30 謝罪そして和解
ミリーナが風邪をひいた日から一週間。
ナイ達は町へ行くために揃って――シロは留守番だが――出かけていた。
一週間前、薬を買いに行ったリオンが町で偶然あの召喚師達と出会ったらしく、その時にいろいろ話をしたらしい。
森の管理や謝罪の話。そしてナイの首輪のこと。
森の管理に関しての話はハリスやミリーナが喜んでいたし、こちらに損はなさそうなのでナイも賛成した。
しかし問題は首輪だ。
三人からも、あの召喚師は信用してもいいと言われたナイだが、いまだに心が決まらない。
家族のことは信じている。だから家族が信じた人間を信じたい。しかし、それでも、やはりまだ怖い。
もしあの苦しみをまた味わうことになったら。そう考えるとどうしてもナイは一歩踏み出せなかった。
そうして悩んでいるうちにあっという間に約束の日を迎え、決断できないまま今こうして召喚師の屋敷へと向かっている。
「ねぇリオン。エリックさんの家って本当にこっちでいいの?」
「多分なぁ。もう少し行ったとこにあるはずだぞ」
先頭を歩くハリスが後ろのリオンに確認を取る。
「それにしても立派なお家ばっかりだね。ぼく達の場違い感がすごい……」
「お詫びの品にケーキを買ってきたけど、こんなので良かったのかしら。もっとすごいものとか用意した方が……?」
「大丈夫だろ。この間も帰り際にケーキ云々言ってたし、嫌いってことはないはずだろうさ」
「そういうことじゃ……もういい」
呆れたように隣を歩くリオンへ言葉を返すミリーナの数歩後ろ。
最後尾を歩くナイの足取りがかなり重い事に気付いたハリスは、先頭からナイのそばまでやってきて背中をさする。
「……ナイ、大丈夫? お腹痛い?」
「……ダイジョウブ、イタクナイ」
多分だが、今の自分の顔色は最悪だろう。
今は町に来ているので仮面を付けている。そのせいで顔色もわかりにくいだろうが、きっとそうだ。
謝りに行くと決めて、それを実行しに行くのはいい。
それ自体はナイにとっては気を揉む原因ではない。
その後の首輪の話が嫌なのだ。
その話になることを考えるだけで、どうにも足が重くなる。
断りたいわけではない。
正直、外せるものならすぐにでも外してもらいたいのだ。一分一秒でも早く。
山田夕月から人間性を奪い、獣に落とした忌々しい鉄の枷。
あの日、あの時、首輪を付けられた日からずっと、その存在を主張し続ける冷たい戒め。
誰からも指摘されることがないので、首輪を毟ろうとすること自体は減ってきているはずだが、それでもふとした時に指先が触れていることがある。
そして思い出したくもないのに、あの男の顔が蘇る。
自分でも嫌なのだが、どうすることもできない。
あの腹立たしい顔で笑う面が脳裏によぎり虫唾が走る。
そんなナイにとって召喚師という生き物はこの世で一番忌むべきものであり、信用できない存在なのだ。
心の奥底に刻みつけられた恐怖や憎しみは、そう簡単に消えない。
正面に立ち謝罪することはできる。
会話を交わすことはできる。
しかしある一定以上近付かれるのはいまだ抵抗があるし、自身の体に少しでも触れられるかもしれないと考えただけで体が震える。
相手が危害を加えるつもりがないとわかっていてもだ。
ナイからすれば相手がどう考えているかなんて関係ない。
ただただ召喚師に触れられるという、その事自体に恐怖を感じるのだ。
あの召喚師はあの男ではない。それはナイ自身きちんと理解している。
それでも、どうしても足がすくむ。
いつものように暴力に訴えることができないのが怖い。
「ナイ……無理しなくていいと思うよ」
「いや、大丈夫。ちゃんと謝りに――」
「――そうじゃなくて。首輪の事。チャンスは今回だけってわけじゃないだろうしさ。森の管理の件が上手く進めばエリックさんとの付き合いは続いていく。そうしたらいつかきっと、ナイの心がエリックさんを受け入れられる日もくるよ。その時に外してもらえばいいじゃない。ね?」
「――ぁ」
バレていた。
いや、バレるバレない以前の問題か。
一週間前からずっとナイが悩んでいるのなんて、全員が知っていたのだから。
「ハリスの言う通りね。とにかく今日のナイはエリックさん達に謝ることだけを考えてればいいの。あとは私達に任せて」
「そーそー。ナイはもう一人じゃない。悩みがあるなら一人で悩まないでぼく達に相談して。ぼく達は仲間で家族なんだからさ!」
「…………ごめ、やなくて、あ、りがとう。二人とも」
「『ふふっ。どういたしまして!』」
ハリスの言う通りだ。
何も今日必ず外してもらわなければ、金輪際チャンスが無くなるなどということはない。
そんな当たり前の事をナイは完全に失念していた。
「……うし、行くか」
気合をいれて前を向く。
いつもは曲がっている背を少しばかり伸ばして、ナイは足を踏み出した。
「うわー、大きいねぇ!」
「ねぇリオン。これ、勝手に入って大丈夫なの? 怒られたりしない?」
「へーきへーき。ちゃんとこの前許可取ってあるしな。ほら行くぞー」
そういってリオンは堂々と門を潜ると、そのままさっさと玄関前に移動する。
ナイ達も遅れないように慌ててリオンの後を追い、全員が揃ったところでリオンが玄関につけられたドアノッカーを数度鳴らした。
コンコンと小気味良い音が響くと、数秒間を置きパタパタと駆ける足音が近づいてきた。
その足音は随分と軽く、ナイが記憶するどの人間にも一致しない。
やはりこれだけ大きな屋敷に住んでいるのだから、メイドのような存在でもいるのだろうかと、思考を巡らせ始めたところで扉が開いた。
中から顔を出したのは若い女。ミリーナと同じくらいの年齢だろうか。
栗色の長い髪に、焦茶色の丸い目をした可愛らしい女。
白を基調にしたワンピースに身を包んだ目の前の女は、ナイが想像してたような使用人のようには見えない。
ならばこの女は一体誰なのか。順当に考えればあの召喚師の嫁か娘だろうか。
一番前に陣取っていたリオンを見上げていた女の視線がナイへと動く。
ばちりと二人の視線が交差した時、女の垂れ気味の丸い瞳が吊り上がり、ツカツカと――数歩の距離だが――ナイの目の前まで移動し、その華奢な手を振り上げた。
バチンッ。と痛そうな音と共にナイの頬に赤みが刺す。衝撃で付けていた仮面が地面に落ちた。
とりあえず挨拶をしなければと、口を開きかけていたナイだったが、その前に起こった突然の出来事に目を丸くする。
打たれた頬に手を当て困惑していたナイへと、再度平手を見舞おうと女が手を振り上げるが、その前にミリーナが女の手を掴んで止めた。
「ちょっと、突然何するのよ!」
「そっちが悪いんでしょ!」
「うわっ、ちょっとフーカ。ダメだって言っただろ! すみませんみなさん! 大丈夫ですか!?」
ミリーナと女が睨み合いを始めたところで、別の声が乱入する。
開いたままの扉から慌てて出てきた桃色の髪の男は、女の手を掴みナイから引き剥がした。
この男には見覚えがあった。
印象的な桃色の髪。確かハリスから聞いた名前はブライト、とかいう名前だったはずだ。
一週間前ナイが殺そうとした召喚師のうちの一人。
「離してよブライト! もう一発くらい殴ってやらないとあたしの気が済まない!」
「だからダメだってば、大人しくするって約束しただろ!」
「だってッ!」
召喚師の男――ブライトがここにいるのは理解するが、この女はどういう関係なのだろうか。
彼の家族、親族、もしくは恋人。
様々な可能性はあるが、ここにいると言う事は近しい存在なのだろう。
そしてなにより女はナイに対して怒りを露わにしている。
その原因にも心当たりはあるし、女が彼らに近しい者ならば、女の怒りは正当なものだ。
ナイにはそれを受け止める義務がある。
「大丈夫……です。離してあげてください」
「え?」
リオンやハリス、ミリーナが何かを言おうとしたのを手で制し、ナイは一歩前へ出る。
迷っていたブライトだったが、ナイがもう一度頼むと女から手を放した。
ブライトから解放された女は、その可愛らしい顔立ちを怒りに染めたままナイの前へ立つ。
「いい度胸ね。殴られる覚悟はあるってこと?」
「……もとより。私は彼に……いえ、彼らを、傷付けました。あなた方は私に仕返しをする権利があります。どうぞ」
被っていたフードを脱ぎ、素顔を晒す。
外で仮面もフードも脱いだのは一体いつぶりだろうか。
ミリーナ達のおかげで以前より多少は見れる見てくれにはなっていると思うが、視線の鋭さは変わらないようだ。
目の前の女がびくりと怯み一歩後ずさる。しかしすぐに持ち直し、負けじとナイへ睨み返してきた。
こちらとしては睨んだつもりはなかったのだが、誤解されるような視線を向けた自分が迂闊だった。
心の中で反省をし、女からそっと視線を外す。
「……そんなこと言って、あたしに殴らせてチャラにするつもり?」
「そのようなことは考えていませんし、こんなことでチャラにできるとも思っていません。このあと正式に謝罪もするつもりです」
「あっそ。じゃあ遠慮なく」
宣言通り、再度勢いよく振りかぶられた平手は、吸い込まれるようにナイの左頬を正確に撃ち抜いた。
赤くはれた頬をそのままに、ナイは深く頭を下げる。
「この度は……誠に、申し訳ありませんでした」
「――むー、なんか、聞いてた感じと違う……とりあえずもういいよ! ブライトも無事だったし、誰もあなたには怪我させられなかったみたいだし? あたしの気は済んだけど、みんなにもちゃんと謝ってよね!」
「はい……」
下げていた頭をゆっくりと上げる。
腕を組み、頬を膨らませ、そっぽを向いている女。その後ろであわあわとしているブライトがナイの目に映る。
そしてさらにその後ろへと視線を動かすと、いつの間にいたのだろうか。家の中からこちらを見ていた金髪の男と目が合った。
この男にも見覚えがある。
この屋敷の持ち主で、あの時の一団のリーダーの男だ。
(名前は確か――エリック、だったか)
ナイと視線が合った金髪の男は、へにゃりと緊張感のない笑顔を浮かべ手を打ち鳴らした。
「はいはい、そのくらいでいいだろう。それに、いつまでも玄関前で騒ぐものじゃない。ほらブライト、フーカを連れて先に中に入ってなさい」
「あ、すみません先輩。ほら行くぞ、フーカ」
「うん」
フーカと呼ばれた女を連れ、ブライトはフーカとともに屋敷の中へと姿を消した。
それを見送った金髪の男――エリックがナイ達に向き直り、小さく頭を下げた。
「うちのフーカがすまなかったね」
「いえ……大丈夫です。お気になさらず」
「ありがとう。さ、とりあえず中にどうぞ。ご近所の目もあるしね」
隣の家とはかなり離れているし、周囲に人はいないようだが、確かにいつまでも人様の玄関先で騒ぎを起こすのもよくない。
「おい、ナイ」
屋敷に入ろうとしていたナイをリオンが呼び止める。
振り返ると、リオンが何かを差し出していた。それは、よく見ればナイの仮面だった。
そういえばさっき衝撃で落ちていたことを思い出したナイは、リオンに礼を言い仮面を受け取る。
そしてそのままローブの内ポケットの中へとしまった。
そしてナイ達は促されるまま屋敷へと足を踏み入れる。
大理石だろうか。不思議な模様の白い石でできた玄関に広い廊下。高い天井。
いかにも金持ちの家だなという頭の悪い感想しか出てこないナイはそこで考えるのをやめた。
ミリーナから手渡されたのだろう。ケーキの入った箱を持ったエリックの後に続いて屋敷を進む。
ナイの後ろを歩くハリスやミリーナが、何故かソワソワしている気配を肌で感じる。
場違い感やこの後の謝罪に緊張しているという感じではなく、どことなくテンションが上がっているような。
どういえばいいのかナイにはわからないが、とにかくそのような感じを後ろからヒシヒシと感じる。
なぜそのようなテンションなのか謎だが、おそらくはこの屋敷が物珍しく好奇心でも刺激されているのだろう。
程なくして目的の部屋へと辿り着く。
扉を開け、通された部屋には、五人の姿。エリックを含めれば六人の存在が集まっていた。
以前森で出会った五人と、先程、玄関で会った女の六人。
それ以外の人間や召喚獣の姿は見えず、他の場所からも気配を感じない。
こんなに大きな屋敷なのに使用人の一人もいないのか。それともナイ達が来るので会わせないようにしたか、気を遣われたか。
入ってきたナイ達へと一斉に視線を向けられ、少しだけ居心地の悪さを感じる。
エリックに促されるままナイ達はソファへと腰掛ける。
机を挟んで置かれたソファはとても大きく、ナイ達四人が並んでも余裕がある。
リオン、ナイ、ミリーナ、ハリスの順でソファへと腰掛け、ナイは視線を正面へと移す。
向かい側のソファには真ん中を空けて、ブライトとフーカが座っており、あとの守護獣達はソファの後ろに並んで立っていた。
ナイ達をソファへと案内したエリックは、一度キッチンへと消え、ケーキの箱の代わりに、手に紅茶のセットを持って再び現れた。
エリックはナイ達の前にそれぞれ紅茶の入ったカップを置くと、ブライト達の間、空いている場所に腰掛ける。
彼の左右にはブライトとフーカ。背後には彼らの守護獣達。
それぞれの表情は様々で、エリックは笑顔。ブライトは困ったように笑い、フーカはまだ頬を膨らませそっぽを向いている。
ブライトの後ろに控えるように立つ機械人形は無表情でこちらをへ視線を向け、その隣。エリックの後ろに立っている翼人は、手を後ろで組み目を閉じていた。
そしてその隣に立つ黒髪の男は、何故かリオンへ厳しい視線を向けている。そう、ナイではなくリオンへ。
横目でリオンを確認するが、彼の視線に何か反応を返すわけでもなく、優雅に足を組んで出された紅茶を飲んでいた。
(なるほど、これか)
確かに謝罪にきた人間――リオンは悪魔だが――の態度ではないなと一人納得する。
小さな声でリオンの名を呼べば、その意図を察したのか、リオンはカップを置き姿勢を正した。
一先ず安堵の息を吐いたナイは、気持ちを改めてエリックに視線を向ける。
そこで座ったままというのも失礼かと立ち上がろうとしたナイだが、そのままで構わないとエリックに制され、上げかけた腰を元に戻した。
相手に気付かれないように、一度小さく深呼吸をしたナイは深く頭を下げる。
そのまま口を開こうとすると、ナイに続くように左右からも頭を下げる気配を感じた。
いい大人なのに、「謝りに行くので一緒についてきてほしい」というような今の状況に改めて己の不甲斐なさを噛み締める。
みんなに対して申し訳なさや情けなさも覚えるが、今ここにいられるのも、みんなのお陰でもある事を考えると複雑な気分だ。
(あぁ、ほんとに、うちって臆病モンやなぁ……)
「…………この度は、謝罪の機会をいただきまして、感謝……申し上げます。……並びに、度重なる非礼、誠に、申し訳ありませんでした」
膝に置いた手に、自然と力が入る。
「謝って済むことではないのは、重々承知の上ですが……皆様には、大変なご迷惑をおかけしましたこと、重ねて、心よりお詫び申し上げます」
この世界に来てから誰かにまともに謝罪することなどほぼ無縁だったナイ。
何を言えば失礼にならないのか、謝罪の文言は合っているのか、他に言うべきことはなど、ぐるぐると頭の中を疑問が駆け巡る。
ここへ来るまでに考えておけば良かったのだが、いかんせんナイの頭の中は直前まで首輪の事でいっぱいで、それどころではなかった。
改めて自分の不甲斐なさに落ち込む。
「ぼくも! 家族の暴走を止められなくてごめんなさい!」
「ナイがご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」
「うちの馬鹿が迷惑かけてすまなかったな」
ナイに続き、ハリス、ミリーナ、リオンもそれぞれ謝罪の言葉を口にする。
そして両者の間に沈黙が落ちる。
他にも何か言わなければと、慌ててナイが言葉を探している間に向かい側からナイの頭へと声がかかった。
「……頭を上げてくれ」
エリックからそう声をかけられるが、ナイの頭は上がらない。
上げていいものかどうか悩んでいると、エリックからもう一度同じ言葉をかけられる。
左右に座るミリーナやリオンが頭を上げる気配を感じ、ようやくナイもゆっくりと頭を上げた。
視線の先には優しい笑みを携えたエリックがナイを見ていた。
視線が交わり、いつものようにすぐに逸らそうとしてしまう目を根性で押し留める。
「君達からの謝罪は受け取ったよ。私はもう気にしていないけど……ブライト。君はどうだい?」
「おれも。ちゃんと謝ってもらえたので大丈夫です」
「そうか。他のみんなは?」
エリックは視線で他の人へ答えを促す。
「マスター達ガ許シタノナラ、ワタシカラハ、ナニモ」
「……右に同じ」
「……不満はありますが、謝罪はキチンと受け取ったので、飲み込みます」
「あたしはさっき先に済ませたから、みんなが良いなら良いよ」
「よし。ではこの件はこれで終わりということでいいかな?」
エリックがそれぞれに確認の視線を向けると、頷きが返る。
「君達も謝ってくれてありがとう。私達はもう気にしていないから、これで仲直りといこうか?」
そういってエリックは少し身を乗り出し、こちらへ右手を差し出してきた。
「――ッ」
これが握手を求めているのはわかる。
仲直りの握手だろう。
早く手を取らないと失礼なのも理解している。
でも、体が動かなかった。
「……?」
震える体を悟られぬよう、ナイはそっと手を差し出す――
「おぅ。これで仲直りな。オマエらも良いよな」
――前にリオンがエリックの手を取りブンブンと上下に振る。
そしてミリーナやハリスに視線で促した。
「許してもらえて嬉しいわ。ありがとう」
「ぼくも! エリックさん皆さんありがとう!」
リオンの手の上からミリーナ、ハリスがエリックの手を握り軽く上下に振る。
「ナイも仲直りで良いよね? ほら、握手握手」
「あ、あぁ。うん」
ハリスに促され、ナイも握手の輪に加わる。
三人の手の上から握る握手はどう見ても不自然でしかなかったが、ナイからすればとても有難かった。
三人の気遣いに感謝しながらエリックとの握手を終える。
「その、すみません。ありがとう、ございます」
「こちらこそ」
エリック本人にも、何も言わずこの変則的な握手を受け入れてくれたことにナイは感謝を示す。
もちろん謝罪を受け入れ、許してくれてありがとうというお礼の気持ちも込めて。
エリックはそのナイの言葉に微笑みで返した。
「んで、話変わっけど、例の話はどうなった?」
握手を終えたナイ達がそれぞれソファに腰を下ろしたところで、リオンが話題を変えた。
「うんそうだね。では次はその話をしようか。……でもその前に一つだけ」
ピシッと指を一本立てて、エリックは言葉を溜める。
何を言うつもりなのか、この部屋にいる全員がエリックの次の言葉を待った。
「自己紹介、しないかい? ほら、ハリス君やミリーナさんにはしたけど、なんだかんだで、そっちの二人にはまだだったからさ。それに、フーカもいるしね」
言われてみればそうだ。ハリスから聞いただけで、正式に相手に名乗られたわけではないし、向こうとしてもそれは同じだろう。
ナイは自己紹介が遅れたことを謝罪し、改めて名乗る。
そして、リオン、ハリス、ミリーナが続く。
こちらの紹介が済んだところで、次はエリック側もそれぞれ名乗りをあげた。
森で会った連中が順番に名乗り、最後に残ったフーカが口を開いた。
「最後はあたしね。あたしの名前は夢泉楓花。夢泉が名字で、楓花が名前。好きに呼んでくれていいよ。地球出身の日本人で現役の女子高生! だったんだけど、ブライトに召喚されて今は召喚獣やってる。といっても、あたしはみんなみたいな力は無いから、ブライトにお世話になってるだけだけどね」
地球出身の日本人と聞いてナイの心臓が一度大きく跳ねる。
この女は今何と言った?
目の前でへらりと笑う女はナイ――山田と同じ出身だと?
なのになんだ、自分との、この、違いは、なんだ?
腹の奥底から湧き上がってくるドス黒い気配に気付き、ナイは急いでそれに蓋をする。
下がりそうになる顔を押し留めて、眉間に皺を作らぬように、努めて平静を保つ。
ただ、その代わりに両手に力が入り、服に皺を作った。
せっかく修復した仲をまた壊すような、馬鹿な真似は控えなければいけない。
これ以上ハリスやミリーナ、それにリオンに迷惑をかけてはいけない。
「……うし、これで全員終わったな。じゃ、話戻していいか?」
リオンがエリックに確認をとると、頷きが返ってきたので、続けて口を開いた。
「こっちは全員一致で話を受けることにしたんだが、そっちは?」
「こっちも上手くいったよ。君の言ってた条件も全部クリアしたから安心してくれ」
「それは重畳。これで安心して生活できるな」
「ってことは、正式にあの家はぼくたちの家ってことでいいんだよね?」
「その通り。ただ今度本格的に修繕するための業者を入れたいから、その間しばらくはこの家で過ごしてもらうことになりそうなんだけど、どうだい?」
「うーん、私達は構わないけど、そうなるとシロはどうすれば良いのかしら? さすがに町に連れてくるわけにはいかないでしょうし……」
「そういえばそうだね。シロが一人ぼっちになっちゃう!」
たしかにシロはいま町で問題になっている彷徨獣なので、連れてくれば騒ぎになるだろう。
だからといって一匹森へ置いていくのはハリスとミリーナが嫌がる。
シロは元々あの森で一匹で暮らしていたので、放置しても問題はなさそうだが、飼い主の責任もあるしそれはやはりできない。
ならば答えは一つ。
「……うちがシロと森に残るから、おまえらはここで世話になったらええやろ。その間にうちらで森の魔物なんとかしとくわ」
「ならオレも居残りで。野宿は慣れてっし、ナイとシロだけで魔物狩りさせらんねぇしな」
「え、でも」
「正直、人が多いとこは落ち着かんし、うちとしてはそっちのが楽や」
「オレもー」
ナイの提案にリオンが乗ってくる。ナイとしてもリオンがいてくれるなら心強いし、楽もできそうだ。
ミリーナは渋っているが、ナイが理由を述べればしぶしぶ納得はした。
「じゃあぼくも残る!」
決まりかけていた雰囲気の中、突然名乗りを上げたのはハリス。
意気揚々と挙手をしながら、ミリーナ越しにナイへと詰め寄る。
「ぼくの鍛錬の成果、見てほしいんだ! ナイもリオンも超えたかもよ!」
ふんすふんすと鼻息荒く捲し立てるハリスの顔面を元の場所に押しやりながら、ナイは口を開く。
「いや、うちとリオンとあとシロもいるし、戦力は十分……というかこれ以上は過剰戦力……」
「えー、でもぉー」
「それに、おまえがこっち来たら今度はミリーナが一人になるやろ。ええんか?」
「うっ、それは……」
「私は戦えないからそっちにいても意味ないし、それならそれで別に構わないけど……ちょっと寂しいなぁ」
「うっ!!」
わざとだろう、ミリーナが悲しそうな表情を作りチラリとハリスに視線を向ける。
嘘だと分かっていても、良心が痛むのかハリスは胸を押さえた。
「なら、ハリス君はここから森に通うのはどうだい? それならミリーナさんもずっと一人にはならないし、どうせ森に行くならついでに業者の護衛とかもお願いできたら嬉しいんだけど」
「あ、それいい!」
そんな二人のやりとりを見ていたエリックが、ハリスに提案という名の助け船を出してきた。
ハリスもそれに飛びつく。
「それに工事は長くて半年はかかると思うし、野宿に飽きたらナイさん達もここに遊びにきてくれたら嬉しいな。君達ならいつでも歓迎するし、私達が留守だったら勝手に屋敷を使ってもいいからね。あ、鍵なら心配しないで。後で渡すから」
「あー。では、その時は遠慮なく使わせていただきます……」
「うん。もちろんその時はシロさんも連れてきてくれて構わないよ」
「え、いいの?」
ハリスの疑問に当然のようにエリックは返した。
「あぁ。さっきは提案し損ねたが、シロさんが町に来れる方法はあるんだ」
「……どんな?」
「何、難しいことじゃない。君達もやっている方法だよ」
そういってエリックは自身の手首をトントンと叩く。
彼の腕には今何も付いていないが、間違いなく腕輪のことを言っているのだろう。
「特注になるから時間はかかるが、サイズを測ったあとは一週間もあればできるよ。あと、君達にも新しいのを贈るよ」
「え、でもぼくたちの腕輪まだ使えるよ?」
「君達はもう我々〈薄明〉の協力者だからね。〈薄明〉仕様の腕輪で全員お揃いにしたくはないかい?」
「『お揃い』」
ハリスとミリーナの声がハモる。やはりこの二人はお揃いが好きらしい。
ナイとリオンは同じようなデザインだが、ハリスとミリーナはそれぞれ少し違う。
大枠のデザインは同じだが、色や細かい装飾に違いがあるようだ。
とくに気にしたこともなかったが、どうやら召喚師の所属によって微妙に違いがあるらしい。
といっても一般人からすればどれも同じようにしか見えないので、分かる人間には分かるというやつだろう。
「あとそれ以外にも、〈薄明〉の所属だと示す物を、そのうち渡すから楽しみにしておいてくれ」
「んだそれ? オマエらの杖とかローブみたいなもんか」
「そうだね。だけどそれは召喚師全般を示してて、私が言ってるのはそれのもう少し細かい版だね。例えばグリフだったらこの頭飾り、クロスだったらこの耳飾りがそうだね。私やブライトは杖に付けてるから今は見せられないけど、見たいなら取ってくるよ?」
「いや、いい。大丈夫だ」
クロスやグリフの飾りはどちらもデザインは異なるものの、共通しているモノがあった。
それは、どちらの装飾にもスーパーボール程の大きさの玉が付けられていることだ。
色は青からオレンジへと綺麗なグラデーションを描いており、日の入りのような、日の出のような、そんな空の美しさを、この小さな玉へ詰め込んだかのようだ。
おそらくこの玉が本体で、それぞれの所属を示す物なのだろう。
よく見ればアゼリアも胸の部分にこの玉が装着されていた。
エリックの説明によると、召喚獣が身に付ける腕輪は一般人向けで、この玉の装飾は召喚師向けということらしい。
ちなみに形は玉で統一されており、それぞれの組織による違いは色と組織のマークで出すそうだ。
なるほど、とナイは思う。
対峙した召喚師が何処の所属か聞いてくることがあったのは、これが見当たらなかったからかもしれない。
「――よしっ、では難しい話は一旦終わりにして……お茶の時間にしようじゃないか!」
両手をパチンと叩き、笑顔でそう宣言するエリックに、ナイはすかさず断りの言葉を口にした。




