魔道皇子、友人を呼びだす
・このお話はフィクションでファンタジーです。
『ギルドにあいさつしてくる』
この書置き一つで同行者が姿を消して三日。森から帰ってきた直後の伝言に返事がきてから、かれこれ八日は動向が掴めていない。
「まさかこの国の裏ギルドにけんか売りに行ったわけじゃないよな」
もともと自由人な彼がアラステアに同行したのは彼の気まぐれだ。少なくともアラステアが頼んだわけじゃなかったし、現在の雇用主が自分である以上ほかの人間からの依頼を受けることもないはず。
勝手に野垂れ死ぬような人物ではないし、無用なトラブルを起こすような性格でもないからそれほど心配はしていないが、いい加減レスタやジーク、ロイに紹介したいと思ったアラステアは仕方がないと宿屋の窓を開けた。
穏やかな風が吹く晴れた日の午後、白い雲が浮かぶ青い空を背景に金の模様が美しい黒蝶が舞う。
『ヴァージル、戻って』
アラステアの手のひらから生まれたそれは、彼の周りを廻ってから空気に溶けるように消えた。レスタの青い目が楽しそうにきらめき、しばらく見えない蝶を追う。
「さて。あとはお披露目会の衣装と帰国の準備と……あ、母や兄たちにおみやげを買わないと。ヴァージルもすぐに戻ってくるだろうから、ジークを夕食に招待しようかな」
ベッドに座りながら蝶を見送ったレスタが、穏やかな表情で荷物を整理するアラステアを見守る。
しばらく貴重品の入った収納袋や野営のための大きな荷物をかき回していた青年は、ひと段落するとレスタのとなりに遠慮なく転がった。ふわりと黄金のたてがみが風に揺れる。優しい気配とまなざしは千早に向けられていたものと変わりはなく、横になったアラステアも長年そうであったように自然と金の毛並みを撫でた。
「ははっ。幸せだな。ようやくレスタのとなりに帰ってきた」
気の抜けた笑い声とともに体の力が抜ける。アラステアの家はシャムロック帝国の皇帝居城ハグルスで自室もあったが、どうしても建物に公的な場があるせいで前世平民の自分は落ち着かなった。
「私も幸せだよ。そなたの気配をいつでも感じられる精霊の契約を、これほどありがたいと思ったことはない」
きれいな姿勢で座っていたレスタが小さく首をかしげながら低い声でささやき、頭を寝転がった青年の胸の上に乗せる。
幸せなアラステアはレスタと視線を合わせホワホワと笑いあっていると、扉がノックされ呼びだした人間だと判断すると入室の許可をだした。
「呼びだし助かった……」
どこかうんざりするように入ってきたのはやせた男だった。くすんだ短い金髪とどこか闇を孕んだ翡翠の目、一重のせいで目つきが悪く不機嫌そうだが疲れた顔色にアラステアは首をかしげる。
「あいさつに行ったんじゃないのか」
「この国の裏ギルドに顔をつなぎに行ったんだよ。そうしたら喧嘩ふっかけられて、何人かに反撃したらその技はなんだと教えを請われた。なんだ、この国。裏ギルドの連中が甘すぎて拍子抜けだ。もしかして裏よりさらに深い闇組織があるのか?」
どうやらこの国の諜報、暗殺、裏組織を統括する裏ギルドが甘すぎて驚いてきたらしい。あいさつだけのつもりが自分を師と慕って歓待する裏ギルドに、自国の組織との違いに他の闇組織の存在を疑ったようだ。
アラステアはしばらく男の話を聞いてから乾いた笑いを漏らす。
「あー、それは仕方がないんじゃないかな。この国には精霊がいるからね。人間ごときの諜報活動なんて必要ないことが多いからなぁ」
それで男がようやく同じ部屋にいた金の獅子を見た。
「それが精霊か」
「レスタだよ。レスタ、彼がヴァージル。私の友人だ」
「精霊レスタだ。アラステアと契約している」
レスタがあいさつすると、睨むでもなくじっと見つめていた痩躯の男が小さく頭を下げる。
「ヴァージルだ。なるほど。コレがいるなら裏ギルドもああなるわな」
相手の力量を見極めるのがうまいからこそ最高の腕利きといわれた男が、この短時間にレスタの実力を見抜いて気が抜けたようにベッドに座った。
「ヴィー。レスタをコレって言ったのかな」
ヴァージルの言いたいことはわかるし彼の口の悪さも理解しているが、それでも大事な存在をないがしろにしているように聞こえて思わず声を低くすると。
「うわっ、そこまで執着してんのかよ! コレなんて言って悪かったな、レスタ」
アラステアはヴァージルを愛称で呼んだにもかかわらず彼は顔を青ざめさせてすぐさま謝罪し、見た目が悪人面なのに素直に謝罪した青年をレスタはにこやかに笑って許した。
「気にする必要はない。外の世界の精霊の扱いはある程度知っているからね。それにアラステアが変わりないところが見られて嬉しかった」
優しい低い声に男の切れ長の目が見開かれ、ふらりとレスタのもとに近づくと獅子の手を取って嬉しそうに笑う。
「こいつの中身をよく知ってる相手が増えるのは助かる。見た目詐欺のこいつのお守りは大変なんだ」
「それは無理じゃないかなぁ。おとなしい千早のときだっていろいろと大変だったから、この世界を知ったアラステアとレスタを混ぜたらもっと大変だと思うよ?」
同じ苦労人に会ったと喜んだヴァージルに窓際から少年のような声がかけられて、気配に気がつかなかった彼が素早い身のこなしでアラステアを背にかばった。
「ロイ、いらっしゃい」
警戒するヴァージルの背中からひょいっと顔をだしたアラステアがあいさつすると、開いた窓から入り込んだネズミが片手をあげて返事を返す。
「やあ、アラステア、レスタ。遊びに来たよ」
身軽に窓枠からテーブル、ベッドの上へと移動したロイが鋭い視線を向けてくる男にぺこりと頭を下げた。
「ジークを契約者に持つ精霊ロイだよ。僕もアラステアと一緒に行くんだ。よろしくね」
「あ、ああ。ヴァージルだ」
礼儀正しいネズミに戸惑っているヴァージルがつられるように自己紹介すると、小さく笑ったアラステアが同じベッドに座ってレスタをなでる。
「ジークは?」
「今日は退寮手続きとか職務外の手続きとかで忙しくしてたから僕だけ遊びに来たけど、どうかした?」
「ヴァージルも帰ってきたから紹介がてら夕食でもどうかと思って。六日後に夜会が終わるから、出発するときの詳しい話もしたいし」
ジークの冒険者ランクも上げつつまずはシャムロック帝国に帰ることを優先するが、途中でレストラーダ聖王国に寄らなければならないし、精霊を連れて旅をすることの大変さも話し合っておかないといけないだろう。
「今日の夕食にジークを呼びたいってこと? それじゃあ今から呼んでくるよ」
「ああ、いいよ。契約の指輪を渡しているから伝言を送れる」
軽く言い返してアラステアの手のひらにふたたび黒蝶が現れた。
『用事が終わったら夕食を一緒にどうかな? 同行者の紹介もしたいし』
自分の伝言を入れてから左手をくるりと回せば四枚の羽根が六枚に増える。返信用の魔道もつけて放つと、精霊たちがキラキラした目で見つめるなか黒蝶は青空にフワリと溶けた。
「人の使う魔道は面白いねぇ。きれいな芸術作品を見ているかんじ」
「泡沫、儚い。そんな言葉が思い浮かぶよ」
精霊たちの正直な感想に、アラステアはやはりそうだったかと水のリングを指先に纏う。
「私たちが使う魔道は繊細すぎて精霊力の力強さにかき消されるよね。魔導士が精霊に勝てない理由だな」
指でクルクルと回していた水のリングを軽くロイに投げると、小さな手が伸ばされて受け取るものの砕け散るように消えてしまった。
「ありゃ」
がっかりするネズミの精霊を慰めながらちらりとヴァージルを見ると、彼は驚きに固まっていた。それもそうだろう。先ほどの水の輪は触れれは指が落ちるほどの威力があったのだから。
「すごいでしょ。この力をその人が気に入ったからなんて理由で行使する存在なんだよ、精霊って」
「貴族とか高魔力とか関係ないな」
「うん。身分に関係なく猛威を振るう自然と同じだよ」
少しだけ濡れてしまった両手を残念そうに見ていたネズミをまじまじと観察するヴァージルは、細いながらも筋肉のついた腕を組んで大きくため息をついた。
「なぁ、アラステア。お前、本気で彼らを連れて帰るつもりか?」
「ああ」
「精霊が今まで以上に狙われる可能性が高くなるぞ。レスタ、あんたもいいのか? あんたは狙われる立場になるかもしれない」
目つきは悪いが人情に篤い男が知り合ったばかりの自分とは異なる生物の心配をしている。隠れることのできるロイはともかく、体の大きなレスタへの騒動は想像するまでもないと憤る彼だからこそ、アラステアは彼を最も信頼する友人としたのだ。
それがわかったレスタも楽しそうに笑いながら、ヴァージルの翡翠の目を見上げて言った。
「心配してくれてありがとう。君は優しい男だな。だがどれだけ厳しくとも私はアラステアから離れるつもりはないよ」
レスタにおっとりと言われたヴァージルが視線をそらすようにロイを見ると、小さなネズミの精霊は両手のひらを肩の高さで上に向けて首を横に振る。人間じみたそのしぐさに『混ぜたらもっと大変』と言った先ほどの言葉の意味を理解した。
「お前さんの契約者だというジークって男もこんなんか?」
「ジークは冷静沈着だけど千早に激甘だったからアラステアにも甘いかもね。レスタといい勝負かも」
ロイの返事を聞いて自分のベッドに沈んだ友人を横目で見ながら、『すぐに行く』というジークからの返事を受け取ったアラステアは立ち上がって上着を羽織る。
「となりの食堂でジークと合流しようか。それにしても見た目詐欺なんてひどいな」
「今それ言うんだ。本当に変わらないなぁ」
立ち上がりながら笑ったロイは懐かしい人を見る視線で黒髪の青年の背中を追ったのだった。