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16 彼の人を想う

 女がナイ達と生活を共にするようになってから一ヶ月程が過ぎた頃、ナイは目の前の現実に頭を抱えていた。


「ねぇ二人とも、ちょっと良いかしら。明日の買い出しのことで相談があるのだけど」

「どしたのー?」

「なんか欲しいモンでもあんのか?」


 女がハリスとリオンへ話しかけている。

 二人もごく当たり前のように接している。

 どうしてこうなったのか?


「調理器具を買い足したいのだけど構わないかしら。やっぱりお鍋一つだけじゃ物足りないのよ。それにもっとナイに色々美味しいもの食べてもらいたいし」

「ぼくはさんせー!」

「別にオレも良いと思うぞ。ただ、今買うのは反対だけどな」

「あら、どうして?」

「オマエの怪我も完全に治って体力も戻ってきただろ。だからそろそろこの拠点も引き上げるつもりだ。そしたら荷物になるだろ」

「そうなの?」

「多分だけどな。そうだろナイ?」

「…………まぁ、そうやな」

「えぇー。そういうことは早めに言ってよー。急いで荷物整理しなきゃじゃん」

「散らかしてんのが悪ぃ」

「そういうことなら。このままで我慢するわ」


 出しっぱなしにしている荷物を急いで片づけ始めるハリスと、それを手伝う女の背をナイは見つめる。


 女の怪我自体はリオンの治癒のおかげもあって二週間かからず治ったし、そのさいに落ちた体力なども一週間もかからず元に戻っている。

 そしてその間に一度、町への買い出しへ一緒に行き、一緒に戻ってきている。


 そう、なぜかこの女は怪我が治ってからも帰ろうとはせずに、ここに居座っているのだ。

 そして積極的にナイの世話を焼こうとする。

 第二の母親の出現にナイはうんざりした気持ちを隠そうともせず、女への対応はぞんざいだ。

 そんなナイの態度などどこ吹く風な女は、ナイが拒絶しようとも懲りずに世話を焼く。


 本当に意味がわからない。

 リオンとハリスの二人も、なぜかミリーナの存在を普通に受け入れている節がある。

 どうして帰らないのかと疑問にも思っていないようだ。


 もしかして自分がおかしいのだろうか?

 ナイは眉間に皺を寄せる。


(いや、待てよ……)


 よく考えたらナイ自身、リオンの時も、ハリスの時も、とくに理由を気にしていなかったのを思い出す。


(勝手にしたらええ、か)


 これからの方針を決めたナイは、極力女の存在を気にしないことにした。


 あまりにも構ってくる場合は拒絶を示すが、それ以外なら好きにさせる。

 ナイお得意の〈自分に害がないのならばどうでもいい〉をようやく発動させた。


 それに、よくよく考えればリオンもハリスも別に仲間というわけではない。

 ただ同じ空間にいるというだけ。

 そこに女が加わった。


 それだけ。


 彼らもナイに飽きればきっとそのうちどこかへ行くだろう。


(…………そしたらまた一人、か)


 それがどうした。

 ずっと望んでいたことではないのか。

 そうなるように行動もしている。

 騒がしい存在がいなくなって清々するのだ。


 一人になろうが、彼らがどうなろうが、ナイにはどうでもいい。


 一人になればナイのやることに文句を言うものもいなくなる。

 そうすれば、なんだかんだずっとできていなかった世界への復讐を少しでもなせるというものだ。 


 人間への嫌悪も、召喚師への憎悪も、けして忘れていたわけではない。

 ただ、彼らと過ごす日々の中でだんだんと小さくなっていっただけだ。


 山田夕月という人間は、召喚獣という名の獣に落とされ、名無しの化け物へと変えられた。

 世界を恨む名無しの化け物はまだナイの中にいる。


 叫び声を上げている。


 だからきっと、この胸の痛みは気のせいだろう。


 だからきっと、寂しいなどとは思わない。


 ナイは――名無しの化け物は、もう誰も信じないと決めたのだから。


「――イ? ねぇ、ナイってば。大丈夫? 気分でも悪いの?」

「……」

「熱は……ないみたいね」


 ナイの額へ手の平を当て、熱を測る女。

 その手をナイは払いのける。


「いたっ。もぉ、心配してるのに」

「頼んでへん」

「私が勝手に心配してるの! いいでしょ!」

「…………勝手にしろ」

「最初からそうしてるわ。……うん。いつものナイに戻ったみたいね、良かった!」


 怒ったと思えばすぐ笑う。

 表情がくるくると良く変わる目の前の女は、ナイの様子がいつも通りなのを確認するとナイのそばから離れ昼食の準備に取り掛かり始めた。


 女が加わってから、拠点内の動きが変わった。

 元々はハリスがメインで家事を担当し、時々リオンが手伝うという構図だったが、今はリオンが抜け、ハリスと女で手分けしている。


 今やリオンは水汲みなどの力仕事はこなすが、他は頼まれれば手伝う程度。


 ちなみにナイは今も昔も何もしていないが文句を言われた事は無い。


 この三人は、ナイに甘い。

 どうしてそうなのか、ナイには理解できない。






 残り少ない食材を使って昼食の準備をするミリーナ。

 鍋を混ぜる手はそのままに、彼女は拠点内を見渡す。


 ハリスは荷物の整理を終えたのか、大きな鞄を定位置に戻している。

 リオンは拠点の奥で寝ている。

 そして、リオンの近く、壁にもたれるようにして座る女性、ナイに視線が止まった。


 ナイは本を手にしているが、読んでいるのか読んでいないのかわからない。

 パラパラとページを捲っては戻すという作業を繰り返したナイは、そのうち本を閉じ膝を抱えるようにして顔を伏せた。


 寝た、というわけではないだろう。

 なぜなら、彼女はあまり寝ない。

 夜もあまり寝ている姿を見たことがない。

 というより横になっている姿を見たことがない。


 初めはミリーナを警戒しているのかとも思ったが、そうではないようだ。

 リオンやハリスもナイがきちんと寝ているところを見たことはないらしい。

 目の下のクマが酷いのはそのせいだとハリスは言っていた。


 きちんと寝てほしくて子守唄を歌ったり、ホットミルクを作ってみたりと色々試してみたが、どれも効果はなかった。

 ただ迷惑そうな目をこちらへ向けてくるだけだ。


 なぜちゃんと寝ないのか聞いたこともあるが、ただ一言「寝れん」と返ってきただけだった。


 ミリーナは小さく息を吐く。


(……どうすればナイは元気になってくれるのかしら)


 ナイは病気などではないし、ある意味健康的だ。

 ミリーナが気にしているのはナイの心。


 塞ぎ込んだ彼女の心を元気にするためにはどうすればいいか、それを考える。


(迷惑なのはわかってる……でも――)


 ミリーナはかつての主人を思い出す。


 向日葵のように明るい笑顔で笑っていた彼女を。

 情けない顔を隠そうともせず、他人に全力で甘える彼女を。

 いつも一生懸命だった彼女を。

 ミリーナの最高の親友だった彼女を。


「――――」


 ぽつりと親友の名が口から零れる。

 それは音にならないまま消えた。


 初めてナイの顔を見た時、ミリーナは驚きで声を失った。


 鋭い目付きで睨みつけられたからではない。

 左右で違う色の瞳に殺意が込められていたからではない。

 その酷く恐ろしい表情にではない。


 ただ、その顔が、失った親友と似ていたからだ。


 もちろん表情などは全然違う。

 親友はあんなに凶悪な顔はしないし、目の色も、髪の色も、違う。


 しかし、こちらを警戒したあと浮かべた一瞬の表情。

「なぁんだ」とでも言いたげな、拍子抜けしたような、あの表情(かお)が、とても、似ていた。


 ミリーナの大好きだった、親友に。


 あの瞬間、ミリーナは親友の名を呼びそうになった。

 駆け寄って、抱きしめて、会いたかったと、泣いてしまいそうだった。

 しかしその思いをぐっと我慢し、目の前にいるのは親友とは別人だと自らに言い聞かせた。


 もしかしたらナイは親友と何か関係がある人物なのではと思いもしたが、親友に兄弟姉妹はいない。

 親戚という可能性もあるが、それもない。


 あとからではあるが、ナイは狭間の世界の住人だとリオンから聞いた。


 だから、ありえない。


 ただの他人の空似。


 ナイからすれば他人の面影を重ねられるなんて迷惑だとはわかっている。

 でも、放っておけなかった。


 ナイの細い体が、だんだんと瘦せ衰えていった親友と重なった。

 目の下に酷いクマを作るナイが、寝てもうなされ、ろくに睡眠もとれなくなった親友と重なった。

 他人を遠ざけて、怖いくせに無理をして一人になろうとするナイが、痛いだろうに、苦しいだろうに、こちらに心配をかけないよう無理をして笑う親友と重なった。


 だから怪我が治っても心配でそばにいた。

 リオンとハリスには了承を得たが、ナイには何も言わなかった。

 二人からナイには言わなくてもいいと、勝手にしたらいいと言われたからだ。


 実際ナイからは何も言われなかった。


 ミリーナの存在に迷惑そうにしていたので、治ったのならさっさと帰れぐらいは言われると思っていたが、何もなかった。

 ナイは本気で嫌がることはきちんと拒絶する。

 言葉よりも先に手が出るが、それでも主張はする。


 なので、さっさと帰れと言われなかった、態度で示されなかったのを良い事に、ミリーナは厚かましくもここにいる。


 先にいた二人も、ナイにはそれぐらいで丁度良いと言っていた。


 この一ヶ月間でミリーナはナイと会話できるくらいには仲良くなれた。

 ミリーナへ「ずるい」と零し、むくれていたハリス。

 それを見ていたリオンが笑っていたのも記憶に新しい。


 ミリーナは病で倒れた親友に、できなかった事を、したかった事を、してほしかった事を、代わりのようにナイに押し付けている。

 その自覚はある。


 もちろん今は親友とナイが別人であることを、ミリーナはきちんと理解している。


 初めは親友と似た顔を持つ彼女を失いたくなくて世話を焼いた。

 二度も親友を失う思いをしたくなくて世話を焼いた。


 しかし、ナイと接すれば接するほど、親友とナイが別人だと思い知った。

 親友はよく笑ったが、ナイは全然笑わない。

 顔が似ていても、表情が違えば違う人間に見える。

 二人がまさにそうだとミリーナは心の中で思う。


 見れば見るほど違うのに、やはり似ている不思議な二人。


 そのうちミリーナの中で重なっていたナイと親友は分かれていき、今ではきちんと一人の人間として相対している。

 ナイという一人の人間を放っておけなくてミリーナはそばにいるのだ。


 ナイにもっと笑ってほしい。

 ナイにもっと人生を楽しんでほしい。


 うつむいてばかりいないで、顔を上げてほしい。

 そして、そばにいる自分達に少しで良いから目を向けてほしい。


 私たちと一緒に泣いて、笑って、怒って、命を揺らしてほしい。


 だって、世界はこんなにも綺麗に色付いているのだから。

 一人ぼっちでうずくまってるなんて勿体ない。


 そうミリーナは親友に教えられた。

 だからミリーナもナイに教えたい。


 今はそばにいるだけしかできないけれど、いつか彼女が心を開いてくれたら、そうしたら、怖がりな彼女の手を三人で引こう。いろんな所を見に行こう。


「――止まない雨はない、ですよね」


 泣いてばかりいたその昔、龍神様に言われた言葉を思い出す。


「ん、なぁに?」

「うぅん、なんでもない!」

「そう?」


 近くで皿などの準備をしていたハリスがミリーナの独り言を拾う。

 それを適当に誤魔化したミリーナは、出来上がった料理を皿へ盛る。


 二つは大盛り。

 一つは普通盛り。

 そしてもう一つが――


(もっとたくさん食べてほしいんだけどな……)


 皿に盛られた少量の料理を見たミリーナの眉が下がる。

 あまり乗せてもナイは食べてくれないのでこれが限界。


 そもそも食べない時もあるのがもどかしい。

 そんな時はリオンかハリスが食べてしまうので残りはしないが、ミリーナとしてはナイにもっと食べてもらいたい気持ちが強い。


「リオン起きて! ご飯出来たわよ! ナイも!」

「んぁー。あぁ、メシか。……よっと!」

「…………」


 昼寝から目覚めたリオンが勢いよく体を起こし食卓――地面に直置きが許せなかったミリーナによって急遽作られた石の机もどきではあるが――に来るのとは反対に、ナイはミリーナの呼び声に無反応だ。


 ナイが食事をする場合、食卓へは来ないが、一応声には反応する。

 しかしナイは頭を上げる気配がない。

 どうやら今回は食べないつもりらしい。


 どちらにせよハリスが毎回ナイの元へ食事を運ぶのは決まっている。

 ナイの隣に皿を置き、ナイは三人から離れたその場で。

 ハリス達は三人で食卓を囲む。


 それがいつもの彼らの食事風景。


 なので今もナイの分が乗った皿を、ハリスが運ぼうと置いてある皿を手に取った。


 しかしミリーナはそんな彼の腕を掴み制止をかける。


 不思議そうにこちらを眺めるハリスと、いまいち感情の読めない瞳を持つリオン。

 その二人に笑顔を向けた後、ミリーナはナイへと声をかけた。


「ナイ。ご飯できたからこっちに来て一緒に食べましょう」

「………………」

「ナイってば、聞こえてるでしょう。ほら、せっかくのご飯が冷めちゃうじゃない。早くこっちに来て」

「…………」


 ミリーナとナイのやりとりを、リオンとハリスの二人は見守るように黙って眺めている。


「もぉー。ナイが来ないなら私達がそっちに行っちゃうからね! 二人とも、机運ぶの手伝ってくれる?」

「いいよー」

「しゃーねぇなぁー」


 三人で立ち上がり「せーの」と掛け声を合わせ、石の食卓を持ち上げようとした。


 それと同時に、ナイも動く。


 盛大な溜息とともに顔を上げたナイが、ゆっくりと立ち上がり食卓へと足を運んだ。

 それを見たミリーナ達三人は上げていた腰を再び下ろし、笑顔でナイを迎え入れる。


 面倒だと言わんばかりの表情を隠そうともせず、むしろ全面に押し出したナイが、リオンとハリスが空けた場所にどかりと座った。


 すかさずハリスがナイの前に皿を置けば準備は完了。


「よし。みんな揃ったから食べましょうか! いただきます」

「『いただきます』」


 手を合わせ食事前の挨拶をするミリーナに、ハリスとリオンの声が続く。

 そして自然と三人の視線は残りの一人へと動いた。


 三人に見つめられたナイの顔が盛大に歪められたあと、一度大きく息を吐いたナイが手を合わせ小さく呟く。


「…………いただきます」


 気をつけていなければ聞き逃してしまいそうなほどの小さな声だったが、たしかにナイが続いた。


「――はい、召し上がれっ!」


 ミリーナは心の底からの笑顔を浮かべる。


 初めての四人揃っての食卓はいつもより美味しく感じられ、賑やかに過ぎていった。

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