4 ハリス
盗賊との嬉しくない逢瀬があった夜。
適当な場所で野宿をすることにしたナイ。
めんどうな戦闘もあったが、得たものも多かったので良しとしよう。
手に入れた金をきちんと三等分に山分けしたナイは、己の取り分を腰に付けた袋へ無造作に突っ込む。
そして当たり前のように二人から離れた場所に陣取り、木にもたれかかるようにして目を閉じた。
ぱちぱちと燃える焚火に燃料を足すリオンの隣で、膝を抱えるようにして火にあたるハリス。
炎に照らされ赤く染まった視線の先には、この世のすべてを拒絶するかのようなオーラを纏った女。
きちんと寝ていないのか、左右で色の違う目の下にはひどい隈。
そのせいか眼付きの悪さも一段階上がっている気がする。
顔色も最悪。ローブで隠れているが時折見える手首も細い。
なぜあれで大の大人を吹き飛ばすほどの力が出せるのかハリスにはわからない。
食事をまともにとらないから細いのだとは思うが、こちらが勧めても食べようとしないのだから仕方がない。
無理に食べさせられるほど仲が良くなったわけでもないし、もし仮にそんなことをしたら、きっとナイはハリスの前から消えてしまうのだろう。
そしてその時はリオンも一緒に居なくなってしまうのだろうとハリスは確信している。
だからあまりナイに対しては言えない。
代わりにリオンに言ってほしいが、期待は薄い。
言葉使いも最悪。普段は黙ってるけど、口を開けば悪態ばかりだ。
態度も悪い――と言いたいところだが、正直悪いのか悪くないのかハリスには判断できなかった。
(ぼくやリオンに対しては優しい、とは思うんだけど……)
ハリスの主人だった召喚師。そして今日会った人間、盗賊や竜車の客達。
彼らに対しては、たとえ子供であろうと一切の容赦や同情を見せなかったナイ。
その違いは何か?
なんとなくわかる。
自分達は召喚獣で、彼らはこの世界に住む人間ということ。
そしてナイも、おそらくはこちら側の存在、召喚獣なのだろう。
なぜ召喚師のような格好をしているのかはハリスにはわからない。
ハリス達のように召喚されたものたちの中には、人間達とぱっと見の姿が変わらないものもいる。
だがそうだとしても――なんとなくではあるが――召喚獣同士であれば、同族か否かが直感でわかる。
しかしナイからは自分たちと同じような気配はしない。
だからといってこの世界の人間達と同じようにも思えない。
よくわからない気配を放つ人間のようなナニカ。
ハリスはナイの首に見え隠れする首輪を思い出す。
ナイがストレスを感じたであろう時に触っている首輪。
無意識の行動だろうが、よく外そうとしてガリガリと引っ搔いているため、ナイの首には治りきらない傷跡がたくさんある。
リオンが治療しようとした事もあるらしいが、抵抗されて結局治療できないままらしい。
あの首輪がなんなのかハリスは知らない。
だが良くないものであることは、なんとなく理解できる。
隣に座るこの悪魔は、あれが何かを知っているのだろうか。
「ねぇリオン」
「あん?」
空を見上げていたリオンにハリスは声をかける。
「ぼくはリオンが好きだよ」
まだたった一日だけしか一緒に過ごしてはいないが、それだけでもリオンが面倒見が良くて、気が利いて、良い悪魔だということはなんとなくわかる。
悪魔なのに良い悪魔というのは少々不思議な気もするが、それがハリスが感じた率直な感想なので仕方がない。
「なんだ急に」
「ぼくのこと気にしていっぱい話しかけてくれるし、傷の手当だってしてくれた。そんな優しいリオンがぼくは好き」
「おいおい愛の告白か? 悪いがオレはガキには興味ねぇから諦めてくれや」
「あははは。ざーんねん、振られちゃった。でもいいんだ。ぼくがリオンのことが好きって事実を知っててくれればそれで」
「ククッ。まぁ、オレもハリスの事は嫌いじゃねーよ」
もちろんハリスの話に恋愛的な意味は欠片もない。
リオンもそれがわかっていて悪乗りしているだけだ。
「ぼくはナイのことも、好き、だと思う。でもよくわからないんだ。ナイはぼくを助けてくれた。ナイにそのつもりがなかったとしても、ぼくはそう思ってる」
リオンは何も言わず黙ってハリスの話を聞いている。
「なんだかんだ…………まぁだいぶ嫌そうではあったけどさ。むりやりくっついてきたぼくのことを拒絶しないでそばに置いてくれたし、気にかけてくれてる、と思う」
「…………」
「今日だって、ぼくは何にもできなかったのに取り分だって、お金分けてくれたし。あの人たちの事考えるとちょっと複雑ではあるけど」
「そこは気にしてもしかたねぇだろ。あの人間たちの運が悪かっただけだ」
「…………それに、盗賊たちがぼくたちの方に向かって来た時もぼくの事守ってくれたし」
「オレの見間違いじゃなけりゃ、突き飛ばされてたよな、オマエ」
「お尻打って痛かった……じゃなくて! たしかに突き飛ばされはしたけど、あれはぼくが戦えないし危ないから下がってろって意味だったんだと思う。実際ナイは前に出てぼくの姿を隠してくれたし」
「ずいぶんとまぁ好意的な解釈で」
「だってさ、もしぼくのことどうでもいいって、興味ないって心の底から思ってるんだったら、囮に使うとか放置してると思うんだ。ちなみに、元ご主人様だったら囮にするよ」
「あぁ。あいつな」
「でもナイはそうしなかった。守ってくれた」
「ナイは絶対否定するだろうがなぁ」
チラとナイへと視線を向ける。
相も変わらずボロ布の塊と化していた。
(ぼくはナイに貰ってばかり……)
あの時助けを求めてきた少女の顔が頭に浮かび、しらずしらずのうちに手に力が入る。
助けを求められた時、思わずナイの顔を見た。ナイを頼ろうとした。
ダメだとわかってはいても、この人なら、もしかしたら、と。
結果はダメだったが、それでナイ達を責めることもできない。
助けたいと思ったのは自分で、ナイ達ではない。
もし自分がナイ達のように戦える力があれば救えたのだろうかと、ハリスはあったかもしれない未来に思いを馳せる。
昨日までのハリスであれば、そんな事は考えもしなかっただろう。
しかしナイとリオンに出会い、救われ、考え方が変わった。
待ってるだけではダメだ。
与えられるのを当たり前に思ってはいけない。
だから、強くなりたいと思う。
ナイのように。リオンのように。
優しくて強い男になりたい。
「ナイはさ、人のこと無視するし、返事してくれないし、睨んでくるし、怖いし、何考えてるかわかんないし、乱暴だし、口も悪いし、人間に対して容赦もないけど」
「…………」
「リオンの言う通り、悪い人じゃないなって。それどころかとっても優しい人なのかなって今は思ってる。……まぁ、対象は限定的だけど」
「ククッ」
「それに、すごく怖がりな人かもって」
「…………なんでそう思うんだ?」
「うーん。なんとなく、かな。この世界が、人間が、怖い。だから威嚇するし、攻撃もする。自分を守るために。なんだかそういう風に見えた」
人間に容赦が無いのも、おそらくは召喚されたあとに召喚主、もしくはこの世界の人間に何かをされたからなのだろう。
ハリスを召喚した召喚師も、ハリスのことを躾と称して殴っていた。
その周りの人間は、殴られているハリスを見て笑っていたり、同情的な目で見るだけで何もしてくれなかった。
時折、暴力行為を制止する人間もいたが、ほとんど口だけ。
あるいは視界に入ったその瞬間だけは止めに入るが、その人物がいなくなればまた同じ事が繰り返される。
本当の意味でハリスを助けてくるような人間はいなかった。
ハリスが召喚されたのはごく最近。まだ一ヶ月も経っていない。
そんな短い期間でさえ、あの日々は辛く、心が沈み、耐え難かった。
心の中で何度も、何度も、召喚主や助けてくれない周りの人間に呪詛を吐いた。
口に出す勇気も歯向かう勇気もハリスは持ち合わせていなかったから。
向こうの世界で、ハリスはごく普通に、家族に囲まれ穏やかに暮らしていた。
周囲は優しい人達ばかりで、暴力的な人はいなかった。
だから突然あんな場所へ召喚された時はよく一人で泣いていた。
見つからないように、声が漏れないように。
聞こえたらうるさいと殴られるから。
召喚師は召喚獣が召喚に応えてくれたというが、それは違う。
実際は突然足元に召喚陣が浮かび、強制的に連れ去られるのだ。拒否権はない。
ただ、召喚師が良い人間であれば、そこからでも友好関係が築けるのだろうが、ハリスは駄目だった。
ハリスは人間が嫌いかと問われれば、否定する。
もちろんハリスを召喚した主やその周りの人間は今も嫌いだ。
しかし人間全てが嫌いかと言われれば、そうでもない。
人間にも良い人間もいれば、悪い人間もいるとわかっているから。
たまたまハリスの周りには悪い人間が多かっただけだと、そう思っている。
自分以外の存在が良いやつか悪いやつかなんて、初対面ではわからない。
付き合っていくうちにわかっていくものだろう。
だからハリスは初見で相手に対し嫌悪を抱くことは少ない。
まだ、そう思える。
だがナイは、その段階をとっくの昔に過ぎてしまったのだろう。
そう思えないほどの、ハリスが想像できる以上の、辛い事を経験したのであろう。
その証拠にナイは召喚獣には優しさを持てる。
元から酷い性格なら、人間だろうが召喚獣だろうが関係なく接するだろう。
ハリスだってあの生活がずっと続いていれば心を病み、きっとすべての人間に対して怨み辛みの負の感情を募らせていたはずだ。
この世界は召喚獣にとってあまりにも厳しい。
「だから、そんな優しいナイを今度はぼくが助けたい。リオンみたいに強くなってナイを守りたいんだ」
少し離れた場所で膝を抱え丸くなっていたナイを見る。
こちらの話し声が聞こえない範囲ではないから、寝ているのでなければ聞こえているだろう。
寝ているとは思えない。しかしなんの反応もない。
表情が見えないのでなんとも言えないが、止められないのならば、と続きを口にする。
「最初はさぁ、どこか行くあてが見つかるまで一緒に居させてもらおうって思ってついてきたんだ」
「まだ一日しか経ってねぇぞ」
「うん。まだたった一日。でもその短い時間の中で、もっとナイの事を知りたいって思っちゃったんだ。もちろん、リオンの事もね」
「いやーん。ハリスのえっちぃー」
「これからもたまたま行き先が被る気がするけど、よろしくね」
「ククッ。お前も遠慮がなくなってきたな。まぁ、好きにすればいいさ」
まだまだナイの事もリオンの事もハリスは知らない。
もしかしたらナイもリオンもハリスが思ったような人物ではないかもしれない。
それを知るためにも、これから先も一緒にいたい。
もし、知った先が、ハリスの想像と外れていようとも。
酷い環境から助けてくれたというだけで、好意を持ってしまっているのは否定しない。
たった一日しか一緒にいない相手だったが、それでも、放っておけない気がした。
ただの直感だ。
それを抜きにしても、単純なやつだと自分でも思う。
でもどうせどこにも行く当てはないんだ。
ならば彼女らについて行ってもいいではないか。
「というわけで、ナイってどんな人なの?」
「どんなって……あんな」
ボロ布の塊を指差し答えるリオン。
そういうことを聞いているのではない。
ハリスは頬を膨らませジト目で睨むが、リオンの大きな手で頬袋を潰され口から間抜けな音が漏れる。
「クククッ」
「もー! ぼくは真剣に聞いてるんだよ!」
「悪い悪い」
まったく悪いと思っていないのが態度でわかる。
「まぁ。ぶっちゃけて言うが、オレもよくは知らねーな」
「えぇー」
「ナイは…………アイツは自分の事なーんも話さねぇし」
「二人はけっこう付き合い長そうに見えたけど、そうでもないの?」
「んー。季節が一巡りしたくらいじゃね?」
「半年……」
ボソッと呟く小さな声。
聞き逃してしまってもおかしくないようなその声を、リオンとハリスの耳はキチンと拾った。
初めて会話に参加してきたナイに嬉しくもなるが、ここで過剰に反応してはまずいとハリスはグッと堪える。
「だとよ。正直、悪魔にとって、時間なんてあってないようなもんだから、んなこといちいち気にしてねぇよ」
「さすが寿命が無い種族」
「…………チッ」
ボロ布から舌打ちが飛んできた。