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27 宝物

 ずぶ濡れになった服を脱がされ、乾いた服を着せられる。

 自分も全身濡れているくせに後回しにして、先にナイの世話を焼くミリーナにナイはぼんやりとした視線を投げながら、小さく口を開く。


「……風邪、ひくぞ」

「だったら自分の事くらい自分でやってよね、まったく」

「ほっ――っ、ぁ」


 いつものような突き放す言葉が口をついて出そうになり、慌てて一度口を閉じる。

 しかし続いて何を言えばいいのかわからないナイは、俯き絞り出すように謝罪の言葉を口にした。


「…………ごめん」


 ミリーナからの返答は何もない。ただ無言でナイの外見を整えている。

 ミリーナの手からタオルを受け取り、まだ濡れている自身の体を拭くぐらいしてもいいはずなのに、そんな簡単な事すらできなかった。

 寒さだけではない震えが、ナイの体を小さく揺らす。


 ミリーナの顔が見れなかった。

 怖かった。どうしようもなく、怖かった。

 いつもなら何でもない事が酷く恐ろしい。

 もし顔を上げた先、ミリーナの顔が嫌悪に歪んでいたらと思うと、心の奥底から恐怖が沸き上がる。


 目を逸らし続けた現実を直視し、受け入れた結果、ナイの中に執着が生まれた。

 ずっと前からあった執着心だが、それでも、少し前までならまだ平気だった。

 今この瞬間に顔を上げて、ミリーナの顔がどのような表情だったとしても、耐えられた。

 嫌悪だろうが、呆れだろうが、笑顔だろうが、そのどれであろうと、どうでもいいとすら思えただろう。

 そして、結果的に自分の元を去ったとしても、それほど心を痛めずにすませられたはずだ。


 しかし、もう、そうではない。


 嫌われることが怖い。

 離れられるのが怖い。

 一人になるのが怖い。


 怖い恐いこわいコワイ。


 何が何だかわからない、常識が通じない恐ろしい世界に、ただ一人、放り出されることが、耐えられない。

 人を人とも思わぬ人間が、自分のすぐそばにいるかもしれない現実に恐怖しかない。


 一人で良いと思っていた。むしろ、一人が良いとさえ思っていた。

 自分以外の他人などはただの雑音で、自分を煩わせるだけの存在なんだと。


 しかし、そんな心を殺した化け物(自分)はいつしか鳴りを潜め、他者の暖かさを求めるナイ(自分)になっていた。

 誰かが傍にいてくれることに、ひどい安心感を覚えていた。


 いつも寄り添ってくれたリオン。

 いつも笑顔を向けて語りかけてくれたハリス。

 いつも自分なんかを気にかけてくれたミリーナ。

 殺そうとした自分に懐いてくれたシロ。


 自分が何をしても離れずそばにいてくれた彼らに、いつしか化け物は安らぎを覚えた。


 わかっている。これは単なる甘えだと。

 何をやっても彼らなら許してくれるだろうという、甘えた考えの上に成り立っている関係だと。


 わかっている。それがいつまでも続かないだろうことは。

 愛情は有限であり、こちらが相手を蔑ろにしてばかりいれば、いつかは終わる。


 わかっている。でも辞められなかった。

 傷付きたくなかったから。早く終わりが来れば良いと、そう思っていたから。


 なのに―― 


 帰り道、ずっと手を繋いでいてくれたリオンの手の暖かさに安堵した。


 怒りながらも、ずっと話しかけてくれていたハリスに安堵した。


 リオンと繋いだ反対の手を、そっと握ってくれていたミリーナに安堵した。


 あんなに傷付けたのに、まだ自分を守ろうとしてる馬鹿な自分に愛想をつかさず、それでもそばに居てくれた皆に安堵した。


 リオン用の大きな傘を差したミリーナを中心に、ぎゅうぎゅうになりながら収まり帰った帰り道。

 リオンだけは入りきらず、そのほとんどが雨に濡れていたが、気にしたそぶりも見せずにナイ達よりも少しだけ先を歩いていた。


 どこにも行かないように。勝手に離れないように。そう繋がれた両手は酷く暖かかった。

 まるで幼子のような扱いに、冷静な自分が頭の片隅で『いい大人がみっともない』と囁く。

 しかしリオンはともかく、一回りは離れているだろうミリーナや、さらに幼いハリスに世話を焼かれてる時点で、正直今更感が拭えない。


 今だってそうだ。

 一から十までミリーナに世話を焼かれている。

 頭では自分でやれと命令を出しているが、体が動かない。

 俯いたまま目を固く閉じ、世界をシャットアウトすることしか今のナイにはできなかった。


「……ねぇ、ナイ」


 ふとナイの髪を拭いていた手が止まったかと思うと、柔らかな声がナイを呼ぶ。


「……、……――っ」


 返事をすることすら、恐ろしい。

 意味もなくパクパクと開閉させるだけの口が恨めしい。

 変わらないといけないのはわかっているのに。


 その一歩が、まだ、踏み出せない。


「ねぇ、ナイ」


 それでも、怒ったそぶりも見せず、変わらず柔らかな声がナイの耳をくすぐる。

 ナイの頭に被せられたままのタオルからミリーナの手が離れた。

 そして、そっと小さな両手がナイの頬を包みこみ、俯いていた顔をゆっくりと持ち上げる。


 雨で冷えたのだろう、冷たい手。

 しかし、じんわりと伝わる暖かさに、たしかにミリーナがここにいる事をナイに伝えてくる。


「ナイ」


 すぐそばで聞こえる声に、ゆっくりと目を開ける。

 開けた視界に広がるのは、嫌悪に歪むミリーナの顔――


「やっと、見てくれた」


 否。優しく微笑むミリーナ。

 視界いっぱいに広がる温かな笑顔に、ナイは思わず一歩後ずさる。


「怖がらないで」

「――ッ!」


 離れようとした体はミリーナの声によって静止する。

 微笑み、ゆっくりと顔を近づけてきたミリーナは互いの額をくっつけた。あまりの至近距離にナイの視界にはミリーナの顔しか映らない。


「大丈夫。大丈夫だから。何があっても、私は、私達はあなた(ナイ)の味方。だから、私達を怖がらないで。離れようとしないで」

「…………」

「私達はあなたを傷付けるようなことはしない。だって――ナイが大好きで、大切だから」


 あぁ、どうして彼女は、いや、自分の周りの人間は、こうも優しいのだろうか。お人好しと言っても良いレベルだ。

 いや。だからこそ、今までこんな自分(人でなし)なんかと一緒にいてくれたのだろう。


 顔を伏せたくても、伏せられない。

 目を逸らしたくても、逸らせない。

 否応なく目の前の緑の瞳と視線がかち合う。


「もし、ナイも私達のことを大切だと、好きだと少しでも思ってくれているのなら、勝手に決めて、勝手に走らないで。もっと私達を頼って、信じて。あとは、そうね、もっとお話をしましょう」

「……はな、し?」

「えぇ。だって私達には人の心を読む力なんて無いもの。だからキチンと言葉にしてくれないとナイの本当の気持ちはわからない。そうでしょ?」

「……」

「そうしたら、きっと今よりももっと仲良くなれるわ!」


 太陽のように眩しい笑顔でミリーナが笑う。

 ナイの頬に当てられた両手が離れミリーナの元へ戻っていく。

 一歩下がったミリーナは可愛らしく小首を傾げ、人差し指をその頬に当てた。


「まぁ、仲のいいお友達というより、私はもうみんなのこと家族みたいに思ってるけどね。リオンはぐうたらなお父さん……は苦情がきそうね。お兄ちゃんかしら。ハリスはしっかり者の次男で、私の弟! それからナイは――」


 一度言葉を溜めて、ナイと視線を合わせたミリーナは、また、笑う。


「ナイはね、一人じゃなんにもできないダメダメなお姉ちゃん。お母さんでもいいかもしれないけど、私とそんなに年も離れてないし、なにより母親って感じじゃないもんね」


 いたずらっ子のような笑みを見せたミリーナは、固まったまま動けないナイにはお構いなしに、さらに畳みかけるように口を開く。


「ナイがお姉ちゃんで長女だから、私が次女ね! みんなの健康とお金の管理をするデキる次女! ハリスはまだ大丈夫だけど、上の二人は放っておいたら酷い事になるもんね。特にナイは!」


 うんうんと一人大袈裟に頷きながら話し続けるミリーナ。『ナイは』の部分がいやに強調されていることが気になるが、ナイには何も言い返せない。なにせ事実だから。

 自分の身なりがどうなろうと気にしなくなっていた。気にすることもなかった。それ以上に、生きるというだけで必死だったから。


 召喚師の元で生活していた約一年間。ほぼ檻の中の生活。血や泥に塗れることも普通の生活。

 さすがにあまりにも汚れていたり、臭えば人前に出れないうえ、召喚師の方も嫌がるので、水浴び程度は定期的にさせられていたが、それだって自主的ではない。

 そんな生活を一年続けていたのだ。自分の事なんてどうでも良くなる。

 召喚師の元から離れたあともどうでも良かった。化け物は見た目なんか気にしないから。


 しかしリオンと出会い、世話を焼かれるうちに少しだけ人間らしさが戻ってきた気がした。

 それでもあまり気にはならなかったが。


 ハリスが来てからは、ハリスにも世話を焼かれるようになり、食事や会話の回数が増えた。

 また、一歩。人間らしさが戻ってきていたような気がした。

 でも、まだ、そこまで気にはならなかった。


 ミリーナが来てからは、さらに人間らしい生活を送るようになった。

 細かった体には肉が付き、ボサボサだった髪は、いつも綺麗に梳かれた。

 定期的にミリーナと風呂――ほぼ水浴びだが――へ入り、全員で一日三度の食事を取り、最近では少しだけだが眠れるようになった。特にリオンのそばにいると、よく眠れる。きっと無意識に安心していたのだろう。


 そうして化け物はどんどん人間らしさを取り戻していった。


 今思えば、ただの名無しの化け物だった自分は、リオンに『ナイ』という名前を貰った時点で、化け物ではなくなっていたのかもしれない。


 無い無い尽くしだからナイ。


 たしかに何も持っていなかった。捨ててしまった過去の自分。

 ナイという名前を受け取ってしまったあの時から、きっともう執着は始まっていたのだろう。


 大切な名前を貰った。

 自分という存在を貰った。

 この世界で生きていくための居場所を貰った。


 そんな気が、した。


 人間だった自分は死んで、獣に落ちて、化け物に生まれ変わったけど、その先で人間でも獣でも化け物でもない自分(ナイ)に出会えた。


 大切な、とても大切な宝物。


 もう山田夕月(ただの人間)には戻れないけれど、死んでしまった彼女の手向けにはなるだろう。


「……ミリー、ナ」

「なぁに?」

「――ぅ、その、ぁの」


 上手く言葉が出てこない。

 自分はいつもどうやって話していたのだろう。

 会話というものはどうやれば良かったのだろう。


「ゆっくりでいいのよ。ちゃんと、待ってるから」

「…………すぅ――はぁ」


 深呼吸を一つ。

 好意を伝えてくれたミリーナに、自分も少しは返さないといけない。


「――ミリーナ。その、傷付けて、ごめん。話を聞かなくて、ごめん。怖がらせて、ごめん。それから――」

「……それから?」

「……その、今までも、いろいろごめん」


 頭が回らないせいか、なんともふわふわとした謝罪ばかりが口をつく。


「うーん。二十点ってところかな」

「にじゅ?」

「たしかに、悲しかったし、怖かったよ。謝ってくれたのも嬉しい。でももっと他にあるでしょ?」

「他……」

「ヒントは『あ』から始まって、『う』で終わる言葉。私、今はそっちの方が聞きたいな」

「あ、から、う? あ、――――あり、が、とう……?」


 伺うようにミリーナを覗き見る。

 背景に花が咲いたような、華やかな、温かな、そんな、満面の笑顔がそこにはあった。


「うんうん、今はそれで良し! 少しずつ一緒に前に進んでいきましょう。だから、これからはちゃーんと、自分の気持ちを言葉にしてね! 約束!」


 小指を立ててこちらへ差し出してくるミリーナ。

 その白く細い指に、ナイは自らの小指をそっと、時間をかけて、遠慮気味に絡める。

 軽く上下に揺らされた手は、何度目かの動きでそれぞれ離れた。


「あ、それと」

「?」

「今の、リオンとハリスにも言ってあげてね」

「…………」


 気恥ずかしくて視線を逸らす。


「ね?」

「…………わかった」

「よろしい。そのあとでみんなでお話しましょう。とりあえずは召喚師(あの人)達の事とかね。ナイ誤解したままでしょ」

「ぅ……それは、そうやけど」

「ナイの過去を私は知らない。話したくないなら無理に話さなくてもいいし、こっちも無理に聞こうとは思わない」


 思わず手に力が入る。

 聞いて欲しいような、聞いて欲しくないような。

 誰かに辛い気持ちをわかって欲しいと思う反面、絶対に知られたくないとも強く思ってしまう。

 それにきっと、優しい彼女達のことだ。ナイの話を聞けば心を痛めてしまうのが容易く想像できる。


 正直、今はまだ心の整理が追いついていない。自分でもどうしたいのかがわかっていない。


「でもね、ナイ」


 続いた言葉にナイは逸らしていた視線をそっと向ける。

 なんとなく、その先の言葉が予想できたナイは、知らず口を堅く結んだ。

 そんなナイの様子を見たミリーナは、ナイとの距離をさらに詰めると、安心させるように微笑みナイの両手をそっと包み込む。

 白く綺麗な手が、ナイのガサガサで傷痕だらけの手を優しくさするように握り込んだ。


 幼児(おさなご)をあやすように、怖がらせないように、そんなミリーナの気遣いが感じられた。

 しかし甘やかしてばかりもいられない。ダメなことはダメだと教えなければならない。

 そんな風に思ったのだろう。数拍おいて、ミリーナは眉に力を入れ真剣な表情を作る。

 言わなければいけないことを、言うために。


「――いくら辛い過去があるからって、それを免罪符になんでもやっていいわけじゃないのは、覚えておいて。ましてや、勘違いとはいえ今日のナイは人を殺そうとした。何の罪もない人を」


 わかっている。あの召喚師達はハリスやミリーナが言う通り、何もしていないのだろう。

 ただあの男(あのクズ)と同じ召喚師(属性)というだけで、嫌悪の対象にした。決めつけた。今までのように。


「ナイの過去は同情されるべきかもしれない。ナイの心をズタズタにしたのかもしれない。ナイの人生を狂わせたのかもしれない。……それでも――それとこれとは別問題なの」


 わかっている……そんなこと、言われなくとも、わかっていた。


「だからってナイのことを否定してるわけじゃないのは覚えておいて欲しい」

「……わかってる。ミリーナの言いたいことも、わかってる、つもりや」

「うん」

「うちは、超えたらあかん一線を、越えようとした。それはどれだけ正当性を訴えたとしても、ただの言い訳にしかならへんし、免罪符にもならへん」

「そうね。じゃあどうする?」

「……謝る」

「謝っても許してもらえないかもしれないわよ。もしかしたら会ってもらえないかもしれない。ナイの自己満足のために謝りたいの?」

「別にそういうわけやないけど……謝罪が許されへんのなら、ずっと罪を罪として背負う。うちには、加害者にはそれしかできひんし」


 両手を包むミリーナの手に力が入る。

 謝ってはい終わり。そんな簡単に終わらせていいことではないのはわかっている。

 謝罪を受け入れられたとしても、ナイが召喚師達を問答無用で殺そうとした事実は変わらない。罪が消えるわけではない。


「それなら、明日みんなで謝りに行きましょう」

「は? いや、おまえらまで来んでも……」

「ナイ一人で行かせるのも心配だし、何より――ナイを止めきれなかった私達だって悪いもの。身内が道を踏み外しそうなら、殴っても止めないと、でしょ」


 むん、と力こぶを作ってみせるミリーナに、思わず笑いが込み上げる。

 筋肉の付いていない柔らかそうな腕で殴られても痛くはないだろう。

 しかし物理的には効かなくても、精神的にはかなりのダメージを食らうのだろうなと、ナイはミリーナを見て考える。


「じゃあ、また(おんな)じような事した時には、殴ってでも止めてくれや」

「ふふ、まっかせて! きっついのをお見舞いしてあげるわ!」


 しゅっしゅと口で言いながら、何度か握り拳で素振りを始めるミリーナ。

 とても威力が有りそうには見えないそれを、不思議とナイは穏やかな気持ちで見ていた。


 ミリーナのパンチは痛くはなさそうだが、ハリスやリオンのパンチは物理的にも痛そうだ。正直あまり受けたくはない。

 今すぐに意識を変えるのは難しいかもしれないが、これからは気を付けよう。

 そう思ながらナイは目の前の少女を見る。

 パターンを変えながらナイを殴る練習をしているミリーナ。服や髪は水分で重くなり体に張り付いている。

 このままでは本当に風邪を引いてしまいかねない。


 ナイは自分の頭に乗っているタオルを掴み、それを目の前にいる少女の頭に被せる。

 小さな悲鳴のようなものがミリーナから漏れたが無視をして優しく髪を拭く。

 こんなふうに誰かの髪を乾かすことなんてないので力加減も勝手も何もかもがわからないが、いつもミリーナがやってくれているのを思い出しながら丁寧に水気を取っていく。


「……とりあえずこんなもんか?」

「うん、ありがと!」

「……はよ服も着替えた方がええぞ。ほんまに風邪引く」

「うーん。そうしたいのは山々なんだけどー、何故か体が言う事を聞かないのよねー。あーあ、誰か着替えさせてくれないかなぁ?」


 わざとらしい声音にチラチラとした視線を送ってくるミリーナにナイはたじろぐ。

 どうすればいいのか。

 ミリーナの着替えはどこにあるのか? 新しいタオルはどこに? 体が冷えているだろうから風呂に入れた方が?


 ぐるぐると頭の中に浮かんでは消える疑問に答えが出ないまま固まっているナイを見てミリーナは笑う。それはそれは、楽しそうに。嬉しそうに。


「あはは、冗談よ。私は、誰かさんと違って自分のことはちゃーんと自分でできるからね。あ、でも着替える前にやっぱりお風呂――」

「おーい、お嬢さん方。風呂沸かしたから先に入ってこい。風邪引くぞー」


 ミリーナが言い切る前にタイミングよく、ドアをノックする音とリオンの声が部屋の外から聞こえた。


「あら、グッドタイミング。はーい、今行く! ね、ナイも一緒に入るでしょ」

「いや、うちは……」

「いいから入るの! ――ほら行こう!」


 テキパキと準備を済ませたミリーナは、準備したものをナイへと手渡す。そのままナイの腕を取り扉を開けた。


「んあ? ミリーナまだ濡れてんじゃねーか。大丈夫か?」

「誰かさんの面倒見てて、自分のことできなかったのー」

「ククク。まぁーったく……その誰かさんは本当に世話が焼けるなぁ」

「ねー」

「……ごめんて」


 笑う二人に居心地の悪さを感じながらも、不思議と嫌な気持ちは湧いてこなかった。


「あれ、二人ともまだ入ってないの?」


 頭をタオルで拭きながら男部屋から出てきたハリスは、廊下に溜まるナイ達へ不思議そうな視線を向けてきた。


「いま入ろうとしてるとこよ」

「ほらほらさっさと行ってこい」

「はーい、ありがとリオン。ハリスもお先に」

「ごゆっくりー」

「行きましょ、ナイ」


 腕を引かれミリーナと共に風呂へと入る。

 もう何度も一緒に入っているので今更だが、なんだか少々気恥ずかしい。

 いつもなら烏の行水よろしく、すぐ風呂から出てしまうナイだが、今回ばかりはミリーナと二人、ゆっくり過ごした。

 そして風呂から上がったナイは、着ていた服を身に纏う。


「あ、ナイ。首の怪我まだちゃんと治ってないんだから、リオンに治してもらってね。そのあと包帯巻くから触っちゃダメよ」

「別にもうほっといても――」

「――ナーイー?」

「ごめんなさい」


 何故かミリーナの背後に黒いモノが見えた気がするのは気のせいだろうか。


 着替え終わったミリーナと共にキッチンへ移動したナイは、夕飯の準備をしていた男二人に声をかける。

 風呂が空いた事と怪我の治療をしてくれるよう伝えたあと、夕飯の準備をミリーナが代わり、ハリスは先に風呂へと向かい、ナイはリオンと共にリビングにしている部屋へと向かった。


 リオンの治療を受け、ほぼ治った傷の上から丁寧に包帯が巻かれる。

 いつもの重苦しい金属の感触とは別の、温かな包帯の感触がなんだかむず痒い。


「こら、触んな」


 無意識に触ろうとした左手をリオンに叩かれ落とされる。


「ったく。おいシロ、オレは風呂入ってくっから、その間ナイが首触らねえように見張ってろよ」

「ワフン!!」


 そばで見ていたシロに見張りを頼んだリオンは、風呂に入るために腰を上げた。

 そしてキッチンのそばを通りかかりざまにミリーナへ声をかけている。


「…………」

「グゥッ」

「わぁってるよ」


 包帯の上から首をさするように触っていたのを見咎めたシロに、鼻先でつつかれる。

 今のはいつものように掻き毟ろうとしたわけではないので見逃してほしいが、シロにはそんなこと関係ないのか、リオンからの任務を遂行するべくナイの挙動に目を光らせていた。


 そんなシロの鼻先を撫でたナイは、キッチンへと足を向けた。

 その後ろをシロがとことこと付いてくるさまがなんだかとても可愛らしく思え、無意識にナイの口角が上がる。


 キッチンに立つミリーナの背に何か手伝えることは無いか聞くも、何も無いと無残にも追い出された。

 結局することもなく暇を持て余したナイは、リビングにてシロと戯れて時間を潰すことにした。

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