魔道皇子、砦に着く
・このお話はフィクションでファンタジーです。
王都からカルシーム砦までは貴族の馬車で七日だが、軍馬での移動と体を鍛えている冒険者だといこともあって五日で到着した。入国したときにも見たアーチ状の石門をくぐり、まっすぐに伸びる大通りを下馬することなく進んでいく。
「さて、今日はここで一泊して物資の調達と休息をとるよ。ジークは実家に泊まるのかな?」
「いや、あいさつしたら戻ってくる。もう兄夫婦の家だし、冒険者から騎士になった時点で両親はあきらめているしな」
砦に詳しいジークが今日の宿へと先導しながら肩をすくめた。
他国と争いのないこの国の騎士は、少ないとはいえ凶悪な魔物を討伐するときに犠牲が出ることがある。殉職せずとも障害が残るケガを負い騎士職を続けていくことができなくなることもあって、ジークの両親は反対したそうだ。
だが三男で兄二人がすでに家業を継ぐことが決まっていたジークは、冒険者活動の中でネズミの精霊ロイの契約者となって腕を磨き、自分に剣士としての才能があるとわかると迷わず家を出たのだ。その時に母親には二度と帰ってこなくていいといわれていた。
ジークの勧める宿に馬を預けて入ると、三人で部屋を取るために身分証明を厳重に確認される。エーレクロン王国側からくる旅人には砦に入るための確認はないのだが、砦の商業組合が自主的に怪しい人間に目を光らせているのだ。物を購入するのにも不自然な数を注文すれば、すぐに注意人物として組合に報告されるくらい徹底されていた。
それは顔をよく知った元青騎士でも例外ではないらしい。宿屋の受付はジークに気軽にあいさつをしながらも、旅券の発行証印などを入念に確認してから四人部屋のカギを渡してくれた。
「……三人だが」
「レスタ様も一緒なんだろう? この国から出れば次はいつ宿に泊まれるかわからんのだから、ゆっくり休んでいけ」
そう言ってレスタに小さく会釈した受付に、やはりそうなるかとアラステアは小さくため息をついてしまう。そんな弱気になる契約者を横目で見つつ精霊王は受付に感謝を伝えた。
「そなたの気遣いに感謝する。それと砦の精霊たちが訪ねてくるかもしれないが、迷惑ならば遠慮なく言ってほしい」
レスタへのあいさつもそうだし、今はアラステアという精霊の癒し手がいるのだ。砦にいた精霊たちが押し寄せてくるかもしれないとの言葉に受付も快くうなずいた。そのまま部屋に上がって一度荷物を置くと、ジークは実家へ、アラステアとヴァージルは馬の世話と食料の買いだしに出る。
「ロイ。お前はアラステアについていけ。あとで合流する」
とにかく少しも目を離したくはないとばかりに指示をだすジークに、かわいらしいネズミは当たり前だとアラステアの肩にのぼった。
「ジークの母親はネズミが死ぬほど嫌いなんだよ。まぁ、僕たちも相手を好き嫌いで判断するから、その気持ちもわかるしね」
こんなに賢くてかわいいのにと不満に思うアラステアだが、ロイは少しも気にすることなくジークを見送る。精霊たちは自分に関係のある人だからといって、本心を隠してつきあっていくということをしない。だからなのか精霊を嫌う人々を『精霊を嫌っている』という理由で嫌うこともないのだ。
今回の場合、ロイの中でジークの母親は『どうでもいい人』だけど『ネズミがきらいな人』だから、配慮して一緒についていかないというだけ。精霊を嫌っていようが、ネズミを嫌っていようが、精霊にとってどうでもいい人ならば気にならないらしい。
宿の馬房で待っていた三頭をアラステアとヴァージルでねぎらいつつ世話をすると、国を出るための装備と山を越えるための食糧を買いにでた。
カルシーム砦は前世でも何度も訪れているので地元の人間が利用する店をのぞきつつ、アラステアの経験からよさそうな品ぞろえの店を選んで買っていく。ロイが一緒だからかおまけもいくらかもらい、砦の騎士と住民の近さがうかがえた。
「冒険者ギルドは顔を出さなくていいのか」
「今から行く。本当に、本当に! いやだけど!」
ヴァージルの問いに悔しくてこぶしを握りしめながら、できるならレスタに対して文句を言う人間すべてを焼き払いたいと思っているアラステアは、レスタを抱きしめながら半泣きになる。そんなアラステアに頭を擦りつけるレスタは、ただ彼の気分が回復するのをなにも言わずに待つだけだ。
やがて覚悟を決めるとすぐそばのドアを開けて中に入っていく。
冒険者自体が少なく、さらにレベルの低い者しかいないギルドのせいか狭い酒場といった雰囲気だ。カウンターとその奥に事務机が三つ。依頼を張る掲示板のそばにはテーブルとイスが四組ほどあるだけで、昼時を過ぎた今は机で一人の職員が仕事をしているだけだった。
「ああ、アラステアさん。お待ちしていましたよ」
唯一残っていた職員が長い髪を揺らして立ち上がる。男性のメガネの奥の目は鋭く、こんなさびれた場所で働いているのが不自然なほど堂々とした態度で耳環を持ってきた。
「これが従魔の魔道具です。レスタ様にはなんの強制力はありませんが、鑑定すればちゃんとアラステアさんの従魔だと結果が出るでしょう。エーレクロン王国冒険者ギルドの認定証もこちらに」
渡された黒の耳環と、ムネエソと呼ばれる魚の皮をなめして作られた皮用紙に焼きつけられた認定証だ。耳環にかけられた魔道は人に使役されている魔物だという証で、レスタたちの身分と誰の所有物かを証明する役割を果たす。
認定証はギルドが発行する従魔を認めるもので、水に濡れず、火にも強く、破けないうえに魔力を流すとエーレクロン王国の紋様が発光する仕様になっていた。耳環とも連動されているので耳環を付けたレスタが触れても発光し、この魔物は使役されていると証明するのだ。
事前に精霊がエーレクロン王国を出るときの規則として発行することは義務付けられていたが、それでもアラステアの神経を逆なでするものには変わりない。
「レスタは、従魔、じゃない」
震える手で耳環を受け取りながら歯をかみしめる黒髪の一級冒険者に、レスタは穏やかな青い目を向けてほほ笑んだ。
「では、そなたの国で精霊が認められたら、そなたが私にそなたの魔力で組んだ特別な装飾品をくれないか」
今は立場を変えることはできないが、未来に変わったその時は愛し子が満足する品を身に着けたいと慰める言葉に、金の目を潤ませた青年が膝をついて抱きついた。
「私の前の契約者が贈ってくれた首輪は劣化で切れてしまって、今は彼女と共にあるのだ。今度はそなたが私に首輪をつけるといい。アラステアからならば私はよろこんで受け入れるよ」
誰が好きこのんで愛しい存在を従属させたいと思うのか、と沸騰していた頭に精霊の言葉は優しく染み入り、交わされる未来の約束はアラステアの欲望を満たしていく。
「贈る。絶対贈る。素材を自分で調達して、GPSと対魔対物の防御壁と万が一のための完全回復とレスタに馬鹿なことをする連中を突き止めるための録画機能と、あとはおいおい考えるけど、それらを組み込んだ魔道陣を描いて自分で刻んだ物を絶対贈るから、今はこれで我慢してほしい」
話している最中から興奮して前世の言葉がいろいろとあふれ、聞いていたヴァージルとギルド職員がなんとなく察せられる魔道の物騒さに引いていたがかまわない。すごくいい案だと目を輝かせるアラステアの唇をぺろりと舐めたレスタは嬉しそうに尻尾を振った。
「楽しみにしているよ」
先ほどとはうって変わってなんの葛藤もなくレスタに耳環をつけたアラステアは、こうしていられないと立ち上がりギルド職員に感謝を伝える。
「耳環に組まれるはずの強制停止を外してくれてありがとう。あれを使われると私以外がレスタをいいようにできてしまうから、内緒で外そうと思ってたんだ」
「精霊を止めるような魔道式はありませんよ。せいぜい痛みで一瞬動きを止める程度です。そんな役に立たないものを私の魔道具に組み込むことなどできません」
カルシーム砦のギルド職員は国からの派遣でもある優秀な魔導士だ。国外に出る精霊と契約者のためのさまざまな手続きをしてくれている彼らのおかげで、エーレクロン王国に隣接している国では比較的精霊の存在は受け入れられていた。たまに騎士や商人、旅人が連れている不思議な生き物が精霊で安全だと知られているからだ。
「それとロイ。あなたの魔道具に連絡用の魔道式をつけ足しておきました。なにかあればそれで国に連絡を、とクランベルド閣下より伝言です。フィールド大隊長にお伝えください」
そういってネズミの首に小さな青い石のついた金属の輪を通すと、それは音もなく縮んで彼の首にピタリとはまる。
「苦しくはないですか?」
「大丈夫だよ。それと伝言、確かに伝えるね!」
元気よく手を挙げて返事をしたロイの目が不意に扉へとむけられた直後、その扉が開いてジークが入ってきた。背の高い男がアラステアの頭か足元までを一瞬で確認すると、なにもなかったかのように合流する。
「用事は終わったのか?」
男らしい低い声にアラステアが笑顔で答えた。
「おかえり、ジーク。今、ロイの魔道具を受け取ったところだよ」
「……ただいま」
一瞬言葉に詰まったジークだがすぐにふわりと笑って返事を返すと、ギルド職員から魔道具の使い方を聞いてロイを拾い上げた。
「数日前から街の高級宿が騒がしいらしい。観光でもないのに滞在している貴族が増えていて、使用人が街を走り回っている。俺たちがとった宿は騎士団員が利用するくらいだから口は堅いし、そこから情報が漏れることはないがどうする」
実家に帰ってあいさつをしてきたジークからの情報に、ヴァージルがうんざりとした表情を浮かべ、アラステアは笑顔のまま首を振る。
「どうもしないよ。宿屋が信用できるのならば、要は私たちがどこに宿泊しているのかばれなきゃいいんだろう? ヴァージルは隠密できるし、精霊たちの行動についていける人間はいない。私とジークは転移で部屋に帰ればいいだけだから、このまま堂々と食事をとりに行くだけだ」
そう言ってマントをひるがえし自信に満ちた顔でドアを開けると、美味しい食事に関してはなによりも妥協しなかった彼女にそっくりの笑顔で振り返ったのだった。