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池原悠その1

社史編纂室が情報機関として始動してから1年半後、入社間もない女性社員がやってきた。彼女は池原悠。飛び入学で大学に入りストレートで卒業して入社しているため、まだ22歳になっていないという大卒採用では異色の存在である。




「初めまして池原さん。貴女の指導担当である黒森です。この部署はここがみんなやること違うからあまり助けになれないかもしれないけど、心細いことがあったら甘えてくれていいからね?」


指導担当についたのは黒森美穂。30歳になったばかりの彼女は社史編纂室がスタートしたのを機に総務部から移動してきた生え抜きだ。


「・・・・・・よろしくお願いします」


身長もスタイルも大差ない2人だが、片や眼鏡美人の人妻。此方はクールビューティーを絵に描いた見た目でありつつ、視線を彷徨わせた不思議キャラの雰囲気を纏っていた。


社史編纂室は大きく分けて4つの部屋がある。室長含めたパソコン装備のデスクが並ぶ部屋、大小さまざまな新聞・雑誌が並ぶ資料棚とそれを読みながら作業をするための机が並んだ閲覧作業室、作戦会議やプレゼンを行うための会議室が1つずつで、閲覧作業室は秘書課のオフィスとつながっている。また、秘書課のオフィスをハブとして各役員室と社史編纂室がつながっているため、この一帯は会社経営の中枢の1つになっている。

その旨を一通り説明した後、黒森は池原に尋ねた。




「池原さんはどこみて情報収集しているの?」

「・・・・・・官報とか他社のIR情報とか、ネット経由です」

「ネット・・・・・・ああ、そうだ。机のここに、うちの会社が会員登録している電子版情報サイトの一覧とログインIDがあるから」

「ありがとうございます」

「じゃあ、私はこれから自分の調べものするけど、聞きたいこととか相手してほしいことでもあったら、声かけてね?」

「・・・・・・」(コクリ)




2人が離れて、それぞれのデスクについた後はしばらくPCに向かって調べものを進めた。そして気付けば昼休み半ばの13時過ぎ・・・・・・


「・・・・・・」(じーっ)

「・・・・・・」カタカタカタカタ・・・・・・

「・・・・・・」(じーっ)

「・・・・・・」(うーん、うーん・・・・・・)

「・・・・・・」(じーっ)

「・・・・・・」(んー、体が凝っ、え?)




池原は黒森の座る背後に立ち、じっと作業しているさまを見詰めていた。


「い、池原さん?声かけてくれてよかったのよ?」

「・・・・・・おなか、減った」

「あ、あはは。ごめんなさい。そういえば今ここ、私たちしかいないわね。ひと声かけていってくれれば、食堂でも外でも、買い物に行っても大丈夫よ」

「美穂さん、一緒に食べてくれないの?」

「へっ?えーと、私はお弁当持ってきているから、一区切りついたらここで食べるわ」

「・・・・・・買い物、出てきます」

「行ってらっしゃい・・・・・・。ひとまず、懐いてくれたと考えていいのかしら?」


黒森は池原から下の名前で呼ばれたことに驚きつつも、嬉しい気持ちで作業を片付けコーヒーの用意もしながら池原の帰りを待った。


「・・・・・・戻りました」

「お帰りなさい。池原さん、コーヒー入れるけど、砂糖とミルクはいるかしら?」

「・・・・・・ミルクは美穂さんと同じでお願いします。砂糖は4つで」

「砂糖は多めなのね。わかったわ」


そして池原は外の弁当屋で買ったもの、黒森は自家製の弁当をつついて和やかに昼食をとった。


「池原さん、これからあなたのことを悠って呼ぶわ。あなたも私のことを下の名前で呼んでくれてるし。いいわね?」

「・・・・・・はい」


基本的に表情を出さない池原だが、今の瞬間、黒森の目の前にいる池原はごくわずかに微笑んだように見えた。そしてこのあと、黒森は自分が社史編纂室で主にやっている仕事と改まった自己紹介をし、初日の仕事を終えた。






【池原Side】


 わたしは池原悠。H工業に春に入社したばかりの新人だ。在学中は囲碁・将棋・チェスに打ち込み、プロの対局と学生チャンプの保持を4年続けてきたが、一生そのままというのも退屈に思い普通に就職して今に至る。

入社して配属になったのは秘書室だった。わたしの経歴をみて、名だたる役員の面々の挑戦を受けたが対局自体は特に思うところはなかった。2回目以降の対局では会社の経営方針や子供の教育に関する雑談が主となり、相手となった役員たちは「わたしの異色の経歴と、それならではの経験談や質問の答え」について、眉を顰めることなく興味深げに聴いてくれたので、それについてはありがたく思う。

対局のない時間は、いろいろな官庁や会社の公式サイトを見て、見たことや考えたこと、会社の展望との関わりを対局相手の役員に雑談として話した。時に驚かれ、時に疑念を持たれるが、後日会った際は感謝や従わなかったことに対する後悔の言葉を述べられた。その繰り返しが5回目を迎えたあたりから、「褒章として、何か望みはないか」と聞かれるようになった。

わたしは棋士として稼いだ賞金の蓄えがあるため、金には困っていない。スピード出世を望むわけでもない。ただ普通の人が味わうような刺激、知的好奇心を満たす喜びが欲しい。「知的好奇心がくすぐられる、刺激的な時間が欲しいです」と、役員に聞かれるたびに答えた。

そうして春、夏が過ぎ、わたしは社史編纂室への異動が決まった。会長の話では、私の籍は秘書室から動いておらず、わたし自身の仕事場が少し変わるだけとのことだった。




「キミがこれまでやってきた「公開情報を手掛かりに、書かれていない情報や流れを読み取る」手法はオープンソースインテリジェンスっていうんや。これも立派な、スパイの仕事やで」




と会長は言った。また、会長はおもむろにロマンスグレーのかつらを頭から外し、かたわらから取り出した坊主頭のかつらを代わりにかぶった。




「ワシは普段、この姿で社史編纂室におる。この姿の時は室長と呼ぶように」

「・・・・・・はい」


そうしてわたしは、秘書室在籍のまま社史編纂室に異動になった。




 「初めまして池原さん。貴女の指導担当である黒森です。この部署はここがみんなやること違うからあまり助けになれないかもしれないけど、心細いことがあったら甘えてくれていいからね?」


今度の部署では指導担当の人が付くことになった。眼鏡の似合う素敵なお姉さんだった。甘えてもいい?でも、口下手なわたしが、黒森さんに不快感与えないでいられるだろうか?


「・・・・・・よろしくお願いします」


黒森さんは、仕事場の部屋の構成について説明した後、


「池原さんはどこみて情報収集しているの?」


と質問してきた。甘えてもいいと言ってくれた人だ。ぶっきらぼうにならないよう、気をつけなきゃ・・・・・・


「・・・・・・官報とか他社のIR情報とか、ネット経由です」

「ネット・・・・・・ああ、そうだ。机のここに、うちの会社が会員登録している電子版情報サイトの一覧とログインIDがあるから」


答え方は大丈夫だったようだ。それに、電子版情報サイトも見ることができるなら、情報の精査もしやすい。


「ありがとうございます」


そしていったん話は終わり、別々にPCに向かって調べものを始めた。・・・・・・・・・・・・もう13時過ぎてる。おなかすいた。少し黒森さんの後ろで仕事を見ていよう。これは・・・・・・活動家と政党の関係を調べている?


「い、池原さん?声かけてくれてよかったのよ?」

「・・・・・・おなか、減った」


驚かせてしまった。


「あ、あはは。ごめんなさい。そういえば今ここ、私たちしかいないわね。ひと声かけていってくれれば、食堂でも外でも、買い物に行っても大丈夫よ」


そんな気はしたけど、食事しながら話を聞くこともあるかもしれないから待ってました。


「美穂さん、一緒に食べてくれないの?」

「へっ?えーと、私はお弁当持ってきているから、一区切りついたらここで食べるわ」


これは・・・・・一緒でもそうでなくてもいいととれる。もしかして、わたしが一人ご飯を好むと思って気遣われた?とりあえず、買い物に出る意思は伝えよう。


「・・・・・・買い物、出てきます」

「行ってらっしゃい」


美穂さんのあの感じなら、20分もしないうちに作業を終わらせて食事に入ると思い、わたしは急いで弁当屋で食事を買って戻った。


「・・・・・・戻りました」

「お帰りなさい。池原さん、コーヒー入れるけど、砂糖とミルクはいるかしら?」


どうやら待っていてくれたらしい。こちらの言葉が足らないばかりに、先に始めてたかもと思ったけど、美穂さんは優しい人のようだ。


「・・・・・・ミルクは美穂さんと同じでお願いします。砂糖は4つで」

「砂糖は多めなのね。わかったわ」


それから、食事しながらの話でお互いの距離が少し近づくことができた。午後の仕事で、美穂さんは総務部出身であること、もともと秘密結社関係を調べるのが好きで、総務の仕事柄応対可能性のある圧力団体や反社会勢力、互助会と政党との関係や対応の仕方について調べるのがメインだと教えてくれた。

わたしが棋士のままだったらまず知らないような、しかし興味深い話だった。時間作って、もっと色々聞かせてもらおう。ついでに甘えさせてもらおう。社史編纂室で迎えた初日は、そんな感じで喜びと希望に満ちたものになった。

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