14 ミリーナ
『初めまして、それから召喚に応えてくれてありがとう!私は――――っていうの。今日からよろしくね!』
あぁ、これは夢だ。
いつもの酷く、優しく、甘やかな夢。
『え、ミリーナって戦えないの? そっか、私と一緒だね! ……へ? これじゃあ守護獣なんて勤まらない? 別にいいよ。――良くないって? だーいじょうぶ。一緒ならなんとかなるよ。先輩だっているしさ。――まぁまぁ。細かい事はきにしなーい! あはははは! ほら、そんな顔しないでさ、気楽にいこーう!』
大変だったけど、それでも楽しかった、在りし日の思い出。
『大丈夫ミリーナ!? あぁ、良かった。怪我はしたけどなんとかなったね。初任務大成功! ぶい! って、いたいいたーい、怒らないでー!』
毎日がきらきら輝いてた。
もう手を伸ばしても届かない、それでも色あせない、愛おしい、記憶。
会いたくてももう会えない、彼女との暖かく、悲しい日々の夢。
『ミリーナって器用だよねー。私なんかこんなに綺麗に包帯巻けないもん。ぐちゃってなっちゃう。ぐちゃあって。――ふん。どうせ私は不器用ですよーだ。もぉー! わらうなー!』
出来損ないだと毎日怒られて、下を向いて過ごしてたあの頃とは違う。
大事な、大切な、貴重な、私の、宝物。
『ミリーナはなんでもできてすごいよねー。料理でしょー。洗濯でしょー。掃除にお買い物も上手。それに加えて書類仕事のお手伝いもしてくれちゃう。うわっ、完璧じゃん! 完璧超人じゃん! しかもめちゃくちゃかわいいときた! 最強! 戦闘だってできちゃうし! わーん、私の守護獣が完璧すぎてこわーい!』
料理も、洗濯も、掃除も、全部人並みより少しできる程度だ。
買い物だって、ただどこが安いかチラシを見る程度。
それでも、大袈裟に彼女は、ミリーナを、私を、完璧だと、褒めた。
――その程度はできて当たり前でしょ。なんでもっと完璧にできないの?
そんなことは自分が聞きたい。どうして自分はみんなのように出来ないんだ、と。
書類仕事だって、彼女がなかなかやらないから、自分がせっついてやらせているだけで、大したことはしていない。
本当に手伝い程度にしか役に立てない。
――龍の巫女は完璧じゃないとダメなの。龍神様のおやりになる事の先を読んで行動しなければいけないの。言われて行動してちゃ遅いの。わかる?
そんなことは言われなくてもわかっている。
わかってはいるが、できないのだ。
いつも、皆が先にやるから。ミリーナは一歩出遅れる。
結果、何もできない。
そう。完璧なんて、程遠い、未熟者なのが、私、ミリーナだ。
ただ龍神様に拾われたという幸運だけで巫女になった、なれてしまった憐れな女。
戦う事も、守る事も何もできない。
出来ることは全て中途半端。
傷の手当てと、呪いの類の解呪は龍神様からも褒めていただけたが、それだけ。
他の巫女のように治癒術が使えるわけでもない、ただ丁寧なだけの、普通の、何の変哲もない手当てなんて誇れない。誰でもできる。
――それでも彼女は、すごいと言っていつも褒めた。
解呪だけは、他の巫女と遜色なくできるようにはなったが、それでは意味がない。
だってそれは、あそこではできて当たり前だから。
――それなのに彼女は、特別な、素敵な事ができるんだねと、そう言って、優しく微笑んだ。
気にするなと、ミリーナはよくやっていると、お前がお前であれば良いと、龍神様はそうおっしゃった。
優しく、大きなそのお手で、己の頭を撫でてくださる。
でも、その優しさが苦しかった。できない自分が情けなかった。
それでは駄目だと、甘えていては駄目だと、自分を律した。
孤児だった私を拾い、育ててくれた大恩を返すため、立派な巫女になりたかった。
そのはずなのに――
『うわーん、みりーなぁー! 先輩に怒られたー! ちょっとサボって昼寝してただけなのにー! 慰めてー! え、私が悪い? そんなぁー!』
彼女は情けない表情が良く似合う。
彼女はヒマワリのように明るく笑う。
彼女のそばはとても暖かい。
彼女はできないことを隠さない。
不完全な彼女と不完全なミリーナ。
駄目だとわかっていても、完璧でいる事を求められない彼女の隣は、ミリーナにとって居心地が良かった。
こんな生活がずっと続けばいいと、思って、しまった。
龍神様に仕える巫女である自分が、その使命を放棄し、別の主に尽くそうとした。
『――え、顔色が悪い? へーきへーき! 最近忙しいから疲れがたまってるだけだよ。大丈夫大丈夫! ぶい! へへっ』
だから、だろうか。
『……ごめんね、ミリーナ。私、病気になっちゃったみたい』
罰が、当たったのだろうか。
『大丈夫。守護獣の誓約はすぐにでも解除するから。元の世界にもちゃんと還してあげる。心配しないで』
そんな言葉、聞きたくなかった。
『そんな顔しないで、ミリーナ。今すぐってわけじゃないけど、そのうち確実に召喚師として働けなくなるから、だから、その前に誓約は切らないとだし。私だって、ミリーナとお別れしたくないよ……でも、仕方ないよ』
そんな顔、見たくなかった。
『ミリーナ!? 待って! どこにいくの!! ゴホッ』
還りたくないわけじゃなかった。
――嘘だ、還りたくなかった。
まだまだ下っ端の自分だが、栄えある龍神様に仕える巫女としての誇りもある。
――誇りはあっても実力が伴っていない。龍神様が許しても、周りが、自分が、許さない。
還れるならすぐにでも還って、元の主に奉仕するべきだ。
――無理だ。そもそも出来損ないの自分の場所なんて、きっともう残っていない。
ミリーナには何もできない。
病気は呪いではないから、解呪なんて出来ても意味がない。
病気は怪我ではないから、手当てなんて出来ても意味がない。
ミリーナには――何もできない。
悔しかった。
結局、自分はどこに行っても、役立たずの出来損ないなのだと思い知った。
そんな自分を認めたくなくて、誓約を切られたくなくて、逃げた。
逃げても何の意味もないのに。
事実、行く当てのない自分は、数日ですぐに見つかり、彼女の先輩に連れ戻された。
『ねぇミリーナ。ちょっとお話しよっか』
どうして逃げたか。
この先どうしたいか。
彼女と、話した。
話して、出した結論が、誓約は切るけど、送還はしないという事。
彼女の先輩が保護を申し出てくれたけど、断った。
新しく誓約も受けない、新しい主人はいらない、自分の主人は彼女だけがいいと、わがままを言った。
それはつまり、主人のいない彷徨獣になるということ。
きっと自分にとってはきつい道になる。
それでも一度主人を裏切り、新たな主人と定めた人間すらも守れなかった自分には、ちょうどいい罰だと受け入れた。
そうしてたった一年後に、彼女は旅立った。泣いているミリーナを置いて。
手元に残ったのは、ミリーナの召喚石と、召喚師所有を示す腕輪。そして彼女との思い出。
それだけ。
いや、十分か。
彼女の埋葬を見届けたミリーナは旅に出る。
先輩とその守護獣から再三の誘いを受けたが、やんわりと断り、代わりに気を付けるようにと、いつでも戻ってきていいとの言葉を貰った。
いつもはここで夢は終わる。
そして起きると涙が頬を伝い枕を濡らしている。
でも今回は違ったようだ。
夢の先をミリーナは見ている。
とくに目的は無かったが、とにかく良い事をしようと、ミリーナは行く先で善行を積んだ。
なんでも完璧にはできないから、できることをできるかぎりやろうと思った。
迷子の子供を親元に送り届けた。
大荷物を運んでいる老人を助けた。
お金が無いという人間に所持金を渡した。
食べるものがないという人間に食べ物を渡した。
いろんな人間に感謝された。
時には辛い事もあったけど、それでもミリーナは笑って過ごした。
そんな時、貴重な薬になる花が欲しいと言ってきた人間がいた。
それがどこにあるのかはわかっているが、細かい場所まではわからないので探すのを手伝ってほしいと、そう言われた。
ミリーナは二つ返事で引き受けた。
人間達とその場所、荒野へと行ったが、すぐにスライムに囲まれた。
初めは二人の用心棒がスライムと戦ったが、スライムが仲間を呼び、キリが無くなった彼らは逃走を決めた。
ミリーナも一緒に逃げたが、その途中に人間の一人に刺され、スライムの餌へと捧げられた。
それでも懸命に逃げたが足が縺れ、倒れた時にはもう駄目だと思った。
しかし頭の中で彼女が諦めるなと言ってくれたから、最後まで足掻いた。
それが無駄な足掻きだとわかってはいても。
彼女に会いに行くのに、情けない最期を迎えては合わせる顔がない。
地面に爪を立て、力の入らない体を前へと進めた。
自らに覆いかぶさるように影が広がるのをミリーナは見ていたが、それでも前へと――
ゆらゆらとまどろむ気配に、自分が覚醒しかかっていることをミリーナの脳が知覚する。
それでも、まだもう少し寝ていたいと、だるい体を言い訳に眠りにつこうとしたミリーナだったがうまくはいかなかった。
「ああああー!」
突然の大声に脳が覚醒し飛び起きた。
その衝撃で傷口がずきりと痛みを訴え始めてしまい、情けない声を上げそのまま腹を抑えてうずくまる。
何やら外が騒がしい。
今ミリーナがいるのはハリスと名乗った少年が拠点にしているという洞窟の中だ。
その少年の姿は拠点内には見えない。
外から聞こえてくる声に覚えがあるものが混じっているので、おそらくそこだろう。
言っていた仲間とやらが帰ってきたのだろうか。
だとしたら助けてもらったお礼を言わなければ。
少年には伝えたが、やはり直接言いたい。
しかし外の声は次第にヒートアップしていき、なかなか入ってくる気配はない。
ミリーナは立ち上がり、傷口をかばいながら外へと向かう。
拠点を出たすぐそこに目的の人物がミリーナに背を向けるように立っていた。
深みのある赤い髪の男と、緑のふわふわした髪の少年が言い争うそのそばに、ボロボロのローブを着た誰かがいた。
あれが少年たちの召喚主だろうか?
それにしてはおかしな気配がするが。
黙って見ていても仕方が無いと、思い切ってミリーナは彼らに向けて声をかけたのだった。




