただ指をくわえて見ていたわけではない。
悪魔を逃がすまいと召喚術で攻撃を繰り返したり、銃火器を浴びせたり。
悪魔はかなりの強さを持った高位の悪魔であったが、それでも多勢に無勢。
結果、人間達は悪魔に重傷を負わせることに成功はしたが、建物の外に出た悪魔がすぐさま自身の羽で飛び立ちまんまと逃走を許した。
人間側も相当の被害が出たが、悪魔を逃がしたままでは終われない。
騒ぎを聞きつけた他所の召喚師に盗られる可能性もある。
あれだけの悪魔はそうそう召喚できない存在だった。
動ける人間を総動員し悪魔の捜索にあたるが、人間達は悪魔を見つけることはできなかった。
重傷を負った悪魔は人気のない森の奥に身を潜めるために降り立つ。
しかしそこで魔力が切れ無様にも地面へと転がった。
消耗が激しく動くことができない悪魔は、わずかにも残っていない魔力の回復を試みる。
少しでも回復したら傷の治療に回した。
そうしてただただ時間が過ぎる。
なかなか思ったように進まない魔力回復と傷の治療。
苛立ちを紛らわすように、悪魔は髪の隙間から空を見上げる。
そこで可笑しな人間が視界に入ってきたのだ。
異様な気配を漂わせた、召喚師の格好をした女。
初めは敵だと思ったが、そいつは何を思ったのかリオンの怪我を治療し始めた。
一つ、二つ、三つ、四つ。
中身が無くなるたびにゴトリ、ゴトリと地面に捨てられる瓶が増えていく。
そうして濡れ鼠となったが、回復した悪魔は動けるようになった体を起こし女を見る。
不思議な女だ。
人間のようで人間ではない。
召喚獣のようで純粋な召喚獣には見えない。
悪魔は記憶を辿る。
遠い昔、まだ悪魔が子供だった頃、大人の誰かに聞いた話。
この世界の事、召喚師に召喚術。
人間との古の契約。破棄。一方的な契約、従属。
自分たちの住む世界と対となる理不尽な世界の話。
そしてその他にもう一つ、世界があると。
それは狭間の世界と呼ばれる三つ目の世界。
そこは普段は閉ざされ、意図して扉を繋ぐことが叶わない世界。
そこに住むのは人間や動物だけだということ。
その世界の住人は魔力を持たず、なんの特別な力も持たない。ただの平凡な生き物だと。
そしてその世界の住人たちはこちらの世界を認識していないと。
彼らは無力故に力を欲する召喚師からは〈ハズレ〉と呼ばれ、嫌われる。
だがそうではないほとんどの召喚師からは憐れみ保護される。
通常の召喚術ならば送還術で送り返すことも可能。
しかし狭間の世界の扉は意図して開くことは叶わない。
故に帰すこともできない。
目の前の女を見る。
人間のようで人間ではない女。
同郷のようで同郷ではない女。
ならば答えは一つ。
目の前の女は狭間の世界の住人だ。
魔力が無い世界の住人なのに、魔力を感じさせる可笑しな女。
女の首にはまっているものと、女の様相を鑑みれば、こいつが受けた召喚師からの扱いも想像に難くない。
自分と同じように、人間達に良いように利用されたのだろう。
召喚師にもさまざまなやつらがいる。
自分たちはたまたまクソみたいな召喚師に召喚されてしまっただけ。
そこはもういい。仕返しはした。
そして目の前の女も、一人でここにいる事を考えると、おそらくはそう。
悪魔は笑う。
悪魔というのは、人の負の感情が大好物だ。
去っていく女からはその感情が溢れてどす黒くにじんでいる。
(うまそうだな)
悪魔はまだだるい体を起こし女の後を追った。
「…………なんか用か?」
「いや。別に」
嘘はついていない。用事はない。
ただこの女が放つ負の感情が悪魔にとって心地よく離れがたかったというだけ。
ただの好奇心でもある。
ずりずりずり。
すたすたすた。
ずりずり。
すたすた。
……。
……。
女が肩越しにこちらを睨む。
悪魔は女に敵意は持っていないことの証明にと笑顔を貼り付け、口を開いた。
「どうした?」
「………………ついてくんなや」
「別についていってるわけじゃねぇよ。たまたまオレもこっちに用があるだけ」
「…………チッ」
女が突然の方向転換。
悪魔もその後ろに続く。
「…………おい」
「なんだ?」
「ついてくんな言うてんねん」
「さっき思い出したけど、こっちにも用があるんだよ。いやぁ奇遇だな」
女は一度顔を歪ませた後、前を向き歩き出した。
もうこちらは気にしていないのか、ついていっても話しかけられることはなかった。
カチャカチャとかすかに聞こえる金属音が森の中に響く。
お互い一言も喋らず歩き続けていたが、悪魔は飽きたのか女に話しかける。
「なぁなぁ。オマエの名前、なんてーの?」
「…………」
「ねぇの? ちなみにオレはリオン。よろしくな」
「…………」
「でもアレだよな。呼び名がないと不便だよな?」
「…………」
「よし、じゃあオレが決めてやるよ。うーん、そうだなぁ……〈名前が無い〉、〈愛想が無い〉、〈何も無い〉、無い無い尽くしだから『ナイ』。今日からオマエの名前は『ナイ』な」
「…………」
「んじゃ、改めてよろしくな『ナイ』」
自分のものではない血の匂いと、先程よりはっきりと聞こえる金属音と舌打ちに悪魔――リオンは口元を緩ませた。