36 終わりの終わり
エリック邸にある客間の一室。
ようやく落ち着きを取り戻し始めた室内には、ナイ達家族の他にこの屋敷の主人の姿。
四つある椅子の内、三つをナイとハリスとミリーナが、そして残る一つにエリックが座り、円形の机を囲んでいる。
リオンは少し離れたベッドに一人腰掛け目を閉じていた。
「落ち着いたかい?」
「はい。お騒がせしました……」
騒ぎが落ち着くまで知らぬ存ぜぬを通してくれていたエリックの気遣いに、ナイは礼を述べる。
エリックに出会ってからというもの、ナイは彼に失態ばかり見られており、いささか気まずい。
だがエリック自身は何も気にしていないのか、のほほんとナイ達に微笑んでいる。
「それで、エリックさんは何の用、だったんでしょうか?」
ハリスとミリーナが戻ってきたのはわかる。
ただ何故エリックまで一緒だったのか、それがナイにはイマイチ理解できなかった。
「あぁ、そうだったそうだった」
思い出したとでもいうように、ぽんっと両の手を軽く打ち合わせたエリックは微笑みを引っ込め、ナイに向かって頭を下げた。
「え! ちょ、あの、エリックさん?!」
突然のことにナイは焦る。
ナイがエリックに頭を下げることはあっても、エリックがナイに頭を下げる理由なんてない。
ナイはエリックに何度も頭を上げるように促すが、彼が聞き入れることはなかった。
途中助けを求めるように、左右に座るハリスとミリーナを見るも、困ったように笑うだけで何も言葉を発することはなかった。
何故このような状況になっているのか、一人理解の追いついていないナイをよそに、エリックが口を開く。
「貴女を召喚した召喚師に代わり、私エリック・ストライドが謝罪申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」
エリックの突然の謝罪に、ただでさえ働いていなかったナイの脳が完全に止まる。
今、彼は、何と言ったのか。
エリックを見つめたまま、ピタリと動きも止めたナイ。
エリックは言葉を続ける。
「そして、無知な貴女を騙し、隷属の首輪を嵌め、陥れた召喚師のことも。それが貴女を召喚した人間と同一人物かは私にはわからないが、その事も重ねて詫びさせてほしい。怖い思いをさせてすまない。傷付けてすまない。それから――もっと早くに助けてあげられなくて、すまない」
ナイは何も応えることができず、ただ黙ってエリックを見つめた。
握った拳に力が入る。
何かを言わなければと思っても、言葉が喉に詰まったように、何も出てこなかった。
「同じ召喚師として、被害を被ったナイさんには謝罪のしようがない。許して欲しいとも言えない。だが、それでも謝らせてくれ。本当に申し訳ない……」
「…………私は、召喚師が嫌いです。大嫌いです。首輪が取れた今も、それは変わりません」
部屋に落ちた沈黙を破ったナイは、ただ静かに言葉を紡ぐ。
「心の底から憎いと思っていますし、信じられないし、一生許せそうにもない。召喚師だけじゃなくて、この世界も、人間も、全部全部、死ぬほど嫌いです。近くにいるのも吐き気がするほどには」
「……あぁ」
この気持ちが逆恨みの類に近いことは理解している。
山田夕月を傷付け、貶めて、殺した、ごく一部の人間のせいで、無関係の大多数の存在はナイにクズと同類と認定され恨まれる羽目になった。
何もしていないのに、だ。
一年前、いや、この世界に来たばかりの頃に比べれば、今のナイはかなり丸くなった。
それでも心の奥底にこびりついた恨みは完全には消えない。
どれだけ無関係の人間だと頭では理解しても、うっすらと『嫌い』という感情が湧き上がってしまうのだ。
「でも――それでも、あなたは、あなただけは。エリックさんだけは別です。あなたは私を助けてくれた。雁字搦めになって動けなくなっていた私を解放してくれた。関係ないのに、謝ってくれた、心を痛めてくれた。私を傷付けないように、怖がらせないように、気を遣ってくれた。人間として扱ってくれた。現金だと、調子がいいと笑われてしまうかもしれませんが、私はそんなあなたを信じたいし、嫌いになれない」
一度言葉を切り、まっすぐにエリックを見つめる。
「あなたはこの世界の人間で召喚師だけど、良い人だ。家族以外で初めて信じてもいいと思えた人だ。だから、私もちゃんと謝りたい。――たくさん迷惑をかけてすみませんでした」
エリックに対しナイも深々と頭を下げる。
「初めて会った時も。今回も。私は暴走して間違いを犯そうとした。家族が止めてくれなければ、引き返せないほどに転がり落ちていたでしょう。そして、あなたたちの優しさが無ければ間違いを許されることもなかったし、今ここにこんなに穏やかな気持ちで存在できませんでした。……失敗してばかりの私を責めず、許しを与えてくれてありがとう。チャンスをくれてありがとう。そして――あなたたちの優しさを無駄にしてしまってすみません。以後十分気を付けるので、これからもよろしくしてくれますか……?」
「――あぁ」
エリックが頭を上げる気配を感じ、ナイもつられて頭を上げる。
「もちろんだ。こちらこそ、これからもよろしく頼むよ、ナイさん」
そっと差し出されたエリックの右手を、ナイは遠慮がちに握る。
前回感じたような恐怖感はなく、不快感もない。
目の前でにっこりと笑うエリックに釣られナイもぎこちない笑みを返す。
それでもエリックは喜んでくれたのか、笑顔が深まった気がする。
「すでにエリックさんにはいろいろお世話になってますし、私達に出来ることなら協力は惜しまないつもりです。何かあれば遠慮なく使ってください」
「本当かい。それはありがたいね。ならばその時は遠慮なくお願いするよ」
「――えぇ。お待ちしてます」
今度は自然に笑えたような気がする。
どちらともなく握った手を離すと、エリックはナイ達の後ろに視線を動かして小さく笑った。
何か笑えるようなものがあったかと不思議に思いながら、エリックの視線を辿る。
「あ、リオン寝てるじゃん」
「あらほんと。もぉ真面目な話をしていたのに」
「ふふっ。きっと疲れたんだろう。私もそろそろお暇するから、君達もゆっくり休んでいってくれ」
「……ありがとうございます」
「部屋はいっぱいあるから自由に使ってくれてかまわない。では、おやすみ。良い夢を」
そういってエリックは静かに客間から出ていった。
「……あ、夢泉さんのこと聞くの忘れてた」
「彼女に何か用事?」
「うん。今日のこと謝ろうと思って」
「あの人も今日はここにお泊まりするみたいだから、急がなくても明日会えるよ」
「そうか……」
ならば朝になったら探してみよう。
そしてエリック以外の人間達にも謝罪をしなければ。
ナイが明日の予定を頭の中で組み立てていると、ハリスが寝ているリオンへと近付く。
「ねぇねぇ、エリックさんはあぁ言ってたけど、どうする?」
リオンの寝顔を覗き込みながら、ハリスは小さな声でミリーナに問う。
問われたミリーナは顎に手をやり、ベッドとリオンを見比べて何かを考えている。
「うーん、そうね。……詰めたらいけるんじゃない?」
「よし、決まり。じゃあリオンはおっきいから端っこね」
「異論ないわ」
サクサクと何かを決めた二人は、ベッドを横に横断するように寝ていたリオンの体をぐいぐいと押して移動させる。
「重いんだけど!」
「無駄に大きいから大変ね……ナイも見てないで手伝って」
「……わかった」
三人で協力してリオンの体を移動させ終わった頃には、程よい疲労感と達成感で満たされる。
ナイ達からすれば大きなベッドも、リオンからすれば普通サイズのように見えなくもない。
隅に追いやられたリオンがベッドから落ちないか少しだけ心配になるナイ。
ハリスやミリーナはとくに気にしていないのか、すでに意識は自分たちの場所を決めることの方へと移っていた。
どうやら四人全員で一緒のベッドに寝るつもりのようだが、少し無理があるのではなかろうか。
夕食前までずっと眠っていたので、ナイとしては正直そこまで眠くない。
ならば自分は辞退して、三人で少しでも広く使わせた方が良いのではなかろうか。
そう考えたナイは二人に相談してみるが、一瞬で却下されてしまった。
眠くなくても横になっていれば眠くなるから。とはミリーナの談。
「それじゃあ、リオン、ぼく、ナイ、ミリーナの順番でいいよね」
「いいわよ」
体の大きさで端に追いやられたリオンの理屈でいうと、次に体というか身長の大きなナイが端に行くのが妥当だと思ったのだが、彼らはそうは考えなかったようだ。
何故かナイを挟むのは決定事項だったようで、今までの時間はどちらがリオンの隣になるかを話し合っていただけのようだ。
押し付けあっているというわけではなさそうだったが、何故か少しだけリオンを不憫に思うナイであった。
「――うぉわっ!」
「え、何?」
「ナイどうしたの、って――あ、リオンずるい!」
リオンに憐れみの視線を向けていたナイは、突然伸びてきた手に対処できず、そのままベッドに引き摺り込まれる。
「び、っくりした。いきなり引っ張んなや」
「ぐーぐー」
「うわなんやこいつウザ――って力つよっ!」
ナイが倒れ込んだのはリオンの体の上。引き込んだ犯人に抗議するも、わざとらしい寝息を返されナイは苛つく。
すぐさま立ち上がろうとするも、ガッチリと拘束されているのかびくともしなかった。
「ハリスーミリーナー。へーるぷ」
「任せて! うぉー! リオンめ、ナイを離せぇー!」
「待っててナイ! 今助けるわ! とりゃー!」
ハリスとミリーナはベッドに横たわるリオンへと飛びかかる。
ぼふん、ぼふんと勢いよくベッドへと飛び乗り、そのまま折り重なるようにリオンとナイの上に体重をかけてきた。
それは助けるというより、子供四人がベッドの上でわちゃわちゃと遊んでいるだけのようにしか見えない。
「フハハハハ! 無駄だ無駄だ! ガキどもがいくら集まったところでオレに敵うはずがないだろう! ナイの隣はオレだ!」
「重いんですけどー? つかやっぱガッツリ起きてんじゃねーかリオンこのやろう。離せクソが」
「そうだーそうだー! ナイを離せー!」
「離さないならこっちにも考えがあるわよー」
「ほぉ、おもしれぇ。やってみろよ」
「ハリス、ちょっと」
「なにー?」
こいこい、と手招きをしたミリーナに連れられたハリスは、ベッドから離れたところでミリーナからの耳打ちを受ける。
こちらに背を向け内緒話を進める二人を眺めながら、ナイももう一度自力脱出を試みるがリオンの腕力に勝てず早々に諦めた。
そうして無駄に体力を使い疲れてしまったナイは、どうでもよくなりリオンに体重を預けるように力を抜く。
ちょうどリオンの胸の上にナイの頭があり、耳からはリオンの命の鼓動が聞こえてくる。
(なんか、落ち着くな……)
心地良いリズムと、体温にナイの瞼は自然と下がる。
「よーし、リオン覚悟しろ! ……って、あれ?」
「あら、寝ちゃったの?」
「みてぇだな」
「……寝てへん。……まだ、起きてる……」
「もぉ、しょうがないなぁ」
「リオンの恥ずかしい秘密の暴露はまた今度にしましょうか」
「おい待て。オマエら何を言うつもりだった?」
「さぁ?」
「しーらない」
「知られて困る秘密なんか思い当たらねぇが、なんか怖ぇな」
「ふへへ。ほらほらリオン。そんな端っこにいないでもっと真ん中に詰めてよ! ぼくらが寝れないでしょ!」
「あぁ? こっち側が空いてんだろ」
「いいから詰めてよ。私達ももう眠いんだから」
「ったく。わがままなガキどもだな。……ほらよ」
「わーい」
「よいしょっと」
ベッドの軋む音とともに、ナイが感じる暖かさが増した。
「想像以上に暑苦しいな」
「嫌ならナイ置いて一人でソファで寝たら?」
「他の部屋も使って良いらしいわよ」
「オマエらオレの扱い雑じゃね?」
「そんなことないよ。ねぇミリーナ」
「もちろんよハリス。一番ナイに懐かれてるのが羨ましいなんて全然考えてないわ」
「そうそう。いつもナイの一番を取っていくのが羨ましいなんてこれっぽっちも思ってないよ」
「めちゃくちゃ思ってるじゃねーか」
「気のせいだよ」
「気のせいよ」
ナイの大好きな家族の話し声がだんだんと遠くなる。
心地良いリズムはそのままに、増えた温もりに小さな幸せを感じながら、ナイはゆっくりと眠りに落ちていった。
今日で完結させます。残り2話です。




