6 落ちる落ちて何処までも
人間というものは生きていれば腹が減る生き物だ。
その例に漏れず、山田夕月も腹をすかせていた。
騒ぎから一夜明けても山田はそこから動かなかった。
時折、人の気配が近づいた時だけ身を隠すように移動する。
そうして怯えながら一日を過ごした。
また一日。
もう一日。
隠れてやり過ごす日々。
その間は鞄に入っていたわずかな食料で食い繋いだ。
あれだけのことがあったのに、鞄を手放さなかった自分を褒めてやりたい。
だが、それももう終わる。
大事に大事に食べてきたが、さすがに三日。
あとは常備している飴玉くらいしか残っていない。
何もないよりかはマシだが空腹が満たされるわけではない。
「……はぁ」
山田の腹から間抜けな音が鳴る。
初日ほどの騒ぎは無くなったようだが、それでもまだ怖い。
しかし、いつまでもここでウジウジしていても仕方がないのも事実。
生きるためには食わねばならない。
だが、食うものがない。
ならばどうするべきか。
通常なら買い物をして食料調達をするが、あんな騒ぎがあったのだ。できるわけがない。
そもそも日本の金が使えるとも思えないので無意味だ。
ならばどうする。
――盗めばいいんじゃないか?
山田の思考に暗い影が落ちる。
ここの町の人間は何もしていない山田に危害を加えてきたのだ。
ならば自分が仕返しとして、やつらの食べ物を盗んでも良いんじゃないか、と。
そこまで考えて頭を振る。
(アカン、アカン)
盗みは犯罪だ。
ここは日本、ましてや地球上のどこでもないことはもうわかっているが、それでも山田の常識的思考が犯罪は嫌だと、ダメだと咎める。
ならば大人しく餓死するのか?
それも嫌だ。
ならば盗むか、奪うか?
それも嫌だ。
思考の堂々巡りを繰り返しながら無意味な時間が過ぎていく。
「みーつけた」
「――ッ!」
やってしまった。
膝に埋めていた頭を急いで持ち上げ、腰を上げる。
早く逃げなければ。
相手の姿も確認せずに走り出そうとする山田に、声をかけてきた相手が慌てて待ったをかけてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕はキミの敵じゃあ、ありません! 僕はキミを迎えにきたんです!」
そう言って、自身の持っている杖を山田に見えるように掲げる。
しかしそんなことをされても何の意味があるのか山田には理解できない。
疑問符と警戒を浮かべる山田に意味が通じていないことを悟った相手は、苦笑いを浮かべながら口を開く。
「あぁー。やっぱりその辺の知識も何も知らないみたいですねえ。えっとですね、僕は召喚師で、あ、召喚師っていうのは異界の扉を通じてその世界の住人を呼び出せる人間って思ってくださって結構ですよ。それで、その召喚師というのは、みんな自分の杖というモノを持っているのです。だから杖を持っている人間は召喚師だという証明で、ですのでさっき僕はキミに杖を見せたんですねえ。で、キミはいま噂の〈さまよい〉の召喚獣くん、でしょ? ちなみに召喚獣というのは、さっき説明した異界の住人で、こちらの世界では呼び出したそれを召喚獣というのですよ。それで、主人のいない召喚獣というのを我々召喚師は〈彷徨獣〉と呼んでいるのです。というか〈彷徨獣〉が正解で、〈さまよい〉は一般の方が使ってるだけの名称なのですがね。それでえっと、それらは町の人達には危険なモノとして認識されていて――」
ぺらぺらとよく喋る相手の表情に、町の人間たちのような色は見えなかった。
呪文のような言葉を相手はいまだ喋り続けている。
彼の話は全然山田の頭に入ってこないが、この相手に危険はなさそうだと判断した山田は警戒を解いた。
改めて相手を眺める。綺麗な白いローブに金色の髪。
額縁眼鏡の奥でふにゃっと笑う顔が印象的な優男。
久しぶりに触れる他人の優しさが山田のささくれた心に沁みる。
しかし前回の事もある。
この男はあの店主や住人たちのように手のひらを返すかもしれない。
山田は希望を抱き過ぎないように気を引き締める。
「あ、大丈夫ですよお。先程も言いましたが、僕はキミの事を迎えに来たんです。キミが彷徨獣だってことも、ちゃあんと知った上で探してたんですよ。いち召喚師として、可哀想な彷徨獣を放っておけないのです」
ニコニコと笑う優男は嘘を言っているようには見えなかった。
(信じてもええんか?)
それでもまだ一抹の不安を抱く山田に、優男は根気よく説明を繰り返した。
曰く、召喚獣とは得てして人間には無い力を持っており、力を持たない人間はその力を恐れている。
この世界では過去に主人のいない召喚獣が人間を襲ったことがあり、抑止力としての召喚師が側にいない、もしくはきちんと召喚師と契約をしていない召喚獣が単体で存在していると過剰に反応してしまうらしい。
だからこの世界の人間、そして召喚獣双方の安全の為にも、召喚獣は召喚師と一緒にいた方がいいということ。
そしてヒトモドキというのは、召喚獣として召喚されたのに、外見が人間とそっくりなモノを言うらしい。
人型の召喚獣は大抵人間には無い特徴というモノを持っているので、一目でそうだと判断できる。
しかしそういう特徴を持っていない召喚獣も存在する。
それでも召喚獣らしく何かの力を持っている場合があるので、見分けられない人間たちは普通の召喚獣以上に怖がるらしい。
男の話を一通り聞いた山田は今までの理不尽な出来事がなぜ起こったのか理解はしたが、納得はできなかった。
過去にあった出来事で自衛の為ということは理解できる。
できるが、やりすぎなのではないかと。
こちらだって馬鹿ではない。言葉が通じるのだから説明してくれればまた違った未来があったのではと。
「ところで、キミを召喚した召喚師……あーっと、ここに来た時にローブを着て杖を持った人間がいたと思いますが、その人は?」
「…………殺されました」
「誰に?」
「……熊、みたいな動物に」
「ふむ。なるほどお。……ではキミの召喚石はどちらに?」
「しょうかんせき?」
「おっとすみません。えーっとお、このくらいの小さな玉のような石です。見てませんか?」
男は杖を持っていない方の手を顔の前に掲げ、親指と人差し指で輪を作ってみせる。
そういえば、と思い出す。
確かあのとき女が山田に――正確には後ろにいた生き物にだが――何かを投げつけていた。
「えっと、それなら多分、壊れました……欠片ならその召喚師? が殺された所に落ちてると思います、けど」
「なーるほど。なるほどお。それはそれは」
ふんふんと頷きふにゃりと笑う目の前の男。
「うんうん。よし、わかりました! では、そろそろ行きましょうか」
「行くって、どこに……?」
「僕の所属する召喚師の本部、ですよ」
男に連れてこられた召喚師本部内。
全体的に白で統一された館内はどこか病院のような雰囲気を醸し出している。
すれ違う人間は全員――色や装飾は違うが――ローブを着て杖を持っていた。
そしてその全員が山田に好奇の視線を投げかける。
ジロジロと見られて多少不愉快ではあるが、自分の今の姿では仕方がない部分もある。
なのでなるべく視線を合わせないよう俯いて男の後を追った。
入り口からかなりの距離を歩いた先、ようやく目的地であろう部屋についた。
男の自室なのかそのままズカズカと中に入っていった男が、ついて来ていない山田に気付き中から声を投げてきた。
一応の礼儀として、お邪魔しますと小さく呟きながら男に続き部屋に入る。
男は大きな机のそばに立ち、何かを手に持つと山田へと近づいてきた。
「じゃあ、さっそくですけど、これを付けてもらえますかあ?」
手渡されたそれは、なんらかの金属で作られた輪っかの装飾品。
大きさ的に首輪だろう。
ぱっと見ではただのファッションで付けるアクセサリーのようにも見える。
それにしては少々重い気もするが、金属製ならばこんなものなのだろうか。
しかしなぜこのような物を付けなければいけないのか?
疑問が顔に出ていたのだろう。ニコニコ笑顔の男が口を開いた。
「それはですねえ、召喚師が単独行動しなければならない召喚獣に渡す目印のような物です。それを付けていれば、先日のように町の人達に襲われるような事は無くなりますよお」
「……これで?」
首輪を目の前で掲げ見る。
ただのシンプルなデザインの首輪にしか見えない。
本当にこんな物が目印になるのかと山田は首を傾げる。
この世界の人間はチョーカーなどのファッションはしないのだろうか。
それとも召喚獣用と人間用で素材が違うのか。
男を見てもニコニコと笑うだけで何も答えない。
自主的にファッションとして付けるのならばともかく、この状況で付けるのならば自分が犬猫のように飼われているかのような錯覚を起こす。
もしくは囚人か。
召喚獣と獣呼ばわりされているので、この世界の人間からすれば召喚師のペットみたいなものという認識なのだろうか?
どちらにせよ、あまり気分の良い物ではない。
しかしこれで襲われなくなるなら付けるしか山田に選択肢はない。
渋々ながら渡された首輪を己の首にはめる。
静かな部屋にカチャリと首輪のロック音が響いた。
「あの、これで良いんですか?」
「ええ、良いですよお。バッチリです」
お似合いですよと嬉しくない褒め言葉のよう物を受け取りながら、山田は首輪を触る。
冷たい金属の感触が手に伝わり、自然と口がへの字に曲がる。
好きで来たわけでもない場所で、こんな物をつけさせられるはめになるなんて思ってもいなかった。
「いやあ。それにしても、こんなにもあっさり騙されるなんて。やはり無知な畜生は扱いやすくて助かりますねえ」
「は? いま、なん――づぅッ!!」
突然だった。
なんの前触れもなく、山田の全身に激痛が走る。
さらに激痛だけではない。首が圧迫されたように呼吸もままならない。
(いたいいたいいたいいたいくるしい!)
立っていられなくなった山田は、そのまま崩れ落ちるようにして床へと転がる。
涙で滲む視界には、相変わらずニコニコと笑う男が観察するようにジロジロと山田を見下ろしていた。
「うんうん。こっちもバッチリ機能してますね。いやあ、今日は本当に良い日だ、素晴らしい! まさか狭間の世界の生きた召喚獣が手に入るなんて! しかもイキが良い! 僕はなんて運が良いんでしょう! 歌って踊りだしたい気分ですよ。うふふあはははは」
痛みに悶えヒューヒューと浅い呼吸を繰り返す山田の顔を、じっとりと覗き込んだ男は言う。
「あ、殺しはしませんので安心してください。そんな勿体ない事はしません。ただちょーっと僕の実験に付き合ってもらいたいんです。だから――勝手に死なないでくださいね」
山田は痛みと苦しみで霞む視界の中、にっこりと笑う男の笑顔がやけに鮮明に見えた気がした。