29 男達のお茶会
ミリーナの看病をハリスとナイに任せたリオンは、一人、町に来ていた。
改めてミリーナの薬を買いにという理由で出てきたリオンだが、彼の本当の目的は別にある。
そもそもすでにミリーナに飲ませた薬だけで十分回復の見込みはあるので、わざわざ買いにくる必要もないが、拠点を出る口実には丁度いい。
昼時を過ぎても活気ある商店街を眺めながら、リオンは店を冷やかし歩く。
時折通行人に道を尋ねながら、そのまま商店街を抜けて閑静な住宅街へと足を進めた。
立派な邸宅が並び立つそこは、見るからに金持ちが住んでいるであろうエリア。
そんな場所にも関わらずリオンは臆面もなくズンズン進む。
明らかに召喚獣であるリオンが一人で歩いていても騒ぐ人間はいない。
周囲に誰もいないというわけではない。
時々すれ違う人間はいるが、リオンの左手首に存在している腕輪を認め、何も言わないだけだ。
このあたりには召喚師も住んでいるので、その何処かの屋敷の召喚獣だとでも思われているのだろう。
わざわざ人間がいる場所に行くたびに腕輪を付けなければいけないのが煩わしいが、付けていなければもっと面倒なことになるのは目に見えている。
この腕輪を悪用しているのは重々承知しているが、これも彷徨獣がこの世界で安全に生きる術だ。
それに人間に危害を加えるつもりは今の所ないので問題はないはず。
ナイやミリーナは見た目だけはこの世界の人間と同じなので、そこまで神経質になる必要もないが、バレた場合を考えれば予防線を張っておいて損はない。
自分の“家族”が〈ヒトモドキ〉だなんだと人間に難癖をつけられたり、危害を加えられるのは腹立たしいにも程がある。
最悪、そんな事をするような人間がいれば殺してしまいかねないと、自分でも自覚している。なのでそうならないように、普段から二人の持ち物には気を配っていた。
ただ、ナイの格好がなまじ召喚師のそれなので、ややこしいことになってしまうのが悩ましいところだが。
いい機会なので別の上着と武器を用意してみるのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら大きな通りを歩くリオンの視界に、やがて目的の屋敷が見えてきた。
大きな本邸に広い庭。屋敷を囲むように設置された柵。
入るものを威圧でもするかのような見事な門の近くには門番らしき人間はいない。
(さてどうするか)
リオンが用のある、目の前のこの屋敷の持ち主は召喚師。しかもその守護獣は融通が効かなそうだった厳つい翼人の男。
何かやましいことがあるわけではないリオンだが、もしかしたら勝手に敷地内に入ったという理由で、いきなり攻撃を受けるかもしれない。
かといって、このような場所で大声で呼びつけるのも憚られる。
屋敷内に気配はあるので、留守というわけでは無さそうだ。
何か中にいる人間に連絡できる手段があればいいが、周囲に目を向けても、あいにくそのようなものは見当たらない。
門に鍵は付いてなさそうなので、このまま入ることは可能だが、入っていいものかと頭を悩ませる。
普段なら絶対に気にしないリオンだが、今回ばかりは相手が相手なので穏便に事を運びたい。
どうしたものかと門の前で逡巡していたリオンの耳に小さくドアの開閉音が届く。
視線を向ければ玄関から顔を覗かせる見覚えのある男。
昨日出会った金髪の召喚師であり、この屋敷の持ち主であるエリックだった。
「よく屋敷がわかったね」
「町の人間に聞いた。『翼を持った大男を守護獣にしている、金髪の召喚師を知ってるか』ってな」
「あぁなるほど」
簡単に自己紹介を交わしたあと、客間に通されたリオンは出された紅茶に口をつける。
紅茶よりは珈琲派のリオンだが、出されたものにケチをつけるほど心の狭い悪魔ではない。
「ところで昨日の――ローブを着た彼女だが、大丈夫だったかい?」
「あぁ。むしろオマエらのおかげで良い方に転がったからな。その点では礼を言う」
「うぅん。イマイチよくわからないけど、それなら良かった、のかな?」
人好きのする笑顔を浮かべリオンと話すエリックとは対照的に、彼の背後に佇む男二人は難しい雰囲気を漂わせている。
とくにナイの話題が出た瞬間、黒髪の男の眉間の皺が数本増えた。
翼人の男の表情は変わらなかったが、あまりこちらに対していい感情を持っているとは思えない。
(まぁ、ご主人様が殺されかけたんだから、当然ちゃ当然だがな)
リオンだって家族を殺そうとした相手の仲間が、ノコノコと自分の目の前に現れればいい気分はしない。
「でだ、前置きやらなんやらめんどくせぇ事は省いて、早速本題に入らせてもらいたいんだが」
「もちろん。どうぞ」
構わないか? と視線で訊ねれば、笑顔で促されたので、リオンは遠慮なく再び口を開く。
「まず初めに、昨日の事だ。――悪かった」
リオンは座ったまま深く頭を下げた。
突然の謝罪にエリックはもちろん、背後の二人からも驚いたような気配を感じる。
「本当はナイ――オマエらを襲った女のことだが。そいつはもちろんオレら全員で今日にでも此処に来る予定だったんだが、ちょっと都合が悪くなっちまってな。とりあえずオレだけ来た」
「つまり本人に代わって謝罪にきたと? 昨日もそうだったが、お前はずいぶんとあの女を甘やかしているのだな」
「クロス」
「……失礼しました」
「うちのが失礼なことを言った。すまない」
エリックにたしなめられた黒髪の男、クロスが頭を下げる。
続いてエリックもリオンに謝罪をし、軽く頭を下げた。
「いや、かまわない。オレらがアイツを甘やかしてるのは事実だからな。それに、今日オレがここに来たことはアイツら知らねぇし」
「そうなのかい?」
「あぁ。実は昨日の雨でミリーナのやつが風邪をひいてな。ナイとハリスはその看病についてて、オレは薬を買ってくるっつって拠点を出てきたんだよ」
「なるほど。それで、ミリーナさんの具合は? 薬はもう買ったのかい? まだならうちのを持って帰ってくれても構わないよ」
「大丈夫だ。薬はただの出かける口実だしな。それに朝のうちに森にあった薬草で薬作って飲ませたから、明日には元気になってるだろ」
「それなら良かった」
本当に、心からそう思っているのがわかるエリックの態度に、リオンは目の前にいる人間に対しての認識を少しだけ変える。
リオンもナイと同じく召喚師という存在は大嫌いだが、目の前のこの男はやはりどこか他の召喚師と違うのかもしれない。
「さっきも言ったが、本当は今日全員で来るはずだったんだよ。でもオマエらにだって予定はあるだろうし、急に来られても迷惑だろう」
「それは……」
まぁ実際のところ、自分は急に来ているので、この説明にあまり意味は無い。
自分の事を完全に棚上げしたリオンは、困った顔で笑うエリックをあえて無視し言葉を続ける。
「だからミリーナが風邪をひいたのは可哀想だが、ある意味ではラッキーだったっつーことで」
「んー。つまり君はアポイントメントを取りに来た、と?」
「それもある。まぁオマエが『謝罪なんていらねぇ、顔も見たくねぇ』ってんなら、ナイにはオレから言っておくから安心していい。ここには来させない」
「そんなことはないよ。もし仲直りができるのなら私としてもそれに越したことはないし。それに――」
「?」
「もし、彼女さえ良ければ、だが。彼女の首輪も外してあげたいしね」
リオンは驚きに少しだけ目を見張る。
まさか召喚師の方から首輪の話題を持ち出してくるとは思わなかったからだ。
たしかにリオンはこの男になら首輪をどうにかできないかという相談を持ち掛けてもいいと思っていたし、実際持ちかける気ではいた。
ハリスから聞いた話や自分の目で見た印象としても目の前の男は悪い人間だとは思えない。
むしろハリスやミリーナと同類でお人好しの部類に入るのではないかとすら思う。
「……いいのか?」
「もちろんだよ。というか、本当なら今ではあの首輪は使用、製造ともに禁止になってるはずのものでね。同じ召喚師としても、不当に首輪を付けられた召喚獣なんて見過ごせる案件ではないからね」
「オレらが自分たちを召喚した人間を殺すようなやつでもか?」
ナイが実際に手を汚したかどうかはリオンは知らない。ただ逃げてきただけという可能性もかなり低い確率ではあるが、ある。
しかし高確率で殺害しているだろうとリオンは踏んでいる。そうでなくとも今までのナイは人殺しに躊躇がないうえ、何人も手にかけている。
そして、それはリオンも同じだ。
エリックと同じ召喚師や、盗賊はもちろん、直接手を下すわけではないが、一般人を見殺しにする。そんな人間、いや、召喚獣だ。
ミリーナ以外は主人――と言うのも虫唾が走るが――との仲が悪く、険悪な関係だった。
そんな主人が死んだとしてもなんとも思っていない。むしろいい気味だとすら思う。
本当にそんなやつを助けてくれるのか? 助けたいと思うのか?
そんな思いを込めて目の前の男に視線を投げる。
リオンから睨むような視線を向けられているエリックは、それでも笑みを崩さず答えた。
「当然だろう」
なんの迷いも戸惑いもなくそう言い切ったエリックに、リオンの口は自然と笑みの形をとっていた。
「昨日も言ったが……やっぱ、オマエ良いヤツ、だな」
「こちらも昨日言ったが、そんなことはないよ」
エリックと顔を合わせて小さく笑う。
後ろの二人は呆れたような、怒っているような複雑な表情で自らの主人を見ているが、口を出す気配は無かった。
都合がいいのはわかっている。
人の善意に付け込んでいるのも理解している。
それでもリオンにとって一番優先するべきなのはナイであり、彼女の呪縛を解けるのなら解いてやりたいのだ。
いつまでも過去に囚われて泣いている憐れな女。そんな女の涙を拭ってやりたいだけなのだ。
「んじゃ、そん時にはよろしく頼むよ」
「あぁ。任せてくれ」
それに、自分は悪魔だ。
人間を利用するのに罪悪感も何もない。自分が良ければそれでいいのだ。
ハリスやミリーナが出来ないことを自分がやる。それだけだ。
リオンはエリックに再度、頭を下げる。
「改めて。昨日はうちのナイがアンタらに危害を加えて悪かった。ハリスやミリーナも世話になったみたいだし、後日改めて謝罪と感謝を伝えに来させてもらいたい。なので都合の良い日を教えてもらえるか?」
「こちらとしてはいつでも構わないよ。なんなら明日でも明後日でも平気さ」
「……良いのか?」
「もちろん。他に予定も入ってないしね」
「…………暇なのか?」
「失礼だな。そうじゃなくて……あぁーそうだな。この流れで言っておこうかな」
むっと眉を寄せ怒っているような表情を作るも、一瞬で瓦解したエリック。その後斜め上を見ながら何かを考えるような仕草をしたかと思うと、リオンへ視線を戻した。
「私達が森に行ったのは任務の為なんだけど、ハリス君から何か聞いてるかい?」
「あーそういやなんか言ってたな……たしか、シロに会いに来た、だったか?」
「そうそれ。正確には忘れじの森の調査、及び住み着いた彷徨獣の排除。なんだけどね」
「ふーん。んで?」
「おや、怒らないのかい?」
「別に怒ることでもないだろ」
「ふふ、そうか。それはありがたい」
実際にシロやナイ達に手を出すならともかく、この男にはそんな事をするつもりもなさそうに見えた。
しかし、万が一という場合もある。
その場合は謝罪や感謝、首輪の解除などもろもろを捨てて、さっさとあの森から出る方向で話をもっていかなければ。
「で、シロに会ってどうすんだ? さすがに殺すとか言われたらこっちも黙って見てるつもりはないんだが」
「話し合いが不可能なら、その予定だったんだけどね。ハリス君が自分の仲間だって言ってたから穏便に事が運べそうだし、今は話し合いで解決できればいいなって思ってるよ」
「なるほど。それならなんとかなりそうだな。ソッチの落としどころとしてはどうなんだ? オレらが森から出ていきゃ満足か?」
「いや、それも考えてはいたけど、もっと別の事を思いついてね。できれば君達にはあの森に残って、森を管理して欲しいと思っている」
「は? なんでそうなる?」
唐突な提案にリオンは面食らう。
何がどうしてそうなったのかわからない。そもそも管理だなんだという権限がエリックにあるのか?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。答えようとエリックが口を開いた。
「君達は森の奥を拠点? 縄張り? にしているんだよね? だったらその周辺で大きな建物を見たことがないかい?」
「あぁ。アレか。アレがどうした?」
「あれは元々、我々〈薄明〉の召喚師達が使っていた建物なんだ。まぁ今はもう使われてないんだけど。それでもあの森はまだ我々〈薄明〉の管轄でもあるからね。そういう事もできちゃうんだ」
「そのわりには魔物だらけだがな」
「だから君達に管理してほしいって言ってるんだよ。君達はあの森のボス的な立ち位置なんだろう? だったら魔物達もどうにかならないかな?」
「どうにかって……まぁ、できねぇこともねぇとは思うが……」
「せめて町のみんなが行っていた森の浅い場所だけでも安全に使えるようにしてくれるだけでいいんだ。方法は任せるし、ちゃんと定期的に報酬だって出すよ。君達を私の協力者ということにすれば、君達が彷徨獣だとしても上の許可は取れると思うから」
顔の前で手のひらを合わせ頼み込んでくるエリックに、どうするかと頭を悩ませる。
正直言ってこちらに損はない。
今まで積極的に介入していなかったが、森の勢力圏を広げるだけで金や生活圏も保障されるのならば、こちらとしてはとてもウマイ話だ。
とくにハリスやミリーナは喜ぶだろう。あの二人はあの家が気に入っているのか、どんどん自分達が使いやすいように、過ごしやすいようにと日々手を入れている。
なんだかんだナイでさえも気に入っているように見えるし、物だって増えてきて完全にリオン達の家のようになってきていたので、これはいい機会かもしれない。
もちろんリオン一人で決めるわけにはいかないので持ち帰って相談という形にはなるが、おそらく答えは決まっているだろう。
「こっちとしてもありがてぇ話だが、オレ一人で決めるわけにはいかねぇし、持ち帰ってアイツらと相談してからでいいか?」
「もちろん! 次に来た時にでも答えを聞かせてくれ」
「わかった。だがまぁ、答えは決まってるようなもんだがな」
「それはいい意味で受けとっても?」
「ククっ。あぁ、もちろん」
「よかった! あの森については前からどうにかしなければって議題には上がってたんだが、どうにも手が回らなくてね。助かるよ!」
「あ、そうだ。どうせなら金の他に条件付けてもいいか?」
「んー。条件にもよるな。私に叶えられるものならいいけど、それ以上となると上の許可を取らないといけないから返事は待ってもらうことになるけど……ちなみにどんな?」
「今オレらが拠点にしている家をくれ」
「家?」
「オマエの言ってたデカイ建物の近くに建ってるやつだ」
「…………あぁあれか! うーん、多分オーケーだと思うけど私の一存では無理かな。聞いてみるよ」
「わかった」
「他には?」
「ん、そうだな。あの家の修理、とかか? 水回りとかもろもろ使えるようにしてくれると助かるんだが」
現在は裏手の川から水を汲んできているので面倒なのだ。
以前の拠点である荒野と比べればはるかに楽ではあるが、それはそれ。もっと楽にできるのならば、それに越したことはない。
「では、それも一緒に聞いておこう。他にもあるかい?」
「あー、そうだな。……オレらの身の安全の保障、とかか?」
「うん。それは上に聞かなくてもここで返事ができるね」
こほんとわざとらしく咳ばらいをしたエリックは、真面目な顔を作りリオンに向きなおった。
「〈薄明〉所属の高位召喚師であるこの私、エリック・ストライドの名において誓う。君達を虐げるものがいるのなら私が全力で守り抜こう。君達に危険がせまるのなら私が全力で排除しよう。君達が困っているのなら私が全力で力を貸そう。――だから、君達もこの私を信じて力を貸してほしい」
「…………一つ、聞いてもいいか?」
「……? なんだい?」
真面目な表情から一片、不思議そうに小首をかしげるような仕草をしたエリック。
「なんでオマエはそこまでしてくれるんだ? 昨日会ったばかりの、問答無用で襲ってくるようなやつに、どうしてそこまでしてくれる? 自分で言っておいてなんだが、オマエ達にそこまでメリットがあるようには思えない――何故だ?」
わからない。
この男が何を考えているのかリオンには全くわからない。
森を管理できる存在が現れたから?
それだけ?
ありえない。
言ってはなんだが、時間をかければ、そしてシロという存在がいなければ、この召喚師達ならばいずれ問題を解決できるだろう。
リオン達にそこまで金をかける意味は無いし、釣り合いが取れるとも思えない。
もしかするとこのお人好しな顔はフェイクで、自分はまんまと騙されているのではないか。そう考えた方がまだ腑に落ちる。
先程、自分は悪魔なのだから他人を利用しても、自分が良ければそれでいいとは思ったが、これはこれで気持ちが悪い。
「何故と言われても……」
心底不思議そうに、エリックは答えた。
「人を助けるのに理由なんていらないだろう?」
「――――は?」
「だから、困ってる人がいるなら助けるのは当然で、そこにたいそうな理由付けなんていらないだろう。助けたいから助ける。それだけさ」
至極当たり前のように言い切ったエリックとは逆に、リオンは言葉に詰まる。
助けたいから助ける?
理由はない?
なんだそれは。
意味がわからな過ぎて、リオンは頭を抱える。
「あー。オレらの境遇に同情して……とかじゃなく?」
そうだ。まだ同情しただの可哀想だのと言われた方が納得できる。
こちらの事情をほぼ何も話していない状況で同情もクソもないかもしれないが、少なくともこの男ならナイの扱いに関しては大体察しているだろう。
「……もちろんその感情が全く無いと言えば、嘘になるよ。でも、それでもやはりそんなの関係なく助けたいと思った。その気持ちは嘘じゃない」
一度言葉を切ったエリックは、真っ直ぐにリオンを見つめる。
澄み渡る青空のように綺麗な色がそこにあった。
「たしかに君達は人に危害を加える可能性がある危険な彷徨獣かもしれない。でも無闇矢鱈に人を襲うような馬鹿な子達だとも思えない。きっとそこには何かしらの理由があったんだろうって私は思う。昨日のナイさん? もそうだけど、彼女にだって、彼女なりに我々を襲う理由があったんだろう。まぁ、ブライト――後輩を怖がらせたことについてはキチンと謝ってほしいが、正直、私自身についてはもう気にしていないよ」
そういってへらりと笑うエリックに、リオンは完全に言葉を失う。
その理屈なら適当に理由付けをすればなんでもいけそうな気がするが、きっとこの男はそういう意味で言ったのではないのだろう。
それぐらいはリオンにもわかる。
「…………フ、ハハ」
「どうし――」
「ヒャハハハハハハ!」
「うわビックリした。なんだい急に」
心の底から笑いが溢れる。
わかった。
理解した。
こいつは馬鹿なのだ。
それもただの馬鹿ではない。超が付く馬鹿なのだ。
今時そんな人間がいるなんて思いもしなかったが、実際目の前にいるので信じざるを得ない。
あぁ、可笑しい。
だが――嫌いではない。
助けたいから助けるなどと、ともすれば傲慢だと思われかねない思考だ。だが、それを実行できてしまう力がこの男にはあるのだろう。
そして何よりこの男はただ純粋にそうしたいと思ったからやるのだ。
裏など初めから存在しない。
何故なら馬鹿だから。
「オマエって馬鹿なんだな」
いまだ止まらぬ笑いの隙間に、ぽろりと本音が溢れた。
「ストレートな悪口だな。どうかと思うよそれ」
「悪い悪い。そういうつもりで言ったんじゃねーんだ。気を悪くしたなら謝るよ。すまねぇ」
「よし、許す」
「あんがとよ」
「いや、そんな簡単に許しを与えないで、もっと怒ってください!」
「えー。でも彼謝ってるし、悪口を言ったわけじゃないって――」
「どう考えても悪口だ。騙されるなエリック」
「グリフの言う通りです! それにこいつは悪魔なんですから平気で嘘をつきますよ!」
「おいおい決め付けは良くないぜ騎士さんよ。たしかにオレは悪魔だが善良な悪魔だ。嘘なんて今まで一度として吐いたことはねぇよ。ククク」
「このっ、いけしゃあしゃあとっ!」
「まぁまぁクロス。落ち着いて。紅茶飲むかい?」
「エリック様が落ち着き過ぎなんです!」
先程までの神妙な空気はどこへやら。
黒髪の男、クロスの怒声とそれをなだめるエリックの声が部屋に響く。
そしてよせばいいのに、リオンは楽しくなってしまい、ついクロスに突っかかる。
もちろん本気などではないし、リオンとしてはじゃれているだけだが、クロス的にはそうではないのだろう。
目を釣り上げリオンに対して怒りを露わにしているのだが、それが楽しくて仕方がない。
こういう時に自らが悪魔だということを強く実感する。
相手からしたらたまったものではないのだろうが。
「もうそのへんにしてあげてくれ。このままではクロスの血圧が上がりすぎて死んでしまうよ」
「そりゃ大変だ。悪かったよ」
「こんなことで俺は死にません! それと、お前の謝罪には心がこもっていない!」
ビシィッと効果音がつきそうなほど勢いよく指を眼前に突きつけられる。
それを適当にあしらえば、さらにクロスの怒りに火がついた。
「……そんなモノを悪魔相手に期待する方が間違っているような気がするのは、俺の気のせいか?」
「やれやれ。クロスは真面目だからなぁ」
そんな会話が騒ぐクロスの後方から聞こえ、リオンは笑みを深める。
馬鹿だなんだと言いはしたが、本当にリオンはエリックを馬鹿にした意図はないのだ。
ただ純粋に、尊敬したのだ。
それを素直に出せなかっただけで、他意は――ほんの少ししかない。
昔の自分ではあり得ない思考に気付き、また笑いが溢れる。
もしこれがナイ達に出会う前の自分なら、百パーセント純粋に馬鹿にしていただろう。
クソみたいな傲慢な考えを罵倒したかもしれないし、好ましいとは微塵も思わなかっただろう。
自分以外の存在に価値など見出していなかったし、守りたいと思うような大切なものなんてなかった。
ましてや家族なんて存在を許容している自分がいるなんて、絶対に信じないだろう。
自分中心で他人は利用するもの。自分以外の存在の為に行動したり考えたり、ましてや気遣いなどあり得ない。
そんな悪魔だったはずなのに。
今では随分と丸くなってしまったと、リオンは本気でそう思う。
弱くなったという見方もあるが、それが悪いこととも思えないので後悔はない。
「おい、何を笑っている。反省しているのか!」
「ハイハイもちろん反省してまーす。ごめんねクロスくん!」
わざと煽るように言えばクロスの額に青筋が走る。
「はーいそこまで! いい加減にしなさい二人とも。私もそろそろ怒るよ?」
「むぅ。申し訳ありません」
「悪かったよ」
「はぁ、まったく」
この世界は理から外れた召喚獣には生き辛い。
故郷に帰ることもできず、素直に受け入れられることもない。
故に召喚術という理不尽な力を忌み嫌っていたが、そのおかげで大切なものを見つけることができたともいえる。
とても複雑な気分だ。
でも少しだけ、ほんの少しだけでも――このクソみたいな世界と人間も捨てたもんじゃないと、そう思えるようになれたのは目の前の召喚師達のおかげかもしれない。
少し長居してしまったリオンはカップに残った紅茶を一気に飲み干して、中途半端になっていた話をエリックと纏める。
謝罪の日取り。森の管理と条件。首輪の解除。
謝罪や首輪の話はともかく、森の管理云々の話はエリックの所属組織に相談をしないといけないので少しばかり時間がかかるらしい。
それと「君達を信じてないわけではないのだが、一度だけ君達がシロと呼ぶ彷徨獣に直接合わせて欲しい。一応確認しておかないといけないから」とエリックが言うので、明日森の外で会う約束を取り付けた。
そして話し合った結果、次にここへ来る日は一週間後となった。
本当は早ければ三日もあれば決められるらしいが、上の老人達が渋る可能性も少なくないとのこと。
だがエリックが「必ず上からのいい返事をもぎ取ってくるので、待っていてくれ」と胸を叩いて豪語するので、リオンはただ信じて待つことにした。
エリック邸を後にしたリオンは、一応薬屋にも寄って風邪薬を買った。
必要はないだろうが念のためだ。それに今回使わなかったとしてもまた誰かが風邪をひいたときに使えるだろう。
そうして町の出口へと向かっていたリオンの目に、とある店が飛び込んできた。
可愛らしい外観。いかにも女性が好みそうなその店の前には可愛らしい店の雰囲気とは逆に、どうにもよくわからない謎の生き物の人形がエプロンを着て「いらっしゃいませ」と客を歓迎していた。
(なんだこれ……)
中を覗くとどうやらケーキ屋のようで、いろいろなケーキが置かれていた。
(遅くなっちまったし、アイツらに土産でも買ってくか)
よくわからない謎の生き物の歓迎を受けながら、リオンは店内へと足を踏み入れる。
甘ったるい匂いに一瞬眉を顰めるも、すぐに持ち直しディスプレイの中のケーキを選び始めた。
「ありがとうございました。またのお越しを」
ふわふわした店に似つかわしくない凶悪な顔をした店主からの見送りの言葉を背にリオンは店を出る。
手には五種類のケーキが入った小さな箱。
崩さないように慎重に運びながら、リオンは家路を急いだ。




