豊沢亜貴その1
豊沢亜貴は、先に登場した池原悠に先立つこと1年前に入社して、当初は理財部経理課に配属となった。
H工業において営業活動や備品購入、会議などの経費の請求は、記名の申請書に領収書を添付する形がとられている。経理課員の仕事内容には、申請書や記名が漏れた領収書を手に、請求者の確認のため当該部署へ出向くことも含まれている。
出向く担当は日ごとに何階フロアへ行くか、あるいはずっと内勤かが変わり、人によってはきっちり書類記入からやらせるものもいるが、豊沢は「データの打ち込みに間違いがなければよい」というスタンスのもと、確認は口頭だけで済ませて書類記入は豊沢がやっていた。
ただ、故意または重大な過失を以て繰り返し不備を出し経理課員の確認に駆り出した者に対しては、四半期ごとに3回以上で勤務態度の査定にマイナスが付く。6回以上繰り返した者は受け持った経理課員からこの事実を告げられるため、女性目当てにわざと書類に不備を作った者は後にもらう賞与や昇給昇格で泣きを見る、という展開もある。
豊沢は確認に出た際、行先の部署や途中の部署、廊下で様々な社員と挨拶を交わし、軽く話をしていく。時々お菓子の差し入れをもらったり他の社員についての噂話を耳にしていく。
曰く、営業の○○さんは投資が焦げ付いて借金が増えている。
曰く、情報セキュリティの××さんは家族との不和で酒が増えた。
曰く、法務の△△さんは最近田舎に越した際、前に住んでた都心駅近のマンション売却で買った時より高値で売れて儲かった。など。
豊沢自身は仕入れた話を広めることはしないが、しゃべりたがりの人の心をくすぐって話を引き出す手腕は並ではなく、確認作業の外出を終えた後はPCのエクセルに部署ごとのシートを作って人とうわさと話し手のまとめ書きをしていき、そのデータ量は日に日に増やしていくのだった。
豊沢の特技はもう一つある。会社への報告プログラムとは別に、自分のエクセルに経費請求不備を出した者と請求額が多い者の名前、部署、摘要、金額を入れているが、これらを突き合わせる過程で「その者が良からぬ動きをしているか否かの見極め」が出来るのである。
例えば、普段高額の申請を出さない人の名前がたまに浮上していた場合、その人は別人分の身代わり申請していてその別人は着服目的であるとか、先に述べた故意の申請不備についても四半期ごとに2回やったあとは同じ部署の近しい人間を使って経理課の女子に声かける目的の輩を割り出すとか、そうして服務規程に抵触したものの摘発をいくつもやってきた。
経理課で2年働いたのち、豊沢は秘書室への異動が決まった。正確には「浦山機関」こと社史編纂室であるが、対外的な聞こえも考えて公には社史編纂室であっても秘書室という知らせがなされる。
「亜貴さーん、わだじをおいでいがないでぐだざいー」
1年後輩の二川冬華が涙ながらに豊沢に取りすがった。
「冬華ちゃん。貴女は私なしでもここの仕事できるでしょ?というか、他の人とももうちょっと関わったり仲良くしたりしよう?ね?」
「そんな!私と亜貴さんはお互いの首の骨がいくつあるかを知っている仲じゃないですか!私とは遊びだったんですかー!うぁーん」
「うん。そもそも人とか大体の哺乳類にある首の骨は7つって知ってる人は知ってるよね。だけど、周りに誤解与える言い方はやめよう?ね?」
とりすがる二川にうめぼしをぎゅりぎゅり見舞いながら、豊沢はなだめた。
「いだだだだだ!痛い!痛いです亜貴さん!ごめんなさい、調子に乗りました!おっぱい吸っていいか聞かない限りは大丈夫と思って調子に乗りました!ごめんなさいー!」
以上は、経理課での別れの挨拶で起こった場面である。豊沢が挨拶した後二川はぐずったのだが、そこで繰り広げられたのはいつも飲み会で見るようなシーンと変わりなかったため、皆は笑いながらみていた。
ある人は「二川のやつ、飽きもせず豊沢にすごい執着だな」と、
別のある人は「豊沢さんがバイオレンスに走るの、二川さん以外に見たことないね」と、
さらに別のある人は「豊沢さんも二川さんも高嶺の花みたいなちょっと近寄りがたい雰囲気あるけど、じゃれ合ってる姿は見てて面白いなあ」と、とにかく微笑ましいものを見る目で見られていた。
1週間前、豊沢は人事部長から呼び出しを受け人事部長の付き添いで浦山との対面をした。
「初めまして。ワシは社史編纂室室長をしている浦山圭二いいます」
「初めまして。経理課所属の豊沢亜貴と申します」
「うむ。今回キミに来てもらったんは、ヒューミントによる情報収集要員として、うちの正規メンバーになってもらいたいと考えているからや」
「ヒューミント・・・・・・ですか?」
「ああ。簡単にいうと人と会って話す過程で情報を集めることやな。キミがこれまで上げてきた不正摘発は、様々な人との会話で得た噂話も土台になっているやろ?」
「それは確かに、そうですね」
「ウチの機関は情報を集め分析して、社の利益を増やすことを目的としとるが、営業収入を増やすのみならず管理にかかわるコストや損失を減らすことだってできるならしたいからな。そこでキミの名前が出てきた」
「・・・・・・・・・・・・」
「君には名目上秘書室に籍を移してもらって、部長や課長級会議の準備・呼び出しなどで引き続き全フロアを動き回れるように仕事を回そう。それで各所からの噂の収集・分析にあたってほしい」
「かしこまりました。では、異動は謹んでお受けします」
そして異動の打診受けたことを経理課長に報告し、デスクの片づけや経費請求不備の確認に出た先で挨拶回りをして1週間を過ごした。
そして
「今日からこちらで部長や課長級会議の準備・呼び出し要員に入ることになった、豊沢亜貴さんです。実質的な所属は隣の社史編纂室ですが、社内各所を動き回る仕事もいろいろ知ってもらうため、皆さんで教えてあげてください」
秘書室でもデスクを持つことになり、課長に紹介してもらう形で挨拶をした。
しばらくは秘書室の仕事を覚えるため、ほぼフルタイムで秘書室に詰め、合間に少し長めの休憩を入れて社史編纂室に挨拶したりそこでもデスク準備をした。そうして1ヶ月が過ぎ、休日の2日間は旅行に出かけた。




