25 何も見えない聞こえない
許セナイ。
許サナイ。
奪ワセナイ。
ナイの思考は一瞬で怒りという名の殺意で塗り固められた。
「ァァァアァアアアァアッ!」
無意識に首元へ伸びていた両の手は、乱雑に己の首を掻きむしる。
殺ス。
殺ス。
殺ス。
絶対ニ――殺ス。
「――よくもハリスを」
「『やめろ〈て〉、ナイ!』」
「え、あの人が?!」
血と雨に濡れた手で杖を握り直し、ナイは飛び出した。
静止の声が三つ聞こえたが、こればかりは聞き入れられない。
抵抗しなければ、大切なものもすべて奪われる。
もう自分から何か奪うのはやめろ。これ以上奪うな。
ナイが狙うは召喚師。どちらでもいい。まずは残しておいては面倒な相手を潰す。戦闘態勢がまだ整っていない相手だからこそ、今だけが唯一狙えるチャンス。奥に引っ込まれる前に確実に一人は潰しておきたい。
召喚師は肉弾戦は不得手だ。懐に入ってしまえば命を奪うのは容易い。
己に近い方の召喚師へと一息に間合いを詰める。
狙うは召喚師の心臓。ただ一点のみ。
桃色の髪をした男の呆けた顔が目に映る。
鋭く尖った石突部分を突き出し、殺意の籠った一撃を放った。
「マスターッ!」
「うわっ!」
しかしその一撃はこの召喚師の守護獣であろう機械人形に防がれる。
失敗した。ナイは瞬時に目標を切り替える。
鍔迫り合いは一瞬。
「待ッテクダサイ。話ヲ聞イテクダサイッ」
「そ、そうだよ! ちょっと落ち着いて!」
人形と召喚師が何かを言っている。
どうでもいい。
召喚師達は平気で嘘を吐く、平気で人を貶める。
召喚師に与する人形もきっと例外じゃない。
聞く耳なんて持ってはいけない。
一度引き、もう一度攻撃を仕掛けようと杖を振りかぶる。
人形が防御の姿勢を見せたのを確認し、ナイは強引に動きを止め飛んだ。
失敗したのならば、深追いはしない。
次だ。まだチャンスはある。
あと一人いる。あと一回は狙える。
人形との打ち合いの間に、騎士ともう一人の守護獣が金髪の召喚師とナイの射線上へと体を滑り込ませていたが、そんなもの背後に回れれば関係ない。
機械人形の頭を超え、その他の人間の頭を超え、その先へ。
連中の最後尾、ハリス達と最も近い位置にいた金髪の召喚師の背後へと。
「エリック様ッ!」
ナイの狙いに気付いた騎士が声を上げるが、一手遅い。
着地と同時、ナイは逆手に杖を繰り出す。
動きについてこれていない召喚師のがら空きの背中に。
こいつは潰す。確実にここで殺せる。
この召喚師は様付けをされていた。ならば、この一団の中でも上位の人間だろう。
その人間を潰せれば、多少は連中の動きも鈍るはず。
そこを狙う。
騎士と翼人が守りに入ろうと動くが、それよりもナイの攻撃が届く方が早かった。
(まず一人)
「ダメだよ! ナイ!」
しかし、確実に取れたであろうナイの攻撃は、召喚師の背中に刺さる前に、味方であるはずのハリスによって防がれた。
ナイが繰り出した右腕にしがみつき、全力で止めに入るハリス。
「――ッ!」
その目に涙が浮かんでいるのを見て、一瞬冷静になりかけたナイであったが、彼に巻かれた包帯が視界に入り再度頭に血がのぼる。
ナイが腕に力を入れたのに気付いたハリスが慌てたように引き止めた。
「ナイお願い、話を聞いて!」
「――必要ない。召喚師は殺す」
「落ち着いてナイ。この人達は悪い人達じゃないわ。きっと何か誤解して――」
「――何を? 何も誤解なんてしてへん。召喚師は悪。だから殺す。人間も殺す。敵対する相手も殺す。それだけや」
「だからっ!」
尚も言い募ろうとするハリスに、ナイは被せるように口を開いた。
「悪くない召喚師なんて存在せぇへんやろ? だって召喚術自体が悪なんやから、それを使う召喚師は悪。勝手に呼び出して、勝手に召喚獣という名の道具として使い潰すクソみたいなやつらやんけ。なぁ、ハリス、ミリーナ。うち、なんか間違ってるか?」
「……それは」
捕らわれていない手が首へとのびる。
雨の匂いの中に混じる血の匂いが濃くなった。
「この首輪だってそうやんけ。言う事聞かへん召喚獣をむりやり言う事聞かせるためのもんやんけ。恐怖と苦痛で支配するためのもんやろうが。あぁ……忌々しい。忌々しい。忌々しいクソ召喚師がよぉッ!」
ガチャガチャと耳障りな音をたてる首輪にナイの苛立ちはさらに募る。
「ナイ! 血が!」
敵へ視線を向けると召喚師二人は戦士系の連中に守られてしまっていた。
「ナイ! もうやめて、死んじゃうわよ!」
もう召喚師を直接狙う事はできない。あぁ、どうにも面倒なことになった。
どうするか。
イライラする。
早く殺さないと。
首が熱い。
全部奪われる。
動きづらい。
「――ナイ」
低い、それでいてこの雨の中でもはっきり聞こえる声に思考を遮られる。
血で濡れた左手が、後ろから伸びてきた大きな手に掴まれ引き剥がされた。
最近で見慣れてしまった褐色の肌に浮かぶ桜色の綺麗な爪。
「……リオン」
「ナイ」
「手、放せや」
「断る」
「……おまえも、うちの邪魔すんのか?」
「そうじゃない」
「じゃあ――」
「――今オレがこの手を放せば、オマエ、死んじまうだろ」
「……」
「それにな、よく見ろ」
何を、とは言えなかった。
口に出さなくてもわかったから。
ナイの攻撃を止めるために捕んでいたはずのハリスの両腕は、今やその腕が敵ではなくナイの首へと伸びるのを阻止するべく動いていた。
必死にナイの右腕にしがみ付き、涙と、鼻水と、雨とでぐちゃぐちゃになった顔がナイを見つめている。
そして、血で汚れるのも厭わずにナイの左手を握りしめる、白く柔らかい手。
必死に止めようとしていたのか、きつく握られた小さな両手がリオンの無骨な手の下にある。その手の先に居るのは当然ミリーナ。
彼女も目から大粒の涙を流しながら、悲痛な面持ちでナイを見返してくる。
「オマエが守りてぇモンを、オマエ自身が傷付けてどうすんだよ」
「……でも」
「でもじゃねぇ。良いから落ち着いて周りをよく見ろ。確かにコイツらはオマエの嫌いな召喚師で、森で戦闘をした本人達だろう。そして確かにハリスは怪我をしている。でもな、だからといって、コイツらがハリスを傷付けたことにはならねぇだろ」
「…………」
ハリスが無言で何度も首を上下に振った。
「オレだって人間なんぞ大嫌いだ。反吐がでる。だからオマエの言うこともわかるし、間違ってねぇとオレは思う。それでも、オマエの話は飛躍が過ぎる」
リオンの手に力が入る。
「ハリスも、ミリーナも、コイツらも、全員がオマエに落ち着いて話を聞けと訴えてただろ」
「…………」
「オマエが召喚師の言う事を聞かないのは、まだいい。だがな、ハリスやミリーナの声を無視してまで思い込みで行動するな」
「……」
リオンの言葉が耳に痛い。
何か言葉を発しようとするが、無意味に口が開閉するのみ。
結局何も音に出来ぬまま、下を向き歯を食いしばることしかナイにはできなかった。
召喚師は嫌いだ、大嫌いだ。だから奴らがやったと決めつけた。
ハリスとミリーナの声は聞こえていたが、聞いていなかった。
自分の感情が抑えられなかった。憎しみだけが先行した。
またいつものごとく、見ようとしなかった。目を逸らしてしまった。
結局自分は、どこまでいっても、壊すことしかできない、ただの、化け物なのだ。
大切だと思っても、守りたいと自覚しても、そばにいて欲しいという気持ちを素直に受け入れても、結局は全部――
ナイの体から力が抜けたのを確認したリオンは、掴んでいた手を離す。
リオンが手を離したのを見たハリスとミリーナも、ゆっくりとナイから手を離した。
支えを失ったナイの両腕がダランと下げられ、力なく揺れる。
まだ少しだけ殺意のようなものは感じるが、暴れる気配は見えないので大丈夫であろう。
「ぐすっ。ナイ、早く止血しないと」
「濡れちゃったけど、とりあえず今はこのハンカチで――」
「――大丈夫」
ミリーナから差し出されたハンカチを押し戻し、ナイは一人森へと足を向ける。
「あ、待ってナイ」
「――ッ! 大丈夫じゃ、ないから、言ってるんでしょ!」
ハリスの怒声に、ナイの踏み出された足が止まった。
ミリーナの手から奪うようにハンカチを取ったハリスは、大股でナイに追いつくと乱暴にハンカチを彼女の首へと当てる。
ナイは黙ったままで、いつものような抵抗はない。
みるみるうちに白いハンカチはナイの血を吸い赤く滲んだ。
「ミリーナ、包帯ってまだある?」
「え、えぇ」
「良かった、準備しておいて。それと、悪いんだけどタオルもらえる?」
戸惑いながらもミリーナは素早く買ってきた荷物からタオルを手に取り、ハリスへと差し出した。
「ありがとう。ねぇ、リオン」
「あぁ」
何が言いたいのかは、わかっている。
ナイのそばに行き、彼女のフードを少しだけずり下げた。
どうせ今は顔を見られたくないだろうから。
ナイの首から垂れる血を、タオルでできるだけ綺麗に拭き取ったハリスがリオンに場所を譲る。
「……」
「今だけは拒否しても無駄だかんな」
フードにかけた手を、そのままナイの首元へ持っていき治療を始める。
角度的に傷口は見えないが、見えなくとも経験でなんとかなるので問題はない。
リオンと入れ替わりにナイから離れたハリスが、成り行きを見守ってくれていたのだろう召喚師一団へと近寄り頭を下げて謝罪しているのが見える。
その後、彼らと何かやりとりをしたあと、こちらへと戻ってきた。
雨も降っているし、あまりここで長居するのも良くないと考えたリオンは、ナイの治療を応急処置程度に終わらせミリーナへと場所を譲る。
譲られたミリーナが手早く――首輪を避け器用に――包帯を巻き付けた。
そして、無抵抗なナイの頭を抱えるように抱きしめ口を開いた。
「ばか! ばかばかばか! ナイの、ばかぁ……」
絞り出すように。言い慣れていないゆえ語彙の乏しい罵倒がミリーナから発せられる。
一瞬、抱きついてきたミリーナを拒絶するようにナイの手が動いたが、その動きは途中で止められた。
中途半端に持ち上げられたナイの両腕が所在なさげに中空を漂う。
「ミリーナの言う通りだよ! 反省して!」
赤くなった目を怒りで釣り上げながら、ハリスはナイの左手を握る。
語気や態度のわりに、彼女の手を握るその手は酷く優しい。
リオンは残った手。杖が握られた右手からそっと杖を奪い取り、ナイの手を握った。
握り返されることのないその手を一度きつく掴み、リオンは口を開く。
「ほら、このままだと風邪引くから、いったん拠点に帰んぞ。ナイの手当もちゃんとしねぇとだしな」
「……えぇ」
「うん」
「…………」
涙を拭きそっとナイから離れた二人は、それぞれ雨でずぶ濡れになった荷物を持つ。
リオンはナイの手を握ったまま、彼女を背に隠すように召喚師と対峙した。
「っつー訳だから、オマエらもさっさと帰んな。風邪引くぞ」
彼らを追い払う様に、右手を振るう。
右手には杖を持っているので、実際は指だけを動かして払うような動作をしただけだが、金髪の召喚師には通じたらしく、意外にも素直に応じた。
「……そうだね。雨も酷くなってきたし、そうさせてもらうよ。さ、みんな帰ろうか」
「え、でも任務――」
「――いいから」
「わ、ちょ、先輩。押さないでくださいよ」
「ほらほら、早く帰って仕事終わりのケーキとでも洒落込もうじゃないか」
「え、先輩の手作りですか!?」
「いや。さすがに面倒だからツクモの店で買って帰ろう」
「やった! 先輩の手作りも美味しいけど、あそこのチョコケーキも絶品なんだよねー」
「チーズケーキもなかなかだと私は思うよ」
「オ二人トモ、食ベ過ギニハ注意デスヨ」
もう頭の中はケーキでいっぱいなのか、にやけた顔をした若い召喚師はリオン達に背を向け帰路につき始める。
金髪の召喚師と機械兵士はこちらへ軽く頭を下げ、彼の後を追った。
「ウチのバカが迷惑かけて悪かったな」
その背にリオンは謝罪を投げかける。
「……いや。こちらこそ、申し訳無い」
律儀に足を止め、こちらへと振り向き、謝罪の言葉を口にした金髪の召喚師。
眉を寄せ、どこか辛そうな顔でこちらを、正確にはリオンの背にいるであろうナイを見る彼に、リオンは素直に思ったことを口にする。
「オマエ、良いやつだな」
「……そうでもないよ」
悲しそうに笑いながら召喚師は否定の言葉を吐く。
では、と再度軽く頭を下げた金髪の召喚師は他の連中も引き連れて帰っていった。
騎士の男と翼人は最後まで黙ったまま、こちらへと厳しい視線を送っていた。
「……んじゃ、オレらも帰っか!」
先程までの空気を振り払うように、わざと明るい声音を出す。
その意図を察し、ハリス達も乗ってきた。
「あーあ。結局びしょびしょになっちゃったなー」
「仕方ないわよ。傘持ってこなかったんだから」
「あ、オレ持ってきてたけど置いてきたわ」
「意味ないじゃん! てゆーかどこに置いてきたの?」
「サボテンラビットの死体があるとこ」
「ちょっと、どこに置いてきてるのよ! もー、あれお気に入りなのに!」
「待ってよミリーナ。一人じゃ危ないよ」
頬を膨らませ怒るミリーナが、駆け足で先を行く。追いかけるようにハリスも駆けた。
「元気なこって。ほら、オレらも行くぞナイ。傘置いてきちまったからミリーナちゃんがお怒りだ」
「…………」
黙ったままのナイの手を引く。
ナイは少しだけ、本当に少しだけ抵抗をしたあとに足を踏み出した。
その彼女の足取りは重い。まるで一緒に行くことを拒んでいるかのように。
リオンはそれに気付かないふりをして、強引に手を引いた。
早く来いと呼んでいる二人の元に合流し、そのまま傘を回収してから、四人は足早に拠点へと帰っていった。
1日1話の毎日投稿って書きましたが、あまり意味がなさそうだと気付いたので投稿ペース上げてさっさと完結させようと思います。この後時間ある時にもう1話上げます。
すみません、よろしくお願いします。




