神嶺豊
神嶺豊は大手メーカーの有能な管理職だった。
上昇志向が強く、実際に平均より早いペースで昇進していき、あと一息で取締役というところまでいった。
彼は社内に敵もいたが、数少ない味方や直属の部下への情は篤く面倒見が良かった。
彼には社内に激しく争ったライバルがいた。神嶺は技術系出身、ライバルの川辺かわなべは営業系出身で、お互いが課長級に上がった時から社内でも目立つライバル関係にあった。
彼らは中学時代からの昔なじみだった。学校が同じだったことはないが趣味を通じて知り合い、馬が合い、手紙や電話のやりとりが主でたまに顔を合わせる仲でもあった。
神嶺は「仕事で正しいことをしたければ偉くなれ」という言葉のとりこになり、「仕事で正しいことをするとはどういうことだろう」と中学時代から考えていた。そのことを川辺に話すと、「今から仕事のことを考えてもわからんだろ。漢籍とか読んで、正しくないことをして斃れた将軍や皇帝を調べるとかしたらどうだ」と諭された。
なるほどと思った神嶺はひたすらに現代語訳や原書の漢籍を読み、行動の指針とした。それとは別に、進学して仕事にも生かすための理科系の勉強をし、大学工学部を経てS社に入社した。
当初は研究開発部門にいたが、外部との折衝やチームの取りまとめの手腕が高く評価され異例のスピード出世が始まった。神嶺はとにかく部下のために予算を多くとることに尽力した。営業や企画部門が商品について何を求めているかうまく引き出し結果を出したことに加え、予算編成部門を相手に回した際は「担当者の弱点・泣き所」を探っては巧みに交渉をした。よくいる「敵に回すと恐ろしくて相手にしたくないが、味方に付くと大変に心強いタイプ」である。
他方で川辺は営業畑で着々と結果を出し、やはり順調に出世した。かつて神嶺に「漢籍を読め」と促した彼だが、自身も読んでおり人心掌握に大いに役立てた。
彼らが40を過ぎるころ、神嶺は開発製造部門の部長になり川辺は営業部門の次長になっていた。取締役の1人が退任・退職を迎えるために神嶺自身と川辺の上司による競争が始まるのだが、これが終わった直後に悲劇が起こる。
神嶺は上昇志向の強い人間だ。しかし、自分の進む方向を示してくれた友である川辺がまた同格になるなら、今回は勝ち急ぐことはないとも思っていた。自分に付き従っている部下の手前、あからさまな八百長に映らない程度ながら激しい競争を展開し、相手の瑕疵のつつき合いも行った。
結果、川辺の上司が取締役に昇任し、川辺は営業部門の部長になった。だが、それから1ヶ月も経たぬうちに川辺は入院する。検査の結果、末期の肝臓がんと診断された。
神嶺は川辺の妻を通じて詳細を知らされ、病室に駆け込んだ。
「川辺お前、営業のために無理して酒を飲んだな!お前ならもっと上手いやり方思いついたはずだろう・・・・・・!」
「・・・・・・・・・悪いな、神嶺」
「なあ、そんな・・・・・・お前、これからも俺と一緒に、正しいことを目指して、働くんだろ、、、部長に、なったばかりじゃねえか・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・お前ひとりでも、できるよ」
「い、いやだ!川辺、お前がいたから、俺もここまで続けてこれたんだ!だから、戻ってきて、くれよ・・・・・・」
神嶺は大粒の涙を流しながら、叫ぶように川辺に縋った。
「なあ、神嶺。・・・・・・最後に見るお前の顔が泣き顔というのは、こっちも・・・・・・悲しくなる・・・・・・俺はまだ大丈夫だから、・・・・・・今日はもう帰ってくれ。・・・・・・それで、また次に、楽しい話を笑ってしてくれ、な?」
「・・・・・・・・・・・・そうだな。・・・・・・お前笑わせたら、元気にできるよな・・・・・・わかった、楽しい話、明日までに探してくるから」
翌日から川辺は昏睡状態になり、3日後息を引き取った。
川辺の入院そして死を機に、神嶺は「取締役の椅子を巡る争いで、同期の人間を死に追いやった」という噂に晒されることになった。川辺が倒れたのは長年の無理が祟ったことが原因なのだが、神嶺と敵対する人間からすれば関係ないことだ。
川辺の通夜は社内からも多くの人間が訪れた。神嶺は続柄としては他人だが、親しくしていたこともあり親族側で準備手伝いに回っていた。参列客の半分以上が帰り、場が落ち着くとまた泣いていた。
「開発製造部長の神嶺さん。少し、話してもいいか?」
声をかけたのは、先日取締役入りを争った大石である。
「・・・・・・・・・・・・、すみません、大石本部長。見苦しい姿を見せて・・・・・・、大丈夫です、何でしょうか?」
「堅くならないでくれ。川辺から最期に事情はきいた。君たちは無二の親友であり、出世の先に何を見ていたか。とかな」
「・・・・・・・・・・・・」
「正直、手心加えられてあえて勝ちを譲られたと聞いて、いい気はしないが・・・・・・君たちの関係がうらやましいとも思ったよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「川辺は、君が落ち込むことに加えて「出世争いで同期を殺した人非人」という風評を受けるであろうことも心配していた」
「・・・・・・それは、事実・・・・・・でしょうね」
「神嶺さん。もし、会社に居づらさを感じるなら、私は君に紹介したい人がいる」
「・・・・・・・・・・・・」
「まずは会うだけでも、してくれないか?」
「・・・・・・わかりました」
「・・・・・・よし。詳しくは後日伝えるから、連絡先を交換しよう。君からこちらへの要望も、送ってくれていいぞ」
「何から何までありがとうございます。・・・・・・大石さんにとって、川辺はどんな部下でしたか」
「もっとそばにいてほしかった。それしか言えないな」
「・・・・・・・・・・・・」
「邪魔して悪かったな。いったん涙が涸れるまで、泣きはらしとけ。それでこちらの紹介する人には、きれいな顔で会ってくれ」
「・・・・・・はぃ」
数日後、神嶺は大石に連れられて、ある喫茶店に出かけた。そこでは一人の男が待っていた。
「浦山室長、お待たせしました。こちらが例の男です」
「初めまして、神嶺寛と申します」
「浦山圭二いいます。2人とも、かけてください」




