31 不穏な影と無意味な謝罪
エリック邸の中庭。
パラソルで日陰になったテーブルの一つに陣取ったナイは、居心地悪そうに手の中の杖を弄ぶ。
他のテーブルと少しばかり距離をとって設置してもらったこのテーブルには、ナイとリオンの二人だけ。
いくら和解したとはいえ、ナイの心情的にまだ気楽に話せるような距離にはいられないため、許可をもらってこの場所にいる。
エリックからの茶会の誘いをナイは断ったのだが、エリックやブライト、そしてハリスとミリーナからも押し切られ、結局参加することになってしまった。
茶会が始まる前にエリックが作成した契約書を全員で確認し、サインも終わらせたのでいつでも帰れるが、多分しばらくは無理だろう。
その理由はナイの視線の先。
たくさんの菓子が並べられたテーブルの前で、エリックから何かを聞き熱心にメモを取るミリーナ。
そしてグリフに話を聞きながらブライトとともになにやら盛り上がっているハリス。
(あれは長くなるな……)
ナイは小さくため息を吐き、目の前にある紅茶を口に運ぶ。
ミルクと砂糖たっぷりのとても甘くてナイ好みの紅茶に、自然と頬も綻んだ。
「ナイ、なんか食うか?」
菓子の並ぶ向こうのテーブルを親指で指しながらリオンがナイへ問う。
ナイは視線を菓子へ動かし、全体を眺める。
「……食べる。チョコのやつがいい」
「はいよ」
ナイの返事を聞き、リオンが菓子を取りにテーブルを離れた。
それにしても、夏場の中庭で茶会というのもどうなのだろうか。あの菓子は悪くなったりしないのだろうか。
何故かこの中庭は比較的涼しく、夏の日差しは感じるがとても過ごしやすい。それもなにか関係しているのだろうか。
リオンの背を眺めながらそのような疑問がナイの脳内を無意味に巡るが、すぐにどうでもいいかと切り替える。
涼しくて、過ごしやすく、紅茶も美味しいので、もうそれでいいと。
そうやってぼんやりと紅茶を飲むナイの元へリオンが戻ってくる。
手にはチョコケーキとチョコがかかったドーナツを乗せた二枚の皿。
「ほらよ。とりあえずこの二つ持ってきたけど……良かったか?」
その二枚の皿をナイの前へと置き、自分は元々座っていた椅子にドカリと腰を下ろす。
「……うん。リオンどっち食うん?」
「どっちもナイが食っていいぞ。オレは甘いの苦手だから」
「え、まじで?」
「マジで」
「あれ? でもこの前、普通にケーキとか食ってへんかったか?」
「別に苦手ってだけで食えねぇわけじゃねぇからな。たまになら食うよ」
「ふーん。そうなんや」
「そうなんやで」
「じゃあ二つとも貰うけど、まじでいらんの?」
「欲しかったら自分で取ってくるから気にすんな。ほら食え食え。それとも――食べさせてやろうか?」
意地悪そうに笑ったリオンがナイに対して、先日のミリーナとのやりとりである『あーん』の真似事をしてきた。
手には何も持っておらず、まさしく真似事だけではあるが、その仕草に若干イラっとしたナイは、ドーナツを鷲掴み、ご丁寧に『あーん』と言いながら開けているリオンの口へとドーナツを――チョコがかかっている場所を選んで――突っ込んだ。
「ほら『あーん』だ」
「むぐっ」
まさかのナイの行動に、リオンは目を白黒させながらも口に入ったドーナツを咀嚼する。
「甘ぇ」
眉間に皺を寄せながらドーナツを食べる悪魔を見て、ナイは小さく笑う。
わざわざチョコが付いた面を食わせた甲斐があるというものだ。
「ふはっ、ざまあみろ。うちを馬鹿にした罰や」
「…………」
何も言わずナイを見ながら、もぐもぐとドーナツを食べ進むリオン。
まさか怒らせたかと、ナイは一瞬考えるもこの程度で怒るような相手ではない。
ならば何故と考えてみても、とくに理由は思い浮かばなかった。
「どした?」
「――いや、なーんでも。強いて言うならオレは食べさせてもらうより、食べさせたい派だってことか?」
ごくんとドーナツを飲み込んだリオンは、ヘラっと笑い、よくわからない返事を口にする。
「……なんやそれ。そういや前もそんなこと言ってたな?」
「だろ。だからオレからもやってやるよ。ほら『あーん』」
残っていたドーナツのチョコ部分を一口サイズに千切り、リオンはナイの口元へと運ぶ。
「いや、べつにいらん。自分で食べる」
「おいおいなんだよー。せっかくオレが食べさせてやるって言ってんのによー」
「頼んでへん」
「ほらほら。ナイちゃんの好きなチョコレートがかかってるとこだぞー」
あえて無視をして紅茶を飲むナイだったが、だんだんリオンの手が近付いてきて、最終的にはぐいぐいと口元にドーナツを押し付けてくる始末。
いい加減鬱陶しくなったナイは、リオンの手首を掴み動けなくしてから、差し出されたドーナツへと齧り付いた。
「痛って!」
リオンの指ごと食べたナイは、痛そうに手を振るリオンを見て満足する。
「オレごと食うなよなー」
「…………。おまえがしつこいのが悪い」
ムスっとした顔で文句を言ってくる悪魔に、ナイはドーナツを飲み込んでから反論する。
お望み通りリオンからの『あーん』を受けてやったのだ。何も文句などはないだろう。
そんな思いを込めて――馬鹿にしてともいう――鼻で笑いながらリオンを見る。
「うぉー。なんかムカつく顔しやがってナイコノヤロー」
「ハッ。そりゃ誉め言葉か? どうもありがとうリオン君」
「くっそ、腹立つ」
「あはは」
ナイの沈んでいた気持ちがわずかに上がる。
顔を出しかけた名無しの化け物は鳴りを潜め、いつものナイが顔を出す。
居心地の悪さもリオンがそばに居てくれれば、それほど感じなくなってきた。
いつもナイのことを気にかけて、そばに居てくれるリオンには感謝しかない。
今はまだこうやってふざけ合うことしかできないし、ましてや本人には恥ずかしくて言えないナイだが、いつかきっと正面切って感謝を伝えられればいいと、本気で、そう考える。
もちろんハリスやミリーナ、シロもナイにとっては大切な存在で感謝を伝えたい対象だが、リオンは他の三人とは少し違う気がする。
自分ではよくわからないが、それはきっとリオンがナイにとって一番付き合いが長くて、一番ナイのわがままに付き合ってくれて、一番信頼しているからなのだと、ナイはそう自己分析している。
家族は家族なのだが、少しだけ特別な家族。それがナイにとってのリオンなのだろう。
ケーキを一口分だけリオンに差し出し食べさせる。
甘い物が苦手だと言っているわりにはドーナツを完食し、差し出したケーキも素直に食べてくれるリオンに、なんだか無性に笑いがこみ上げてしまう。
「……なに笑ってんだ?」
「いや、べつに」
「ふーん。――あっ」
「どした?」
「紅茶無くなった」
ティーポットの蓋を取り中を覗き込んだリオンは、中身が無くなったティーポットを振る。
「おかわり貰ってくる。……飲むよな?」
「飲む」
「んじゃ行ってくるわ。良い子で待ってろよー」
「子供扱いすんな」
「珈琲飲みてぇな」と独り言を言いながらリオンがティーポットを片手にエリック達の会話の輪に入っていった。
一人残されたナイは大人しくケーキを食べながらリオンが戻ってくるのを待つ。
そのうち誰かが近付いてくる気配を感じたのでナイは顔を上げた。
「やっほー。ねぇ、ここ座っていいよね?」
疑問形で聞いてきたくせに、こちらが返答する前に空いている椅子に座ったのはフーカ。もとい、ふうか。
山田夕月と同じ、日本人の女の子だ。
マカロンが乗った皿と紅茶を持参して席についた彼女は満面の笑みを携え、椅子をナイのそばに寄せる。
「ねぇねぇ、ブライトから聞いたんだけど、ナイちゃんって地球から呼ばれたんだよね? 日本人っぽいけど、どこ出身? あたしはねぇ東京出身! いやーまさかこんな場所で同じ世界出身の人と出会えるなんて思ってもなかったよ。初対面はいろいろあったけどさ、もう済んだことだし、これからは仲良くしようね!」
「……どうも」
パーソナルスペースというものが極端に狭いのか、ぐいぐいと来るふうかにナイは一歩引いてしまう。
そうでなくとも、ナイにとって彼女はあまりいい印象を持てない。
自分の見たくない部分が刺激される。無意味に比べてしまう。
だから、正直関わりたくはない部類の人間だ。
「ねぇ、ナイって本名? 変わってるよね?」
「……いえ、こっちで付けてもらった名前です」
「そうなんだぁ。ってかナイちゃんのが年上でしょ。敬語とか要らないしもっと気楽に話そうよ。あたしのことも楓花って呼び捨てにしてくれていいからね。あ、ちなみに楓花の『ふう』は楓の木の楓で、『か』は普通に花。フラワーの花ね。夢泉もそのままで夢と泉! よろしくねー」
「あ、はい」
「もーナイちゃんかたーい!」
バシバシと遠慮もなく背中を叩かれる。
楓花は大人しそうな見た目とは裏腹に、元気いっぱいな女の子だったようだ。
それとも、女子高生という生き物はすべてこのような感じだったのだろうか。
あまりにも関わりがなさ過ぎて、今のナイにはわからない。
「それで? ナイちゃんの本名ってなんていうの?」
「……それは、ちょっと」
「えぇー、いいじゃん! 同じ地球出身なんだしさ! 教えてよー」
「……すみません」
「うーん。思ったよりガードが堅い……もしかしてほっぺた殴ったこと怒ってる?」
「いえ、それはべつに気にしてません」
「そうなの? じゃあなんだろ……うーん、ま、いっか。よし、じゃあ話題を変えよう!」
変えなくてもいいから早くどこかに行ってほしい。
もしくはリオンかハリスかミリーナが早く戻ってきてほしいと、ナイは切実に願う。
「うむむ。……共通の話題――確実なのはやっぱ召喚されたときのことだよね」
「え。それはちょっ――」
「――いやー、あれにはびっくりしたよねー。いきなり魔法陣みたいのが足元でピカーってしたと思ったら、次の瞬間にはもうこっちの世界! しかも目の前には怪我したブライトがいるし、なんかわけわかんない生き物もいるしで、あたしパニック起こしちゃった」
困ったように笑う目の前の楓花に、ナイは何も言葉を返せない。
「まぁなんだかんだでなんとかなったわけだけどさ。全部終わってブライトから説明されても全然意味わかんないんだよね。しかも、もう元の世界には返せない、なんて言われて、あたししばらくずっと泣いてたんだ。……でもね、ブライトやアゼリアがずっと励ましてくれたし、責任取るって言ってくれてすごく嬉しかった。もう家族には会えないかもしれないけど、この世界でも頑張ろうって思えたんだ」
「……そう、です、か」
あぁ、やめてくれ。
それ以上は、やめてくれ。
必死に閉じた、その蓋を開けないでくれ。
「やっぱナイちゃんも召喚された時はびっくりしたよね。だって日本ってか地球には召喚師とか召喚獣なんていないし、そもそもなんていうか、世界のあり方そのものがなんか違うっていうか?」
「……」
「だよね!」
楓花の顔を見ていられず、ついに顔を下げたナイの動作を、肯定の頷きと勘違いしたのか楓花は嬉しそうな声を出した。
「やっぱナイちゃんも大変だったよね。わかる。わかるよ。私も同じだったもん。だからナイちゃんの気持ち、めっちゃわかる」
うんうんと頷く目の前の女の言葉に黒い感情が沸き上がる。
(わかる? なにが? おまえにうちの、何が、わかる?)
「最初は異世界ってことでテンションも上がったけどさ、やっぱ生活していくうえでは苦労は多いよね。言葉はわかるけど文字は読めないし、覚えることだっていっぱいあったし。あ、でもトイレとかお風呂とかは日本とあんまり変わらなかったのは良かったよね。やっぱ現代っ子としてはそこは譲れないというか。他にも地球にあるものも結構あるのがなんか面白いよね! それに、ここの町の人は優しいし、エリックさんの作るおやつも美味しいしで、大変だけどあたしこの世界が好きになってきたんだ!」
女の言葉が、耳に、入ってこない。
もしかしてこいつはわざと自分を怒らせようとして煽っているのではないかと勘繰ってしまうほどには。
「召喚術ってのも綺麗で魔法みたいですごいよね。あたしも使ってみたいけど、地球出身の人間は魔力が無いから使えないんだって。あ、でもナイちゃんは魔力あるんだよね? そのオッドアイが何か関係してる? それに召喚師のローブと杖も持ってるし、もしかして召喚術も使えちゃったりしちゃうの? いいなぁ。ねぇ、どうやって手に入れたの? あたしにもできるかな? やっぱりお約束的に修行とか――」
「……まれ」
「え、なあにナイちゃん? 聞こえな――」
「黙れクソがッ」
「――ヒッ!」
あぁ、もうだめだ。出てきてしまった。
ナイは心の中で家族に何度も謝罪の言葉を口にする。
無意味な謝罪を、繰り返す。




