21 ハリスの憂鬱
新たな拠点である家から裏手側に少しばかり離れた場所に空き地がある。
日の光もそこそこ入り、ここの――元ではあるが――ヌシであったシロのねぐらのそばという事で、危険な魔物などもいない。
すぐ近くに飲用できる川も流れているので、ここは絶好の鍛錬ポイントである。
今日も今日とて朝からそこにやってきたハリスは鍛錬を開始する。
準備運動を終えたハリスはリオンに教えてもらったように体を動かす。
動きの流れを意識して、途切れさせないように、滑らかに。
ハリスの武器は己の体だ。
リオンから指導を受けはじめたころに、自身の得物をどうするのか考えたことがある。
まず初めに思いついたのが、リオンの得物である槍だ。
長い木の棒を槍に見立て振るってみたが、逆に振り回されてしまった。
その次に思いついたのが剣だ。
今度は適当な長さに折った木の棒を剣に見立てて振ってみたが、いまいちしっくりとこない。
その後もいろいろ試してみた結果、己の拳や体を武器とすることにした。
一番体にもなじみ、動きやすいかったからだ。
リオンに戦い方を教えてもらったばかりの頃は体の使い方すら知らず、めちゃくちゃに動いていた。
しかし少しずつ体の動かし方がわかるにつれて、強い拳を打てるようになるのは楽しかった。
体力は元々多い方で、長時間の鍛錬もハリスは苦ではなかった。
むしろリオンの方が先に飽きてしまい、早めに止めるように言うことも多々ある。
最近では、リオンに直接指導してもらうことも減り、一人で鍛錬を続けることも多い。
ナイやリオンと初めて出会った頃は、何もできないただの子供だった。
そこから少しずつ戦い方を学び、着実に実力は付けていったが、それでもまだまだ一人では何もできない弱虫だった。
ナイとリオンの背中ばかりを見ていることしかできず、悔しい日々を過ごした。
ハリスが勝てるといえば、精々が一般人の大人の男一人に勝てるくらいの実力だ。
しかし武器を持っていたり、複数だったり、不測の事態が起これば簡単に負ける程度の実力しか無かった。
今はミリーナに出会った頃より強くはなっている。
あの時は不可能だったが、スライム五匹を相手にしても勝てる自信もある。
まだまだナイやリオンの実力には及ばないが、それでも確実に強くはなっている。
ハリスは拳を突き出す。
ハリスは蹴りを放つ。
ハリスは鋭く息を吐き出し、また拳を突き出す。
一つ一つの動作を丁寧に、だが、素早く、確実に。
リオンの戦闘スタイルは我流だ。
ゆえに、彼に師事をあおいでいるハリスの戦闘スタイルも我流だ。
型も無い。
ただ相手に勝つためになんでもするというだけ。
汗がハリスの頬を伝い地面に落ちた。
気付けば相当な時間が経っており、太陽はもうすぐ真上に差し掛かる。
(そろそろ帰らなくちゃ)
持ってきていたタオルで汗を拭き、倒木の上に座る。
(お昼を食べたら今度は実戦訓練にしようかな……リオンついてきてくれるかなぁ)
心地良い風が吹き抜け、火照ったハリスの体が適度に冷やされ気持ちが良い。
しかしそんな気持ちの良さとは反対に、ハリスの気分は落ち込む。
原因はわかっている。
ハリスの仲間である三人の事だ。
もちろんハリスは彼女らが大好きだし、嫌いになったというわけではない。
リオンは、良くも悪くもハリスの良い兄貴分で、頼りになるし格好良い。
将来はリオンの様に強く逞しい男になりたいと思っているが、性格だけは似ない様にと気を付けている。
ミリーナは、厳しいし怒ると怖いが、とても優しい。
いつもみんなの事に目を配っていて、細かい所に気がつく素敵な女性だ。
ハリスは彼女の事を本当の姉の様に慕っている。
そしてナイは、態度こそ威圧的だが、色々とハリスや、最近ではミリーナにも気を遣って行動してくれている。
ハリスの為に食料の買い出しに付き合ってくれたり、最近では毎食一緒に食事もしてくれる様になった。
戦闘や危険な事からは自分たちを守るために前に出てくれる。
初めて会った頃からは考えられないような行動をナイがとるようになり、その頃よりは格段に仲良くなれたとハリスは確信している。
ただ――
(未だに名前で呼んでくれないんだよね……)
ナイが現在名前で呼んでいるのはリオンのみ。
ハリスやミリーナに対しては「おい」や「おまえ」としか呼ばない。
ハリスはそれが悔しい。
仲良くなれたと思っているのは自分だけで、ナイはハリスの事をなんとも思っていないのかもしれないと思うと心が重くなる。
リオンは自分でも言っていたが、ハリスと出会う前からナイに接していた。
ナイと一番距離が近く、ナイから信頼されているのもわかる。
だからズルイと思いはするも、納得はできる。
そしてミリーナは、ナイと同性という点で彼女との距離を詰めていっている。
一緒に水浴びをしたり、風呂に入ったり。
そして全てが雑なナイの髪を丁寧に乾かしたり。
新しい拠点に移ってからは、同じ部屋で寝ていたりする。
実際はナイが寝ているかは定かではないが、それでも朝まで部屋から出てくる事はない。
だからハリスは心配になる。
ナイと急速に距離を詰めていっているミリーナが、自分よりも先にナイから名前で呼ばれたらどうしようと。
ミリーナのことは好きだ。
しかし、もし、仮にだが、ハリスより、彼女の方が先に名前を呼ばれてしまったら。
ハリスは彼女に対して嫌な態度をとってしまうかもしれない、と。
ハリスはリオンの様に強くないし、ナイが背中を任せられる様な男ではない。
ハリスはリオンの様にナイと喧嘩したりできない。
ハリスはリオンの様に見守る様な接し方ができない。
ハリスはミリーナの様に一緒に風呂に入ったりはできない。
ハリスはミリーナの様に美味しい食べ物をたくさん作れない。
ハリスはミリーナの様に細かな気遣いというものができない。
ハリスは二人に比べ、ナイに対して何もできていない。
だからきっと、ナイの中では自分など大した価値がないのかもしれない。
ハリスはナイが好きだ。
誰かのように恋愛感情というわけではないが、家族のように慕っている。
乱暴な、それでも優しい姉のような、そんな存在だ。
だけど、きっと、ナイはハリスの事など、守らなければいけないお荷物とでも思っているかもしれない。
ハリスはどうしようもなく不安になる。
見上げる空は雲一つない晴天なのに、ハリスの心には曇天が広がる。
昨日だってそうだ。
午前中の鍛錬を終え拠点に帰ってみれば、ミリーナが入り口から中を覗いていた。
何をしているのか聞こうと声を掛けると、彼女はハリスに向かって口の前で人差し指を立てた。
その後、拠点内を指さすのでそっと覗き込んでみたら、ナイがリオンの腕の中でぐっすりと眠っているではないか。
驚きすぎて大きな声が出そうになるが、すんでのところで口を塞ぐことに成功した。
あのナイが寝ている事もそうだが、リオンの腕の中で無防備に寝ているのが信じられない。
見間違いではないかと目をこすってみても、目の前の現実は変わらない。
少しだけ、ほんの少しだけ面白くなかった。
また一つリオンとの差ができたことに。
昨日のことを考え眉間に皺が寄っていることに気付いたハリスは、慌てて皺を伸ばすように揉む。
ナイが心を開いてきたのは良い事だ。
ハリスも単純にその事は嬉しい。
嬉しいが、素直に喜べない自分もいた。
ハリスは大きく空を仰ぎ、深く息を吸い込む。
そして――
「わあああああああああああああああああああ!」
腹の底から声を出す。
自分の中のモヤモヤを持ち帰らないように、ここで嫌な気持ちを全て吐き出すように。
ハリスの声に驚いた鳥たちが空へと飛びあがっていくのが見えた。
「……よしっ!」
自分の頬を両手で挟み込むように叩き、気合を入れたハリスは立ち上がる。
そろそろ帰らなくては昼食に間に合わない。
持参した荷物を回収し、いざ帰ろうとしたハリスの耳が音を拾う。
拠点のある方向から、ガサガサと森の中を駆けてくる荒い足音が聞こえた。
もしや迷い込んだ魔物が声に釣られてやってきたのかもしれない。
荷物を捨てたハリスは腰を落としいつでも動ける体制をとった。
(大丈夫。大丈夫。ぼくだってやれるんだ)
落ち着くために、ハリスは構えたまま深呼吸をする。
そして、きつく前方を睨むハリスの目に飛び込んできたのは、魔物でも、ましてや獣でも、そのどちらでもなかった。
「ハリス!!」
「――え、ナイ?」
ハリスの予想外の人物が、そこにいた。
目深に被っているフードは脱げ落ち、いつもはフードの下で隠れている長く白い髪が、風で揺れていた。
慌てて走ってきたのか、彼女にしては珍しく息を切らしている。
ナイはハリスの姿を視界に収めると、さっと周囲に視線を向けた。
そして何もないとわかると、一度息を吐き、脱げていたフードを被り直す。
いつものように猫背になり、杖を引きずるようにしてゆっくりとハリスの元へやってきた彼女は、ハリスに鋭い目を向け口を開いた。
「なにがあってん」
「……え?」
「はぁ。……え、やなくて。デカイ声出しとったやろが。なんかあったんちゃうんか?」
「あ。う、うん。確かに叫んだけど……え、もしかしてナイ。その、ぼくのこと――心配してくれたの?」
期待してもいいのだろうか。
うぬぼれてもいいのだろうか。
ハリスの叫び声を聞いて、飛んで来てくれたナイに。
そして、聞き間違いでなければ、ナイはハリスの名前を呼んだ。
つまりハリスという一個人を認識して、意識してくれていると。
どうでもいい存在なんかではないと。
ハリスはフードの中を覗き見る。
苦虫を噛み潰したような、どこか苦しそうな、そんな顔がそこにはあった。
そんな顔をさせたかったわけではない。
「……ナイ?」
不安になり彼女の名前を呼ぶ。
己の不用意な発言がナイを苦しめたのかと思うと胸が苦しかった。
「――――」
「え?」
上手く聞き取れずハリスは聞き返した。
一度顔を伏せたナイが盛大に舌打ちを鳴らす。
そしていまだ覗き込むようにしていたハリスの顔をその手で覆い、押し返した。
初めて出会った頃よりかは肉が付いた、それでもまだほっそりとした手だ。
「うわわっ」
「…………飯ができたとよ」
そう言ってくるりとハリスに背を向けたナイは、一人で歩き始めた。
嫌われたかもしれない。
余計な事を言ってしまったかもしれない。
自分の気持ちを優先して、ナイを傷付けたかもしれない。
ぐるぐると負の感情がハリスの胸に渦巻き、胸を押さえる。
去っていく背中をただ黙って見つめていたら、彼女は足を止め体ごと振り返った。
その際、ハリスと目が合った一瞬、ほんの一瞬。ナイが、目を見開いた気がした。
すぐに下を向いてしまったため見間違いかもしれない。
フードに隠れて顔が良く見えないナイが後頭部をガリガリと掻いた。
そして顔を上げ――
「はよ帰んぞ、ハリス」
――笑った。
困ったように。呆れたように。
少しだけ、ほんの、少しだけ。
ぎこちない笑顔だったけど。
でも、それでも、嬉しかった。
「――ッ! うん!!」
名を呼ばれた。
今度ははっきりと、こちらを見て、呼んでくれた。
帰ろうと言ってくれた。
ハリスにも笑んでくれた。
嫌われていなかった。
安堵が胸に広がり、次いで幸福感で満たされる。
慌てて荷物を拾い、先を行くナイの背を追った。
なぜ自分がこんなことをとブツブツ一人で文句を言う彼女はすでにいつものナイだ。
いつものナイだが、ハリスにとっては違う。
自分はナイにとってどうでもいい存在なんかではなかった。
「うふふ」
「あ? なに笑ってんねん」
「えへへ、なーんでーもなーい! ほら、はやく帰ろ、ナイ! ぼくお腹空いちゃった!」
彼女の手を引っ張り先を歩く。
その手は振りほどかれることなく、繋がれたまま。
握り返されることは無かったけれど、それでも、その事実が、とてつもなく嬉しい。
こんなに簡単に機嫌が直るなんて、自分でもひどく単純だと思うが、仕方がない。
だって、ようやく大好きな人に、存在を認識してもらえたんだから。
嬉しくないなんて言えないではないか。
拠点に帰ったあと、リオンにナイと手を繋いでいたことをからかわれたが、逆に昨日の出来事で顔が緩んでいた事をからかってやる余裕まであった。
その後そのまま食卓につこうとしたら、ミリーナに汗臭いと風呂場に放り込まれたが、それすらもなぜだか心がほわほわして、とても幸せな気持ちになった。
――あぁ、本当に。なんて自分は単純なのだろう。
ある程度まとめて投稿できたので、ここから先は1日1話で18時投稿(7月30日に完結させます)に切り替えます。
見てくれている方がいるかどうかわかりませんが、残り17話どうぞお付き合いくださいませ。
ここまででブクマ・評価・いいねまでもありがとうございました。とても嬉しいです。




