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19 シロと日常

 忘れじの森の奥深くには小さな家がある。

 人はもちろん、彷徨獣や野生の獣すら寄り付かぬそこには、かつてこの森を縄張りにしていた白銀の体毛を持つ巨大な狼が住み着いていた。


 しかし現在、その家には狼の他にも新たに四人の男女が生活を共にしている。



 群れの(おさ)から『シロ』という名を貰った狼は、長からの命令で森で仕留めた獲物を巣に運ぶ仕事の真っ最中だった。

 仕事の内容は簡単だ。


 群れの食料を集めろ。


 長達は小食なのか、いつも取れた肉を少ししか取らず、そのほとんどをシロへと回してくれる。

 とてもありがたいが、あれだけで足りているのだろうか。

 とくに長は細いのでもっと食べた方がいいとシロは考えている。


 群れの人数はシロを入れて五匹。

 その中でもシロの序列は最下位だ。

 戦闘力的には群れの中でも上位を誇るが、なにぶん群れに加入したのがつい最近であることと、弱い二匹に何かしようとすれば、長と二番手からの殺気が飛んでくる。


 常に強者で上位者として過ごしてきたシロ的には少しばかり面白くない状況だが、彼らの群れの長達に負けたのも事実。

 負けた自分の命を取らず、手当てまでしてくれたうえに、群れに加えてもらっただけでも感謝せねばならない。


 ゆえに、新参者故致し方なしと、シロは己を納得させた。


 群れの頂点である長は陰気な人型のメスだ。唯一名前を教えてもらえていないが、他の人型からナイと呼ばれていたのでそれが名だろう。

 彼女はいつも下を向いて過ごしており、威圧的な声と態度でシロに接する。

 しかしそんな彼女をシロは格好良いと思っているし、彼女のあの瞳が大好きなのである。


 二番手は陽気な悪魔のオスだ。名をリオン。

 彼はいつも飄々としており、長をからかい、じゃれあって遊んでいるのをよく目撃する。

 シロに対しても意地悪をしたり、枕がわりに昼寝をしたりと好き放題だ。

 シロは彼のことも格好良いとは思っているが、少しばかり苦手なのも事実である。


 三番手は獣人のオスだ。名をハリス。

 彼はまだ幼い子供なのか、言動がいちいち大袈裟である。

 そして声が大きい。

 シロに対してはよく絡んでくる。

 自慢の毛並みをよくぐちゃぐちゃにされてしまう。

 その時ばかりは心穏やかではないが、彼には借りがあるので受け入れるのも吝かではない。


 四番手は人型のメスだ。名をミリーナ。

 彼女は主に他の三匹の世話を焼いている。

 シロに対しても分け隔てなく世話を焼いてくれるので、シロは彼女の事を気に入っている。

 ハリスにぐちゃぐちゃにされた毛並みを、ミリーナが綺麗に毛繕いしてくれたのはシロの記憶にも新しい。


 ちなみにハリスとミリーナは弱い。

 かなり弱い。

 シロが意識して接してやらないと怪我をさせてしまうほど弱い。

 なのでシロは彼らと接するときは細心の注意を払っている。


 シロは一度、故意ではないがハリスに怪我をさせてしまった事がある。

 あまりにもしつこく撫でてくるので、いい加減鬱陶しくなったシロが前足でハリスを払ったのだ。

 その衝撃でハリスが派手に後ろへと倒れた。

 そしてシロの爪が掠ったのだろう、彼の柔らかい頬から真っ赤な血が流れ出た。


 たまたまその現場を見ていた長の怒りに触れたシロは死を覚悟した。

 しかしハリスが庇ってくれたおかげで、なんとか長の怒りも収まりシロは命拾いをする。

 その時の恐怖をシロは生涯忘れないだろう。

 長のあの瞳は好きだが、嫌われるのは嫌だ。


 最後、五番手が狼のシロだ。

 白銀の美しい毛並みが密かな自慢である。

 この森の最上位者、つまりヌシとして君臨してきたが、今では群れの最下位に甘んじている。


 そしてこの森の新たなヌシとして君臨しているのが、シロを倒した群れの長であるナイだ。

 本人にそのつもりはないようなのがいささか困りものではあるが、代わりにシロが目を光らせているので今のところ何の問題もない。


 巣に戻ったシロは、狩った獲物を軒先に降ろすと一吠えする。

 少し間をおいて顔を出したのは序列四位のミリーナだ。

 直した玄関から顔を出し、シロを視界に収めた彼女は楽しそうに笑う。


「わぁ、今日も大きいの取ってきたのね。ありがとう助かるわ」

「わふん」


 そう言って彼女はシロを撫でる。

 ハリスと違い、シロを気遣いながら丁寧に撫でる彼女の手はなかなかに気持ちがいい。

 意図せず尻尾も動いてしまうというものだ。


 空は快晴、今日も良い日である。






 酷い所だけを素人ながら修理し、新たな拠点として住むことにした家のリビング内。

 やることもなく暇を弄んでいたナイは、昼寝中のリオンと共にくつろいでいた。

 この家にはまだまともな家具などは無いので、二人とも汚れが残る床に直に寝転んでいる状態である。


 しかしどちらもそんな事を気にする性格でもないので普通にだらけていた。

 気にするのはミリーナくらいだろう。

 ハリスも少々神経質気質だとナイは思っているが、外で暮らすことが長かったせいか、ナイ達に毒されたせいか、あまりこういう事は気にしない時の方が多い。


 窓から差し込む光が燦々と室内を照らす。


 明るく暖かい陽光を避けるように、リオンは仰向けで寝転び、その彼の腹を枕にナイはいまだ読めない本を眺める。

 面白いわけではないが、暇つぶしには丁度良い。


 二人にとくに会話などはなく、ナイのページをめくる音だけが響く。


 そんな静かな空間を破る声が現れた。


 それは、最近飼うことになってしまった巨大な狼、シロの呼び声だ。

 もちろん狼の呼ぶ声は聞こえたが、ナイは特に気にせず本を眺める。


 飼うのならば名前を付けてやれとハリスとミリーナに言われ、ナイはしぶしぶ名付けを行った。

 彼らが名付ければいいものを、なぜ一々自分に回すのか。

 しかも狼も狼でなぜか嬉しそうにナイを見つめていたのが腹立たしい。


 考えるのが面倒だったのもあり、ナイは安直に「白い毛やし『シロ』でええやろ」と狼の名付けを終わらせた。

 

 シロは予想を裏切らず、大食らいだ。

 無駄にデカい図体を持っているので食べる量も半端ではない。


 リオンとハリスも大食いだが、これはまだ許容範囲で、それとは比べるまでもない。

 なので自分の食い扶持くらい自分で狩ってこいとナイはシロに命令を下していた。


 シロはそんな命令を忠実に守り、毎日せっせと狩りをしては持って帰ってくる日々を送っている。


 その場で食べればいいものを、なぜかシロは一度ここへ持ち帰り、獲物の肉をナイ達へ分けようとするのだ。

 理由はわからないが、ナイ達が分け前を取らないと、シロもせっかく獲った獲物を食べようとしない。

 だからシロが獲ってきた獲物を解体し、少しばかり頂戴するのが日課になっている。


 そのシロが外で呼んでいる。

 今日も獲物を獲ってきたという報告だろう。


 解体作業をするのは主にナイ以外の三人の仕事だ。

 ハリスが解体のやり方を知っていたので、それをナイ達に教え今ではナイ以外の全員が解体できる。

 ナイは初めから覚える気が無かったので、ぼんやりと眺めていただけだ。

 なにも頭に入っていない。

 血抜きだの皮を剥ぐだの手順が多い。


 その解体作業員の一人であるリオンだが、今の彼はナイの枕に徹することにしたのか動こうとしない。

 ハリスは現在ここにはいない。


 動く気配のないリビングを変に思ったのか、ミリーナがキッチンから顔を出した。


 ナイ達の姿を認めたミリーナが、なぜか一瞬驚いたような顔を見せた。

 しかしその顔はすぐに困ったような顔になったかと思うと、今度は笑みに変わる。

 くるくる変わるミリーナの表情がナイの視界の端へと映り込む。

 忙しい女だ。


 そしてナイ達が動く気が無いのを感じ取ったのか、ミリーナは一度キッチンへ引っ込んだ。

 その後顔を出したミリーナは、そのままパタパタと外へと走っていった。


 玄関に姿を消した彼女を視線で追ったナイが、頭の後ろの存在に声をかける。


「なぁ、リオン」

「あんだよ、ナイ」


 頭の後ろで手を組み、目を閉じたままリオンはナイの声に返す。


「……あいつは?」

「……ハリスか? アイツなら鍛錬してくるって出かけてったぞ」

「ふーん」


 言葉が足りなすぎるナイの聞きたいことを、正確に読み取ったリオンが答えを返す。

 会話を続けるつもりの無いナイはそこで会話を切る。

 ぱらりとページのめくる音だけが部屋に残った。


 開いたままの玄関口からミリーナの声が聞こえ、ナイの意識が本から外へと向かう。


「…………」

「手伝いに行くか?」

「……いや、いかん」


 そのまま意識を手の中の本へと戻す。

 何度見ても何が書いてあるのかさっぱり読めない。

 せめて〈あいうえお対応表〉的なものでもあれば多少は読めるようになる気もするが、無いものは仕方がない。

 時折描かれる挿絵を見る限り、少年と少女がメインの内容だということは推測できる。

 この本をハリスから借りた時に何か言っていた気がするが、あいにくナイの記憶には残っていない。


 ナイは本文の一節を指でなぞる。

 特に意味のある行動では無い。なんとなくだ。


「あなたを愛しています」


 突然のあり得ないセリフが、あり得ない人物から発せられた気がして、ナイは驚きで彼を仰ぎ見る。

 ナイが突然頭を動かしたことで腹を圧迫されたのか、リオンが苦しそうに小さく呻いた。


 そんなに強く頭を押し付けた覚えは無いが、実際苦しかったのかもしれない。

 そのままじっと見ていたが、彼はナイから顔を逸らし、口元を押さえたままだんまりだ。

 ナイにうめき声を聞かれたのがそんなに恥ずかしかったのか、リオンの顔が少々赤い気もする。


 そんな彼を見たナイは、やはり空耳だったのだろうと結論付けた。

 リオンがあんなことを言うはずがないし、そもそも脈略がなさすぎる。


 心の中でうんうんと頷きながら、ナイは本を閉じ、体を起こそうと腕に力を入れた。

 別にリオンが苦しそうだったからというわけではない。

 なんとなく起きたかっただけだ。


 のそりと起きあがったナイの体が突然後ろに倒される。

 犯人は言うまでもない。

 ナイの枕になっていたリオンだ。


 硬い枕に逆戻りさせられたナイは、じとりとリオンを睨む。

 彼の顔色は元に戻り、すでにいつものリオンに戻っていた。


「危ないやろ」

「細かい事は気にすんな。それより――」


 ナイの文句を適当にあしらったリオンは、ナイの手元を指し手招きするような動作をした。

 おそらくナイが持っている本を寄越せと言いたいのだろう。

 への字に曲がった口もそのままに、彼へ本を譲る。


 本を受け取ったリオンはパラパラとページをめくっていき、とあるページを開いてナイに渡してきた。

 受け取り中を見ても読めないナイには意味がわからない。

 説明を求めるようにリオンへ視線を向けると、彼はそのごつごつした指で本を指さし口を開いた。


「あなたを愛しています」


 今度は空耳などではない。

 間違いなくリオンの口からありえない言葉が飛び出した。


「クククッ。変な顔」

「あ゛?」


 思わず目が据わる。


「おーこわ。そんな怒んなって。べつにからかってるわけじゃねぇから。ほら、ココ」


 そういってリオンはまた本の同じ場所へと指を伸ばす。


「オマエがさっき見てたとこ。ここは『あなたを愛しています』って書いてあんだよ」

「……あー、なるほど?」


 どうやら頭がおかしくなったわけではなく、本の内容だったようだ。


「いや、ちょっと考えたらわかんだろ。オマエはオレが突然脈略もなく愛の告白をするような男だとでも思ってたのか?」

「ついに頭がおかしくなったのかと思っただけだ」

「ひっで」


 クツクツとリオンが笑う度に、ナイの頭も小刻みに揺れる。


「おい。枕なら枕らしく大人しくしろや」

「これはこれは。大変申し訳ありませんでした、お姫様」

「……よし、殺す。表に出ろ」

「ヒャハハ! 血の気の多いお姫様だこって。おら、そんなことより、文字の勉強しようぜ」


 素早く体を起こしたナイの腕を、こちらも素早く起き上がったリオンの大きな手が掴む。

 ぐいっとそのまま後ろに引き寄せられ、ナイはすっぽりとリオンに抱きこまれた。


 ナイは背後の存在へ全力で睨むも、へらへらした顔は何も変わらない。

 睨んでも意味がない事を悟ったナイは、喧嘩を売ることを早々に諦め本へと視線を落とす。


 リオンがナイの持つ本の内容を、心地よい声音で読み上げ始める。

 どこを読んでいるのかわかりやすくするためだろうか、指先で本文をなぞりながらのオマケつきだ。


 そしてナイは気付く。


「おまえってネイルしてんの?」

「あ?」

「爪。黒いやんけ、それとも悪魔って元々そんな色なんか?」

「あぁこれな。これは塗ってる。今日は黒だが、気分で変えてるな。赤だったり白だったり」

「ふーん」


 リオンの手を掴んでまじまじと見つめる。

 今まで視界には入っていたが、とくに気にしていなかったので気付かなかった。


「似合うな」

「……あー。そりゃ、どーも。つか文字は?」

「あぁ、せやったな」


 掴んでいた手を放せば、リオンの音読が再開された。

 心なしか先ほどより僅かばかりか早口になっている気がするが、気のせいだろうか。


 心の中で首を傾げるも、気にするほどではないと結論付けたナイはそのままリオンの声に聞き入る。


 今まで文字を教わろうとは思わなかったナイだが、相手から教えてくるなら話は別だ。

 しかし読み聞かせされても、当然と言えば当然だが、すぐには理解できない。


 いつしかナイは船を漕ぎ始める。

 リオンの心地よい声と温かい体温が眠気を誘ったのか、それとも理解できない文字列を追いながら興味のない内容を聞かされたからか、はたまたその両方か。


 だんだんとナイの視界は暗くなり、近くから聞こえてきているはずのリオンの声も遠くなってきた。

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