12 さまよいにもいろいろいる
食料調達も終わり、休憩も取ったナイは用事が無くなった町から一刻も早く去るために足取り軽く――他人からみればいつもと変わらないのであろうが――外へと向かう。
横道から大通りへと出たナイは、その人通りの多さと賑やかさに辟易しつつも人を避けながら進む。
その後ろを追従するようにリオン、ハリスの二人が楽しそうに会話しながら並んで歩く。
話題は市場で聞いた噂。
万病に効くと言われる花がこの町から少し行った先の荒野で自生しているというもの。
断言できるが、そんな所にそんなものはない。
二人もそのことは承知の上で、噂話に乗っているのだろう。
くだらない噂話というのはどこの世界にもあるものだ。
しかしこの世界には召喚術というナイにとってはほぼ未知の力もある。
その中で天使の力ならばどんな怪我も病気もほぼ治せる。
これは実体験として経験しているので信憑性はある。
だが、これは一般人には手の届かない治療法でもある。
それにナイは正式名称を知らないが、怪我が治ってしまう薬もある。
これは一般人にも手が届くが病気には効かない。
さらに大怪我になると一本では足りなく、何本も使わなければならないからコスパが悪い。
これも実体験として経験済みだ。
ゆえにそんな花が絶対に存在しないとは言い切れないところだが、少なくとも荒野にはない。
「……ん?」
「どしたぁ、ナイ?」
「なにかあった?」
思わず出たナイの小さな声をしっかり拾った二人が会話をやめナイへと視線を向ける。
それには返事をせずにナイは視界の端に映った気になるものを目で追った。
そこには明るい黄色の髪が眩しい少女がいた。
泣きべそをかいている小さな子供の手を引いて、周囲をきょろきょろと見回す少女。
年のころ十代後半といったところか。
それだけならナイの視界に引っ掛かりはしないが、気になったのは少女が着ている服。
日本の巫女装束に近い衣装を身に纏っている。
白い上衣に、青い袴――のようなもの。
一般的に思い浮かべるであろう装束色と色こそ違うものの、かなり近いデザインのものをその少女は着こなしていた。
こちらの世界に来て初めて目撃する馴染みのあるものに目がひかれた。
「あの嬢ちゃんがどうかしたのか?」
「…………別に」
「あの服ってたしか……」
ナイの視線の先を辿ったリオンに問いかけられたが、ほんの少し、本当に少しだけ気になっただけで、他意はない。
もう自分には縁もゆかりもないものだ。
――がり……
未練を断ち切るように、すぐさま進行方向へと視線を戻したナイはそのまま足早に町から去った。
町から出たナイ達は最近の拠点にしている荒野へと足を向ける。
そう。何を隠そう先ほどの噂話に出ていた荒野というのは今から行く場所――むしろ帰る場所と言った方がいいのか――で、ナイ達は一月ほど前からそこにいる。
魔物はいるが雑魚しかおらず、盗賊はいない。
強者であるナイたちにわざわざ襲いかかってくる魔物はほぼいないため、誰にも邪魔されず、静かに過ごせる所がナイが気に入ったゆえんだ。
町にもほど近く、二週間に一度買い出しに行く以外は、暇さえあればこの荒野を探索している。
しかしついぞ花なぞ見かけたことはない。
それは二人も同意見だろう。
だからあの噂は嘘だとナイは断言できる。
それよりなぜそのような噂が広まっているのかの方がナイ的には気になるところだ。
いや、嘘だ。やはりどうでもいい。
ちょうど小高い丘のようになってるところに、浅い洞窟を見つけたナイはそこを生活拠点にしている。
といっても、ほとんどの生活用品はハリスのものであり、ナイとリオンのものは毛布くらいだ。
置きっぱなしにしていても、そもそもこの場所には盗むような人間もいないので心配はない。
それに万が一盗まれても良いように、失っても惜しくないものしか置いていない。
雨風もしのげ、人もいない。
ナイにとっては快適すぎる住処だが、ただ一点。水場が近くにないのだけが不便ではある。
それも荒野を出れば川があるので特に問題はないが、不便は不便だ。
拠点へと戻ったナイ達は、それぞれ好きに過ごす。
ナイはハリスが持っていた本で――読めないが――暇つぶし。
リオンは散歩ついでに川まで水を汲みに。
ハリスは買ってきた食材で夕食の準備。
ナイだけ何もせずさぼっているが、二人は何も言わない。
それはいつもの光景でもある。
それから数日が経ったある昼下がり。
この場所の探索もしつくしたナイはやることもなく拠点で本を眺めていた。
そろそろこの拠点を引き上げて別の場所へ行こうかとナイがぼんやり考えていた時だった。
普段は静かな荒野に複数の人間のものと思える悲鳴が響いたのだ。
一体何事だとナイは顔を歪めて視線だけを外へと向ける。
リオンは興味がないのか横になったまま動こうとしない。
唯一ハリスのみが急いで拠点の外へと飛び出し周囲を伺ったかと思えば、慌てたように大きな声でナイとリオンを呼ぶ。
ハリスが急かすのでしぶしぶ本を置き、ナイは外へと向かう。
リオンも起き上がり欠伸を噛み殺しながらナイに続き外へ出てきた。
「……なんやねん」
「あそこ!」
ハリスの指さす方向へ目を向けると、荒野の真ん中で何かに追われ逃げる人影が見えた。
逃げているのは人間が四人。
そのうちの一人に見覚えがあるような気がしたナイは記憶を辿ろうとしてすぐにやめる。
思い当たったとしても、どうするつもりもない。
次に追いかけている方に視線を移せば、不定形の姿を持つ大きな緑の塊が複数。
スライムと呼ばれる魔物だ。
奴らは勝手に増えていくらしく、この荒野の入り口近くにはたくさんいる。
ナイからすればスライムはたいして強くはない。
むしろ雑魚である。
しかしそれはナイのように戦えるものからしたら雑魚というだけであって、そうでないものにとっては十分脅威になりえる。
「スライムに襲われてるみたい! どうしようナイ!」
「……ほっとけ」
「もぉ! またそういうこと言う!」
人間がどうなろうがナイにとってはどうでもいい。
仮にスライムがこちらを襲ってきても、ナイならば余裕で勝てる。
危ないのはハリスくらいだが、リオンがそばにいれば問題はないであろう。
興味が失せたナイは騒ぎから視線をそらし、拠点内へと戻る。
「スライム一匹ならハリスにも相手できそうだが、五匹もいちゃまだ難しいか」
「いけて二匹が限界だよ」
「オレは五匹余裕」
「だろうね!」
背後で交わされる二人のやり取りにうんざりしながら置いていた本を手に取る――
「あっ!!」
「うーわ。サイテー」
前に、二人の声に意識が持っていかれる。
何があったのか。
人間がスライムに喰われたか?
幾ばくかの興味が湧き、ナイは再び来た道を戻り外へ出た。
「……どした?」
「あ、ナイ。戻ってきたんだ。って、それどころじゃなくて! 女の子が刺されたんだよ!」
「なんや、喰われてへんのか」
「どっちかってーと、それはこれからだな」
「二人とも!!」
少しばかり残念だと肩を落としながら、先程の一行に目をやる。
確かに一人明らかに傷を庇いながら走っている者がいた。
白い上衣を血で赤く染め、必死に走っている。
追いつかれるのも時間の問題だろう。
他の人間どもは、あの女一人を囮にして逃げるつもりなのだろうか。
太った男をガッチリした男が担ぎながら走っているのが見える。
もう一人、ヒョロっとした、のっぽが手に血のついたナイフを持って走っている。
あれで囮とした女を刺したのだろう。
囮に使われた女と男たちの差がどんどん開き、反対に囮に使われた女とスライムの差が縮まる。
「ねぇナイ。助けてあげようよ! かわいそうだよ!」
「別に人間がいくら死のうがどうでもええやろ」
「ん? あいつ人間じゃねーぞ」
「は?」
「え、ナイ気付いてなかったの!? あの人だけは召喚獣だよ!」
「……は?」
今度は意識して少女へと目を向ける。
白と青の和装のような服をきた少女に。
そしてナイの脳裏に数日前に町で見かけた巫女装束の少女が浮かぶ。
(見た感じ人間やんな……変なとこ無いし。てことはうちと同じ地球から? いやでも日本人には見えへんな……。つーかなんでこいつらそんなんわかんねん。あーっと)
ナイがボケっと見ている間にも、どんどんと少女の命の燈火は短くなっていく。
時間はない。
がりがちゃ。
「……どっちにしろこっからじゃ間に合わんやろ。まぁ――」
中途半端に言葉を切ったナイはチラと悪魔に視線を向ける。
ナイの視線の意味を正しく理解したハリスはリオンへと手を合わせお願いを口にする。
「お願いリオン! あの人を助けて!」
「……あー」
「……」
今度はリオンから視線を向けられるが、ナイからは何も言わない。
そうこうしているうちにも、少女とスライム達の差は無くなっていく。
「――しゃーねぇなぁ」
特大のため息を吐き、後頭部をボリボリ掻いたリオンは少女を助けるべく動き出した。
――少女はついに力尽きたのか、足を縺れさせ転んでしまう。
ナイとハリスから少し離れたリオンは、バサッと音を立てて翼を広げ空高く飛び立つ。
――スライム達が倒れた獲物へ、嬉々として食いつこうと飛び掛かる。
悪魔特有の真っ黒の羽は太陽の光を吸収し、ナイ達へ影を落とした。
――少女はそれでも諦めず懸命に生きようと、地面に爪を立てて這いずる。
赤い髪を風でなびかせながら、リオンは高速で少女へと近寄る。
そしてスライムが少女へと襲い掛かる瞬間、横から倒れた少女を搔っ攫っていった。
リオンが移動時に起こした突風に巻き込まれ、吹き飛ばされたスライムが転がる。
何が起こったかわからずに狼狽えている姿だけが残った。
スライムからしてみれば、風が吹いたと思ったら吹き飛ばされ、さらには血の跡だけを残し忽然と獲物が消えてしまったように見えただろう。
折角の食事を食べ損ねた怒りからか、やつらは数度その場で伸び縮みを繰り返したあと、そのまま他の逃げた人間を追い始めた。
「だー。つっかれたぁ……やっぱあの速度で飛ぶのはしんどいな」
少女を抱えて拠点まで戻ってきたリオンは、愚痴りながらも次に少女をどうするか問いかける。
その質問にハリスが答え、二人はそろって拠点の中に消えていった。
二人を見送ったナイは、スライムへと視線を向ける。
転がるような移動に変えたスライム達の移動速度は速く、もうかなり小さくなっていた。
逃げた人間達に至っては姿も見えない。
(クソどもが……)
がりがり。
視線の先にいるであろう相手へと心の中で罵声を飛ばしたナイは、イラつく心を切り替えるように大きく息を吐き出し拠点の中へと戻る。
中はちょっとしたパニックだった。
怪我人の手当てで騒がしい――主にハリスの声だが――室内の声に混ざって、鋭くなったナイの聴覚が別の人間の声を拾う。
ざまあみろと無意識にナイの口端が持ち上がった。




